診療中 ユニット3 Case4 ~ 勤務医「朝井先生」の決意 ~
院長による暴行事件後から、朝井先生は日に日に元気がなくなっていった。
そんなある日、お昼休みに入る直前で私は朝井先生に呼び止められた。
「あの…秋山さん。」
「今日の夜、お時間ありますでしょうか?」
と、かなり深刻な顔つきで言われた。
私はその何か思い詰めたような様子を見て、朝井先生を放っておけないと咄嗟に思った。
「大丈夫ですよ?明日はちょうど休診日ですし、1時間くらいなら問題ないです。」
と、努めて笑顔で返答した。
すると、朝井先生は、
「良かった…。」
「宜しくお願いします。」
「…はははっ。大した話ではないんですけどね…。(苦笑)」
と、口籠りながらも何とか話している様子だった。
私は
「何か相談事でしょうか?」
「クリニック内や駐車場に残って話していると、院長先生に注意されるかもしれませんね…。」
「もし朝井先生がおイヤでなければ、近くのカフェにでも一緒に行きませんか?」
「ほら♪あそこなら遅くまでやっておりますし、クリニックを出て、一度ゆっくり話すのもいいのかなぁ?と思うのですが…?」
とお伝えした。
朝井先生は、
「…確かにそうですね。」
「僕の相談事で院長に何か言われたり秋山さんにご迷惑をお掛けするのも違いますしね。」
「そうしましたら、僕は20時頃にはクリニックを出られますので、20時過ぎにそのカフェで待ち合わせをするのでも大丈夫でしょうか?」
と言われた。
私は、
「ハイ!大丈夫ですよぉ~。」
「私も絶対に残務がありますしw、そのくらいのお時間になってしまうと思いますので。」
「それでは、20時頃のお約束にしましょうか。」
と約束を交わし、お互いお昼休みに入った。
その日の午後の診療は特に何もなく終わり、私は着替えを済ませてカフェへと向かった。
到着したのは20時ちょうどくらいだった。
何となく甘いものが飲みたくて、ホットココアを注文して朝井先生を待つことにした。
ホットココアが運ばれて来てから、10分程度経った頃であっただろうか。
焦ったように朝井先生が入店してきた。
私は
「こっちですよ~。」
と手招きをして、朝井先生を呼んだ。
朝井先生は席に着くと、
「ごめんなさい!!」
「院長につかまってしまって…。」
「ホントに遅くなりましたっ!」
と、申し訳なさそうにされていた。
「朝井先生も何か飲まれますか?」
と私が伺うと、
「じゃあ、コーヒーで。」
とのことだったので、私はコーヒーを注文した。
私は辺りを見渡し、
「とりあえず、店内には患者さんはおられないようですね。」
「なるべく壁際のお席にしてみました。」
と朝井先生に告げ、彼は
「ご配慮ありがとうございます。」
と返答され、ポツリポツリと話し始めた。
朝井:
「あの…、この間の騒ぎのことなんですが…。」
「えっと…、僕がこの前、院長から殴られたことは覚えてらっしゃいますよね?」
「というか、手当てをしていただいているので、当然覚えてますよね。」
秋山:
「…えぇ、はっきりと覚えております。」
朝井:
「言い訳するつもりはないのですが、あの時すごく焦ってしまっていて…。」
「あの患者さんの仮歯は秋山さんと笠原さんが調整をされていて、適合が物凄く良くて…。」
「リムーバー(仮歯を外す器具)を引っ掛けるポイントが見つからなかったんですよ。」
「近くで見ていた院長も助けてくれなくて、ずっと後ろから覗かれて急かされて…。」
「それで、リムーバーが漸く引っ掛かって、仮歯が外れたと思ってひと安心した後にあんな事になってしまって…。」
私は、
「でしょうね…。院長は絶対に助けないよね。」
と思った。
続けて朝井先生は、
「院長にちゃんと報告したのですが、どうお伝えしてもいつもと一緒で…。結局暴力に変わってしまって、話も通じなくて…。」
「この間も『俺はそんなこと聞いてるんじゃない!知らない!口答えするな!!』と言われ、どうにもならなかったんですよね。」
「僕の父親は小さい頃からとても厳しい人で、本当に悪い事をすればゲンコツや怒鳴られるなどは日常的にありました。」
「そういった事は経験して来たので、叱られるのは大丈夫なんです。」
「ですが、院長の行為は違っています。感情に任せてただ怒っているだけであって、どこをどう直したらいいのかも全くわからなくて…。」
「最近では院長に後ろに立たれるのが怖くて怖くてたまらないんですよ。」
「恐怖を感じ始めると手も震えてしまうし…。」
と話した所で、コーヒーが提供された。
朝井先生はそれをひと口飲んだ。
秋山:
「そうですよね…。」
「私だって、院長には幾度となく正当な理由もないのに怒鳴られたりしていますし…。」
