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札の授業

 一日の休みを挟んでまた修行が始まる。


「うげえ、札かぁ……。俺、札苦手なんだよなぁ」


 隣に座っている楽平らくへいが情けなく呟いた。

 札は全ての基本であり、術のためにも必要な技術だ。札が綺麗に書けたら、術を発動する際に必要な泉力が減らせるし、何より泉力が枯渇した時に代わりに使用できるものもある。

 私も得意な分野ではあるが気持ちは楽平と同じだった。


「午前に講義を受けて、午後も札だと、眠くなるよね」

「そうだそうだ。だからって山も勘弁だけどな……」

「楽平、ちゃんと座って」


 机にぐったりと突っ伏した楽平を、彼の朋泉であるせい賢奨けんしょうが注意する。五家の中の銀家に入門しているらしく銀色の帯を身につけている。最初は遠慮していたはずの楽平だが、最近では朋泉の前でも愚痴をこぼすようになったらしい。


微光びこうも、そんな退屈そうにしないで。最初は座ってるけど、できたら実際に外で使ってみるし……」


 賢奨はそこで言葉を切った。楽平も急に跳ね起きて礼儀正しく座り直した。


「微光、退屈なのか?」


(ああ、慶透けいとうか)


 我が朋泉はどうやら七日八日では慣れない人が多いのか、その場にいるだけで妙な緊張が走る。

 基本的に札の才に優れているのは銀家の者なのだが、慶透は麗家の子息ということを差し置いても札を綺麗に書く。既に先生ともある程度は知り合いなのだろう、準備を頼まれていたのだ。


「いや――」

「そうか、せつ微光は札の授業など不要だと」


 否定する前に先生が講堂に入ってきた。

 午前の講義を担当するのもこの人で、厳しいことで有名な人だ。何故かと問わずとも五家の子息の足を引っ張る私が嫌いで、何度か朋泉を変えるように言われたこともある。それを何度か断る内にもっと嫌いになったらしい。


(けど、私が朋泉をやめると言ったら、今度は慶透に詰め寄られるんだよ……)


「違います。授業が始まるまでの時間が退屈だっただけです」

「そうか、では微光には特別に札を追加しよう」


 教室のそこらからくすくすという忍び笑いが聞こえる。単純に面白くて笑っている者もいれば、私が課題を追加されてざまあみろと言わんばかりににやける者もいる。

 まったく、酷い話だ。


「微光、札のことなら私に聞くといい」

「ありがとう、慶透」


 別に札を書くのが問題じゃない。量の話だ。当然慶透は手伝いはしないのだろうけど。


 初めは見本に従ってひたすら書く。泉族せんぞくの家系ではない者からすれば、とても親切に段階を踏んだものだが、たいていは泉族の家系であり、入学前に何度も書かされた札を量産するだけの作業だ。

 しかも手本の札は基礎の中でも符号が難しい。五種類の基本要素を組み合わせるだけでも面倒なのに、滅多に使わない「留」の要素を使っている。ちらりと横の楽平を見ると、何度も留の要素を失敗して、労力の割に完成した札が少ない。

 視線を感じて反対側、慶透を見ると、彼は私の手元をじっと見つめ、ちょっと驚いた顔をしてから唇を引き結んだ。何か言いたいことでもあるのだろうか。私語厳禁だから訊けないけど。

 課題数(に加えて私は十枚)を終わらせると、後は暇な時間である。周りを見ても銀の帯を中心に終わっている生徒がいて、それぞれ札の見直しをしたり退屈そうに宙を眺めていたりした。


「そこまで」


 終了の合図がかかるころには半分以上が終了していた。


「できなかったものは後で残るように」


 不満の声を漏らせないので、表情だけ不満気な者が多い。楽平も終わらなかったのか、恨めしそうな目で先生を睨んでいた。


「次は護符だ。それぞれで知恵を出し合って己に合う護符を作りなさい」


 それだけ言うと先生は講堂を出て行く。恐らく終わるころに戻ってくるのだろう。


(自分の存在の怖さを認識してるとは、意外だなぁ)


