元雪家長男の思い
慶透にとって朋泉が長い眠りについたのは二度目のことだった。両方とも、慶透の目の前で意識を失っているが、今回は話が別だ。前回は朋泉の身体にもう限界が来ていてたまたまその場に居合わせただけだ。慶透があの場で何をしても、それほど結果は変わらなかっただろう。けれども今回は避けられた事態だった。慶透が理雪をかわすのが少しでも早ければ、術を飛ばすのが早ければ、朋泉は今もまだ隣にいた。
「朗妃、どうだ?」
「まだわからないよ!慶透、ちょっと黙ってて」
慶透が朋泉のもとに辿り着いた時には茨塊は逃げていた。それを追うよりも朋泉の身を案じた慶透はすぐに彼女を抱き上げた。茨塊が朋泉を連れ去ってすぐ信号を打ったが、それに対する反応はなかった。他でも何か異常事態が起きているのであれば、その場に留まり状況を報告しても対処は難しいだろうと判断し、慶透は朗妃のもとを訪ねた。
夏期は泉族も忙しくはない。朗妃はすぐに迎え入れてくれたが、妖を寝かせる場所を準備する間もなく容態を訊かれ、朗妃は慶透を見ることもなくそう言った。
部屋を整え、慶透が布団の上に妖を寝かせてすぐ、朗妃は顔を青くした。
「これは、僕たちにはどうにもできないよ」
「なに?」
「密度の濃い魔が、公清の中に溜まっている」
そんなことは慶透にもわかっている。その対処法を聞きにきたのだ。
「魔であれば浄化できるだろう?」
「できる。けれどこれは難しい。普通ならば魔が体内に入っても、外側から働きかけることもできる。だけど、今はできない。公清は魔を操れる。泉力の泉器と同じように、魔を扱う器官があって、体内の魔はそこに染みついている。公清の身体のうち側との結びつきが強すぎる」
「つまり、外側からの働きかけは効かないということか」
「ほぼ意味はないだろうね」
「では、中からなら?」
朗妃は首を振った。
「もちろん源泉を飲ませたり、泉力を中に入れれば魔は浄化されるだろう。それでもその源泉も泉力も、公清の身体に収まる分だけしか摂取できない」
「時間がかかるということか」
「それも年単位ね。わかってるでしょ、慶透。普通の人間なら死んでてもおかしくないくらいの魔が、公清の中に留められている。公清が死んでいないのは、魔に耐性があるから。それでも今まで意識もしてこなかったんだ、自分でどうにもできないよ」
「だから公清は気を失ったのか」
「そう。対応しきれてなくて、ね。今も少しずつは魔に慣れてきているけど、自力で回復するのでも三月はかかる」
三月。あまりにも長い時間だ。それでも慶透が何かするよりも早い。大事な人の助けになれない悔しさが、慶透の胸に溢れた。
*
その日の夜には妖は銀家に戻った。慶透が手紙を送ったのだ。迎えに来た杏澪に言われ、慶透は共に銀家に向かった。
「わざわざすまないね、慶透」
銀家の会議の場に、慶透は参加した。問われることはわかっている。
「いえ。招いてくださり、ありがとうございます」
「朗妃から話は聞いた。あの子は少なくとも三月は眠ったままだろうと」
「はい」
「けど君は他に方法を知っているね?」
銀家当主(代理)杏叡は淡々と言葉を紡いだ。そこには詰るような色も縋るような焦りも感じられない。
「はい。先ほど杏澪様にもお伝えしましたが、麗家と交流のあった神の性質を宿す者を探して、その血を彼女に与えるのです」
「うん、ありがとう。澪からも話は聞いている。君の口から聞きたかっただけなんだ」
杏叡は一度弟を見てからまた慶透を見た。
「では、その性質を持つ者はどうやって探す?」
「麗家と血筋の近い者を探します」
「どれくらいかかるだろう?」
慶透は言葉に詰まった。一刻も早く朋泉を助けたいが、その人物を探すのは容易ではない。他の神々の性質に比べれば、わかりやすい特徴はあるものの、それを明らかにするのは泉族にとって致命的だ。隠されているだろうし、そもそもそのものが泉族であるとも限らない。
本当は慶透もわかっている。何が最短か。そもそも、このことはある特定の人物について調べる内にわかったことなのだから。
「兄上」
「澪」
慶透の代わりに口を開いた杏澪を宥めるように、杏叡は彼の名を呼んだ。
