望み
六百年前、当時は魔女と呼ばれていた花の子の力を利用して、魔に侵された場所に足を踏み入れた。目的は魔に侵された地の調査。茨塊によれば、今と同じく、双結が地上を割ったことで手の届かない場所に行ってしまった国宝を手に入れるためだけれど。
(あれ?もう一つ、茨塊の言葉で引っかかるところがあったような……)
「きっかけは花の子を見つけたことだ」
(ああ、ちょうどそこだ)
『今から六百年前、地上が二つに分かれて初めて、人間がこちらに足を踏み入れた。目的は一つ。お前たちと同じ、失った神器を手に入れるためだ。何百年も出来なかったことだが、花の子の存在を知り、こちらの調査ができるのではと思った、というのが表向きの理由だ。』
茨塊はそう言った。だが、私が炎陽に聞いたのは、
『魔獣を飼っていた女がいたのだ。魔女、と呼ばれたその女は当時の留を足した六家に王宮へと呼び出された』
もちろん魔女と呼ばれていた存在は花の子なのだから、茨塊の言うことと炎陽の言うことは矛盾していない。それでも、茨塊の皮肉な性格を考えれば、当時のこちら側の呼び方に合わせそうなものだ。
六百年前の事件について、元留家や銀家が協力して真相を調査し、その調査の中で花の子の存在に辿り着いたという前提が私にあるからかもしれないが。
「あの、その当時は魔女と認識されていたのですよね?」
おそるおそる聞くと、双結は驚いた様子もなく首を横に振った。
「そう呼ばれていたが、花の子の存在を誰も知らなかったわけではない」
隣に座っていた慶透が静かに息をつめた。
「俺が地を分けた時、人間はその事実を後世に伝えようとはしなかった。調査の結果、花の子に辿り着いたが、花の子の存在を明かせば、地が別れた理由を告げれば、恐怖の中で生き残った民が混乱に陥ると考えたからだ。そこで忘れられていた花の子に関する資料が六家から掘り起こされ、王家に集められた」
「王家ですか?」
慶透が口を挟んだ。双結は彼の方を見て頷く。
「ああ。泉族は民と近い場所にいる。魔の浄化は地の浄化。その地で暮らす者とは距離が近くなる。
だが王家はその泉族からも切り離されている。ものを隠すにはうってつけだ」
「では、そうやって再び葬られた花の子の存在について、六百年前に知っていたのは王家ですね?」
「そうだ」
慶透の問いに双結はまた頷いた。
よくよく考えれば、留家の人間である茨塊にとっては王家が敵だ。彼の言うこちら側の者はつまりは王家のことだったのだろう。
「王家は花の子について知っていた。
当時、これは定期的にあることだが、魔が増加し、泉族の力が強まっていた。五家と同じ立場に身を置く王は、浄化の役目を持たない。王は焦っていた」
後は茨塊の話通りなのだろう。
『――もちろん、そうでも良かったが、その決定を後押しした王の中には考えがあった。魔の蔓延する地に足を踏み入れた当時の導師に適当な理由をつけて反逆者とし、留家を滅ぼしたかったんだ』
「当時の王は留家が消えれば玉を独占し、泉族の上に立てると考えた。丁度、当時の留家が導師だったというのもあるだろう。結果、あちらで争いが起き、留家は滅んだ。
念のために伝えておくが、その争いが起きたのは全くの偶然だ。端花が死んだたのは、元々、彼女と共に過ごすことが多かった麗家の男を恨んでいた者が、その負の感情を魔に増幅させられ、麗家の男を殺そうとしたからだ」
双結の言葉には力がなかった。彼にしてみれば、また花の子が死んでしまったのである。
「俺は信仰する人間から離れ、恐れの対象にもなっていたため、当時はもう殆ど神としての力を失っていた。あの子の死を阻止することも、その後の魔の暴走を止めることもできなかった」
「双結様」
「そう悲しそうな顔をするな。人間には理解できぬかも知れぬが、その端花も、今の公清も、俺にとっては同じ人間だ。幾度お前の悲惨な最期を見ようとも、今こうしてお前と出会えているのだから、俺は嬉しい」
双結は私と花の子、端花という言葉を固定せずに使っていたが、どうやら彼にとっては全て同じらしい。
「さて、では繋双の話に入ろう」
双結は姿勢を整えた。
茨塊。初めから嫌な感じがして、中々酷い目にも遭わされたけど、怖いと感じることは多々あったけれど、不思議と嫌悪はしなかった。彼が時々見せる優しさの欠片に戸惑ったのかもしれない。
私は泉師学校に来る前の茨塊を知らない。彼はいったいどういう人間で、何のために今回の大きな騒動を起こしたのだろうか。
「繋双は留家の末裔だ。六百年前の導師は身を尽くしてこちら側に置いていかれた者の世話をした。だから俺の力を貸してやったのだ。俺の力を借り、魔を制して人間を守るのがあの一族の、繋双の役目だった。
ちょうど俺が繋双に力を授けるその日、今の導師がこちら側を訪れた。こちら側の調査と言っていたが、それは建前でこの精霊剣を狙っていたのだ」
「精霊剣?」
「私達が神器と呼ぶ剣だ」
慶透が補足してくれる。
「導師は王になりたかったのですか?」
