ポイントオブノーリターン
「達川美津子さんが離党!?」
世間が二日連続の事件でそれなりに騒いでいた頃、黄川田達子は別の意味で目を白黒させていた。
「貴党の理念及び投手の思想信条に共感を覚えたゆえに入党を決意しましたが、選挙期間中よりその思想信条と自分の思想信条にずれを感じ、段々と違和感が高まってまいりました。そして町議会での朱原議員の弁舌を見聞きしたことにより完全なる乖離を確信し、こうして離党の旨決断させていただく事となりました。あまりにも唐突な—————」
達子もそこから先はもう読んでいない。当然だが離党を拒む権利など誰もない。制止する権利はあってもそれが精一杯で、それでどうにかなる訳でもない。
「受理するのですか」
「しない訳には行かないでしょう」
達子のため息が党本部と言う名の達子の私邸に充満し、拓海も呼応するようにため息をかぶせる。
「どうしてなんでしょう、どうしてわからないんでしょう」
これが達子のここ最近の口癖になっていた。自信満々だったはずの選挙で得たのはわずか二議席、いやこれで一議席。それで一体何ができると言うのか。
「私が今こうしている間にも、世界中で多くの女性たちが苦しんでいます」
「演説に出ますか」
「やめておきましょう」
その手の活動ならば選挙が終わってからすぐ幾度もやって来た。もちろん大声で選挙カーに乗ってばらまく事はできないが、無料の勉強会やセミナー、さらには映画と称して作った映像作品などをやはり無料公開するなど精力的に活動して来た。
だがそれらのイベントは有権者の自由意志を動かし切れず、来る人間はほとんどいなかった。それこそ身内だけで回しているような状態が続き、当然ながら大赤字である。ただでさえテレビ番組などのメディアコンテンツがさほど広くないから町議会の中継や議事録なども放映されたり新聞雑誌に載ったりするが、それらも成果を上げているとは言えない。
「私は外の世界から来て七年間、正義と平和と女性のために動いて来ました。初めにマンションの住人達、次にその周辺の住民たち、そして何よりも大事な食料品を作る農家の皆様。その度に、私は手ごたえを感じて来たのです」
「仕事先では違ったのですか?」
「一応、ある程度仲良くなった存在にはその旨伝えました。ですが揃いも揃って不調で、右から左に受け流すだけの人間が大半でした。私がいかに危機を伝えてもああはいがせいぜいで思想に共感してくれたのは千人に三人でした」
「三人……」
「だからこそ、藤森さんや朱原議員さんたちが参加してくれた時は本当に嬉しかったのです。だと言うのになぜまた達川美津子って人は、それで最近の朱原議員に対しても…………」
そして、その党の完全な代表となった朱原議員に対する扱いもかなり悪い。
「民権党も女性党も、我が党との政策が合わないだけです。それなのに!」
「本当にそうですね!」
幾度かの審議を経ての来年度予算成立の際に、自分たちの意見がちっとも通らなかった事を不服とした朱原議員は投票を棄権した。それ自身は他にも三名いたように別に珍しくはなかったが、その珍しくない行為を機に朱原への批判が急に高まった。
「是々非々と言う物があります。是と思えばいくらでも賛成します」
そう朱原が言った際には一部から嘲笑とでも言うべき声が起こり、また別の一部の女性は驚きを顔に張り付けていた。
「では朱原議員はこれまで是と思える案がなかったと」
「ありませんでした」
「女性党からは安全の向上とその事を世界中に伝播すると言う点で共通項があったはずですが」
「ですが小中学生教育の点で大幅な差異があり到底首を縦に振れませんでした」
そう素直に答えただけなのに、それきりマスコミは寄って来なくなった。
「賛同すべきそれがあれば賛同していますよね、それを何ですか、何でも反対党って!そんな心ないにもほどのある言葉のせいで!」
拓海はテーブルを叩きながらわめく。
何でも反対党。わずか数日でそのあだ名は一挙に広まった。
その結果正道党と朱原の議員としての認知度は高まったが、同時に悪い意味での知名度も上がった。そのせいで達川美津子が離党してしまったと言い出す拓海を、達子は注意しようともしない。
口と手から雑音を吐き出す存在があると言うのに、真顔のまま外ばかり見る。
「絶望の30日……いや、7日です」
そしてその顔のまま、日付をつぶやく。
「7日……」
「そうです、明日の議会にて誠心治安管理社への要求が出されるはずです。もしその時、この町の議会が動かないのであれば、どうしてもあのような汚らわしい存在を取り込むのをやめないのであれば…………」
「そうですね。残り6日間で……」
まったくの真顔の二人。
「全てはそう、男たちのせいです、何があっても女の搾取をやめない。ここは人類の最先端であり、ノアの箱舟です」
「世界を救う全ての存在がここにあるのですね」
「ええ、そういう事です」
この町に生まれなかった二人は、町を変えるのはよそ者若者馬鹿者と言う言葉を頭から信じていた。
そしてその信念に従い、勝手に最後通牒を世間に突き付けた。
誰も知らない、自分たちの中だけで。