海藤拓海の戦い(性描写注意)
彼女は小学生時代、不審者に襲われ家屋に連れ込まれた。
たらればほど無駄な事もないが、もしその日、彼女がいつもしていたほんの少しの近道をやめていれば。
今頃彼女は、まともな男と結婚しまともな人生を歩んでいたのかもしれない。
その近道には、一人の男が住んでいた。
職業、サラリーマン。三十歳、独身。別に仕事ができない訳ではなく、それなりに給料は受け取っていた。そんな彼の家は、二階建ての一軒家。ローン完済済みのその家から出ないまま、彼は小中高大と卒業してサラリーマンになり、そのまま両親の夭折により家を継いだ。やや特別ではあるが、特に問題がある話でもない。
そう、特に問題がある話、でもなかった。
「うっ……」
ひとりぼっちでの登校中にいきなり、ハンカチを顔に当てられた。
その瞬間意識がなくなり、気が付くと四肢を縛られていた。さらにさるぐつわまでされていて呼吸もまともにできず、助けてと言う声を上げる事もできない。視界にはピンク色の本ばかりが目に入る。窓はぎっちりと閉められ、光は不自然な蛍光灯だけ。
「おかえりー」
拓海が畳の上で身をよじっていると、やけにさわやかな声が聞こえて来た。
「レイラちゃーん、元気にしてたー?」
「ひはふ……」
レイラとか言う、親に付けてもらったわけではない名前で自分を呼ぶ声。違うと言う言葉にも構う事なく声の主は扉を閉め、さるぐつわを外す。
「何する、のっ!」
動くようになった口で吠えかかるが、すぐさま生の手が拓海の口をふさぎにかかる。
この時、初めて拓海は自分を捕らえた男の顔を見た。
笑顔。確かに笑顔。
だがあまりにも気色が悪い笑顔であり、今まで父親や教師たちが向けてくれたにこやかなそれとは違う。どちらかと言うと、ごちそうを前にした時のような笑顔。
「あらら、おもらししちゃったのかー」
その顔の恐怖とこれまで数時間にわたり拘束されていたせいで膀胱の中身が限界を訴え、お気に入りのスカートを濡らしてしまった。
悔しくて悲しくて気持ち悪かったが、こんな奴なんかにとばかり必死に拓海はにらみつけた。
だが男は殴るでも怒鳴るでもなく手を離し、濡れたスカートに手をかける。拓海が抵抗しようとすると足の紐を外す前に再び口に布を当て、少女から抵抗力を奪う。
そして男は人形にした拓海の拘束を中途半端に解き、自分が濡らしたも同然の衣類を取り除いて洗濯機に放り込む。そしてあらかじめ持っていた少女用のスカートと下着を、裸の下半身にあてがう。そして、また縛った。
「おうちに帰してよ……」
ようやくそう言えた時にはもう太陽はなく、本来ならばとっくに寝ている時間帯だった。拓海が小学一年生からしてみれば当然の言葉を口にすると、腹にとんでもない衝撃が走った。
「ほらほら、レイラちゃんのおうちはここなの。これからお兄ちゃんと一緒に暮らそうね」
「お兄ちゃんなんかいらない!」
「もう、そういうこと言っちゃダーメ」
字面だけは異様に優しいが表情も口調も実に醜悪であり、キモいと言うより気持ち悪い。個々人としての特徴を認めないような上から目線極まる口調であり、万人が拓海と同じ感想を抱くに値するそれだった。その挙句自分に気に入らない言動をすると暴力行為を振るい、人形である事を強制する。
結局その日だけで拓海は十三発も暴行を受け、押し入れに押し込まれた。
翌日以降、空腹を訴えた拓海に対し男は自分に隷従する事により食と言う名の命の糧を得るようになり、十日もしない内に拓海はまったく自立的な行動を奪われた。
その過程で彼のお気に入りのキャラクターの真似事もさせられるようになり、髪の毛を始め服もまったく彼の思う通りにされた。その過程で何度もあり得ない色に染められ、写真を撮らされ、保存された。
本当は泣きたかったが泣くとやり直しと言われるか飯を抜かれるか殴られるかの三択であり、その過程ですっかり反抗する意思を失いお人形さんになった。拓海と言う本来親に付けられた名前を呼ぶことができたのはタクミと言うキャラの衣装を着せられた時だけであり、いつの間にかその名前すらも忘れかかっていた。
「レイラちゃーん……」
「はい」
そう素直に返事をしてしまった時には山月記の李徴並みに自分に恐怖し、生きるために何とか笑顔を作った。
そんな彼女の運命が動いたのは、閉じ込められてからおよそ一年後の事だった。腹立たしい事に散髪や料理を含む家事のスキルもあった彼はレイラを自分好みの存在に可愛らしく仕上げ、時には共に入浴していた。
「キミのおかげで今度昇進も決まってね、本当嬉しいよ、キミのお兄ちゃんで……」
いつもいつも聞かされる甘ったるい声。歪みに歪み切った愛情を正義と信じて疑わない目の前の男。
なぜ、こんな男のために尽くさなきゃいけないのか。
拓海はじっと男を見つめ、油断するのを待った。
ここで負ければ、一生このままかもしれない。
「お兄ちゃん……おめでとう……」
力を込めて、耳元でそうささやいた。
「そうか!お兄ちゃん嬉しいぞ!」
能天気に笑う誘拐犯は、少女の小悪魔ぶりを見抜けないほどには油断していた。普段から小悪魔系女性萌えとか言っていたくせにだ。
自分が作った食事を「妹のレイラ」の手で口に運ばせている間に、誘拐犯はすっかり油断していた。自分がかつて拳を上げ続けた事により戦に勝利したと思い、心を折り切れなかった事を忘れてしまった。
その夜、油断を突き、彼女は逃走に成功した。
—————たった一か所、空いていた隙間である風呂場の窓から。




