ただ、それだけの事として
実質最終話(あと2つ登場人物と用語解説があるけど)です。
あの事件から三ヶ月後。
女性だけの町には、相変わらず女性しかいなかった。
オスの生き物は種牛の類しかなく、彼らとて種が出なくなればすぐさまお役御免となる。その程度には厳しい世界が、この町だった。
「今日も朝早いのね」
「それがあたしの仕事だからさ、で、今日は夜、時計の針がてっぺんに来るまで飲み会だ。悪いな」
「大丈夫ですから」
ゴミ回収業と専業主婦の薫と静香と言う名の婦婦は、いつも通りの朝を迎える。人より始業時間が早く就業時間も早いだけのただの会社員の顔は、あの時と比べてもちっとも変わらない。いつも通りにゴミ捨て場を回り、「護美箱」からゴミを回収して処理場に持って行く。それだけだった。
彼女の暮らしは、何も変わらない。一応住んでいる所はそれなりに良い環境だが決して乱暴にお金を使う事なく、これからやって来る育児のためにもしっかりとためておく。最近では静香が酒を呑まなくなったためかその費用も減り、貯金はなおさら増えていた。
二人の娘の薫子はまだ、立つ事はできない。一歳にもならないその少女は、もちろんこの前の事件の事など何も知らない。彼女にとっては母親たちのご機嫌とご飯が大事であり、まだそれ以外の事はどうでもよかった。
そんな二人を残して通勤する薫は、いつものようにまだ薄明るい道を歩く。心なしかいつもより人々が警戒しているような気がするが、いずれ落ち着くだろう。その程度の事としか、薫は考えていない。
(いつも通り平和だよな、こんな平和を壊して何がしたいんだろうな……あたしがガキだった時と何も変わらねえじゃねえかよ……)
そして、薫は最初からわかっていた。こんなにも平和なのに、なぜそれをやめねばならないのか。自分たちが小市民であり、その小市民をしてこういう見解になってしまうのが現実だった。
——————————もし、薫の生活に変化があったとすればそこだけだっただろう。その程度の事だった。
管制塔本部では、新たな職員が配備された。
もっとも昼勤務は事件前と相変わらずの二人であり、そこには変化はない。
「さいてい」こと海藤拓海らによって乱暴に動かされたコンピュータの復旧もすぐに成り、元の日々が戻っていた。
「本当、あんな事になるなんてね……」
だがそこに、あの三人の姿はない。
かつて黄川田達子が死んだ部屋には、「この世界に、平穏を!」「すべては、誰もが安らかに暮らせる世界を!」と言う二つの教訓と一緒に、一枚の写真がかけられていた。
—————殉職者、神林。
あの日から、ここにいない人間の一人。
「いったい何が悪かったんですかね」
「あの時、ここにいたかいなかったか、そしてあの鬼に見つからなかったか見つかったか……それだけよ。本当、あの時は血の気が引いたわ」
この二人も、あの日普通に出勤していた。だがその交代の直前に襲撃事件が発生し、あわてて倉庫に逃げ込んだ際に二人して足を負傷。解放まで二時間近く隠れていたせいで命こそ守ったものの、いずれにせよ全くの無事ではなかった。
「今度からここの勤務三交代から四交代になるって、しかも三人で」
「そうなんだ、すると私らの仕事さらに減るかもね」
「それから人選もかなり慎重になる、って言うか性格的におとなしい人を選ぶって」
もっとも重要な役目を三交代六人にしていたのはその内容の過酷さとゆえだったが、それでもその任務に携わっていた人間の一人である藤森の神林殺害を含むテロ行為を誠心治安管理社の上層部と町長たちは重く受け止めていた。これと同時に四人全員が正道党の幹部となってしまった入町管理局の各局長も大幅に権威が縮小され、これまで四~五名だったのに倍近い人数を入れるようになった。完全に職務と言うより権威を分散させるための施策であり、仕事をするためだけならばまったく無用な人員だった。
「下田って知ってる?あの朱原の後任で入町管理局の局長の一人になった子」
「ああ知ってる」
「彼女こっちに異動するって」
「そうなの、あの子かと思ったけど」
—————そして、「あの子」こと、浅村。
「彼女はまだ出て来られないんですか?」
「このままやめてしまうかもしれないわね……悪い子じゃないんだけど」
藤森が目をかけていた、と言うかいずれはその情熱をもって正道党の上層部に据えようとしていたかもしれない存在。このテロに加えられなかったのは、おそらくきれいな手のままでいさせるため。
自分がそんなとんでもない行いに使われていると知った彼女は相当なショックを受け、現在では管制塔傘下の本屋のアルバイトと言う名の休職状態である。
「あそこまで情熱的だったのにその正体がこんなだってばれちゃうとね……」
「本当、藤森、いや、あの四文字って……」
「知ってたけどね」
四文字と言う侮蔑語で呼ばれるほどには尊敬されなくなった、いや元から尊敬されなかった彼女の名声は、もう二度と浮き上がる事はない。
だが、現在を生きる二人にとっては大した問題でもなかった。
「美食と言うのは魔物ですね」
そう笑顔でつぶやく彼女の顔は、実にいたずらっぽっかった。料理人と呼ぶにはまだあまり日の経っていない若いシェフの作ったディナーを、有名エッセイストがじっと口に運ぶ。それこそある意味死活問題とでも言うべき食レポめいたそれが出されてしかるべきだが、彼女はまったく緊張していなかった。
