診療中 ユニット3 Case2 ~ 勤務医「朝井先生」の悲劇 ~
私と笠原さんが朝井先生のアシスタントに入らなくなり、逆に院長のアシスタントにつく機会が増えた。
それにより院長の満足のいくような診療がスムーズに行えるようになり、院長の手が空くタイミングや暇な時間が増えてしまった。
そのせいで院長が朝井先生の後ろに立ち、プレッシャーを与えるような形で再び院長の監視が始まってしまったのだ。
結果、朝井先生の緊張状態が高まってしまい、些細なミスが目立ち始めた。
そんな折、アシスタントに上木が入っている時に大きなミスが起きてしまった。
ブリッジの支台歯の形成後、型取りに入る前に院長のチェックが毎回入っていたのだが、その際に院長が怒鳴り声を上げたのだ。
「朝井ーーーっ!!!」
「お前!ふざけんなっ!」
「ちょっと来い!!」
と怒号が響き渡り、間髪を入れずに
「おい!主任っ!!」
「秋山ーーーっ!!!」
「今すぐ来いっ!3番ユニットに入れぇ!!」
と聞こえた。
私はその時パソコン入力中だったのだが、何事かと思い、作業の手を止めてすぐに3番ユニットに駆け付けた。
院長の焦るような大声を聞き、緊急事態でも起きたかのような勢いだったので、
「まさか…アナフィラキシーショック!?」
「緊急事態!?」
「でも、院長はユニットから離れたし…?」
と頭をフル回転させながら、救命措置など最悪の事態に気持ちを切り替えた。
だが、それは私の早とちりだった。
朝井先生が院長の怒号と共に引きずり出された3番ユニットには、チェアを起こされ口をゆすいでいる患者さんがおられた。
ひと先ずは患者さんの無事を確認し、状況を確認する為にブース内を見渡した。
近くに立っている上木は患者様には何も話しかけず、使用した器具をただ片付けている様子だった。
私は上木に手招きすると小声で
「何があったんですか?どうしましたか?」
と質問した。
上木は
「よくわかんないんですけどぉ~、院長のチェックが入った途端にあぁなりましたぁ~w」
とやや笑いを浮かべ、状況が把握できていない様子だった。
チェアに目を向けると、院長の怒鳴り声に何事かと不安になっていた患者さんがキョロキョロし出していた。
私はそれに気付き、
「驚かせてしまい、大変申し訳ございません。」
「院長の朝井先生への指導が時々熱くなり過ぎてしまうことがございまして…。」
「ご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした。」
と謝罪し、頭を深々と下げた。
すると、患者さんは苦笑いをしながらも
「まぁ…色々とあるよね…。大丈夫ですよ。」
と言って下さった。
どういった状況だったのか私は全く分からず、上木も当てにはならなかった。
その為、先程まで歯を切削していたようだったので、患者さんに
「一度、お口の中を拝見しますね。治療の進行状況を確認させて下さい。」
とお伝えし、チェアを倒して口腔内を確認した。
形成されていた左上の4番と6番の歯(第一小臼歯と第一大臼歯)を確認した。
6番は失活歯(神経の死んでいる歯、神経の治療後の歯)で、形成は問題なさそうであった。
だが、4番はかなり細く削られ、支台歯にするには折れてしまいそうな状態と言っても過言ではなかった。
その上、その4番はどうやら生活歯(神経の生きている歯)であった。
デンタル(X線画像)とカルテを確認すると、やはり生活歯であり、一部は露髄(神経が歯から露出してしまった状態)スレスレ限界まで切削されていた。
よく見ると神経が若干透けていて、何となくピンク色に見えていた。
大方、緊張のあまりブリッジの平行性を気にし過ぎて、オーバーに形成し過ぎてしまったのだろう。
「私か笠原さんがついていれば、きっと止められたはず。」
「それに今までこんな事はなかったのに…。」
と思った。
やはり院長の監視のせいだろう。
私は即座にリカバリーへの態勢に切り替え、支台歯の修正材料の準備と仮歯の作製準備に取り掛かった。
恐らく、ここまで削り、一部でも露髄の可能性がある場合、このまま型取りに移行するのはナンセンスだと思った。