「それから、慶透も。理解しているでしょう?そのような人物を今から探すのは無謀だけれど、既にその性質を持つ人を知っているのだから、その者に頼めばよいのだと」
慶透は理解した。杏叡は全て知っている。彼がその情報に辿り着いた経緯も。視界の端に映る杏澪は大きな反応を見せないが、同じく驚いているのだろうと慶透は思った。慶透は杏澪以外にこの話をした覚えはないし、杏澪もわざわざ杏叡にそのことを伝えるはずはない。杏澪は必要ない情報だと判断しているからだ。
「入りなさい」
杏叡が慶透の奥、扉の方に声をかけると、そこから慶透の予想通りの人物が現れた。
慶透はその者と実際に会ったことはないが、顔を見ればわかる。わかってしまった。
「光、と申します」
家は潰れ、泉族ではなくなった彼に泉名は名乗れない。幼名ひとつを告げたのは、元雪家長男の雪微光、もとい雪光だった。妖の兄である。
「光、そちらへ」
杏叡は杏澪の向かいに座るように指示した。
「杏叡様、その者に頼んでも無駄です。私の朋泉を恨んでいるのです」
慶透は光が着席したのを見届けてから言った。
どうしてここにいるのか、は今関係ない。慶透にとって、雪家の者はみな敵だった。大事な朋泉に心を捧げられながら、ずっと虐げてきた家なのだ。その長男は筋違いにも朋泉に恨み言をぶつけたと杏澪から聞いていた。
「慶透、落ち着きなさい。その時は彼も事実を知らなかった。彼に与えられていた情報は歪められていたのだ」
それであっても慶透の気は静まらない。彼が妹に暴言を吐いたのもまた事実だ。
「今なら、協力するというのですか?」
「する。それは私が保証する」
慶透にとっては懐かしい声が聞こえた。
「兄上……」
入室してきたのは慶青だった。
「申し訳ございません、杏叡様。許しもなく」
「構わないよ。君は当事者ではないかもしれないが、関わってはいるからね」
慶透には信じられなかった。なぜ今兄が目の前にいるのか。光の横に腰を下ろすのか。
「慶透」
昔は何度もその声が自分の名を呼ぶのをきいた。
「私は、お前の先を歩いてやることはできなかったが、お前を追いかけることはできた」
つまりは、慶透の調べたことに関しては、慶青も知っているということだろう。同じ建物に住んでいるわけではないが、使うのは同じ書室だ。使われた書を辿れば、調べていたこともわからなくはない。
「乱入ついでに説明いたします。慶透が麗家に戻ることなく銀家に向かうということで、朗妃から詳しい話を聞きました。私はこの光が神の性質を受け継いでいるのを知っていました。だから、この場に連れて来たのです」
「随分早いのではないか?」
問うたのは、賢叡だった。彼は授業を無理やりまとめた後、本家の方に戻ってきていた。
「元より、光とは話をしていたのです。公清に話を聞いてから、私は彼を訪ねましたが、その時にはもう、正しく事態を理解していました」
慶透は初耳だった。兄が朋泉と言葉を交わしていたとは知らなかった。機会はいくらでもあったから不思議ではないが。
「それもそうだが、その者は屋敷から出てはならないのではなかったか?」
賢叡の言葉は鋭く、光は下を向いた。そこで慶透は、光の顔が青いのに気づいた。雪家は色白だが、今の彼は度を越している。
「それは雪蘭と暮らすための条件でもあります。元凶は彼女。ただし、雪家は親族もおらず、光を引き取るところがなかった。だから母親の元に残る以外なかった。そのために母とおなじように屋敷から出るな、と言われていたのです」
「つまり、今は――」
賢叡が言いかけたところで、嗚咽が部屋に響く。ずっと我慢していたが、光は耐え切れなくなったのだ。
「そうです。もう彼女はこの世にいません」
慶青は、妖を助けるために光の血が必要だと判断し、光のもとを訪ねた。話を聞いていた蘭は、自分がいなくなれば、光は外に出られるだろう、とすぐに命を絶つ判断をした。もとより永くない命だ、と。
「この場で彼女の話をするのはよくないでしょう。銀家は彼女に対して思うところがあるはずです。けれどそれが今の状況です」
蘭が死んだことで、光は自由の身となり、屋敷を出ることができた。
「なるほど。つまり公清を助ける手はずは整ったわけだ」
銀家の者がなんとも言えない顔をする中、賢叡だけは話を進めた。
「はい。光もそのつもりです」
