翠朗と朗妃
慶透との手合わせは楽しかった。剣を交わすのは初めてだったが、慶透が次にどういう動きをするのか、私がどう動けば応えてくれるのか、そういったものがはっきりとわかるのだ。まるで同じ景色が見えているかのようで、その中でも変化を加えるのが楽しかった。
(って、そうじゃない!)
楽しんでいる場合ではない。別に賢叡先生の刺すような視線にはっとさせられたわけではないが、慶透と手合わせしているだけでは一年生は育たない。耀沢なら同じ門派の私や攻撃の力が大きい慶透が参考になるかもしれないが、翠朗はどちらも向かない。というより、もとが朗妃の剣なので、そこを変える必要がある。見て学ぶのは彼自身に自分の型が見つかってからだ。
翠朗に話しかけようとしたところで、授業の時間が終わる。
(もうそんなに経ってたのか。さっきの先生の視線はそろそろ終われという意味だったんだろう)
「翠朗、この後時間ある?」
じっとこちらを見ていた翠朗に声をかけると、彼は一度考えてから、
「何故ですか?」
と問うた。
「もし時間があるなら、残って剣の修業だけしようかと」
翠朗はぽかん、とした顔をした。
「私も、よろしいでしょうか?!」
代わりに耀沢が食いついたが、その身体を引く者があった。
「沢、こっちだ」
「兄上!」
耀慶だ。私の視線に気づいて弟の頭を下げさせ、自分も礼をする。
「慶透様、公清様、弟がお世話になっております。何にでも首を突っ込みたがるもので、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
言葉は堅苦しいが、その声に厳しさはない。元気な弟がはしゃいでいるのが恥ずかしい、といったところだろうか。
「何も迷惑ではないよ。同じ組なのだから」
「そうなのですが、どうも両家にお世話になっている身としては、気にかかるといいますか……」
珍しく、二人は兄弟でありながら、というか同じ家なのに違う家に入門している。耀慶は麗家、耀沢は麗家だ。聞いた話によると、耀沢には札の才能があり、銀家から入門しないかという誘いがあったらしい。他の家だとそうもいかないが、銀家と麗家はもともと交流のある家らしく、とくに問題はなかったそうだ。逆に炎陽の啓家と堅玄の壁家はあまり仲がよろしくないらしい。
「そもそも、五家の方々に気安く申し出をするんじゃない」
「すみません、兄上」
私からすれば、耀慶も慶透に気安い方だと思うが(食堂で席に招いたりとか)、弟の前で言うべきではないだろう。
兄が弟を指導してるのだろうが、二人の間には柔らかい空気が流れている。兄弟とは、本来このような存在なのかもしれない。二人のやり取りは少し羨ましかった。
「では、失礼いたします」
耀慶と耀沢が去ると、私と慶透、翠朗だけが演習場に残された。私も慶透も兄とは色々あったのだが、翠朗はどうなのだろうか、と気になった。二人を見る彼の目はどこか懐かしそうだった。
「慶透もここに残るの?」
慶透に訊くとすぐに頷いた。
「残る。君はどうする」
「ありがたいお誘いなのでぜひ……別に、慶透が残るからとかじゃなくて……」
翠朗は途中で言い足したが、それはどちらでも構わない。
「よし、じゃあやろうか」
動きを評価すれば並だが、翠朗は怠けていたわけじゃないのだろう。まずは朗妃を模していたことで得られなかった基礎の動きを固めることにした。先生の中には穣家の門派の人もいるので、空いている時間に教えてもらったのだ。慶透もその場にいたが、彼は口を挟むことはなかった。
「私は、穣家の動きで、いいのでしょうか?」
途中で息の上がった翠朗が私を見た。長い間やっても上手くいかないと感じているのだろう。
「朗妃も穣家の動きを入れてはいるだろうから、一番やりやすいはずだよ。それに穣家は常に同じ力で攻防するから、特別な技は要らない。力を一定に保つこと、これだけを意識して。それが難しくはあるけど、できればそこから速さや力の大きさを調整することも可能だ。朗妃までとはいかないだろうけど」
「そうで、しょうか?私には、剣の才がないの、では?」
「長年染みついた感覚を変えるのは難しい。まだ始めたばかりだよ。
剣の才がなければ他で補えればいいけど、泉師学校では成績がつく。才能があろうとなかろうと、やるしかないでしょう?」
「はい……」
翠朗は剣を握りしめた。
一週目の試験には間に合わなかったけれど、そこで二年生や同期の学生の実力を見て、翠朗も修行に対する熱量が増えた。徐々に基礎が固まってきたのか、たまにはっとした表情をする。感覚が身につけば、剣はずっと扱いやすくなっているはずだ。
「公清、今日も頼んでいい?」
徐々に遠慮がなくなったのか、私にも砕けた口調で話してくれるようになった。
「慶透」
「構わない」
今日は慶透が用事があると言っていたのだが、大丈夫だそうだ。
