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診療中 ユニット1 Case3

いつだったか友人の付き添いで、とあるブティックにて買い物をしていた時、私達を値踏みしてくる店員さんに出会ったことがある。

普通に考えてもその接客態度では誰でも気分を害すると思った。

買い物中ずっとその態度であったため、友人もあまりいい気分ではなかったと言っていた。


そのお品物が好きで憧れていて、買いたいと思ったりお気に入りを見つけたとしても、店員さんの接客態度次第で購買意欲が失せる事がある。

歯科の治療においても同じことが言えると私は思う。

ウチの院長のように患者さんを値踏みしたり治療に対する姿勢が悪ければ、そのクリニックで治す気が失せるのは当然だ。

プロ意識が高く、普段から何かを頑張っている人や本気で物事をこなす人は、余計にそう思うのではないだろうか?

そういった方々は、相手にも「本気」や「真剣さ」を求めるはずだと私は思うのだ。




「先生は本当に酷すぎますよ!!」

と、泣きながらこう訴えた患者さんを今でも忘れることができない。


その患者さんは40代半ばの女性だった。

初診来院時、問診票には「不妊治療中」と書かれていた。

私の知り合いや友人にも何人か不妊治療中の方がいたり、不育症と診断され命懸けで出産した親友がいたので、そのツラさや大変さは体験談にて常々伺っていた。

きっとこの患者さんも子供を授かりたくて、今一生懸命に頑張っているのだろうなと思った。


診療室にお通ししてお話を伺うと、

「妊娠の可能性がないタイミングで虫歯を治したいけど、残されている時間も限られているので悩んでいます。」

「安定期なら麻酔を使った治療もできるけど、妊娠初期には麻酔を使っての治療は避けた方がいいと主治医からは教えられています。」

「不妊治療に入っているので、私のタイミングで歯を治さないといけないけど、ご迷惑が掛かるかもしれなくて…それで今日はご相談に伺いました。」

とのことであった。


現在、患者さんは妊娠の可能性がないとのことで、X線撮影(レントゲン撮影)を実施したところ、大きな虫歯が何ヶ所もあることが判明した。

彼女曰く

「妊娠に影響しないように虫歯が痛くても歯医者さんに行けなかった。」

とのことだった。

ただ、最近になり凄く痛い歯が1本あり、痛くて痛み止めを使用するくらいなら歯医者さんで治した方がいいと主治医に勧められ、今回受診するきっかけになったという。

そういえば、私の親友も不妊治療を優先し、出産後に奥歯を抜くことになってしまった子がいた。

大切な奥歯ではあるが、それと引き替えにもっと大切な自分の娘をこの腕に抱くことが出来たので後悔はないと言っていた。

勿論、不妊治療をする以前に、しっかりと歯科に通い治しておけばいいのは誰もがわかっていることで、そうできなかった事情がいくつもあることを忘れてはならない。

患者背景にまで気を配り、きちんと配慮できる者が医療従事者であると私は考える。


歯科衛生士の私ですら、本当にお恥ずかしい限りではあるが、院長に怒鳴られた日はそれを何度も思い出し、その不安から就寝前にチョコを1つ食べてしまったり、酷い時には歯磨きも出来ずにリビングのソファで毛布に包まり、そのまま眠ってしまったこともあった。

だからこそ私は、虫歯ができたことを責めるのではなく、前向きに虫歯をどう治すかについて話を進めることが多い。



私はこの患者さんに何があったのかはいつか教えてくれる日が来ると信じて、そこには一切触れずに治療等についてご希望を伺った。

一通りの相談・確認・カウンセリングが終わり、つづいて院長による診察・診断結果の説明を…というタイミングで事件は起こった。

開口一番

「不妊治療している方は治療のタイミングがどうのと言いますが、そもそも何でもっと前から歯を治さなかったのかと僕は思っているんですよ。」

「ウチは完全予約制で、急にキャンセルされたりすると困るんですよね~。」

「ある程度歯の治療が完了するまでは無断キャンセルをしないとか、その辺りを頭に入れておいて欲しいのですが大丈夫そうですか?」

と言い放った。

この日は朝から院長の機嫌が悪かったのだが、数日前に2件ほど不妊治療中の患者さんのタイミングで麻酔を使用しての治療ができないと、直前での急遽キャンセルが相次いだばかりだったのだ。