「いや、そうではない。だがその考えは合っている。精霊剣を求める者は、神の後押しを受けて王になりたい者だ。剣を求めていたのは王で、それを代わりに行ったのが導師だ」
では剣を求めない導師はどうして危険を冒してまでこちら側に踏み込んだのだろうか。
「泉族での地位を求めたからだ」
私を見て、慶透が言う。
真っすぐ澄んだ瞳の奥に、冷ややかな怒りが読み取れた。
「導師は泉族の中で一番偉いんしょう?」
「そうだ。だが、その立場を得ても変わらない事実がある。どの家の者が導師になろうと、泉族を指揮する家は決まっている」
銀家だ。
『銀家は特別だ。どの家が導師になろうとも、泉族を指揮する立場にあるのは銀家だからな』
炎陽もそう言っていた。
「王に神器を渡すことで権力を確実なものにさせ、その王に、銀家の特別扱いを取り消させることで、自身が一番上に立とうと思ったのだ」
双結の声は静かだった。そのことに関して何も感情は抱いていないようだ。
「それがこちら側で生きていた者がいた、それも俺の加護を受けている者が。だから一度は精霊剣を諦め、交流を持とうと持ち掛けた」
「交流を?けれど、そんなもの、聞いたことない」
「もちろん嘘だからだ。その話が本当なら、穣家が他の家に対して反逆の意志があるなどと報告しない」
『視察にいった穣家も、今のところこちらに向かってくることはないようだったからすぐに攻め入る必要はないだろう、ということだった。ただし、反逆の意志はある、という見立てだった。魔獣が襲い掛かってきたという』
炎陽が話してくれたことも、今考えるとおかしい。
私達がこちら側に忍び込んでも、(私が魔獣を抑えていたとはいえ)姿を見せた泉族に対してこちら側の人びとは何もしなかった。
(ああ、だから茨塊は嘘つき野郎、と言ったんだ)
「俺の力も弱かった当時、こちらの民たちも藁にも縋る思いだったのだろう。俺が力を失くしていたのは人間の認識も大きいが、端花に出会えていなかったからでもある。地を分け、力が弱まり、俺は端花を認識できなくなっていた。もしあちら側に花の子が生まれれば、その者を俺に引き合わせることで、俺を回復させられると考えていたのだ。どう考えても、あちら側に花の子が生まれる確率が高い。人の数が違うのだからな」
花の子。双結が特別に思う人間。私は私であるという意識しかないけれど、彼に会って、名前を呼んで、確かに心が揺さぶれられた。ずっと花の子を想い続ける双結にとっては、その存在の有無が、自身の存在に大きく関わってくるのだろう。
「そこで繋双の弟と母を差し出した。双方の中心を担うだろう子どもたちを共に育て、絆を結ばせることであちらとこちらを繋ぐという建前だったな。流石に信用しきれなかったのだろう、繋双は儀式で不在だったこともあり、存在を隠して向こうに渡った。
当然、それは嘘なのだから、穣家は刺客を雇って繋双の母を殺させた。その段階で茨塊は共に隠れていた者たちによって逃がされ、その者たちも殺された。繋双は正体を隠したまま生き延びることができたが、それでも目撃者を消すという目的で、死にかけるまで痛めつけられた」
淡々と、双結は語る。彼の語りに感情はないが、それが却って目の前にある事実を告げているように感じられ、そこにあるはずの茨塊の感情を想像させる。
「繋双はこちら側に戻り、こちら側との交流を持ちたいという話は嘘なのだと民に告げるため、泉師学校への入学を試みた。こちら側に近い魔の山に入る機会があるのは、一番近くて泉師学校の二年次の科目だからな。
だが泉器がなければ厳しい距離でもある。繋双は留家を支持していた者達に接触した。その中で、人の思いに触れ、考えを変えたのだ。ただ戻るだけではなく、今後の被害をなくすため、胸の内にある激しい憎悪を解放するため、王家を滅ぼさなければならないと」
双結はその後も言葉を続けようとしたが、何を思ったのか口を閉じた。きっと、私が知るべきことではないのだろう。
「繋双が反乱を起こした理由はこれで理解できたか」
「はい。とても信じられないような話も多かったのですが、自分の中では納得がいきました」
穣家の導師と王が手を組んでいたのは予想だにしなかったことだが、聞いてしまえば朗妃の忠告の意味が解る。
『穣家の者には気をつけて』
朗妃は知っていたのだ。きっと彼の師匠のことで、何かを掴んだ。だからそれ以降、穣家の跡継ぎから外れる意志を示したのだ。
朗妃の師匠は謀反の疑いで王家に連行され、封じの玉をつけられ、その後亡くなっている。自分の親が師匠を死に追いやった相手と手を組んでいると知り、朗妃は何を思っただろう。胸の奥が痛くなった。
「お前が納得したならばいい。
それで、公清はどうしたい?」
「え?」
「力を取り戻した今、俺は人間に今後について指示する必要がある。お前が望むのなら、何もしないということもできるが」
当然のように告げる双結に驚いて慶透を見れば、彼もまた当然のような顔をして話を聞いていた。
「何をそんなに戸惑う?剣を手に入れた者が権力を得るのだろう?
