77番目の絵
「ジュディ!!」
息を切らしたベルモンドが、医師を連れてジュディの家に戻った時、彼女の病状は更に悪化していました。
「ベルモンド、良かった。また、会えた」
苦しい息の中、粗末なベッドに横たわるジュディは、それでも嬉しそうな笑顔を浮かべました。
うっすらと目を開いて、戻って来たベルモンドを見つめるジュディ。
しかし、その瞳の笑点はすでに光を失い、ぼんやりとしか見えていない様でした。
そんなジュディの様子を見て、ベルモンドが街から連れてきた医者は、深刻な顔をして首を振りました。
ベルモンドはジュディがぐったりと横たわるベッドに駆け寄り、彼女に覆い被さる様な姿勢でベッドに手をつくと、懸命な口調で彼女に話し掛けます。
「ジュディ、僕の絵が売れたんだ。そして、そのお金でお医者さんを連れて来たんだ。街一番のお医者さんだ。きっと、君の病気を治してくれるよ。それに、君の好きなパンケーキも買ってきたよ。いっぱい買ってきたんだ。さぁ、お腹いっぱい食べなよ。きっと、元気になるよ」
ジュディはベルモンドのその言葉を聞くと、少し元気を取り戻したのか、やつれた表情をしながらも嬉しそうにうなずくのでした。
「ありがとう、ベルモンド。でも、わたし、何よりもあなたが側にいてくれるのが嬉しい」
二人のそんな様子を少し離れた場所で見ていた街医者は、何故か恥じる様にうなだれ、その顔を俯かせていました。
その後、ベルモンドは医者の許可を得ると、ジュディの身体を支えつつ、彼女にパンケーキを食べさせました。
ベッドに臥せるジュディの背中に手を回し、そのやつれた身体を起こすと、細かく切り分けたケーキを自身の手で彼女の口に運ぶベルモンド。
ゆっくりと口を動かして少しずつケーキを食べるジュディを見ながら、とうとうベルモンドは、ずっと胸に秘め続けた想いを彼女に告げました。
「ジュディ、僕と結婚してくれ。たとえ、どんなに貧しくたって、僕は君と一緒にいたい。君と一緒なら、悲しみは半分になる。そして、喜びは何十倍にもなるんだ」
その求婚の言葉を聞いたベッドの上のジュディは、ベルモンドの腕に支えられながら、安らかな顔で目を閉じると、微かに微笑んで言いました。
「うれしいわ、ベルモンド。夢みたい。なんて幸せなの。わたし、やっぱり生まれてきて良かった。だって、大好きな人に会えたもの」
ジュディの頬に、一筋の涙が流れました。
こうして、貧しく内気な二人の若者は、ここに来て、ようやく互いの気持ちをしっかりと確かめ合う事が出来たのです。
けれどー。
とても残念な事ですが、二人の夢は結局は叶いませんでした。
医師の懸命な治療も虚しく、ジュディの容態は徐々に悪化していきました。
そして、とうとう翌日の朝に、ベルモンドと医師が側で見守る中、彼女は静かに息を引き取りました。
天国の門の前に飾られた自身の絵を、果たして彼女は見たのでしょうか。
ベルモンドはジュディの為に、彼女がよく花を摘んでいた街外れの丘に小さなお墓を立てました。
墓の前に立つベルモンドの落とした涙が、地面に吸い込まれたその瞬間に、強い風が吹いて、丘に咲く草花が一斉にその首を垂れました。
ベルモンドはジュディの死後も、何十年かは生きて、絵を描き続けたのですが、生前に有名になる事はついにありませんでした。
しかし、彼が亡くなってからしばらくして、ある画商が彼の絵の価値に気づき、その残された作品群を買い集め始めると事態は一変しました。
ベルモンドの画家としての名声は不動のものとなり、その作品たちも信じられない程の高値で取引きされる様になったのです。
やがて、彼の名を冠した大きな美術館が、有志の人々によって地元に建てられました。
そこには、生涯で500点以上にものぼる、彼の絵画のほとんどが収納されています。
けれども、彼の作品を見る為に、世界中から来訪した大勢の観光客や美術愛好家たちは、その鑑賞中にやがて一つの奇妙な事実に気づく事でしょう。
それは、年代順に所狭しと彼の作品が並べられている展示室の壁に、一箇所だけ不自然なスペースがある事です。
前述した通り、この美術館には、ベルモンドの500点以上の作品の、そのほとんど全てが集められているのですが、実は一点だけ行方不明の作品があったのです。
それは、彼が77番目に描いたといわれる絵画で、未発見のその絵が見つかった時の為に、展示室の壁のスペースが大きく空けられていたのでした。
しかし、ベルモンド・ローランの最高傑作であり、美しい少女を描いたという、その77番目の絵の行方を知る者は、この世には誰もいないのです。
[完]