去りたい女
「それ本気!?」
ある朝、市街地の中央に立つフレンチレストランは、いきなり一人の人間の叫び声に支配された。
背の高い帽子をかぶったコック長が、泉と言う後継者候補の発言に店が飛び上がりそうなほどに驚き、腰を抜かしそうになっている。
まだ客のいない時間帯ゆえに静かだったはずの店内は一挙に騒然となり、誰もが口を大きく開けていた。
「本気です」
爆弾発言をした泉の目線はどう考えても噓偽りのない素直なそれであり、嘘や冗談を言っているようには誰にも見えない。元より誰よりも早く来て遅く帰るような根っからの料理好き、文字通り生まれながらの料理人。
その泉が全く真剣な顔で口にした言葉の破壊力は、あまりにも莫大すぎた。
———————————————この町を出る、と言う。
「この町のレストランでは満足できないの」
「できているつもりです。しかし」
「外のはもっといい物があるかもしれない、かぁ……それならオーナーに言って仕入れぐらい増やすのに。この町の食べ物は駄目なの」
「そんな事を言う気はありませんけど……」
男の力を借りない。
そのために作られた町は言うまでもなく自給自足が大前提であり、そのために農地の開墾や漁場の開拓が行われた。今でも町の行政により第一次産業は優遇されており、このレストランのコック長の年収はこのレストランに使われている牛肉を卸している農家より安い。収入の話はさておき力を入れている産業が発展するのは当たり前の事であり、この作物を輸出する業者も存在した。
「あのね、男はみな狼だって言うじゃない。そんな狼の群れに自ら飛び込むだなんて」
「知ってます。その上で、こうして言ってるんです」
深々と頭を下げるその姿は、どこまでも真剣だった。
だが思いが真剣であればあるだけ、他人にとっては踏み込みにくくなる。
「泉……それ本気で言ってるの」
「本気です」
「家族とも相談したの」
「まず、コック長に言おうと思っていたので」
遠巻きに泉を取り囲む同僚たちの中で声をかけたひとりに対してもその声と顔のままはっきりと己が意志を述べる彼女を前にして、みななすすべがなさそうなのはわかっていた。
「私の高校時代の友達が外に出て行ってね、三年後に死んじゃったって。それも多くの男に見下ろされながら、何もわからない内に……」
「その話は聞いています」
同僚は自分なりに悲愴な顔をして恐ろしさを説きにかかるが、ちっとも泉の顔は変わらない。
実際、泉はその女性の死因がただの交通事故である事を既に知っており、そんなこの町でも起こる事故により死んだのを知らされた所でどうにもならなかった。
その意志強き女性に対し、コック長も覚悟を決めた顔になった。
「いい?私たちは決して、差別はしない。仮にするとすれば、それは料理の腕がいいか悪いか、それ以外にも仕事ができているかいないか、あと真面目か怠惰か、そんないくらでも変えられる所でしかしないわ。
でも外の世界では、新参とか古参とかで差別をする人間がいる。それは残念ながらこの町にもあるけど、まだそれは仕事に不慣れかもしれないって言う理由があるからしょうがないお話なの。本当はあまり感心できないんだけどね。
本当に駄目なのは、変えられないはずの事で相手を差別する事。
女のくせに、女は黙ってろ、女の分際で……本当、とんでもない呪詛よ」
その言葉で、どれだけの尊厳が踏みにじられたのか。
どれだけの有用な発言やアイディアが潰されたのか。
「生き物って不自由よね、本当。あなたなら大丈夫でしょうけど、お客様の中には肉や魚は駄目だって人もいるのよ。あなたはそういうお客様にも本当によく対応してくれたわ」
言うべきことは言い切ったと見たコック長はため息を吐いた。
この町には別にヴィーガンだとかではないが、肉や魚を好まない人間もいる。
曰く、オスの力を借りねば数を増やす事も出来ない存在はよろしくない、と。
彼女らは過激派であるが、そこまで少数でもない。そんな客を迎える事も多々あり、その度に泉は見事なメニューを作って対応していた。
「創始者たちはその女だからって呪詛を振り切るために戦って来たの。外に出れば女ってだけで差別される事もあるわ」
「覚悟はしているつもりです」
「骨は取りに行ってあげるから」
それなりの地位と教養を持ったコック長からしてこんなセリフが出る程度には、この町にて男の存在は恐れられていた。




