その15
15
「チビが戦闘術の修行を?」
レミリアの赤い瞳が、瞬きとともにぴくりと動く。
「ええ。なんでも藤原妹紅が神社にときどきやって来ては、模擬戦をやっているそうです」
咲夜は陶製のポットから紅茶を注ぎ終えると、まずレミリアの前に、次いでパチュリーの前に皿に乗せたカップを配膳した。
「ふうん……例の不死の女ね。この間、チビが里でハクタクとやり合ったって話と関係があるのかしら。パチュリー、あなた何か知ってる?」
パチュリーは小さくうなずいた。
「里に行って最初に知り合いになったのが妹紅で、そこからいろいろあって上白沢慧音と一戦交えたらしい。本当は妹紅が慧音にチビを紹介するという話だったということだけれど」
「どうしてそんな風に話がこじれたの?」
「慧音の家に行く途中で妹紅が気絶してしまって、それをチビのせいだと勘違いされた。もっとも、厳密には勘違いとも言えない」
「どういうこと?」
「チビ自身にはそんな気がなくても、あの子のもっている力が妹紅に作用してしまった可能性はなくはない」
パチュリーは紅茶を一口すする。
「わたしの術式がなくても、ヒトガタであるチビは、もともとヒトのもつ霊気や魔力を吸い込む力を持っている。条件次第では、ヒトの身体から直に力を抜き取ることもあり得る。上白沢慧音を倒した技はかなり破壊的なものだったらしいから……その力の源が実は妹紅のものだったということは十分考えられる」
「面白いわね。まるで吸血鬼みたいじゃないの」
「肉体という柵がないから、やり方次第では力をもっと効率的に使えるかもしれない」
「じゃあもしかすると、霊夢の上を行くようなこともあり得るの? わたしたち、もしかしてとんでもないことをしてしまったのかしらねぇ……参ったわね」
言葉とは裏腹に、レミリアは楽しそうだ。
「そんなチビが不死人と仲良く戦いの訓練……その先にはどういったイベントが待ってるのかしら? なかなか楽しみね」
パチュリーはとくに表情を変えずに紅茶をすすっていたが、ふとカップを置いて言った。
「わたしはあなたに言われたとおり、チビにかけた術式には一切細工をしていない。だから、発動している力を外から止めたり弱めたりすることは一切できないけど……このままでかまわない?」
「もちろんよ」
レミリアはうなずく。
「わたしは小ずるい投資家ではないのよ。自分の行為に保険をかけるような真似はしたくないの。賭けに負けたら、その債務を引き受けるのはすべて自分。それが誇りをもつ者のありかたというものよ」
「分かった。ただ、考えていたよりは大きな賭けになるのかもしれないから、念のために訊いたの」
咲夜は二人の会話を黙って聞いていたが、彼女たちの言う『賭け』の意味について忖度するのはやめておいた。さすがにヒトの想像を超えるものがある。
(魔理沙あたりがこの話を聞いたらなんて言うかしらね)
おそらく彼女は憤慨するかもしれない。少なくともその程度にはあの小さな人形に宿る魂に肩入れしているだろう。だが、むしろそんな気持ちになれる魔理沙がうらやましい、とも咲夜は思うのだった。
**********
炎の弾が列をなして目の前に接近する。私の頭と同じぐらいの大きさだ。ほとんど反射的に斜め後方に移動してかわす。
ほんの一瞬、炎が肩の近くをかする。結界のおかげでダメージはないが、回避がすこしきつくなってきていた。ときどき緩急をつけてくるので、気が抜けない。
妹紅はこちらの反応のしかたまで見て撃ってきているわけではないようだが、弾速に変化があるとやりにくい。
相手に先にスペルカード攻撃を発動されると、間髪入れず反撃するのは難しい。相手の弾幕と自分の弾幕が入り乱れるために回避行動がその分難しくなる。むろん、弾には進行方向があるから区別はできるが、視野全体に入る弾の数が多くなるととっさの反応が厳しい。
同時発動での弾幕の混合を避けるには、意識して攻撃の威力や範囲を絞りにとどめるというやり方もある。だが、意識的な制御ができていない私にはまだ無理だ。
そこで、相手の行動を妨害する程度のいわゆる「通常攻撃」を仕掛ける。相手が被弾してもダメージが小さい攻撃であれば、ルール上は問題ない。
霊夢に作ってもらった封魔札を取り出し、妹紅に向かって放つ。霊気を乗せた札は、遠隔制御で繰り返し攻撃ができる。
それを回避するために妹紅が移動すると、その分、彼女からの攻撃に空隙ができる。こちらはそこを足がかりにして接近を狙う。