一度仮歯を入れ、歯がしみたり痛みが出ていないこと、要は歯髄炎等が明らかに起こっていないことを確認してからでないと型取りはできない。
イコール、最悪の場合は抜髄(神経を抜く治療)になってしまうのだ。
故に経過観察が必要であろうと判断した。
口腔内を確認し終えたので患者さんのチェアを起こし、お待ちいただくこととなった。
ここから先の処置は上木ではブロックや岩のような適合不良な仮歯を作り、恐らく作製時間も掛かるので無理だと思った。
私は上木とその場の受け持ちを代わった。
運良く、その後に30分だけ私に空き時間があることを確認できたので、その時間内に何とかしようと逆算した。
故に院長の元へと急いだ。
院長たちは技工室の中にいた。
その狭い空間でローキックをされながら、怒鳴られている音や声が扉から漏れ聞こえていた。
私は気にせず、強めにノックをした。
すると、院長はローキックをやめ、こちらに気付いた様子だった。
私はドアを開け、その隙間から
「既に患者さんの支台歯の状態は確認致しました。」
「これから院長先生が修正し、仮歯を作製されますよね?」
と、院長に質問した。
すると、
「当たり前だろ!アレ見たか!?秋山っ!!」
「あんなの型取りできるわけないだろ!絶対に無理だから!」
「せっかく俺が単治して抜髄(神経を抜く治療、抜P)を回避したのに…ふざけんなっ!」
と言いながら、最後に朝井先生を一蹴りして技工室から出て来た。
そして振り返りながら、
「わかったか!?朝井!!」
「誰がどう見てもお前のセンスのない治療は明らかだからっ!」
「さっさと行け!!俺の視界から消えろっ!!!」
と言い放つと、朝井先生の白衣を掴み、技工室から引き摺り出した。
その後は院長先生により秒で4番支台歯の修正・再生PZ(再度神経の生きている歯を削って形成すること)が行われ、最短最速で仮歯の作製に取り掛かった。
私は患者様に
「今回削らせていただいた歯なのですが、ご存知の通り手前の歯は神経が生きております。」
「院長先生のご判断で、万が一お痛みなどが出てしまわれると心配とのことでしたので、一度仮歯を入れさせていただき、1週間程度経過観察を行うこととなりました。」
「症状が出なければ、次回は安心して型取りをお受けいただくことが可能かと存じますので御了承下さい。」
と説明を行い、ご納得いただいた上で仮歯の作製を行った。
丁寧にご説明を差し上げた甲斐あってか、患者さんからは
「この歯は虫歯も深かったし、仮歯を入れて様子をみてからの方が安心だものね♪」
「ありがとう。」
と言っていただき、その日はお帰りいただけた。
勿論、私はそれら全てを30分以内に何とか遂行した。
カルテを振り返ると、そこには院長の汚い字で
「単治OK!不良時抜P!」
と書かれており、虫歯が深かったことが窺えた。
その下には
「予後良好!!」
と書き込まれており、自分が行った治療が上手くいったことを喜んでいたのだろう。
それらを踏まえると、院長が一生懸命に治療を行い、抜髄を回避した完璧な歯をあのようにしてしまった朝井先生の罪は重いと感じた。
だが、暴力を振るうのはやはり間違っていると私は思った。
仮歯セット後、その患者さんは全く症状も出ず、ブリッジも無事に入り事なきを得た。
だが、この事件以降、このようなケースまではいかないものの、朝井先生の「削りすぎ現象」は院長の監視が入ったタイミングで度々起こった。
勿論、上下の歯の位置関係上、クリアランス(被せ物を入れるのに必要な隙間、スペース)がない場合には問題ない範囲内で神経ギリギリまで削ることはある。
ある程度は削る範囲にも幅があり、その判断は歯科医師に委ねられている。
そのDr.ごとに個人差や好みもあるのだ。
また、場合によっては神経を抜き、更に削らないとクリアランスが確保できない事もある。
よって、この場で断っておくが、全てがミスであるとは思わないでいただきたい。
【むし歯治療について少し知ろう♪のコーナー】
むし歯は専門用語だと「齲蝕」や「カリエス」と呼びます。
先程のエピソードで「単治」とは何ぞや??と思われましたよね?
