その10
10
昼を過ぎ、山の方から雲が出始めた頃。
博麗神社の母屋で、縁側に座っている人間二人と前庭に立つ兎耳の小柄な妖怪が向きあっていた。
てゐの説明を聞き終えた霊夢はやれやれといった表情で言った。
「考えられる限りで最悪のことが起きてるような気がするわね……」
「そうでもないんじゃないか? こいつの話を聞く限りじゃ、チビは被害者だぜ。勘違いされて攻撃されたから、やむをえずチビが反撃したら相手がやられてぶっ倒れたていう話だろ? で、チビはチビで力の出し過ぎで気絶と」
「そうそう、そういうことだよ」
魔理沙の言葉に、てゐがうなずいてみせる。
「わたしから見ても、どっちかっていうとハクタクの方が考えなしだったと思うね」
「しかしアレだなてゐ、現場にいたんだったらまずこっちに連絡をよこすのが筋じゃないか? いくら師匠が天才薬師だからって、人形の面倒まで見られるかどうか分からんだろ。お前はこないだ宴会に来てるんだから、チビの言ってみりゃ『生みの親』に当たるのがアリスとパチュリーだってことぐらい知ってただろう」
「そんなこと言ったって……」
てゐが言い返そうとすると、霊夢が手を上げてそれを制し、魔理沙に向かって言った。
「この子には、里で騒ぎを起こしたチビの面倒をみなきゃならない義理なんてないんだから、本来なら放っておかれても文句は言えないのよ。わざわざ永遠亭まで運んで助けてもらっただけでも恩の字。感謝するわ、てゐ」
霊夢は縁側から降りてぺこりと頭を下げた。
てゐは一瞬ぎょっとしたような顔をして、一歩後ずさりする。
「ああ……いや、別にそんなことしてもらわなくてもいいんだけど。わたしはあいつのことはけっこう気に入ってるし……礼儀正しくていい子だからね。助けたのは当然さ」
「…………」
魔理沙は訝しげな顔つきで二人を見較べたあと、息を吐いて言った。
「まあ、どっちにしてもチビが無事ならそれでいいさ。霊夢、迎えに行くんなら行って来いよ。帰ってくるまで留守番しといてやるから」
「ああ、そうね……じゃあ、お願いするわ。それじゃ」
てゐとともに霊夢が姿を消したあと、魔理沙は誰もいない庭を黙って見ていたが、やがて誰かに話しかけるように言う。
「そろそろ降りてきたらどうだ? いいかげん屋根の上で日向ぼっこするのも飽きたろう。天気も崩れてきたしな」
縁側の前に、人影がふわりと降り立つ。
手にしていた日傘を閉じたその少女は笑みを魔理沙に向けて言った。
「あら、分かってたんだ」
風見幽香だった。
「霊夢に何か言いに来たんじゃないのか」
「うーん……ちょっと迷っちゃってねえ」
「迷う? お前らしくもない。だいたい、チビがこんな目に会ったそもそもの原因はお前だろ? 謝れとは言わないが、なにか一言挨拶があってもよさそうなもんだ」
「これでもいちおう気にしてはいたのよ。あの後もなにか変わったことがあったら様子を見に行こうと思って、里の近くをぶらぶらしてたし。そうしたら、うまい具合にいいものを観ることができたわよ」
「いいもの?」
「あのチビさんが戦ってる現場よ。だから、さっきの兎ちゃんの話にはちょっと抜けてることがあるっていうことも言えるわけ」
「どういうことだ?」
魔理沙は眉を寄せる。
「あのおチビさんが歴史喰いを倒した技は、霊夢のものではないということよ。霊夢とは何度も戦ってるわたしが言うんだから間違いはないわ」
「じゃあ、誰の技だったって言うんだ?」
「さあ、それは分からない。残念ながら、わたし自身は見たことがない技だったから。ただ、威力はかなりのものだった。歴史喰いは相当なダメージを喰らってたわよ。終わった後、しばらく動けなかったみたいだもの」
「…………」
「あれが、あのチビさん自身の技だとは考えにくいけど……霊夢以外の奴のスペルを使えるとなると、それはそれでけっこう怖いわよね」
「……なんでそれを霊夢に直接言わないで、わたしに言うんだ?」
「そうねえ。簡単にいえば、嫌がらせかな」
「いったい、何が気に入らないないんだ?」
「気に入らないってわけじゃないんだけど……あのお人形さんは、霊夢にとってはあまり好ましい存在じゃない気がするのよね」
幽香は屈託のない笑顔で言う。
「なんというか、霊夢の力を『弱める』気がするの」
魔理沙はやれやれといった顔つきで首を振る。
「妖怪ってのはおかしなもんだな。本来はヒトは敵なのに、強い敵には強くあり続けて欲しいと願うんだな」
「そうじゃなきゃ、退屈だもの」
「お前らしい言い草だよ。だが、霊夢には霊夢の都合ってもんがある」
「友達思いの魔理沙なんて、あんまり見れたもんじゃないわね」
幽香は肩をすくめる。
「まあいいわ。わたしは今まで通りのやりかたで事に当たるだけよ。相手がヒトであれ、妖怪であれ、何であれね」
そう言うと、幽香は空中へと浮き上がった。
「それじゃ、おチビさんによろしく」
一瞬の空気の震えとともに、飛び去る影。
それを見送った魔理沙は、息を吐いた。
「意地を張り続けるってのも大変だな」
**********
「どうやら余計な力は抜け出てくれたみたいね。もう普通に動いても大丈夫でしょう」
私の腕と脚に貼られていた膏薬を剥がした跡を丁寧に布で拭き取りながら永琳先生が言う。
「うどんげ、チビさんの服はある?」
「はい、こちらに」
