朱原の嘆息
「タイトルは何て読むんだ?」「「あけはらのたんそく」です」
この町は去る者は追わず来る者は拒まずと言うが、それにも限度はあった。
去る者については事前に講習を受ける事が必須とされているが、同時に来る者についてもそれなりの時間と書類が必要だった。
「もちろん、当町としてはあなたの移住を歓迎しております。されど審査期間と言う物がございまして。それに申請書はおろか連絡もない以上急にと言われても対応できません」
入町管理所の職員である朱原は、そう答えるしかなかった。
目の前の女性が、一刻も早く入町したいのはわかっている。それでも、きちんと書類を整えねばならなかった。
「どんな書類が必要なんですか!」
「まずは戸籍謄本、それから一緒に移住する家族などの履歴書、希望の職種……」
「独り身です!仕事は何でもいいんです!」
「口頭では無理です。それにきちんと移住希望の旨を伝えた上で少なくとももう一週間はお待ちください」
今すぐにでも入りたそうと言うか逃げ込みたそうな顔をした粗雑なショートヘアの彼女が、スーツケース一杯の荷物と共にうなだれている。
「となるとまた戻れ、と……」
「一応宿泊と言うか逗留施設は用意しておりますので、ここから南の場所へとお向かい下さい」
淡々と言葉を紡ぐ朱原の手から渡された地図を受け取り、女性は引き返すしかなかった。車輪付きとは言え重たいスーツケースを引きずり背中を向ける姿は、あまりにも小さく、重苦しい。
こういう飛び込みとでも言うべき移住希望は決して珍しい話でもないが、その中でも彼女はひときわ苦しそうだった。朱原もできる事ならば今すぐ入町許可を出したいぐらいだったが、それでも規律を破る事はできなかった。
「あらかじめ講習を受けている人間を派遣するしかないわね……別に特異なケースでもないけどやっぱり心苦しい話だわ……」
入町管理所はそれほど大きな建物でもない。せいぜい二階建ての常駐職員数名のプレハブ小屋であり、それが東西南北四か所、だいたい正方形に近い町の辺の中点にある。そして四隅に管制塔から出る電磁波を受け止める電波塔があり、不法侵入者を防衛する。電波の塀に囲まれた中での唯一の通用口がこの入町管理所であり、トラックなど町からの移動もこの場所を経なければならない。
そして今日もまた、電磁波の音がする。朱原が音の方を振り返ると、一匹の虫が黒焦げになっていた。
その角を生やしたカブトムシに、一体何の責めがあったのか。そんな事を考えるほど、朱原は寛容でも暇人でもなかった。
「ええ、それで。はい、はい。彼女の様子からすると一刻も早くと言う調子で、それでその上に絶対に戻りたくない、と。と言う訳で、ええはい、わかりました。とりあえず駆け込み寺の方に案内しました」
ここで言う駆け込み寺とは、この町の飛び地とでも言うべき一か所の宿泊施設だった。
管理所の南東に位置するその建物には移住希望者の中でなんらかの不備がある人間を数日滞在させ、その上で決意を見たり書類を整えさせたりする。もちろん不備があったり気持ちが弱かったりすれば不適格とされる事もあったが、それまで通過を認められなかった例はごくわずかしかない。それが、いわゆるオネエである。
(そこまでして入って来たいのかもしれないし、あるいはまったく関係ないのかもしれない……だがこの町では認められていないし、私も認める気はない。移住者は今いるだけでも十分間に合っている)
当初はあくまでも生まれは男性であるゆえに拒否すべきだと言う論と精神的には女性であると言う論が分裂し、やがて生殖機能を持たねば受け入れるべきだと言う論が優勢となった。だがその論の中心となっていたのがかつてのJF党だった事もあり、第三次大戦後は世論が一挙に硬化し、現在では去勢手術を経験していても不可能となっている。それを頑迷だと非難する外部勢力もあったが、朱原はまったく気にも留めていない。
ここ数年は移住希望者も増え、さらに人口も増えている。年齢層は主に四、五十代が多く、時々還暦や古希以上の人間や連れられて来た小学生もいる。
そんな中で今回入町を求めて来た女性は、彼女の自己申告を真に受ければ三十二歳。微妙に珍しい年齢である。実はそれぐらいの年齢だと観光目的で来る人間も少なからずおり、真剣な移住者は主に親子連れか、さもなければいわゆるバツイチだった。子どもはもちろん子宝だし、DVを受けた様な女性も守らなければならない。それでもなお、規律を破る事はできない。
そのもどかしさもまた、朱原の頭を悩ませていた。
「あの海藤さんって人、大丈夫かな……」
海藤拓海なる存在を、すぐに救えない事にも。