そんなものがなくとも、俺にとってお前は特別なのだから、好きに願えばいい」
「そ、そんなわけには……」
「そうか。では、お前を酷い目に遭わせた奴らを皆殺しにするとしよう」
「ええ?!」
急に物騒なことを言いだす双結に、大きな声が出てしまった。慶透、静かに頷くのはやめて。
「そんなこと、私は望みません!」
身を乗り出して告げると、双結は柔らかく微笑んだ。
「そうか。
では、お前はいったい何を望む?」
私の望み。
六百年前に起きたこと、茨塊の身に起きたことを知って、私が思うこと。
「私は、今生きている人が大事だと思います。
因果を辿ればきりがなくて、それは簡単に切り捨てることではないけど、考えていくべきことで、消してしまってはだめな記憶だと思うけれど、大切なのは、今だと思う」
過去の出来事が積み上がって今の私達がある。それは事実だ。けれど、そこに振り回されてしまってはならない。事実は変わらないけど、その時生きていた人達と今を生きている私達は違う。過去を恨んだって、もうそれを引き起こした人は生きていない。過去の人たちの感情を、自分のものとすることも間違いではないと思うが、それをぶつけるのは今の人間じゃない。
茨塊と王家は今の当事者だけど、私にはどちらが悪いと判断をくだせない。家族を奪われた茨塊と、約束だと騙されたこちら側の者にとって王家は悪で、茨塊の反乱によって傷ついた人にとっては茨塊が悪だ。
誰が悪くて、誰が良かったのか。それを考えることは今後の糧になるだろうが、今を作る材料にはなり得ない。泉族側が勝てば王家の罪はなかったことになり、茨塊たちが勝てば彼らの攻撃は意味のあるものとなる。これはそういう争いだった。
『この戦いで勝っても負けても、この話はどうでもよくなるからだ』
そう言って茨塊は六百年前の話をしてくれた。
神器を手に入れた方が正義。過去の出来事も今の善悪も関係ない。
ならば私が望むのはただ一つだ。
「今を生きる人が、幸せである世界。嫌なことや辛いこと、悲しいことがあったとしても、何か一つ楽しいことを、嬉しいことを見つけられる世界を望みます」
私は、ずっと兄の代わりとして生きてきた。兄の代わりとして男であることを求められ、女であることが嫌だった。母にも、父親だと思っていた人にも忌み嫌われ、実の父親は私の誕生に関わることで死んだ。師匠の大事な弟だった。
考えるまでもなく、いい人生とは言えない。それでも私が生きてこられたのは、私を必要としてくれる人が、私を私として認め、そのままを受け入れてくれる人がいたからだ。
「きっと王も、茨塊も、誰かにとっては大切な人で、欠かせない人で、失ってしまえば悲しいと思う。それは他の人も同じだと思う。罪に対しての罰がないのはきっとだめなのだろうと思います。それでも、私は、もう誰かが誰かを失ったり、大事な人と離れたりすることを避けたいのです」
言っていることがめちゃくちゃなのはわかっている。それでも望んでいいのなら、私の我儘を神様が通してくれると言うのなら――。
「お前は、今も昔も変わらないな」
「え?」
「いや、もっと自分のことだけを考えてもいいだろうと思っただけだ」
双結の目が大きく揺れたように見えた。
「気にするな。俺が望みを聞いたのだ。罪に対しての罰を与えるのは俺が請け負おう」
「双結様」
双結は任せろ、と私を安心させるように遠慮がちに頭を撫でてくれた。
妖が魔の力を解放し、双結を顕現させなければ双結が完全に力を取り戻すことはないので、望みを尋ねられるのは妖だけです。
もし王側か茨塊のどちらかに剣が渡っていれば、それは人の理の範疇で処理されます。剣がある方に神が味方している、ということができるのみです(それでも人にとっては大きなことですが)。
補足でした。
続きます。