「微光、君は札が得意なのか?」


 ようやく口を開いた慶透は何故か残念そうだった。札に関しては成績もつかないし、これだけ良くても全く慶透にうまみはないけど、ちょっとがっかりした。


「得意というより、練習しただけだよ」

「私も練習した」

「慶透の札は美しいもんね」

「そうではない」


 微妙に会話がかみ合わない。


「君は黒い帯をつけているから、帯の色も持てぬ指導者のもとで学んだか、修行をせずに泉力のみで受かったのだと思っていた」


 言われてみればそうだ。

 私の泉力が足切りぎりぎりで、術もからっきしだと知っている炎陽がおかしいのだ。

 近所の人なら雪家の噂を聞いてある程度の予想はできるが、慶透は全く人の話を聞かない。それは噂話も同じである。


「私は師がいるよ。ただ、帯の色を持っていないことは確かだけど」

「ふん、単にこいつが量をこなしただけだろう。何でも雪家の微光とやらは全く外に顔を出さなかったようだからな」


 現れたのはけい炎陽えんようだった。後ろには彼の朋泉である大柄な丈拳じょうけんが控えている。


「引きこもっていれば札を書く時間も多かろう」


 炎陽は当然のように私と慶透の前に座った。丈拳もおずおずとその隣に腰を下ろす。慶透は眉を顰めたが何も言わなかった。


「病弱だと聞いていたが、山を登れるほどには成長したんだな」


 じろりと睨まれるのはなぜだろうか。

 炎陽は私の入学時の状態も知っていた。それは単に朋泉を決めるために成績を参照していたのだろうけど、まさか雪家周辺を探るほど調べものが好きだとは思わなかった。当然私が兄ではないとばれぬよう、対策は行われているけど、探るような目で見られるとどうにも居心地が悪くなる。


「炎陽、邪魔をしに来たのなら去れ」

「はっ、嫌だね。邪魔しに来たわけじゃない。教えを乞いにきたんだ」

「それなら銀家の門下生を当たれ」


 ほとんどの生徒が銀家の門下生の周りに集まっている。慶透の言い分は正しいが、


「銀家よりも札の扱いが上手いだろ?慶透」


 それもまた事実である。


「慶透、一緒にやろうよ。こういうのは人数が多い方がいいって言うし」


 銀家の一部や黒帯の生徒が縋るような目でこちらを見て来たので仕方なく間に入る。

 慶透はもちろんのこと、炎陽だって銀家の上層部には劣るとしても札を書くのが上手い。何たって五家の子息なのだ。そんな人達が自分たちの元にやってきたらと思うと恐怖でしかないのだろう。いいよ、私が受け皿になるよ。


「微光、」

「はは、微光は話が分かる奴だな」

「うわっ」


 先程までの意味深な視線は何だったのか。炎陽は上機嫌になって私の頭をわしゃわしゃと撫でた。丈拳が一際大きいだけで、炎陽もそれなりに大きい部類だ。がっしりとした大きな手に頭がぐわんと揺れた。


