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欲しかったもの、返せないもの

 炎陽はちらり、と小屋を見た。


「どうしたの?」

「いや、お前は銀家のあたりの出だろう?雪家の辺りは冬の厳しい寒さの代わりに夏はそれほど暑くないと聞いた」

「そうかも知れない。けど、ここは涼しいから、大丈夫」

「そうか」


 炎陽は何事もなかったかのように元の姿勢に戻った。


「これは、慶透けいとうが持って来た情報だが、地上にはごく稀に神々の性質を身に宿す者が生まれるらしい」

「神々の性質?」

「そうだ。札の要素にはそれぞれの特徴があるだろう?壁なら守り、啓なら攻撃に強い、といった。あれはそもそも、その家と交流のあった神々の力の傾向らしい」

「そういった傾向を身に宿してる、ってこと?」

「そうだ」


 身に宿す、とはどういうことだろうか。そのままの能力ではないのだろう。壁の守りは結界が上手いという堅玄けんげんとは違い、身体そのものがかたいとか?


「あまり深く考えるな。お前に必要だったのは、浄化の血だ」

「浄化」

「魔を埋め込まれたんだから、そうなる」

「そうだね。けれど、そんな話聞いたこともないし、そう簡単に見つからないでしょう?」


 慶透の知識には驚くが、そういった話が広がっていないということは、それだけ珍しいか、人々の中で忘れ去られていったということだ。


「だが現にお前は目を覚ましている」

「そうだね」


 それが事実だ。しかしそれにしても早すぎる、いったいどうやって……。


「慶透は、もともと、泉力について調べていた。お前が泉名を与えられる前だ。その時に見つけたとも言っていた。

 いや、もったいぶるのもよくないな。古い書物に、泉力が()()使()()()()人が存在していたようだ。女性だが、世の理が変わる前の話だ。慶透はお前の兄の事情も知っていたから、それについて調べたらしい」


 つまりは前から慶透はその事実を知っていたのか。


「神々の性質、特に麗家と交流のあった神の性質を持った子どもは、泉力が使えない。体内で浄化が完結され、外に力を出せない。今では神の存在も遠くなり、完璧な性質ではなくなったが、それでも浄化の作用を身に宿していることには変わりないのではないか、と」

「待って、炎陽。それは、つまり――」


 慶透が調べた理由だ。私の兄は泉力を使えない。


(そんな、あり得ない。だって、兄上は私を恨んでいる。それとも慶透が無理やり?あり得そうで怖い)


「落ち着け、といっても無理な話だろうということは承知している」


 炎陽は立ち上がって私の足元に膝をついた。近い距離で合った炎陽の目の中には心配の色がある。それでも私を落ち着けようと、ゆっくりと頭を撫でてくれる。


「許可は得ている」


 炎陽はまた、小屋の方を見た。

 いるのだろう、そこに。私に浄化の血を与えた人物が。


「俺はしばらくこの場を離れる。迎えには慶透が来るはずだ」


(慶透が、来る)


 いつも静かなたたずまいの慶透を思い出して、少し心のざわつきが収まる。


「安心して、行ってこい」


 炎陽の顔はどこか悔しそうにも見えた。



*



 小屋に入ると、一人の少年がいた。木々が影を作るせいで、小屋の中も薄暗い。その中にぼんやりと浮かび上がった姿に驚く。以前雪家で見た時とは違い、憔悴しているように見えた。


「あの――」


 此方を向いて座っているので、入ってきた私には気づいているが、彼はじっと私を見たままだった。声をかけようと思って、なんと呼ぶべきか迷う。


(兄上――と呼んではいけないのだった)


よう


 ぽつり、と呼びかけにも満たない小さな声が耳に届く。


「座れ」


 近くには彼と向き合うように置かれた椅子がある。私はそこに腰かけた。ひんやりとした座面が妙に緊張を煽る。


「俺は、知らなかった」


 兄は真っすぐ前を向いて話す。その目は私を見ているようで、見ていない。


「お前の事情も、俺の事情も、家の事情も。

 父上に、言われた。俺の泉族としての力はお前が全部奪っていったのだと。家の外に出られないのはお前のせいだと。俺は身を隠さなくてはならないのに、お前は外で自由に過ごしているのだと、思っていた」


 私も兄の事情を知らなかった。どういう説明を受けて屋敷に籠っているのか、知らなかった。もしかしたら病弱なのではないかと思ったこともあった。


「だが、母上がおっしゃたんだ。悪いのは、お前ではない、と」


(母上……)


