多数の欠員
「神林さん、まもなく就業時間ですよーほらいつものー」
「終業時間」ならどれほどまでにいいかと嘆くこちらの気持ちなどまるで顧みる事なく、全力で仕事場に引きずり込む。ハンカチで顔を拭くのすらもどかしそうだった。
早く終われとばかりに乱暴に着座しようとするが、その前にいつもの儀式を済ませようとする。虚礼とか言う単語など辞書にはありませんけどと言う言葉を無視し、声高に職員のお約束を述べる。
口調ばかり爽やかで、やたらと暑苦しい。元気があれば何でもできるとか言うが、人の都合を顧みない元気がどれほど迷惑なのかと言う自覚が全く欠如した目の前の生物を前にして、神林はなすすべがなかった。
「ったく…」
「どうしたんです、私たちの手に町の平和がかかってるんですよー」
「いや、最近あまりにもいろいろありすぎてね」
「そうですかー、辛い時はいい物食べてゆっくり寝ましょ、ああもちろん恋人さんといっしょにってのもありですけどー」
俗っぽい事を言っているように見せても、ちっとも説得力がない。
何とかしてこっちを自分の世界に引きずり込もうとしている。二十四時間でも七十二時間でもできるもんならずーっとやってやりますよと言わんばかりに目をぎらつかせる姿と来たら、まったく異世界の住人だった。
「いいわよね二年目って」
「…………」
で、仕事に入ると一切こちらの言葉は聞かない。まるで親でも殺されたかのようにキーボードを叩きまくり、次々と赤色だけでなく黄色の物体も消している。
先輩に教わる気などなく自分の職務をこなし、むしろ先輩を暇にしてやるのが自分の役目だと言わんばかりである。やむなく神林が赤だけに絞って殺していると、モニターに向いていたはずの浅村の目線が急に神林の方に向かって来る。
「神林さん」
「な、何よ!」
「もしかして藤森さんたちの事が懐かしいんですか」
あわててそちらを向いても首を動かすことなく、わずかに口だけを動かした浅村の口から出た言葉は、予想外であり予想の範囲内でもあった。本来なら就業時間前とか休憩の時にでも聞きたかったのに、まさか先に言われるとは思わなかった。神林がしぶしぶ首を横に振ると、浅村はそれで十分だとすぐさま口をつぐむ。こちらに期待しているのかしていないのかまるでわからない。ここまで人を疲弊させる素質があると言うのにどうして採用したのか、よく一年間平気でやって来られたのか。
「あのね、あなたは自分の事ばかり!」
「あ、赤です」
「ちょっと手を止めて」
「すみません、仕事が終わったらにしてください」
どんなにわめいてもまともに話を聞く気がない。仕事が終わったらとか言うが、あと何時間もこれと付き合うかと思うと胃が壊れそうになる。実際、神林は暴飲暴食気味なのも相まって昨日生まれて初めて胃薬を飲んだ。
「大事な事なの!」
「三十秒だけならいいですけど」
自分なりの怒りに対しポーズだけでも話を聞いてやると言う姿勢を取った後輩に対し神林はできる限りの怒り顔を作りながら、頭をフル回転させて文章を作り上げた。
「自分が仕事を楽しんでるからと言ってみんなそうだとは限らないの!あなたがやってるのはただのうぬぼれ!そんなうぬぼれ屋に付き合わされてたらみんな壊れちゃうわよ!自分が何やってるかわかってるの!もう一回言うけどあなたはただのうぬぼれ屋、いや、自殺志願者!無理心中に巻き込まれるのはまっぴらごめんよ!」
仕事だからこそ本気でやらねばならない。だが自分の本気を他人に強制しできないとなると不機嫌になったり煽ったりするのはそれこそ自分勝手であり、ある種のパワーハラスメントでしかない。ましてや今回の場合はいわゆる逆パワハラの上に天然物だから、余計に性質が悪い。
「私がもし神林さんを傷つけていると言うのならばお詫び申し上げます。しかし神林さんは神林さん、私は私です。それぞれがそれぞれなりのやり方で立ち向かう、それでいいと思います」
そして自分なりの渾身の一手も、全く通じる気配もなかった。
「ああ、そう……」
「申し訳ありません」
完全に諦めた神林は黙って仕事をするでもなく、無気力にキーボードを叩きながら声を絞り出した。心にもない浅村の謝罪の言葉を聞き流し、キーボードを叩く。向こうも向こうで完全に自分を見放したのかこれ以降まったくノーリアクションのまま、キーボードを叩きまくった。
「みんな、みんな、どうして、やめるの?好き勝手に、何にも言わないで。そりゃ親しくなかったけど、名前ぐらいしか知らなかったけど?あの四人、いや十人以上やめちゃったのはなんで?私の給料を上げてみせるとかって、何?それどういう意味?むしろやめたくなったんだけど?」
仕事を終えた彼女は昼間から居酒屋に入り、ビールを流し込んだ。そのまままったくとりとめのない言葉を垂れ流し、ついこの前までの同僚たちの不義理を恨む。
龍崎・武田・虎川・朱原と言った入町管理局の職員—————藤森の友人たち—————を含む十人以上の管制塔職員たちが、一斉に辞表を提出。そしてその全てが正道党から選挙に出るとか言って町内で叫び回っている。
「お客さん……」
「すみませんね、でもあんまり仕事に熱心になりすぎない方がいいわよ、特に自分こそ何とかできるなんて言うのは捨てた方がいいから……あーあこの仕事やめたーい…………」
朱原のポスターの前で、神林は泣いていた。
近いうちにこの仕事辞めて、相手見つけて、「結婚」しよう。
彼女がそんな風に思っている事など、店員も店主も知る由などなかった。