「それは君の判断を信じよう。だが、その後はどうする?その者は帰る場所がないのだろう?」
蘭が死ねば、光は一人だ。未成年の身では何かと困ることも多いが、引き取り先はない。
「私が、この者を支えます」
「なぜだ?」
「それが、公清の望みでもあるからです」
「公清の?」
「あの子は、兄と話してみたい、と。関係を諦めるのは悲しいことだと言っていました」
慶透と慶青の目が合って、慶青が顔を逸らした。
「私個人の感情も混じっていますが、光はそもそも何の罪も犯していないのです。まだ十七の、子どもです」
「君の言うことも一理ある。未来のある若者が大人の都合で一生を棒に振るなどあってはならない」
杏叡はこの場を賢叡に預けたようで、叔父をじっと見つめ、言葉に耳を傾けていた。
「だが、なんの条件もなくその者を君に預ける訳にはいかぬ。雪家については位置的にも、起きた事態を見ても、銀家が管轄する立場だ。それをわかっていて、君はこの者を連れて来たのだろう」
「はい。許しを頂きたく」
「ふむ」
賢叡は一度考え込んで、慶透と杏澪を見てから、部屋の中を見渡した。
「公清に浄化の血が与えられることに、反対する者はいるか?」
誰も何も言わない。雪家を厭う慶透でさえ、朋泉が助かるのであれば誰が血を提供しようと関係はない。納得がいかない気持ちもあるが、それは自身の問題だ。慶透が彼を頼らなかったのは、まず断られると思っていたからである。あとは光が屋敷から出られないというのもある。妖が狙われている今、元雪家に意識のない彼女を連れていくわけにはいかない。どうにもならなければ、無理やりに血を奪うという方法も考えたが、雪家から啓家までは遠い。血の効果がどうなるかわからなかった。
「ではひとまず、この者の血を公清に与えることは決定としよう」
光が顔を上げた。その顔が少し明るくなったのを見て、慶透は嫌でも理解した。彼は本当にもう妖を恨んでなどいない。
「その後については、その者に選んでもらう」
賢叡の声に厳しさがこもる。
「一つ、成人し、働き口が見つかるまで銀家に留まる」
「賢叡様、それは!」
「そこまでする必要など」
賢叡は若者から上がった声を一睨みで抑えた。
「もちろん、泉族としての道はない。公清とも関わらない。そのために管理される部分もあるが、並大抵の暮らしは送れるだろう。
そしてもう一つ。慶青の申し出を受け、慶青に世話になる。そこに関して我々が口を出すことはない。公清との交流についてもな」
そこで賢叡は言葉を切ったが、今度は誰も何も言わなかった。
「ただし、一つ条件を飲んでもらう。
――公清に、母の死を伝えなさい」
賢叡の声は厳しくもあり、また、悲し気でもあった。
「いずれ知ることになるだろうが、公清にとってはいくら時を重ねたとて受け入れられることではないだろう。あの子の今までの人生において家が絶対だったが、特に、母親に対する思いが強い」
杏澪から雪家での話を聞いて、賢叡はそう判断した。本能的に血の繋がりを父に感じなかったのかはわからないが、家族に認めてもらいたい、という気持ちの前に、母親に見てもらいたい、愛してもらいたいという思いがあった。杏澪にする話も、母親についてのことが多かったという。
「魔の力が目覚め始めている今、閉じ込められていた魔が溢れる可能性は十分にある。あの子は強いが、精神的には脆い部分が目立つ。そうなった際に体質的に影響を打ち消す者がいるというのは心強い。それが一番大きな理由だが、その者にとって、その事実を告げることが罰ともなるだろう」
母親の行動が妖だけを助けるのではなく、光を解放するものであったということには当然気づいているだろう。
光は自分が妖にそのことを告げるところを想像して、顔を更に蒼くさせた。いったい、なんと説明すればいいのか。妖はどう思うのか。母が死んだという自分でも受け止めきれない事実を、口に出すことができるのだろうか。
「あまり時間はない。今、決めなさい」
光は突然の選択に固まったが、悩むような素振りは見せなかった。意志を伝える勇気を出すために両手を握ってから、賢叡を真っ直ぐに見つめる。
「慶青様に、お世話になりたいと思います。私は、妹と話をしたい。
