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数日後、二人は「出産」を行うべく「産婦人科」へと赴いた。
言うまでもなく医師もかなりの高給取りだが、産婦人科医はその中でもかなりの高給取りだった。ゴミ回収業の年収を三ヶ月で稼ぐとも言われ、そのくせ労働が軽いため勝ち組中の勝ち組職と言われていた。
職業の格としては管制塔勤務や議員たちには劣るが、それでも産婦人科医を目指す子どもや目指させる親は後を絶たない。産婦人科病院の職員になるだけでもそれなりの生活が保障されるのだから、求人倍率は二ケタを決して割らない。
「ようこそお越しくださいました」
「ありがとうございます」
二人が仲良く手をつなぎながら自動ドアをくぐると、45度どころか90度ぐらいまで頭を下げる受付に対し薫も同じように頭を下げる。「よっ」「ちーっす」「おはよー」ぐらいしか挨拶しないようないつもの薫は、そこにはいない。服の方も静香が仕立てたスーツとまでは行かないにせよよそ行きの服を着て、歩幅もきっちり合わせている。
職業に貴賎なし、なぜかそんな文字がでかでかと踊るロビーに入り、前時代的な待ち合わせ番号が記された紙を手に取る。観葉植物が並び、清掃員たちが既にきれいなはずの床をさらにきれいにしている。
「そう言えば名前考えて来たのかよ」
「名前はもうあるけどね、私の頭の中には」
その中で薫と静香、二人の婦婦はそんな段階まで話が進んでいた。特段早すぎると言う事もなくむしろ遅いぐらいだったが、それでも遅すぎる訳でもない。
ロビー内でなんとなく二つに分かれたグループの内、薫と静香がいた側は幸福と覚悟、そしてためらいが混じった空気が覆い、もう一方は幸福と覚悟に何も混じっていない空気が漂っていた。
「ほらほら由美、ママよー」
自分の事をママと呼ばせるように迫った小柄な方の女性に抱かれる、身長55センチ体重4キロの命。もう一人の女性もまた嬉しそうな顔をしながら、由美と言う名の小さな命に寄りそう。
そのこの世で一番幸せかもしれない存在を囲む職員たちは、非常に礼儀正しく真面目だった。いわゆる営業スマイルと言うべき笑顔はあったがそれ以上のサービスをする気もなく、じっと職務に集中していた。服装は静香が仕事で着ていたようなパンツスーツでもなければ、病院らしいナース服でもない。手足の露出が極端に少なく、まるでわざと個性を消しているかのように画一的で無機質な服装をしていた。
画一的で無機質と言えば薫の仕事着である作業服だってそうだった。だがモスグリーンの機能性重視と言うか一点張りのそれまでだが、それでも着ている人間なりに個性的な着こなしを行っていた。ちなみに薫は冬でも裾をむき出しにする着こなしを好んでいたためか裾の外側が汚れがちだった。
だがここにいる職員たちは明らかに体より大きな服を身にまとい、中身を想像させないようにしている。仮にそのままぴったりだとすれば、静香の倍はありそうなほどの服の上に静香と同じ大きさの顔が乗っかっている事になるほどにいびつだった。もちろんそれを取り立てて騒ぐような人間はいない。薫も脳の中ではやたらいかめしいとは思っているが、それ以上に命を扱う職業ゆえ仕方がないと考えていた。
そして仕方がないと言うか当然だが、赤ん坊を抱えて出て来るのは二人組の婦婦たちだった。まれに一人で出て来る女もいたが、携帯電話でパートナーらしき存在と連絡を取っている。その気になれば独り身でも子供は持てるが、その場合は言うまでもなく親族関係の強固な後押しが必要となる。
「とりあえず収入は正直に申請したよな」
「大丈夫、過少申告はオーケーだから」
一人でやって来た女性を見て、薫はそんな心配をしてしまう。子育てに金がかかるのはどうにも変わりようがないが、それでも一人で赤ん坊を抱えて行く女性を見ると不安になる。一方で静香は整然としたもので、親になる覚悟を既に決めている顔をしていた。
静香はこの「出産」を機に、仕事を辞めるのだろう。そうなれば今より金が入る事はなくなり、生活は苦しくなる。それでも十分だと割り切れる程度には、静香は強かった。もちろん、自分は我慢する。薫と子供には目一杯尽くす。それが自分の運命だから、と。
そして薫と静香、二人の婦婦の名前が呼ばれた。やたら長い、そして4回も曲がった廊下の先の部屋に通された二人の顔は、実に緊張に満ちていた。
「えーと……結論から申し上げますと」
産婦人科医もまた口を真一文字に結び、裁判官のように「被告人」たちを見下ろしている。さらに言えば、産婦人科医の「白衣」は白衣ではなく黒衣だった。他の科の医者が白衣なのに対し、黒衣である。
「あなた方二人にはその資格があります」
そしてその顔にふさわしい平板さのまま、合格と言うか無罪判定を下す。二人が力が抜けたようなため息を出すと、産婦人科医も後に続く。
「親になると言うのは大変な事です。その覚悟があなたにありますか」
「あります!」
「なれば良いのです、では次の部屋へ……」
その産婦人科医が有罪判決を出したのが十回に一回である事など二人は知らないまま、寛容で親切な産婦人科医の案内で婦婦は二階へと向かう。
「あなたのお子様に、幸多からん事を……」
そんな呪文を耳に放り込まれた二人が入った部屋には、やけに赤々とした機械が鎮座していた。赤は血の色、赤子の色と書かれたその機械には、十六個のモニターが接続されていた。
「全ては、運命です」
産婦人科医に導かれるままに二人は座り、彼女の手により開けられたやはり真っ赤な箱の中身を確認する。
中身は、クイズ番組で使われるようなボタン。
挙式を行わない婦婦にとっては、最初の共同作業とも言われるその行い。
薫と静香も一緒に手をかけ、同時に押し込んだ。
それと共にモニターが動き数字、いや0~9の算用数字だけでなくA~Fのアルファベットも回り出す。実際には回ると言っても一周に百分の一秒もかからない超高速であり、人間の目で追うことは不可能だった。
そして、そんな人智の果てでありながら人間の手に負えない代物によりはじき出された16文字の序列がはじき出された。
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「これが、あなたたちの子どもです」
そう16ケタの記号を見せられた薫と静香は深くうなずき、さらに「その日」についての交渉を進めるべく部屋を出た。
どうしても過去作と似ちゃうと言うかほぼそのままなんだよな、こういうとこって……。