それに腹を立て、その分の売上も下がった為、ずっと根に持っていたのだ。

院長は何の苦労もなく、自分の所には女の子1人、男の子3人の合計4人も順調に子供を授かっていた。

そんな子宝に恵まれた院長には不妊治療の大変さなど到底理解することはできないだろう。


私は院長の無神経な言葉を聞き、軽蔑の眼差しで思わず院長を睨んだ。

そのタイミングで患者さんが

「なるべく努力はしますので、痛い歯を治して下さい!宜しくお願いします!」

と、何か言いたいのをグッと堪えながら頭を下げていた。

院長は「わかればいいんだよ。」とでも言いたげに

「それではこの後にご予約を取って行かれて下さい。お約束は守るようにお願いしますよ。」

と冷たい口調で患者さんに告げた。


治療が始まるとかなり真面目な方で、治療時間に遅刻する事やキャンセルする事も一切なく、1つずつ着実に虫歯を治していった。

TBI(ティービーアイ)(歯磨き指導)実施後、患者さんの口の中は綺麗に保たれ、虫歯が治っていく喜びを感じながら上手な歯磨きを続けられるようになってきたご様子だった。

自分の歯磨きに自信もつき

「いつか子供の仕上げ磨きも上手にできるように、虫歯にもしないようにって考えながら頑張っているんです!」

と誇らしげに語ってくれた。

希望を持って努力しているご様子であった。


そんなある日、再び事件は起こった。

予約日にキャンセルはしなかったものの、5分程度遅れて来院された。

診療室にお通しすると

「今日は午前中に産婦人科へ行ったんですけど、妊娠の可能性があると告げられました。」

「なので、今日の治療は麻酔が必要ない所をやってもらえますか?」

と、少し笑いながら伝えて下さった。

本来なら安定期まで周囲に伝えない場合も多いが、この方は治療をきちんと受ける為にキャンセルもせずに来院され教えてくれたのだ。

だが、残された虫歯の治療はどれも麻酔が必要な深さで、そうなると本日の治療は難しかった。

そのことを院長に丁寧に伝えた。

しかし院長は「絶対一言言ってやる!」という勢いで患者さんに近付いていった。

そして

「他の残りの虫歯はあなたがずっと放置した所だから、深すぎて麻酔なしではできないんですよ!」

「最初に僕から説明した歯なんだから、それくらいあなたでもわかるでしょう?!」

と、物凄く嫌な言い方をした。

すると、患者さんは

「先生は本当に酷すぎますよ!!」

と叫び、泣き出しそうになっていた。

「私、先生と約束した通り、一度もキャンセルせず通い続けました。」

「絶対に遅れないように15分前にはここの駐車場に着くようにしていました。」

「私の何が悪いんですか?そんなに私の治療が気に食わないんですか?」

「初めて伺った日もそうでした…。」

「まるで不妊治療している人がキャンセルをしてばかりで、全てにおいていい加減だとでも言っているかのようでしたが、何の恨みがあるんですか?」

「少なくとも、私はずっとずっとちゃんとしてましたよ!!」

と、目にいっぱいの涙を浮かべながら一気に怒りをぶつけてきた。

院長は患者さんの突然の豹変ぶりに驚いたのか、凍り付いた表情のままその場にいた。

そして患者さんは、ボロボロと涙をこぼしながらこう続けた。

「今回の妊娠は予定外でした。自然妊娠できたんです。」

「不妊治療を一旦お休みしていたのも、歯の治療を優先したいのと、少し休む意味も含まれていました。」

「本当だったら妊娠が分かって嬉しい日なのに、何でこんな気持ちにならないといけないんですか?」

「私は、ずっと…ずーっと何もかも我慢してきたんです!!!」


きっとこの患者さんは

「妊娠が上手くいかない現実」

「周囲に追い越される焦燥感」

「両親・義理の両親からの期待」

「自分のやりたいことを諦める日々」

「終わりの見えない不安」

etc...