「これを」
差し出されたのは護符で、見たこともないほど複雑なつくりになっている。
(絶対に師匠と作ったやつだ)
相性のいい要素を基本にするのは師匠の癖でもある。
「翠朗、帰りは部屋まで送るように」
「わかった」
翠朗は素直に慶透の言葉に返事をした。
慶透が行ってしまうと、翠朗と二人きりになる。最近では残って修行する者も増えたので正確には違うのだが、終わる頃にはみんないなくなっているので最終的な結果は変わらない。
日が半分ほど沈んだところでやめると、やはり周りには誰もいなかった。
「翠朗、大丈夫?」
「うん、平気だ」
「疲れが溜まっているなら泉にでも――」
「いい。行くとしても、自分で行く」
あまりにもすぐに断られて悲しいが、慶透にも真っ直ぐ部屋に戻れと言われるだろうと思い、気を持ち直した。
「炎陽に殺される……」
なぜ慶透ではなく炎陽なのか、と思ったが翠朗のそれは独り言だったらしい。言葉は続けず、剣をしまい、土ぼこりを払って帰り支度を始めた。
「ねえ、翠朗はどうして朗妃にこだわるの?」
それは単なる興味だった。たいして意味はない。
翠朗は朗妃の剣の型を学び続けてきたわけだが、どうにも朗妃に関する発言は少ない。むしろ慶透を慕っている。それがおかしいのかと言われれば特にそうでもない。だから、ほんの興味本位だったのだ。
だが、斜め前で歩いていた翠朗は足を止め、私を振り返った。唇は硬く結ばれ、手にも力が入っている。緊張は一瞬で、翠朗はまた歩き出した。足取りは先程よりもゆっくりとしたものになる。
「公清は、兄の髪について知ってる?」
「朗妃の髪?」
前を行く翠朗とは違い、癖のある髪の毛をしている。翠朗が言いたいのはそちらではなく、五家の子息にもかかわらず首の後ろで結ばれていることだろう。
「最初は驚いたけど、あまり気にしてなかったかも」
「まあ、優兄上はあんな調子だからな。
あれは、穣家の跡継ぎ候補から外れる意志だ」
優というのは朗妃の幼名だろうか。
「穣家は銀家と同じで最も才のあるものが跡を継ぐ。今の候補の中で最も有力なのは優兄上だ。もともと剣の才に恵まれていたけど、泉力も多く、頭が良くて呑み込みが早い。兄上は元からあんな感じだったけど、跡継ぎを目指して修行していた。あの事件が起きるまでは」
「あの事件?」
「兄上の師匠については知ってる?泉術ではなく、薬学の」
「知ってる」
前に朗妃が話してくれたことだ。女性で、謀反の疑いで王宮に連行され、封じの玉をつけられた。その後戻ってきたもののそのまま亡くなった。
「そこまで話してるのか。なら、私の口からは言わない。
それで、その後兄上は酷く落ち込んで、その師匠の家に籠っていた。一月後、家に戻ってきた時には今のように髪を結ぶ位置を変えていた」
師匠の死が、朗妃にとってそれほど大きなものだったのだろう。私だって、師匠が死んでしまったらどうなるかわからない。
「父上と何か話して、その師匠の家に移り住んで今に至っている。兄上にとってそれほど大事な人だったというのはわかるけど、それ以降兄上は薬の勉強に夢中になってしまった」
「お父上は何もおっしゃらないの?」
「おそらく、二人の間でそう決まったんだと思う。父上はいずれ必ず戻ってくる、とおっしゃっていたから、その内家に戻すつもりではあるんだろうけど。
私は、兄上がわからないんだ。あれほどの実力があるのに、どうして家を捨てたのか」
その言葉には翠朗の朗妃に対する非難が込められていた。
「私は、ずっと兄上を尊敬していた。次の当主は優兄上だと信じて疑わなかった。
兄上にこだわっているつもりはなかった。ただ、私にとってのかつての憧れは兄上だったから。今ではよくわからないけれど」
きっと、翠朗は今でも朗妃の才を評価している。それでも、どうして跡継ぎから降りたのか、形式的にはそうなっていなくとも、自らその選択をしたことについて不満と疑問がある。彼が朗妃の型を習得できなかったのは、兄に対して不信感があったからという理由もあるだろう。
「話してくれてありがとう」
「別に、大した話じゃない。私も、話して少し気が楽になった」
翠朗は胸元に手を当てた。
自分も跡継ぎの候補である以上、近しい人には漏らせなかったのかもしれない。彼は朗妃が次期当主に相応しいと思っているが、朗妃にその意思はない。
「公清、中に入って」
気づけばもう寮まで戻って来ていた。見慣れた部屋に慶透がいないのは何だか変な感じがする。
「翠朗、送ってくれてありがとう」
「それが約束だ。私に付き合ってくれたのだから、当然のことだ」
翠朗は慶透から預かっていた護符を戸口に貼ってから帰って行った。
弟二人がいなくなって長くなり、杏叡が色々考えてた時期に耀沢は銀家に入門しました。希杏に何かあれば跡継ぎとすることも考えて。
続きます。