我儘を言っているのはわかっています。私があの子を助けられるというだけでも、私にとってはありがたいことです。それでも、まだ私と話をしたいと言ってくれる妹に、応えたい。彼女を知り、私を知ってもらいたいのです」
光の言葉に何人かの銀家の者は納得したような表情を見せたが、杏澪だけは冷ややかな目で光を見ていた。
「私が、妹に酷いことを言ったのは事実です。もしあの子に拒まれたら、その後二度と関わらないと誓います」
杏澪はそれでも表情を緩めなかったが、光から視線を外した。
「それでよいか?杏叡」
「はい。私はどうしても私情が混ざってしまいますから、叔父上の判断に委ねます」
「わかった。では浄化の準備を始めなさい。こちらの条件を達成したかは、朋泉である慶透が見届けることとする」
「はい、承りました」
部屋の中が騒がしくなったところで、光は賢叡に礼をした。片膝を地面に着き、深く首を垂れる。
「礼はいらぬ」
銀叡は光に礼を解かせた。
「私は君のためではなく、公清のために最善を考えたまでだ。肉親を失った悲しみは肉親でしか癒えないこともあるだろう」
そう言い残し、自分も動き出した。
その姿を目で追っていた慶透は知っている。彼は朋泉が銀家の子どもであると知る前から、ずっと彼女を心配していた。杏肇の面影を見ていたのか、随分と不器用な形で表れていたが、朋泉を変えろ、と妖に言ったのはその心を心配してのことだった。
「しっかりと、役目を果たして参ります」
光の顔はまだ蒼く、慶透にはこの者が条件を達成できるとはとても思えなかった。
*
啓家の所有する川の近くに、小さな小屋がある。おそらく事実を知らされたのだろう、中で魔が膨れ上がって、やがて、落ち着いた。
混乱を鎮めるために魔獣の退治や浄化に奔走していた慶透は、昨日朋泉が目覚めたという報告を聞いて、ようやく今駆けつけることができた。彼女の兄に興味などなかったが、どうやら本当にやってのけたらしい。彼の存在で朋泉の心の寂しさが埋まる、というのが少し悔しかったが、それでも朋泉に安寧があるのならばそれでいい。
「あれ、慶透?」
小屋から出てきた朋泉は、慶透を見つけて目を丸くした。また泣いていたのだろう、目の周りが赤く、見ていて痛々しい。
「炎陽が言わなかったか?私が迎えに来る、と」
「ああ、言ってたね」
忘れられていたのは悲しかったが、そのことに安心したように笑みを浮かべる朋泉に、心が満たされていくのを感じる。
(私でも、君の心を癒せるのか)
「慶透、それは……」
目ざとく慶透の腕の中の着物を見つけ、妖は大きく目を見開いた。
「杏澪様に渡された。君の母の品だと聞いている」
『私は渡す者として相応しくないから』と杏澪は言った。いくら妖が母を愛していたとはいえ、杏澪にとって彼女の母は弟を死に追いやった人物であり、騙して弟子を王家に入れようとした悪女である。彼もまた複雑な感情を持て余しているようだった。
「うん。うん、そうだ」
母の衣を受け取って、またぽろぽろと涙を零す妖に、慶透は心がざわざわした。泣いている朋泉を見るのは嫌で、困る。
「妖、そんなに泣いては魔が出てくるのではないか?」
何と声をかけていいかわからず、魔の暴走を心配すると、妖は泣きながら笑う。
「あはは、今言うことなの?いや、まあ、そうだろうね。でも、慶透は違う」
「私が、違う?」
「おそらく意図的に茨塊が私の中の魔の力を目覚めさせようとした時があった。体も動かなくて抵抗できなかったのに、慶透の名前を聞いた瞬間に、動けるようになったんだ。
だから、慶透といたら、どんなに悲しいことで心が乱れても、私は落ち着きを取り戻せる」
美しい笑みに、慶透は心臓が止まりそうだった。全幅の信頼を寄せられているのがわかるその笑顔に、慶透は目の奥が熱くなった。
「妖、私はずっと君の傍にいると誓おう」
「慶透?」
「だから、君も私から離れないでくれ」
涙を止めるためではなく、朋泉が離れていかないように、慶透は腕の中に妖を閉じ込めた。彼女は拒むことなく、慶透の胸に頭を預ける。
「今更だ。常に共にあるのが、私達でしょう?」
「ああ」
「誠、これからもよろしくね」
慶透は「ああ」と返事をして、朋泉を囲う手に入れた力を強くした。
続きます。