後ろに控えていた細長い兎耳の少女、鈴仙さんが立って、私の服を持ってきてくれる。
「じゃあ、着るのを手伝ってあげて。さすがにこんな凝った造りの服だとこのひと一人じゃ着れないわ」
『ああ、大丈夫ですよ。もう割と慣れているので』
私は裸の状態で立ち上がると、服を受取って襦袢、袴、白衣の順に身につけていった。
「ふうん、とても人形の動きとは思えないわね……」
先生が感心したような顔をする。
「わたしの印象だと、もっとぎくしゃくとした動きをするものだと思っていたから」
『この器に入ってから、それなりに時間が経ちましたから』
「服は巫女さんに作ってもらったの?」
『いや、これはもとからこの人形が着ていたものらしいですね。神社に仕える巫女の本来の装束に近いようです』
「確かに、いまの彼女が来ている服よりも和服らしいものね」
足袋をはき終え、いちおう身なりが整っていることを確かめると、私は畳の上に正座して、永琳先生にお辞儀をした。
『いろいろとお手数をかけ、お世話になりました。あらためてお礼申し上げます』
「そういう風に生真面目に言われてしまうとね……ほんとに、たいしたことをしたわけじゃないから。うどんげ、何を笑ってるの」
「いいえ、別に」
眼を細めている鈴仙さんが口元を隠すしぐさをする。
「まあ、とにかく無事に治って良かったわ。正直、騒ぎが大きくなると、もっといろいろな所に飛び火しそうな気がしたから……そういうこともあって、里から知らせをもらったとき、すぐにうちに来てもらうのが無難だろうと考えたのよ」
おそらく私を取り巻く事情に関してはほとんど把握済みなのだろう。だとすれば、彼女が言う『飛び火』の場所も見当はつく。
『ご配慮、ありがとうございます』
私が再びお辞儀をしたとき、障子の向こうから声がした。てゐの声だ。
「お師匠様、霊夢……さんを連れてきました」
「ああ、御苦労さま。入ってもらって」
わずかな間があってから、障子が開いた。
膝をついた霊夢の姿が現れる。彼女は立ち上がると再び膝をついて障子を閉め、それから私の横に並ぶ形で正座して永琳先生と向き合った。
「今晩は。うちの居候がえらく迷惑をかけたようね。少なからず私の責任でもあるから、お詫びさせてもらうわ。本人はちゃんとお礼を言ったかしら?」
「もちろんよ、ついさっきも丁寧にね……それはともかく、この小さい人は見かけと違って肝が据わっているわね。この幻想郷では得難い人物だと感じ入った次第よ」
「わざわざあなたがお世辞を言う理由はないでしょうから、額面通り受け取ってもいいんでしょうけど。でもまあ、わたしからみると扱いが面倒なやつよ。妖怪や宇宙人なんかより、よっぽどね」
すると、永琳先生はくすりと笑う。
「少なくとも、力押しは効かない感じだものね。やりにくい相手よね」
「そこまで言われる筋合いはないわよ」
私はすこしはらはらした。機嫌が悪いわけではないのだろうが、口調が少しきつい。
『ええと、霊夢』
「なに?」
『永琳先生は、私の治療代はいらないっておっしゃって下さってるんだが……』
態度を改めてもらおうと思って言ったのだが、効果は別の方に向いた。
「それは困るわ。もう借りをつくるのは御免だし」
「本人にもあなたにも了承もなしに勝手に診させてもらっただけだから、いいのよ」
「そうは言っても、それじゃけじめというものがつかないわ」
霊夢は首を振り、それから私を見て言った。
「しょうがないわ。チビ、あんた自分の身体で返しなさい」
『は?』
「は、じゃないわよ。他人の世話になっておいて、何も返さないなんて許されるわけないでしょう。どう、永琳。猫の手よりはマシだと思うから、掃除でもなんでも使いどころはあるんじゃない」
「そうね……まあ、そこまで言うならすこし考えておくわ」
先生は苦笑を浮かべる。
「でも、今日はとりあえず帰ってもらって結構よ。何て言ってもまだ病み上がりだしね」
「分かったわ。それじゃ、おいとまさせてもらう……あ、そういえば輝夜にも一言挨拶しておきたいけど、今いるの?」
「ああ、それはいいわ」
軽く首を振る。
「この件はまだ知らせてないし、ここのところちょっと機嫌が良くなくてね。今日は会わないほうが無難よ」
「そう? じゃあまあ、世話をかけて悪かったって伝えておいて。他の連中にもいろいろ手間をとらせちゃったわけだしね」
「ええ、言っておくわ」
「じゃあチビ、行くわよ」
霊夢が私を抱き上げると、鈴仙さんが立ち上がって障子を開ける。
部屋を出ると、欝蒼とした竹林に囲まれた庭が視界に広がる。そのありさまはまるで深海の中にいるようだった。見上げると折り重なる緑色の竹の葉の群れが空を覆い隠していて、陽の光はところどころ葉の隙間を縫うようにしてほの白く不規則な模様を浮かび上がらせている。褐色の板が敷き詰められた欄干付きの廊下は薄暗く、少々不気味さえに感じられる。
あらためて見てみるとこの家の造りは相当に古風な感じで、京都あたりの寺院を思わせるようなデザインだった。実際に使われている建材もかなり古い物のようで、建物として持ちこたえているのが不思議なくらいだった。
玄関まで案内され、見送りについてきてくれた永琳先生と再度挨拶をしたあと、私たちは鈴仙さんに先導されて竹林に囲まれた道をたどり始めた。
その11につづく