戦闘開始
ついに、あちら側に行く日になった。
魔の山の前には、これから魔の山の討伐に当たる者とあちら側に攻め入る者が集まっていた。あちら側に攻め入るのは泉師以上の者がほとんどで、あちら側に対する本気度がうかがえる。
銀家は杏叡がこちら側に残り、師匠と数十人の泉師、それから私が向かう。他も似たようなもので、当主はこちらに残り、泉師数十人と本家筋に近い者が統率者として向かうことになっている。
「公清、久し振りだね」
朗妃もあちら側に行く者のようだった。銀家の隣が穣家だったので、こっそり紛れてここまで来たのだろう。
「朗妃、いつも薬をありがとうございます」
「いいよ、そんなの。それより、弟が迷惑をかけたみたいで、ごめんね」
「迷惑?」
同じ組なので一応指導する立場になってはいるが、迷惑をかけられた覚えはない。
「頑ななところのある子だからさ。慶透もあの子には中々指導したがらないだろうし」
「確かに初めはそうでしたが、最後の方は剣の相手もしてくれましたよ?」
「へえ、成長したんだね」
「どうしてですか?」
「んー、あんまり気にしないで!
それより、一つ、公清に言っておきたいことがあって」
いつも朗らかな朗妃の顔に影が差す。柔らかな笑みは消え、大きな目が真剣にこちらを捉える。
「穣家の者には気をつけて」
「え?」
「僕は何もできないけれど、君を危険な目に遭わせるのだけは許せない」
「朗妃?」
「ごめんね、出発前に。ただ、なるべく銀家の人や慶透と一緒にいてほしいんだ」
詳しく話す気はないのだろうが、いつものように軽い口調ではない。それほど朗妃にとって大切なことなら、私もそれを受け取る必要がある。
「わかった。注意するよ」
「うん、ありがとう。じゃ、僕は戻るね」
ぱっと笑顔を浮かべた朗妃は、人の波を掻き分けて穣家の方に戻って行った。
「では、これより導師からお言葉を頂く」
前の方で誰かが声を張り上げた。
いつもは導師が何か演説することなどないが、今回は国の危機ということで、特別らしい。今の導師は穣家の元当主。つまり朗妃の父だ。弟が中継ぎの当主としてこちら側に残り、導師が皆を率いるという。
導師は朗妃を連想できない厳格そうな人だった。目は怖いくらいに鋭く、思わずぞくりとする。
内容はよく覚えていないが、決起の言葉を述べ、場が盛り上がった。彼が退場する寸前、ちらりとこちらを見た気がしたが、冷たい目に思わず目をそらしてしまった。
*
あちら側には泉器で向かう。くつや外套の泉器を身につける者も多かったが、中には乗り物のようなものを持っている者もいた。私は今回おそらく家宝級の泉器をいくつも持たされ、泉器のくつもそれほど泉力を消費しないものだった。
あちら側が近づくにつれ、肌を刺すような寒さが襲う。十分に防寒してきたが、気温以上にものものしい雰囲気が体温を下げていた。
「公清様、大丈夫ですか?」
銀家の門衛の泉師が心配そうに訊ねてきた。
「大丈夫です」
「そうですか……。向こうに着けば、慶透様とも合流できますからね」
移動はそれぞれの派閥で行うので、ここに慶透はいない。別にそのことを不安に思っていたわけじゃないけど、いた方が安心できるのは確かなので、私は恥ずかしさに顔を赤くするしかなかった。
ついた先は森の中だった。どうやらこちら側の魔の山から半分に割れたらしく、向こう側もこちら側も移動した先は山の中になるらしい。
「公清、異変はないか?」
全ての人が渡り切ったところで慶透がやって来た。
「大丈夫。慶透はこっちに来てていいの?」
「魔獣避けの結界は張ってきた。私はまだ泉師の立場ではないから、分家の者が麗家を指揮している」
魔の山の片割れであるこの山にも魔獣はいるし、この時期だから凶暴化もしている。長く留まるつもりはないが、移動の疲れを取るために休息も必要だ。各家が師匠お手製の札を発動させていた。
「これからは君と共に動く」
周りの銀家は慶透の登場に驚いてすらいなかったので、あらかじめ決められていることだったのだろう。私としても慶透がいてくれた方が心強い。師匠以外に深いかかわりのある銀家の人間はここにはいない。
「ありがとう、慶透がいてくれると安心する」
「私は君と常に共にある」
「朋泉だからね」
私は慶透の手を握った。慶透は目を細めて握り返してくれる。
みんなが一度落ち着いたら、結界を解除して森の中を進む。一度視察に来たことのある導師が人のいるところまで案内してくれるが、魔獣との戦闘で騒ぎになってはまずい。結界が解除された後、魔獣を大人しくさせるのが私の役目だ。
(さすがに、怖い。本当にできるのかもわからないし、魔の力を操る感覚なんかないし)
それで心を乱しては本末転倒だが、慶透が側にいれば私は落ち着いていられる。
「君ならできる」
「うん」
慶透がそう言うなら、そうなのだろうと思える。
結果として、上手くいった。