私の想像が追い付かないくらいの様々なプレッシャーから「ずーっと我慢」してきたのだろう。

そしてきっと、院長の横柄な態度にもずっと我慢してくれていたのだ。

麻酔を施す時も、一欠片の思いやりもなく

「今日は麻酔をしますけど、妊娠している可能性はないですよね?」

と、これでもかというくらい強調して確認したり、妊婦さんにも

「今、何ヶ月ですか?『何ヶ月目』という表現は正しくないんで、妊娠何ヶ月なのか何週なのか正確に答えて下さいね!」

と、かなりの拘りを持って強い口調で訊ねていた。

そのため、患者さんから苦情が寄せられたり、見兼ねたスタッフがご忠告をしても院長は直す気は一切なかった。

この患者さんも治療の度にそう言われ続け、「妊娠していない」「妊娠できない」という現実を歯科でも突きつけられ、毎回自分を否定されているようなそんな気持ちになっていたのではないか…。

そう思うと、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


患者さんが話し終わると、院長は引き攣った顔で「俺は悪くない!」とでも言いたげに私に向かって

「あとは宜しく!治療はできないから!!」

とだけ吐き捨て、そう言い残すと部屋を出て行った。

こういった場面での院長の「治療はできない」とは「俺はもう二度とこいつを診る気はないから!」という意味なのだ。


患者さんは賢い人でそれを瞬時に察知したのか

「もうここでは治してもらおうとは思いません。今までありがとうございました。」

「秋山さんに教えてもらった通り、歯磨きは頑張りますね。」

とだけ言い残し、自らそっと退室された。

私は「申し訳ありませんでした。」と頭を下げ、お見送りすることしかできなかった。

万が一、私が余分な事を言えば、院長が近くで聞き耳を立てていることもあり、密告するスタッフも当時はいたからだ。


その患者さんがお帰りになり、他のスタッフと器具を片付けていると、院長が突然近付いてきてこう言い放った。

「さっきの患者、もう年が年なんだし、今更頑張っても無駄だろ。」

「俺に楯突きやがって…面倒臭いな!あぁいう患者は!」

と吐き捨て、

「おい!カルテに二度と予約取らない旨、いつも通りちゃんと書いとけよ!」

と言い残し、首や手指をボキボキ鳴らしながら「うぜぇ~」という気持ちを全開に表現しながら、院長室へと消えて行った。

思わず片付けの手を止め、手伝ってくれていたスタッフと目が合い、私と彼女は同時に「最低っ!」と言っていた。


今思い出しても最低最悪な出来事で、本当に子供を持つ親なのかというくらい心無い発言だった。

きっと、何の苦労も苦悩もなく4人の子宝に恵まれた院長にとっては、妊娠・出産が上手くいくのは「当たり前」だったのだろう。

この患者さんが本気で真剣に不妊治療と並行して歯科治療にも取り組んでくれているのに、その気持ちを酌んで応えられないのは既にプロとして失格だと思った。

どんなに腕が良くても、思いやりのない治療はただただ辛く苦しいものだと思う。

そして、不妊治療は何年もかかれば何十万、何百万とお金が掛かるし、体力も気持ちも磨り減らす。

実際に私の友人は貯金が足りなくなりそうで、夫婦の夢の一つであった一軒家を購入するのを諦めた子もいる。

また、ある友人は幾度となく流産し、

「自分の願いを叶える為にチャレンジする度、自分の身勝手で何人の命を亡くすことになったのかもうわかんないや…。」

と心を痛め、不妊治療をやめる決意をした子もいた。

外側からは決して見えない葛藤を繰り返し、それぞれに頑張っているのだ。


この患者さんがその後どうなったのかはわからなかったが、今でもずっと私は気に掛けている。

どうか無事に出産されて、いつか上手な仕上げ磨きができますように…と、そっと願っている。




私自身も卵巣嚢腫により片側を摘出した過去があるのだが、嫌なヤツほど運良く生きている気がして、この世界は不公平だなと思う。

そして、自分の無力さを恨んだ。

私はこの暴走院長を止めることは出来ず、院長の言葉の暴力から大切な患者さんを守ることすら出来なかった。



沢山の出来事を経て、私の中の院長への憎悪は膨らんでいった。

心の中に恨みの種を植え付けて育てていったのは自分自身ではあったが、それが花開くきっかけを作ったのは院長のせいであると今でははっきりと言える。

寧ろ必然であったと思う。

心の中に目一杯、満開に咲き誇った深紅の恨みの花束を最後にまとめて院長に贈った事は、決して後悔していない。



ご自分の愚かさに一切気付けない院長。

AIだって学習し続けているのに…。

きっと院長は、人間の心など持たないのだろう。


これは「人でなし事件」。


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