ゆるい弾に入り混じって、ときおり高速の自機狙いが飛んでくる。似たような形の弾だととっさの動きが難しいが、意識して区別がつく弾を使ってくれているようだ。それでも、回避はかなりぎりぎりだ。
スペル発動の最大の好機は相手の攻撃が途切れた直後だ。そのタイミングを計って集中力を高める。
妹紅の動きに、ほんのわずかな齟齬が視えた。
『!』
身体の内側に、音にならない響きが走る。
燃え上がる弾の群れをすり抜け、カードを取り出した右手を妹紅に向けた。同時に、身体の奥が震えるような感覚とともに声が出る。
『夢想封印』
白い閃光とともに無数の光弾が現れ、四方に散ってから不規則な軌道を描いて妹紅に向かう。
「わっ?」
妹紅は跳躍するような動きで光弾の群れから身体を引き離そうとする。素早い動きで回避を繰り返す。が、最後に一発だけ命中する。
私の身体から緊張が急激に抜け落ち、攻撃はほぼ自動的に終了する。
そのまま妹紅は地面にゆっくりと降り立ち、私もその後に続いて側に降りた。
神社からすこし下ったところにあるこの野原は、いわば展望台風に山の斜面から突き出た形の場所なので、山に囲まれた幻想郷の領域が一望のもとに見渡せる。
その眼下に広がる風景を眺めながら妹紅が言った。
「今のはちょっと虚をつかれたな」
『そうか? でも、たぶん次は通用しないだろう。フェイントをかけられたら引っかかるかもしれないし』
「ふぇいんと?」
『ああ、つまりわざと隙をつくってみせるということだよ』
「うーん、そこまではちょっと難しいな。まあ、すこし力押しに頼る戦い方になっていたのかもしれない。反省する必要がある」
妹紅は自分のこめかみをとんとんと叩く。
「結局ふだんやり合う相手がいないと、こういうところが鈍ってくるんだな」
実際には妹紅の身体の動きにはとても人間とは思えないような素早さがある。長い年月をかけて会得したという妖術とはまた別に、肉体の鍛錬度という意味でも常人とはかけ離れている。私からすれば、どこをどう評価したら『鈍って』などという表現が出てくるのかという感じだが、妹紅自身の基準は遥か上のほうにあるのだろう。
「一息入れよう。かなり動き回ったし、力を消耗したんじゃないか」
『そうだな』
いちおう空中でも霊力の補給はしながら戦っていたのだが、やはり補給の速度に限界があるので、だいぶ目減りはしているだろう。
と、山の斜面に沿ってするすると降りてくる影が見えた。なんだろう、と思っているとそれが箒に乗った魔理沙だということが分かった。
「いよう。精が出るね、おふたりさん」
魔理沙はひらひらと片手を振る。
『もうだいたい出し切ってしまったよ。いまちょうど神社に戻って休もうと思っていたところだ』
「なら、臨時の運び屋さんになってあげるぜ。人間ひとりと人形一体ならどうってことはない」
魔理沙を乗せた箒は私たちの目の前にふわりと降下して、地面近くまで来て静止した。
妹紅がすこし戸惑ったように私を見た。
『まあ、せっかくだから乗せてもらえばいいんじゃないか。魔理沙の場合、飛ぶのに確か体力はあまり使わないんだろう?』
「ああ。言ってみれば、飛ぶために造り換えた魔力を制御して飛んでるからな。だから実際、荷物を運ぶときもけっこう便利だぜ。ほれ、乗った乗った」
魔理沙は腰の位置を前にずらして、空いた場所を指差して見せる。
「……すまない」
妹紅は遠慮がちに横座りの形で腰を下ろす。
私は魔理沙の肩の上に乗った。
「それじゃいくぜ」
箒はすっと上昇し、木々の並ぶ山の斜面に向かって飛行を始める。
「自分ではない誰かの力で飛ぶっていうのは……すこし不思議な感じだな」
妹紅がつぶやくように言う。
すると、魔理沙が後ろを振り向いて妹紅ににやりと笑いかける。
「お前、近頃妙に言うことが女の子っぽくなってないか?」
「な、なんだ急に。わたしはもともと女だし、別にそんなことを意識してはいないぞ」
「そうか? まあ、わたしなんかよりずっといろんなことを知ってるんだろうから。ガキのたわごとにしか聞こえないだろうが……なんだか、さっきの仕草とかも女の子だったぜ」
『?……さっきの仕草ってなんだ』
「チビは分からないのか? まあ、注意して見てれば気がつくぜ。お前だって、一応は女の子なんだからな」
『…………』
はて、もしかして魔理沙は少し不機嫌なのだろうか? 私にはちょっとこの態度の意味がよく分からなかった。
☆★
母屋の前まで来ると、縁側に霊夢と並んでアリスの姿があった。
「おかえりなさい、チビさん」
アリスが私たちの到着に気づくと、にっこりと微笑む。
