「戦い」
「まったく、そのような事が……」
…………これほどまでの壮絶な過去を、風呂上がりの拓海は同室の女性に話してしまった。
入浴所から戻った彼女にノックをして入って来た五十路ほどと思しき女性は和服を身にまとい、どこか仲居めいた貫録を醸し出していた。父親とは当然ながら疎遠だった拓海だったが、母親にはよく差し入れなどを受け取りまた職場にもよく来てもらっていた。
「私自身、歳月が癒してくれると思ったのですが……」
中卒から十七年、女性だけが働く工場の寮に入った拓海はその疑似的な女性だけの町で暮らし、賃金を稼いでいた。その間にゆっくりと男性への耐性も出来つつあったが、それでも結婚の二文字は全く頭になかった。そして心底からの男性への恐怖は結局消える事のないまま、今の今まで来てしまった。
「ではこの町を知ったのもたまたま噂話を耳にしただけで」
「はい、私はどうしてもコミュニケーションをうまく取れなくて、それで女性たちでさえもまともに話ができなくて。みんな普通に恋愛して出て行く中私はずっと独り身でした。もちろん既婚者の方も入って来るんですがどうしても夫の話になってしまい、そのたびに私は身をすくめていたらしく話に入れなくなってしまいました」
「つらいですね、何も責任がないのにそんな目に遭うなど。見た所ぶしつけながら肌が少し荒れているようですが」
「ええ、化粧をすると男が寄ってくる気がしたので。それでも年かさの人から言われて仕方がなく口紅だけはしていましたが正直面倒くさくて仕方がなくて」
海藤拓海は、同性間とのコミュニケーションすら放棄してしまっていた。
文字通り機械のように働き、恋愛は無論おしゃれも、美食すら楽しもうとしなかった。そのせいで貯蓄だけは増えていたが、友人はちっとも増えなかった。
当然ながらそんな彼女を心配して多くの人間が女性らしい趣味を与えようとしたが、少しでも話が男に傾くと途端に笑顔がなくなる、と言うか亡くなる。もちろん合コンなどもってのほかであり、独身女性たちからはすっかりハブられ既婚女性からも距離を置かれた。唯一まともに接せたのは工場長の妻とシングルマザーぐらいだったが、後者だってまた新たな伴侶を求めるべく動いても不思議ではない事もあり、本当に分かり合えたのはとっくに子どもが独立しかつ夫に先立たれた上で生きがいか小遣い稼ぎのために働いているような人間しかいなかった。そして拓海は、十幾年の勤務の間にそんな存在に出くわす事はできなかった。
「別にお化粧は自由です。個々人の自由です。それを強制するのはあまりにも一方的であり相手の心を考えていないと言わざるを得ません。私はそのようなお仕着せを嫌い、さらにその型を作り上げた男たちと戦うために女性だけの町へと移り住んだのです」
「移住…」
「そうです。私もあなたと同じ移住者です。いや、開拓者だと自覚しています」
開拓者。何と言う言葉の響きだろう。
荒れ地を切り開いて田畑や都市にするが如く力強い言葉。
「実際、この町を作り上げた創始者の皆さんは文字通りの荒れ野を切り開き、女性だけの町を作ったのです。女性たちのみの手によって」
「はあ」
「そこに男の手はありませんでした。残念ながら男の作った物を使った事はありますが、それを金で女たちは買い、また技術を得、そして女たち自らの手で町を切り開いたのです」
「はぁ……」
女性だけの町がそうしてできた事など、拓海は知らなかった。
まったく意図的とは言え狭い建物の中に籠って加工作業の腕ばかり磨いて来た拓海からしてみれば、そんな場所はどうやってできたのか想像の仕様もなかった。たまの息抜きと言えば読書ぐらいだったが、それとて男が出て来ると目が滑りまくって止まってしまう。
「それで、私に何を、あなたは……」
「当たり前ですが、人間は働かねば生きていけません。そして何より、戦わねば生きていけません」
「戦い……」
「この町は先に述べたように、女の手だけで作られました。男の要らざるを証明するために、女の力を見せるために。
そしてその戦いはまだ続いています。男により傷ついた女性が女だけの町に平穏を求めるのは当然のこと。しかしそれでは、男の思う壺だと思いませんか?」
戦いと言う言葉も、拓海にとっては嫌な言葉だった。古今東西、戦争を起こすのは男。女はいつも後方で泣き叫ぶだけ。拓海自身、三人を恐怖に駆られて激しく叩いた事を後悔しており、人様に手を上げるなど言語道断だった。実際工場内で中卒と言う理由で工業高校卒の後輩にマウントを取られ続けた際にもじっと耐え、期せずしてその後輩を左遷に追い込んだ事もある。
「私は、戦いは……でも……」
「何も武器を持てと言う訳ではありません」
「ですが、そんな野蛮な……」
「野蛮な存在であれば、野蛮でなくせばいいのです」