「あんな高圧的な院長に後ろに立たれたり急に話しかけられたりしたら、また何か言われるんじゃないかと身構えて当然ですよ。」
「一度でも院長に怒鳴られた人は、誰だって条件反射のようにビクッ!となりますし、体が硬直したり震えたりするのは私も一緒です、朝井先生。」
朝井:
「…はい。僕も本当に恐怖なんです。」
「それで…、このままだと僕はダメになってしまいそうで…。」
「ですが、父親には相談したくない気持ちもあって…。」
朝井先生はそう言うと、話さなくなってしまった。
私は少し考えた後、ゆっくりと慎重に言葉を選びながら、
「朝井先生はどうされたいのですか?」
「そのご希望にもよりますが、私は院長のあの殴る蹴るの暴力は、いくらなんでも看過できないと思っております。」
「それに、普通に考えてもパワハラですよね?」
「私が思うに、朝井先生は環境が変わったなら、もっと成長することが出来るんじゃないかな?って、今でも期待しているんですよ。」
「1ヶ月程度でしたけど、私と笠原さんが朝井先生のお手伝いをさせていただいている時には、とってもお上手に落ち着いて治療を施されておりましたし…。」
「ここではない別の場所の方が、朝井先生はもっともっと輝けるんじゃないのかな?って、正直私は思っています。」
「…朝井先生はどうお考えですか?」
と、お伝えした。
すると、朝井先生は目に涙を浮かべながら、
「…僕は…本当にツラくて…。」
「このクリニックで助けてくれるのって、正直、秋山さんと笠原さんだけなんです…。」
「それに、自分は強いと思っていたんですけど、精神的にもボロボロになってきているのがわかって…。」
「最近は、夜眠れない事も増えてしまって…。」
「…秋山さん。僕はあのクリニックを辞めてもいいんでしょうか?」
と、今にも涙が零れ落ちそうなその瞳で私を真剣に見つめてきた。
私はそんな朝井先生に優しく語りかけるように、
「…朝井先生は、もう十分頑張ったと思います。」
「普通の人なら耐えられないようなパワハラにも十分耐えたと思います。」
「もしも朝井先生のお父様がそれを許して下さらないのであれば、その時は私が証言しますから!」
「私はいつだって朝井先生の味方ですよ?」
「もしウチを辞めても、それは逃げた事にはならないと思っています。」
「ただその時を迎えただけで、辞めるかどうか、その判断や権利は等しく朝井先生にも与えられているものだと思います。」
「ご自分の能力を伸ばす場所はウチだけではないと思いますが…。どうでしょうか?」
と、お伝えした。
話を聞き終えた朝井先生は、何となくだが明るい表情になり、目に輝きが戻って来たようだった。
零れ落ちそうな涙を腕で拭うと朝井先生は、
「…僕は、誰かに『もう十分頑張ったのだから、辞めていいんだよ?』と、そう言って欲しかったんだと思います。」
「母が亡くなってからは味方もいない気がして、家族や彼女にすら弱音を吐けなくなってたんです。」
「でも、辞めてもいいんだ!とそう思ったら、何だか心がスッと軽くなりました!」
「ありがとうございます、秋山さん!!」
と言ってくれた。
そして、意を決した表情になり、
「僕、休み明けに院長に辞める事を告げます!」
「明日には退職届を書きます。」
「大事にはしたくないので、今回殴られた事などは退職理由にはせず、伏せたままにしようと思います。」
「でも、父親にだけは包み隠さずに報告したいと思います!」
「そして、新しい職場を探して、一人前になってから地元に帰りたいと思います!」
「これでいいんでしょうか?!」
と、熱のこもった口調で告げられた。
私は、
「うんっ!」
「私もそれが一番いいんじゃないかなって思います!」
「朝井先生の出した答えを最終的には正解にすればいいんだと思います。」
「クリニックなんてコンビニの数より多いんだし、絶対に相性のいい所はあると思います。」
「新たに見つけたその場所で、また無理なく頑張って欲しいなと私は思っておりますよ!」
「私は朝井先生をずっと応援していますからね!」
とお伝えした。
私と朝井先生は、すっかり冷めてしまった飲み物をゆっくりと飲みながら、どのクリニックなら相性が良さそうかなど談議に花を咲かせた。
いつの間にか1時間以上経過していたが、ついでにクリニックに対する愚痴も粗方言い終えると、お互いにニコニコしながら解散をした。
別れ際の朝井先生の吹っ切れたような表情が、今でも強く印象に残っている。
私は、久しぶりに見た朝井先生の少年のような笑顔に安堵し、その嬉しい気持ちのまま家路についた。
それでは、また!
みなさんも、お休み明けにここでお会いしましょうね♪
遅くまでお付き合いいただき、本当にありがとう。
お疲れさまでしたっ☆