『ただいま……というか、もしかして魔理沙と一緒に来たのか?』
「ええ。まあ、ちょっといろいろあってね。あなたの身体の具合とかも少し見させてもらえたらなあと思って」
「要するに定期検査の前倒しっていうところだ。妹紅、脚を下ろしていいぜ」
「あ、ああ。ありがとう」
妹紅が箒から脚を下ろして立つと、魔理沙は指先を軽くはじくような仕草をする。ほぼ同時に、箒から浮力が抜ける。
「なんだかあれね。こうやって改めて顔を合わせてみると、すごく上品なお嬢さんみたいな感じね、妹紅って」
アリスが言うと、妹紅は少し頬を赤らめた。
「いったいさっきから何だって言うんだ、よってたかって」
「さっきからって?」
『来る途中、魔理沙も似たようなことを言ってたんだよ。女の子らしくなったとか』
「それはむしろ魔理沙の言い方のほうがおかしいわね。元から普通に女の子らしいんじゃないの?」
「わたしは別に前は男らしかったとか言ったわけじゃないぜ」
霊夢が「はいはい」と魔理沙をなだめるように手を振る。
「とりあえず、これからアリスがチビの身体を診るから、わたしたちは席をはずしましょう。ちょっと手伝ってもらいたいこともあるし」
「わかったよ。妹紅、お前もだ」
魔理沙は妹紅を手招きすると縁側から上がり込み、霊夢のあとについて台所のほうへ引っ込んだ。
私が空中から縁側に下りると、アリスは私を両手で抱き上げて自分の膝の上に置いた。
「ここのところ、戦い方の修行をしてるんですって?」
『修行と言えるほどの内容かどうかは分からないが、まあ少しずつだよ。無理はしていない』
「それはいいんだけど……服、いい?」
『ああ、自分で脱ぐよ。上だけでいいか』
「ええ」
私は袖をはずし、上着を脱いだ。
「……あなたの動きって、前よりも精確になっているわね。指の一本一本までちゃんとコントロールできている感じ」
『そうだな。最初にこの身体に移ったころに較べると、できるようになったことが増えた』
「それだけ力を効率的に使えるようになったということでもあるわ」
アリスは上着を脱いだ私の身体を横たえて、人差し指で左の二の腕に肩にそっと触れた。そのまま、指をゆっくりとひじに向かって移動させる。
「いまのあなたの身体の中には、前にわたしが張った魔法の糸以外にも力の流れがちゃんとできている。必要に応じてそれを感じ取ることもできるようになってきてるのね」
『そうみたいだな』
「……もう、他人事みたいに」
『他人事っていうか、だんだん身体の中のことを意識しないようになっているのも確かなんだ。自分が思ったことが、ある程度外に反映されるようになってきたせいなんだろうな』
以前は自分の身体に力を取り込むのも意識的にしなくてはならなかったが、いつのまにか意識せずにやりたいことと結果がつながるようになってきた。
「それと、身体が全然汚れないようになったわね。もしかすると、力場を出せるようになってるんじゃないかしら」
『力場?』
「障壁という言い方をすることもあるわね。要は物理的な力の作用を跳ね返す場のことよ。これを使えないと強い敵とはまず戦えない」
『そういえば、攻撃が近くをかすってもダメージを受けることはないみたいだ。単に妹紅が手加減してくれてるだけだと思ってたんだが』
「直撃を受けたことは?」
『それは実はまだないんだ。妹紅の攻撃はまともに食らうとえらいことになりそうだから、必死に避けてる』
「お互いある程度避ける余地がある攻撃をするのが暗黙の了解っていうのはあるけど……的が小さいというのもあるかしら」
アリスは今度は右肩に手を触れ、そのまま手首へ向かって指をなぞらせる。
「もう霊気の出力の制御もできるの?」
『いちおう、霊気の塊を撃ち出すことができるようにはなった。力を凝縮させる感じにすると発光する弾も出せるし、目標への誘導もある程度はできる』
「凄い進歩ね。こうして視た限りでは、内部の霊気の通路そのものには大きな変化はない。つまり効率が上がったということね。肉体という柵がない分、精神と力の連携が進んでいるんでしょう」
ふう、とアリスは息を吐く。
「この調子だとひとかどの人外として扱われるようになるのも時間の問題ね。あなたにちょっかい出そうとする物好きな奴も現れるかもしれない」
『まあ、しかたがないな』
というか、だいぶ前に現れてはいるんだが。
「こう言ってはなんだけど、わたしだって戦うこと自体は嫌いじゃないのよ? 人形の作り手としては一種の応用問題でもあるから。でも相手によってはあんまり戦いたくないな、と思う人もいるわ」