「食材を殺さない味付けで、それなのにソースが邪魔をしていない。万人におすすめできる味だと思います」
この批評をどう取るかは人次第だが、少なくとも悪い評価ではなさそうだった。
「二人は知り合いなのか?」
男と言う慣れない存在に語り掛けられたシェフがわずかに頭を下げると、男はしまったと言わんばかりに首を横に振り、あわてて後ずさった。
気まずい空気をあえて無視するように次の一口をエッセイストの女性が放り込み、咀嚼する。その音ばかりがレストランを支配し、時計の針は普段の半分の速さで動く。
やがて料理がなくなると、エッセイストの女性は深々と頭を下げる。実に大人の作法をわきまえたしっかりとしたそれは淑女的であり、文字通りの貴婦人だった。その貴婦人をしっかりと見送るシェフも堂々としており、第三者の出る幕はなかった。
「すまなかったな、どうしても色眼鏡を壊せなくて」
「気になさらないでください」
エッセイストの女性がいなくなったレストランでは、東シェフの上司であるシェフ長—————さっきの男性—————が頭を下げていた。オーナーが彼女を雇ったことに付いては深い意味もなく、ただそれなりに優秀だとオーナーが見ただけだった。そんな存在を、どうしても色眼鏡で見てしまう自分にそれなりに嫌気が差し、上司と言うか料理人として頭を下げていた。
「私とシェフ長がこうして話している事さえ不愉快に感じてしまう人はいます。それが現実です」
「ったく、年を取るとどうしても考え方が凝り固まる。その点は情けないな」
「いえいえ、誰だってああはなりたくありませんから」
—————ああはなりたくない。そう口にするのは簡単だがその像を思い浮かべるのはああなりたいと言う夢を描くよりある意味難しい。その難しい真似をやってのけているのが彼女であり、同時に関わってしまっているのも彼女だった。
一応は親類縁者であり断ち切る気もなかったまま続いてしまった縁のせいもあってまだ親族の扱いになっていたが、それでも遺品の引き取りを姉「婦婦」に拒否されるような真似をした彼女の親類だと言うあの女性がどんな顔をしていたかと思うと、正直胸が苦しくなる。今目の前にいる、女性だけの町からやって来た存在を前にしても不安の虫がうずくのに。
「男って弱いもんだな」
「それはわかりません」
言葉を適当に濁す程度には、親類にも他人にも影響力はあったのだろう。
藤森とその主人である黄川田達子たちの行いは。
「かような情勢では町の拡張などとても無理です」
そして、流血を何とか免れた町議会では、水谷町長に対し新たな議案が出されていた。
かつてのJF党事件ほどではないにせよ打撃を受けた町の発展は当分無理と言うのが議会全体の見識であり、民権党・女性党ともほぼ満場一致でその方向に進もうとしていた。
「私はそうは思いません、いずれで良いのでむしろ別の町を作るべきです」
だが水谷町長の言葉は、全く違っていた。
もちろんすぐにとは言わないと言う前提込みで、新たなる「女性だけの町」を作るべしだと言うのだ。
「その町はこの町の住民の力だけで出来るのでしょうか」
「それは困難です。外の世界の女性のみならず、男性の力を借りる事もやむなしと考えます。そのためにも、我々は堂々と振る舞わねばなりません」
正々堂々ではない、堂々—————。
その言葉にどれほどの差異があるのか、ここにいる存在の中で理解しているか否かは半々だった。
「創始者たちは本当に素晴らしかった。自分たちの夢のために、その命を注ぎこんで戦い、勝利した。ですがそれはあくまでも、天才たちの行いです。天才が育てた果実を、我々は再生産する事しかできていません」
「新たに植え替えるのですか」
「いや、その果実は、あまりにも魅力的すぎるのです。古今東西、その魅力的すぎる果実によって運命を狂わせた話など枚挙にいとまがありません。
その果実に飛びついてしまったのがJF党であり、正道党です」
二十年足らずで、二度も起きた騒乱。いや、争乱。それらは共に、この町の成功を踏まえながらもさらにさらにと求めた人間たちによる欲望の塊。
「残念ながら、この町がある限り同じような事は起きます。そしてその犠牲になるのはいつも無関係な住民です」
「まさか……!」
「そうです。そういう事です」
この町と同じような存在が、もう一つあれば。
そこに集う存在がどういう存在か、世界は見極められるはず。
「もし、こちらが三度同じ事となり、そして最悪の結果になれば」
「それならばそれまでです」
甘美な果実に寄りかかる存在は、決していなくならない。
あまりにも多くの虫がその果実に縋りついた時、人は果実ではなく虫を見る。
で、その虫がモンシロチョウかキイロショウジョウバエかで答えは全く違う。いくら生物の多様性とか謳った所でモンシロチョウとキイロショウジョウバエが混在しているありふれた自然環境を認められる人間はめったにいない。だからこそ農家はモンシロチョウを許しても、キイロショウジョウバエを近づけたりしない。
それもまた、当然の事だった。
人間は生き抜くために、同じ事を延々とやって来たのだから。
ただ、それだけの事として——————————。
どうもありがとうございました。
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