吐き気を催す邪悪
「新たなる町長は、正道党の黄川田達子に!黄川田達子をよろしくお願いいたします!」
黄川田達子は今日も手を振る。
今日はどちらかと言うと下町の方であり、かなり離れて候補者である女性の選挙カーも走っていた。下町と言っても、それほどまでに山の手との差はない。両者の中間ぐらいと言うのが妥当であり、文字通りの中間層だ。
「(この辺りは民権党の地盤ですからね、投票締め切り間際にもう一度寄らないと……)」
達子にとってこの周辺は、かなりの難関だった。現行の選挙になってから女性党が勝利した事が一度もなく、民権党の候補が常に圧勝して来た。そこを崩すことは民権党政権にとって重要であり、そのために候補を選んだ。
「候補の彼女はどうですか」
「しっかりこっちの政策をアピールしています」
選挙カーの中では候補者の演説内容が字面として流れ、チェックしている拓海を安心させる。元々は管制塔職員志望だが叶わず書店員となっていた彼女は達子の呼びかけに応じ正道党議員として立候補、五大政策を唱えている。
「六十歳以上の女性こそ悪意ある者の目には金銀財宝の山であり、彼女たちから強奪・搾取を図る勢力は未だに絶えません。この世界一安全な町の存在を知らしめ、また広げる事こそ我々の役目です。そして何よりいかがわしき書物です、その穢れた存在に限りある資源を浪費する愚かしさを知らしめねばなりません!」
彼女もまた、しっかりと自分の口で意志を示している。
「この町は、世界で一番!平和で!安全な場所!そうである事をもっと世界に示さねばなりません!外の世界ではこの町の十倍、いや百倍の事件が起き、罪なき女性たちが犠牲になっています!」
その上では黄川田達子自ら、安全をアピールしている。
数多の女性が理想郷を求め、この町にやって来た。男にも、女にも傷つけられた。
「世界を守るために何が必要か!それは、この町を広げ、安全性を世界に示す事!その先には、戦いも罪も忘れた人間たちの真の楽園ができるのです!」
難関を突破するべく、声を振るう。自分がどのような場所にいるか分かった上で、言葉を振るう。
「今も数多の女性が虐げられている。それは何も、生身のそれだけではありません。生身のそれに手を出せないくせに欲望に満ちた男たちは醜悪な欲望を体現すべく、本来より高尚な使い道をされるべき道具を使い女を作ったのです。決して命令に逆らわないお手製のお人形に、好き勝手な事をやらせては笑う。そのような行為が、世界中で横行しているのです。しかもそれを行っているのは別に女に飢えているような男だけでなく、本来ならば女性をたぶらかすには十分な力を持った存在でさえもです。
それらの人間たちにより作り出された忌み子たち。確かに彼女らに罪はないかもしれませんが、放置するわけにも参りません。我々は、徹底的に排除し、彼女たちの権利を守らねばなりません!」
腹の底からの声が、鳴り響く。その罪なき女たちを殴らせることによって飯を食っているような店のすぐそばで。
「こちら、民権党、民権党でございます。この町を支える民権党でございます。どうか水谷と私に清き一票を!」
その後ろからやって来た、ごく平凡な演説。民権党の候補は三度目の選挙戦であり、かなり手慣れた様子であった。
「正道党は五大政策を武器に、この町をより素晴らしき存在にいたします!高齢者を守り、管制塔と町を拡張し安全を示し、そして、害悪をこの町から排除します!どうか、正道党、正道党に力を!」
その相手の声を聞きながら、黄川田達子も声を張り上げる。
選挙「戦」に勝つため、ここで引いてなどいられない。
達子の声が民権党に負けじと鳴り響く。音量の大きさならば圧勝であり、それだけで達子は達成感を得ていた。
「でもそう言えば水谷って」
「町長選の相手でしょ、それに負けじとうちの党首も戦っているのよ」
「そうですね、黄川田さんならば勝てますよね」
選挙カーの下でも相手に不足なしとばかりに充実した顔を浮かべ、勝利を確信していた。
だがこの時、黄川田達子及び海藤拓海たちは三つの過ちを犯していた。
第一に、この地域にて民権党が強いのは前町長及び現町長候補の出身地だからである。町長候補となった水谷はいわゆる鞍替え出馬であり、当然ながら地盤はかなり強固だった。確かにそんな場所に攻撃を仕掛けて落とせば効果は高いが、成功率としてはたかが知れているし費用対効果からすると問題があった。そして拓海たちはその事を知らなかったし、達子もわざと無視していた。
第二の過ちとして、この時達子は五大政策五大政策と言っていたが、その実情は六大政策であった。五大政策の他にもう一つ、管制塔本部職員の給料の大幅増額と言うのが混ざっていた。その六本目の政策のために大幅な増税も内心では考えており、それは言うまでもなく管制塔職員の特権階級化を促進するそれだし、何より高所得者と権力者の分離を図っていた創始者たちの思いを踏みにじる物であった。
かつて豊臣秀吉は文官の石田三成と武官の福島正則にほぼ同じ石高を与えたが、後者が前者に対し不満を抱き政権は秀吉の死から二年で実質瓦解した。一方で徳川家康は文官の本多正信に武官の本多忠勝の四分の一程度の石高しかやらない代わりに、自由に口を出させたその結果、二百五十年政権は持続した。
その歴史を知っていた創始者たちは管制塔の職員や誠心治安管理社の上層部、さらに町長及び町会議員と言った権力の集まりやすい場所の給料を下げるようにしていた。
確かにそういう意味では新たな時代の始まりとも言えなくはないが、それでもいささかばかり不誠実だった。
そして第三の過ちは、これらの政策が管制塔職員に支持されていない事である。