『…………』
「聞いたんだけど、最初は霊夢や魔理沙に戦いの練習相手になって欲しいって頼んだんですってね?」
『ああ。即答で断られたが。戦いの対象とは全然見なされてないってことだろうな』
するとアリスは心底あきれたという顔つきで私を見た。
「お馬鹿さんねえ。女の子の心ってのをまるで分かってないわ」
ぺしっと指先でわたしの額を叩かれる。
「本当の理由は、怖いからよ」
『怖い?』
私は思わず身体を起こしてしまった。
『どういうことだい、それは』
「自分をさらけ出すのが怖いの。戦いの場では良かれ悪しかれ自分の器量というものが出る。とくにスペルカード戦にはそういう性質があるわ。戦いのルールが単純だから、その解釈も、勝負のあり方もそれぞれの考え次第になる。だからこそ自分がむき出しになってしまうの」
『だが、彼女たちはもう何度も場数を踏んでいるわけだろう。いまさらそんなことを怖れるだろうか』
「だから言ったじゃない、相手によるって」
アリスは私に身体を元に戻すようにと促して、お腹に手のひらを当てた。小声で呪文を唱えると、その周囲が淡い光を放ち始める。
「あなたは……あまり意識してないのかもしれないけど、あの子たちはまだ本当の意味では大人にはなっていないのよ? とても真っ直ぐで、でも壊れやすい心を持っている。そんな子たちが、大人の、それも男の人に自分の中身をさらけ出す勇気を簡単に持てると思う?」
『……私が男だっていうのはもう確定なのか』
「少なくともいまのあなたの発言ではっきりしたわ。ちなみに、わたしは見かけはこうだけど、それなりに齢はとってるのよ。年寄りというほどじゃないけど」
ああ、そういえばそうだっけ、といまさら思い出す。彼女は種族的な分類上はヒトとしての存在を超えた魔法使いなのだった。
しばらく眼を閉じていたアリスは、やがて手のひらを私から離した。
「魂の核は安定しているわね。今のところ修行の影響というのはとくにはないみたい。いいわ、これで。服を着て」
『わざわざこっちまで来てもらって、悪かったな』
「今回は魔理沙に引っ張り出されたようなものよ。まあ、なんだかんだといろいろと理由をつけてたけど、かなり複雑な心境のようよ」
『複雑って、何がだ』
「あなたが練習相手の件を妹紅にもっていったことよ。わたし、今回の件はわりと計算づくだったのかと思っていたわ。断られるのははじめから承知の上で先に霊夢と魔理沙に話をしたんだろうって。でもいまの話を聞くとそうでもないみたいね」
『嫌がられるだろうとは思っていたさ』
私は上着に腕を通し、襟を整える。
『ただ、あそこまできっぱり断られるとは予想してなかった。魔理沙は敵になるかもしれない他人相手に練習なんかできないと言った』
「その言い方はあの子の偽悪趣味よ」
『いや、一理あるとも思ったさ。争いに決着をつける唯一の手段だというなら、あり得ることだ。鍋に使う味噌を赤にするか白にするか決めるために霊夢と一戦交えたなんてこともあったらしいからな』
「それはじゃれ合いみたいなものでしょうけど……霊夢に言ったときは彼女何て答えたの?」
『自分の鏡みたいなものと戦うのはたとえ練習でも嫌だと』
「なるほどね。でも、それほどの理由とも思えないわ。むしろ自分と同じ能力をもつ者を相手にするのは訓練としてならいい機会のはずだもの」
もしアリスの言い分が正しいとするなら、妹紅を相手にした修行は、あの二人にとってはあまり面白くないということになるのだろうか? あるいは、そのことについて何か言いたいことがあるのに口に出せずにいるというような状況なのだろうか。
すると、私の心中を見透かしたようにアリスが付け加える。
「いまのあなたはむしろあの子たちを優しくリードすべき立場なのよ。それも、できれば本人たちには気づかれないように」
『むずかしい注文だな。だいたいそれじゃ、まるで保護者じゃないか』
「本当なら保護者がまだ必要な年頃なのよ、すくなくとも精神的な意味では。もちろん、同じ年の普通の女の子に較べれば強い心を持っているだろうし、物事を高いところから判断する力もあるでしょう。でも、すべてバランスがとれているとは限らない」
『うーん……』
「期待をあなたに押しつけるつもりはないわ。でも、ただの居候役に甘んじている時期はそろそろ終わりじゃないかとも思うんだけど」
だが、このまま自分の役どころを見つけてしまっていいのかという気もする。さてどうしたものか。
その16につづく