「しかし、なぜ髪を伸ばさない?泉族なら髪は大事だぞ」


 ぼさぼさになった私の髪を見て、不思議そうに炎陽が訊ねる。


「なるべく体に養分が行くようにしてたんだ。これからは伸ばすよ」

「病弱だったのは本当なんだな」


 当然だ。その辺は抜かりなく一問一答が用意されている。


「微光、今は授業中だ」


 慶透が私の髪を手櫛で整えながら注意した。炎陽は存在を無視されてむっとしたが、これが慶透である。


「ごめん、護符の作成だっけ」


 慶透はよろしいとでも言うように頷いた。


「慶透は麗家だから麗、あとは札が得意だから銀の要素も入るかな」

「おい、護符ならへきを入れるのが先だろ」

「そうだけど、個人に合うように作るなら先に親和性のある要素を入れた方がいいかなって」

「どこ情報だ?」


 基本としては炎陽が正しい。きっと書物にもそう書いてあるだろう。


「師匠」

「ふうん?まあいい、やるだけやってみるか」


 案外炎陽が乗り気で、彼と私を中心に話が進んでいった。慶透はじっと見守ることが多く、それがちょっと不思議だった。


 しばらくすると先生が戻ってきて、護符の発表をするようにと言った。全員が外の庭に出て、仲の良い者と固まって立った。

 最初は黒帯の生徒から始まる。彼らは今日初めて札を書いたので、教科書通りの一番簡単なものができていればよしとされる。

 最初にしんが出てきたが、彼は先生が投げた石を防ぐことはできなかった。


「基礎ができていないのに応用しようとするな」


 どうやら周りの話を聞きつつ自分なりに改良しようとしたらしい。深は「はい」と神妙に返事していたが、私と目が合って恥ずかしそうにちょっと笑った。

 それ以降は黒帯の子はみな基本の護符で合格し、深の朋泉である茨塊しかいの番が回ってきた。


「平民がどこまでできるかな」

「ただの体力馬鹿だろ。札は流石に無理さ」


 離れた位置にいた生徒たちがこっそり笑って言った。

 茨塊は少女に見えなくもないほど美しい顔をしているが、それだけでなく体つきもほっそりとしていて、何故体力馬鹿と言われるのか分からない。


「前の試験、一着はあいつだぞ」


 炎陽が呆れたように言った。私はほとんど中盤辺りにいて前方の事情なんて知らなかったんだから、そんな馬鹿を見る目で見るのはやめてほしい。


「では、行う」


 先生が合図をしていくつかの石を投げる。茨塊は準備していた護符を取り出して、泉力を込めた。すると護符が彼の指先を離れ、弾けて透明な盾ができる。阻まれた石は地面に飛び散ることなく、粉々になった。


「なっ、基本形じゃないのか」

「啓の要素を入れたのか?」


 先程茨塊を侮っていた生徒たちは驚いた顔をしていた。


「見事だ。一通り教科書を読んだのか」

「はい。時間がありましたので」


 茨塊が微笑むと、何人かがその微笑みに見惚れる。そしてまた何人かは恨めしそうに歯ぎしりしながら彼を睨みつけていた。恐らく、彼にしてやられた者達だろう。


「見事だ。次、雪微光」


 残る黒帯はあと一人だったので、特に緊張することなく前に出る。


「では、行う」


 今までと同じ流れで、私も護符に泉力を込めた。

 先生の投げた石は私の護符によって阻まれ、今度は速度を増して先生に飛んで行った。


「くっ!」


 流石は先生、咄嗟に泉力で防いだが、その顔には焦りといら立ちが見て取れ、私は体中の血がさぁっと引いていくのを感じた。


「雪!微光!」

「す、すみません!」


 普段が厳かなだけに、声を張り上げて怒鳴られると縮み上がってしまう。かっと見開かれた目が怖い。蛇に睨まれた蛙の気持ちなんてわかりたくもなかった。


「初めて使ったもので……」

「言い訳をするな!予想のつかぬ組み合わせをするなら、先に試しておけ!実践で周囲を巻き込むつもりか?!」

「申し訳ございません!」


 おっしゃる通りだ。周囲の呆れた視線と嘲笑に更に肩を落として小さくなる。


「次からは気をつけなさい。護符としては最良のものだろう」


 護符自体は認めてくれるらしい。頑張ってよかった。


「そりゃ炎陽様と慶透様が一緒だったら、なぁ?」

「足は引っ張るくせに、ちゃっかりしてやがるぜ」


(ああ、そう映るのか)


 持ち上がった気持ちが落ちていく。と言っても元に戻るだけだ。頑張っても何もならないのはいつものこと。切り替えて先生に礼をしてから元の場所に戻った。


「微光、よくやったな」

「ありがとう慶透」


 その後は先生が門派に関係なく生徒を指名していき、最終的に慶透が石をまったく同じ威力で跳ね返して先生の手に戻すという訳の分からない護符を披露して授業は終了した。もちろん楽平は居残りで札の写しを続けた。

 五日みっちり札を書かされたおかげで、黒帯の者もたいていが基本的な札を書けるようになり、六日目の試験では問題もなく全員の札が作動した。ちなみに私が出る時は先生が警戒するだけでなく、一歩後ろに下がる者もいた。


 札の修業が終われば、今度はまた違う山を登らされる日が六日続き、一日休みを経て今度は術の修業へと移行する。そこで私は正しく術を扱えないどころか、変な風に泉力が暴走して試験場を二度変えさせるという嬉しくない伝説を作ってしまった。

 入学後一月を経て、私の評判は「五家の子息の足を引っ張り、そのおこぼれに与って札は扱えるが、術がからっきしな上に危険な人物」で落ち着いたようだった。

 いや、全然落ち着いてない!

続きます。

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