結界を解除する前に、私が結界外に出て(慶透も一緒だった)最初にあった魔獣を睨むと、その魔獣は大人しくどこかへ行ってしまった。魔に侵された場所だからか私の意志が通りやすい、といった感覚までは手に入れることができた。
「公清、」
「師匠、できました。結界を解いてください」
まず銀家が結界を解いたが、魔獣が襲い掛かってくることはなかった。まるでこちらが見えていないかのように、思い思いに動いている。魔獣同士で取っ組み合いを始めることはあったが、それほど気が昂っているにも関わらず、人に襲い掛かっては来なかった。
「公清、よくやりましたね」
師匠は頭を撫でてくれたが、心の底から喜んでいるわけではなさそうだった。
私の魔の力を良く思っていないとかじゃなく、その力をまるで泉族に検証させるかのように使わせたのが気にかかっているのだろう。師匠は優しい人だ。
全ての結界が解けても問題ないということで、導師を先頭に森を進む。
私達の目的はある剣を手に入れることだという。茨塊たちの反逆を止めるには、それが手っ取り早いらしい。神の宿る神器で、それがあるから、茨塊は花の子でなくとも魔を扱えるのだろうということだった。
殺し合いをしても意味はない。反逆者の存在を消してまで王家の秘密を隠したかったのだという噂が流れてしまうという。だから脅威となる魔の力の根源を抑え、かつ神器を手に入れることによって神を王家の見方とする。そうすれば民の不安もなくなるだろうということだ。
「そんなにうまく行くかな」
「なぜ神器の存在をそれほど詳しく穣家が知っているのかは気になるが、概ね予定通りになるだろう。
人数としては此方の方が圧倒的に多いというし、魔の力さえ封じてしまえば泉力を持たぬ者など相手にもならない。以前魔の山からこちらに渡った者の数も知れている。
神器も手に入れ、人を殺さず裁くことで罪を清算するのであれば、王家の評判もよくなるだろう。ひいてはそれにあたった泉族も」
「そうだね」
人が死なないのであればそれでいいとも思う。けれど結局は解決されないことばかりだ。六百年前何があったのかはわからないし、もし留家に反逆の意志がなかったのだとしても、今回の騒動でその真相の意味はなくなってしまう。
「まずは、民の不安を取り除く。それだけに集中すればいい」
慶透は私の胸中を読み当ててそう言った。
海を隔てた私達の国の人びとは不安でいっぱいだろう。魔の力を操る者が攻め入ってくるかもしれない、それを守ってくれる泉族や王家が神に逆らっているのかもしれない、と。
反乱の意思のあるこちら側の人びとの動きを抑え、魔を封じるために剣を見つける。それは簡単ではないにしろ、滞りなく進められるはずだった。しかし、いきなり私達は足を止めることになってしまったのである。
「え?泉族?」
「待て、約束はどうなった?」
「どうして襲ってくるの?!」
森を抜けた先にいたのは、反乱に目を血走らせた者たちではなかった。
普通に暮らしている、ただの人しかいなかったのだ。
「なんだ、これは」
思わず固まってしまう一同だったが、一人だけ動きを止めない者がいた。
「ぼうっとするな!いつ襲い掛かってくるかもわからない!ひとまず動きを封じろ!」
導師だった。
その言葉に穣家の者も動き出したが、他の家の派閥はためらいを捨てることができなかった。その虚をついて、私達の前、民の向こう側から攻撃が飛んできた。
「うわぁ!」
「護符を使え!」
慌てて迎撃態勢に入るが、それでも最初の一歩が出遅れたのは大きかった。何人かは飛んできた矢や術に倒れている。
「よお!嘘つき野郎!!」
場が騒然とする中、朗々とした声が響いた。
この声には聞き覚えがある。
「みんな、聞け!向こう側の奴らは約束を守る気なんてなかったのさ!母上も弟も殺された!」
声を張っているのは茨塊。黄色を基本とした衣に赤の帯を纏っていて、一瞬誰だかわからなかったが確かに茨塊だ。
「繋双様!」
「あちらにいたのでは?!」
民たちの中から困惑した声が上がる。茨塊はそちらの方を向いて、優しい笑みを浮かべた。
「詳しい事情は後だ。お前たちは奥に避難しろ」
民たちは疑うことなく茨塊の言葉に頷き、大人が子どもを抱きかかえて茨塊たちの後ろの方に走っていった。逆にこちら側に向かってきたのは、先ほど攻撃を行った泉族の者だ。衣は全て茨塊の纏っている色に揃えられている。
「さあ、これで迷いはなくなっただろう?存分に戦おうぜ!」
「貴様、卑怯だぞ!民を盾に攻撃するなど!」
「卑怯?知らねえなあ!何にも知らずにクズに従う犬どもめ!無知は罪だぜ?俺が罰を与えてやるよ!!」
地面がぐらり、と揺れ、私達の足元から黒い棘が現れた。
「うわあ!なんだこれは!」
「触れるな!魔に侵されるぞ!」
「あいつが操ってるんだ!」
慌て惑う私達の様子に、茨塊は嬉しそうに笑う。
こうして、私達の勢力にとっては混乱の中、戦いの幕が上がってしまったのである。
続きます。