『妖――ごめんね』


 前に会った時は随分と疲れた様子だった。


「だから、力を貸してくださったのですか」

「いや」


 兄は力なく首を横に振った。


「そんな立派な者ではない」

「あ、兄上――」

「まだ、俺を兄と呼んでくれるか?妖」


 ようやくあった瞳に、酷く懐かしさを覚える。


(母上と、同じ目だ)


「兄上。私を助けてくださり、ありがとうございます」


 泣きそうになっても何とか言葉を紡ぎ、頭を下げると、躊躇いがちに手が触れた。ぎこちなく頭を撫でる手に、私はもう耐えきれなかった。ぽたり、と地面に涙が落ちる。

 兄は私の顔を上げさせ、優しく目元を拭ってくれた。


「お前に礼を言われるようなことはしていない。俺のせいで、お前はずっと、苦しんで来たのだろう?」


 母上は、全てを話したのだろうか。それが兄上にとって良かったのか、悪かったのか、わからない。ただ相当につらかったのだろうということだけはわかる。


「全部、俺のせいだ」

「兄上、」

「俺のせいで、雪家も、父上も、母上も――」

「兄上、そうご自分を責めないでください」


 兄のせいでもない。ではいったい誰のせいなのか?それを考えるのは嫌だった。きっと答えなんて出ない。


「お前を助けたんじゃないんだ」

「兄上」


 兄は泣いていた。綺麗な顔の中心に皺が寄る。抑えきれない嗚咽の中で、彼は言葉を紡いだ。


「俺は、結局、俺を助けた、だけだ。お前まで、失いたくなかった、から。

 俺には、もう、お前しか――」

「それは、どういう……母上は――」


 兄は両手で顔を覆って、首を横に振った。


(え?なに、どういうこと?母上は――?)


 嫌な予感がする。ぶわりと悪寒が身体を突き抜ける。


「俺の、せいだ。俺が、全部悪いんだ」

「兄上、教えてください!母上は、母上は今どこに?!」


 立ち上がって兄の両肩を掴んで揺らすと、兄ははっと顔を上げた。すぐに表情は歪むが、涙を拭い、私と向き合った。


「俺を解放するため、お前を守るために――




 ――――母上はお亡くなりになった」




 だめだ、と思った。

 何かの糸が切れて、中から何かが飛び出てくる。これは、前に茨塊に言葉で揺さぶられた時に起きたものと一緒だ。違うのは、じわりとしみだすのではなく、勢いよく解放されている点だ。


「う、あ、ああ!!」


 それは内側から私の皮を破るようにして出る。痛くて、苦しくて、でもとても気持ちが良い。それが気持ち悪い。


「妖、ごめん。こんな兄でごめんな」


 兄の声が近くで聞こえる。

 離れなければいけない。今、私から出ているのは悪いものだ。人を傷つけるものだ。それでもその場から動けない。


「兄上、離れて――」

「大丈夫だ、俺は。不甲斐なくてごめんな」


 私を抱き留めた兄は、ずっと謝罪の言葉を繰り返した。それでも苦しそうな様子はない。


(ああ、そうか。兄上は、大丈夫なんだ)


 浄化を司る神の性質を持っているから。それに気づくと、いよいよ止まらなくなった。

 本当は受け止めて欲しかったのかもしれない。ずっとずっと抱えてきたことを。雪家のために頑張ったのに、そもそも何も期待されていなかったこと。兄上の代わりになるためだけに生まれた私は、その過程で実父を自死させてしまっていたこと。兄がうらやましかった、私だって愛されたかった、望まれて生まれた子でありたかった。


「ごめんな――」


 でもそれは兄のせいではない。


「いいえ、ありがとうございます」


 私を受け入れようとしてくれた。

 半分だけ血の繋がった兄。それが唯一残された私の肉親。

 家族からの愛を、私は今受けている。そこに至るまでの道がどんなに歪でも、届いたものが普通の形とは違っていても、その事実が私の心を慰めた。


「兄上、私は、兄上の妹でいてもよいですか?」


 「ああ」と掠れた声が鼓膜を揺らす。


「お前がそう望んでくれるのなら。

 妖、愛しているよ」


 ふと、似た響きが蘇る。

 そう、あれはたしか、王宮に入る前だ。雪家での最後の夜、夢の中で母を見た。私をずっと抱きしめてくれた。酷く悲しそうな顔をしていて、私に何か言っていた。



『妖、愛しているわ――』



 はっきりと再生された母の声に、あれは夢ではなかったのだと悟る。王家に行く前夜、母は私を抱きしめてくれたのだ。私は、夢だと思ったけれど、違った。


(母上……)


 もうその言葉に愛を返すことはできない。

兄側での出来事は次回。

続きます。

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