「再会」、そして
かくして俳優としての道を完全に諦めた私が、なぜこんな仕事になったのか。その理由は未だにわからない。なんとなくあの時の彼女に紹介され、アルバイトとして荷物持ちのような真似をしていた。その際に女性だけの町出身と言う事で目をかけられ、ためしになんか書いてみないかと言う事で鉛筆を渡された。
そこで古本屋での体験を書いた所それが当たり、気が付くと連載をもらっていた。それからあちこち取材と称して連れ回され、そこからコネが生まれ仕事もできた。そんなあやふやな時間を、私はずっと過ごして来ている。
もっともあくまでも本職は居酒屋の店員であり、エッセイストとか言う肩書はまったくおまけだった。
「姉も義姉も地に足のついた職業をしてましたから、私だってそうしたいと思っただけです。姪二人は私の事を受け入れてくれないと思います」
そう正直に言った際には、故郷に対して批判の声も集まった。職業差別はどの町にも付きまとう宿痾だが、それでも個々人の考えと言うのはどうにも変えがたい。表向きに職業に貴賎なしを謳った所でどうしても上下は生じてしまう。
例えば、給与袋の中身だ。トイレ掃除は富裕層の仕事だと思って受けて給料が安かった時は、思わず目を白黒させた。それからその事についてエッセイを物した際にはかなり物議を醸し、女性だけの町の在り方について議論になった。
そしてその議論が忘れかけられたころ、居酒屋に一人の女性がやって来た。
仕事終わりなのか作業着を身にまとい、男性たちに囲まれている。まったくひるむ事なくビールを煽り、料理を激しく口に入れていた。実に楽しそうにはしゃぐその姿は、私とは無限の距離を感じさせるそれだった。
「しかし旦那もいるのに平気かい」
「先刻承知だから平気平気、今度の夜は思いっきりやる気だから、この胸で!」
そしてふくよかな乳房がどうしても目に付く。
私自身は並みの大きさだと思っているが、それにしても邪魔くさくないのだろうか。だいたい私たちの中では胸が大きい人間はあまり人気がなく、場合によっては強引に押さえつける女性までいた。統計はないが胸が大きい女性の方が「自己逮捕」されやすいとも言われていた。
私は中学一年生の時に初めて自己逮捕され、十八歳で町を出るまで五回ほど警察のお世話になった。外の世界に来てからは不思議とその必要がある事態も起きなくなり、起きたとしてもかなり軽かった。
彼女は胸だけではなくそこまで重そうだなと思いながらも、旦那と言う単語に耳が動いた。旦那と言うのは、明らかに男の伴侶だ。その言葉を知ったのさえ、この町に来てからだった。
「にしてもさ、抵抗とかなかったわけ」
「ないない。最初の三日だけ。考えてみればいろんな意味でつまんなかったわよ、女だけの町なんて!」
「そこで二十年以上暮らして来たんだよなー」
「一応脚本家の真似事もしてたけど、やっぱダメだわいろんな意味で」
そして、止まった。
彼女も、私と同じだったのだ。
「そう言えばここに女性だけの町から来たって店員がいたけど、もしかしてあんたかい?」
「仕事中ですので」
私が職務中を盾に逃げようとすると職務外ならばいいんだろとばかりに強引に番号を交換させられた。もっとも、四回も頭を下げられたのだから強引ではないのかもしれないが。
次の休みの日、彼女に喫茶店に誘われた。彼女がおごりだと言って出して来たキウイフルーツの多数入ったパフェはやけにきれいに輝き、彼女の笑顔をよりまぶしくしていた。
「そう……あんた女優志望で?あたしは脚本家志望だったわ。そんであたしもこの町に来てからあたしのそれが通用しないかと思ったけど、あたしなりに独創的だったはずのがぜーんぶ二番煎じ扱いだからね」
彼女は自分が頼んだそれをパクパクと口に入れながら、自分の身の上を話し出す。
本職はゴミ処理業者だが趣味として芝居の脚本をやっていて、あの町の小さな劇場で舞台になっていたらしい。もっとも商売になるほど客は来ず、完全に趣味の領域だったと言う。
どんなのかと聞いてみると犬だと思って大事にしたらどこかの国の王女様だったとか、男に救われ続けた女がこれまでの自分の常識を失い混乱するも最後には駆け落ち同然でどこかへ向かうとか、確かにこの世界に来るまでは知らないけど外の世界に出たらありふれたお話だった。もちろんそんなありふれたお話でも役者や演出によっては面白くなるが、詳しい人間ならああこれかで終わってしまう。
「ここに来て幸せですか」
「さあね。あたしは確かに富裕層って言われるぐらいには稼いで来たわよ。その時に比べれば給料は安いしそんなにちやほやしてくれない。でもね、気持ちが楽なの」
「楽……」
「あそこはね、働いてると疲れるのよ。常に見本を見せなきゃいけなくて。そりゃ高給取りには高給取りの責任があるけどね、いつも誰かに見られてるなって」
「それはどんな仕事でも同じだと思いますけど」
「そうかもね、でもあたしはかなり感じてたわよ、体動かしてると忘れられたけど、少しでも休むともう……こっちだって嫉妬はあるけど可愛いもんよ、うっかりつまづいたとかってコーヒーこぼされたりさ、何せそれでも逮捕とかされないんだから」
どんな仕事だってと繰り返すことはしなかった。
いくら表向きねたみひがみが禁忌とされていても、裏でそういう感情を抱く存在は山といる。私が俳優であった時だって、その手の感情をむき出しにして罵詈雑言を投げかけて来た人間はいた。そんな人間はすぐさま劇団を追い出されたが、中には私に小道具を投げ付けてぶつけたせいで刑務所に入った人間までいた。俳優のような薄給でもそうなのだから、高給取りなど尚更だろう。
そしてもし、この時私が外の世界に出ていなかったら驚いて言葉も出なかっただろう。嫉妬なんかで人の服を傷つけるなど、小学生でも刑務所入り確定の案件なのに。
だが彼女は、ただ笑っていた。
「たったそれだけ」の事だから、と。
私には、真似しようのない境地だった。




