啓家の事情
背中から突き上げられるようにして、意識が浮上し目が覚めた。
真っ白だった視界が徐々に像を捉え、見たことのない部屋にいるのだと気づく。
「ここは……」
起き上がろうとするが力が入らない。
「無理をするな」
懐かしい声に目だけ動かすと、炎陽がいた。私が寝ている寝台の横に椅子を置いて、掛けている。
「炎陽」
「十日も寝ていたのだ。今日はゆっくり過ごせ。また明日、目を覚ましたら話をしてやろう」
炎陽はそう言って私の額を撫でると、部屋を出て行った。動けない私はじっとしている内にまた眠ってしまい、しばらくして起き、また寝るを繰り返した。
翌日にはすっきりと目を覚ますことができ、もぞもぞと動いていると、侍女が入ってきた。銀家で世話になっている侍女だ。
「公清様、おはようございます」
「鈴、どうしてここに」
「詳しいことは炎陽様がお話しくださいます。私はお支度のために参りました」
鈴から話せることはないということだろう。彼女は私の着替えだけを手早く済ませた。
「髪はどうなさいますか?」
「自分でする」
「かしこまりました」
鈴は礼をして出て行く。私は渡された髪紐で髪を結んだ。銀家の者なので結ぶ位置が高い。上手く結ぶのは難しいがまとまっていればそれでいい、と諦めたところで炎陽が入ってきた。
「調子はどうだ?」
「いいよ。ただ、お腹が空いた」
「そうだろう。今、準備させている。
体力も落ちているはずだ。寝台に上がれ」
炎陽は立っていた私を支えて寝台へと移動させ、自身は昨日と同じ場所に座った。
「それにしても、酷いな」
炎陽は布団の上で私の向きを変えた。私が炎陽に背中を向ける形になると、髪紐をほどいた。
「そんなに?」
「ああ。慶透の気持ちもわからなくはない」
「なにそれ」
「……慶透のことを訊かないのか?」
「訊かないよ」
炎陽が結び終えたので、私は自分で向きを変え、炎陽と向かい合う。
「慶透は出来る限り、出来なくても、私の傍にいようとする。だから、今はどうにもならない状況で動いているし、それを聞いても私はどうすることもできない」
「そうか」
「それで、ここは啓家で合ってる?」
「ああ」
炎陽がいて過ごしているのだから当然そういうことになるだろう。
「静かだろう?」
炎陽は視線を外し、部屋の外を見る。つられて私も外に意識を向けるが、人の声も、音も聞こえてこない。ただ虫が懸命に生きている音だけが響いている。
「とても五家の本宅とは思えない」
炎陽がこちらを向いた。その瞳の中にも静けさがある。
「お前は、知りたいことが山ほどあるだろう。どうしてここにいるのか、授業はどうなったのか、慶透は何をしているのか」
「今すぐじゃなくていい」
告げると、炎陽は驚いたように目を大きくした。
「今は、炎陽について教えてくれない?」
炎陽が話したいように見えたのもあるけれど、私も知りたかった。彼のことをよくは知らないから。それに今何を聞いたところで、自分に何もできないのはわかっている。焦りはなかった。もしそういう状況ならば、師匠か慶透がいると思っているからかもしれない。
「ああ。お前が今ここにいるのは、俺が言ったからだ。場を提供する、と。もともと、啓家は活気のある家ではない。少なくとも。俺の物心がついてからは――」
五家ならば、どれほど家の性質があろうとも、例えば銀家のように穏やかで静の印象のある家でも、活気はある。人が集まるからだ。門弟はもちろん、仕事の依頼で訪れる者も多い。
「啓家の跡継ぎに関しては、一度話したことがあったな」
学校の祝賀の宴が終わってから炎陽と話した、あの時だ。
「慶透から、元を辿れば朗妃からも聞いているだろう」
啓家の跡継ぎの規則に関しての話だろう。
啓家は基本的に長子が跡を継ぐ。もし問題があればその弟が継ぐが、それ以外は許されない。唯一は養子を迎えることであり、それは当主のみが決められることであり、出来る限り避けなければならない方法でもある。
「俺の父は前代の啓家本家の次男だ。父の兄に瑕疵はなく、とても優秀な人だったらしい。正式に当主となる前に命を落とされ、父が当主となった」
泉族が命を落とすのは珍しくはない。たとえ高位の人間であったとしても、常にその可能性はある。
「父は優秀な兄が当主になるのだと信じて、五家としての自覚が薄かった。当然のように泉師になることはできたが、本人は自分の力不足を嘆いていた。五家の子息となるからには自覚が必要なのだと、他がいるという安心があれば育たないとして、子は一人しかつくらず、その教育に全力を注いだ」
炎陽もそれに応えて努力を重ねてきたのだろう。
「だが、その結果が俺だ。ある程度にはなる、けれど唯一にはなれない。父が望む当主は、父の兄のように優秀な人だ。
父は俺を責めることはなかった。泉力の器は父親次第なのだから、自分が悪いのだと。子を一人しかつくらなかったのは、数があれどもそもそも親が自分ならば生まれる子どもも能力に限界があるからだと。何人も育てる度量が自分にはないからだと」
炎陽は膝の上で拳を握りしめた。
「俺は知っている。父上は努力をされていた。俺は父上から全てを学んだ。父上が手を抜いたことなど一度もなかった。だから俺も妥協などしなかった、したくなかったのだ」
『俺は、妥協はしていない。やれることはやってきた』
以前も彼はそう言い切っていた。
「どれだけ努力しようと結果は結果だ。それに、五家の子息としてはぱっとしない俺とは違い、身近に天才がいた。それが獅裂だ」
拓獅裂は昔に本家筋から別れた分家だと言っていた。啓家の派閥の中でも存在感は大きかっただろう。
正直な話、獅裂や同世代の慶透がいなければ、炎陽はもっと優秀に感じたはずだ。それくらいの力が彼にはある。比較対象がいてしまっただけなのだ。慶透は同世代として、拓獅裂が違う派閥の者であれば、炎陽もそこまで気にしなかったのではないかと思う。
「あいつは優秀だった。何より、剣が得意だった。本家の人間も、父の兄に仕えるはずだった者が多い。優秀な者のところに人は集まる。
だからここは静かなんだ。俺と獅裂の差が開くほどに、静寂に満ちていく」
決して誰もいないわけではない。それでも人の気配を感じない。意識は拓家に向いているからだというのだろうか。
「銀家には当然戻れない。麗家も朋泉が知れているからだめだ。だがここならば、近寄る者も多くない。結界は強固だから安全で、ちょうどいいだろう?」
それが、私がここにいる理由だというのか。
「それに、俺はお前に知っていて欲しかった。俺について。ただの我儘だ、そんな顔をするな」
どんな顔をしていたのだろう。自分でも今どういう感情なのかよくわからない。どこか悲しい気もするけれど。努力しても報われない、家の期待には応えられない、というのはいつかの自分を思い出してしまう。ただ、その努力に哀れみを向けられたところで、何も解決しない。否定されているように感じるからだ。それを炎陽にするわけにはいかなかった。
続きます。