ですので、むし歯治療の工程について簡単に解説させていただきます。
(単治)
むし歯を削り取る治療のこと。
(覆髄)
むし歯を削り取った後に歯の神経(歯髄)に刺激が伝わらないように治療用のセメントやレジンなどで覆い保護する治療。
むし歯治療においては、基本的には「単治」→「覆髄」の順番で治療が進められます。
むし歯が小さければレジンで覆うだけで完了するケースもあります。
よく歯医者さんで耳にする、
「本日のむし歯治療は白いレジン(プラスチック)を詰めて終わりになります。」
のその治療においても、必ずこの工程が行われております。
ちなみに院長は「単治OK!」とだけカルテに記載しましたが、この意味は…
「カリエスは完璧に除去できている!」
「かなり深かったが露髄はしなかったぞ!」
「覆髄も完璧だー!俺ってスゴイ!」
という喜びなどが含まれていますwww
以上。
時は進み、朝井先生がこのクリニックにいらしてから2年経とうとしていたある日、大事件が起きた。
その頃、朝井先生は治療の腕を上げ、勉強の為に院長の自費治療のアシスタントに入ることが増えていた。
その場で行う院長の朝井先生への説明は、誰がどう聞いても
「俺はスゴイ!」
とアピールしていて、笑ってしまいそうになるくらいだった。
まるで自慢話のような説明ではあったが、一応朝井先生を育てられるようになってきてはいた。
その大事件が起きた日、珍しく院長は朝からとても機嫌が良かった。
気持ち悪いくらいにニコニコしていた。
その日は私の担当患者さんのジルコニア(自費の被せ物)が入る日だった。
来院時間5分前になり、個室の6番ユニットにてセットの準備を進めていた。
すると院長が入って来て
「今日は朝井にやらせるからさ♪」
「麻酔から仮歯を外して試適(被せ物が入るか試す)までをやらせる予定だから♪」
「秋山さんは患者導入までいてくれればいいから。」
「その時間はアシスタントいらないから、君はマニュアルの修正とかやっててくれればいいから。」
「笠原さんからその件について確認とかもあったから、その時間はそっち進めていいよ♪」
と、逆に虫唾が走るほど優しい口調で言って来た。
私は院長に
「はい。承知致しました。」
「では、お言葉に甘えてそちらの作業を進めさせていただきます。」
「もう間もなくでお部屋の準備を整え終わりますので、患者さんがいらしたらお部屋へお通しした後、朝井先生と交代します。」
と復唱・確認しつつ返答した。
院長は
「ヨロシク~♪」
と言うと、どこかへ行ってしまった。
その患者さんが来院され、私はいつも通りにお部屋へお通しした。
そして、
「本日はジルコニアが入る予定になっております。」
「○○様にお許しいただければ幸いなのですが、本日の前半の処置を朝井先生に担当させていただくことは可能でしょうか?」
「院長先生からのお願いでもあるのですが…。」
と、念の為伺った。
すると患者さんは快く
「えぇ、大丈夫ですよ。」
「院長先生からの申し出ですし、若い先生だって勉強しないと成長しないですからね。」
「でも、麻酔は痛くしないでって言っといてもらえる?w」
と、その男性患者さんは冗談交じりに返答して下さった。
私は
「○○様にご快諾いただきまして、私は感謝の気持ちでいっぱいでございます。」
「いつも何かとご協力をいただきまして、私共も大変助かっております。本当にありがとうございます。」
「それではそのように院長先生にお伝えして参ります。」
「もう間もなくで院長先生と朝井が参りますので、お待ちになっていて下さいね。」
と告げ、頭を下げて退室した。
その後、院長と朝井先生にその旨を伝え、2人揃って6番の個室へと消えていった。
私はその6番の部屋から少しだけ離れたパソコン作業スペースにて、早速マニュアルの修正作業に取り掛かった。
笠原さんも手伝ってくれてはいるものの、他のスタッフや小池と愉快な仲間たちはみんな見て見ぬふりをしていたので、家に持ち帰って作業する事も多かった。
こんなチャンスは滅多になく、大義名分の下、誰にも邪魔されずに作業が出来るのだ。
試適後に順調にセットとなれば30~45分間は私はフリーなので、この与えられた時間をフル活用しない手はない!と思い、パソコンをカタカタと打ち始めた。
15分程度経過した頃だっただろうか。
突然6番の個室から院長の怒声が聞こえてきた。
直接部屋は見えないものの、声は聞こえており、何となくだったが
「朝井!!何やってんだぁーーーーーっ!!!」
という部分は聞き取れた。
私は
「はぁ、、、またか…。患者さんの前で恥ずかしい…。」
「どうせ些細な事だろうけどね…。」
と思い、パソコンでの作業を続けようとした。
だが、その直後に物凄い音がクリニック内に響き渡った。
最初は器具が床に落ちて散らばるような、バンッ!ガッシャーンッ!!という音。
それと同時に、ドンッ!ドンッ!と何かが壁に叩きつけられるような音。
続いて、ボコッ!ボコッ!ドコッ!と、人が蹴られているような鈍い音がした。
そして、ズーーッ!ドンッ!と音がして、扉が開く音もした。
その直後に振り返ると、私の座っている位置からは朝井先生の引き摺られて行く姿が目に飛び込んで来た。
あまりの光景に、私は二度を見した。
白衣の上着、襟首付近を掴まれ、引き摺られるように連行されて行く朝井先生。
院長はとても背が高いのだが、朝井先生は165㎝程度だったので、成す術なく…という有り様だった。
おっと、失礼…。
どうやら院長がパソコンを覗きに来たようだ。
一旦、経過観察とする。
この続きは次回の診療にて語らせていただこう。




