魔の山にて
あの日から茨塊と接触することはなかった。もちろん、姿は見るが、常に距離があるし慶透が近寄らせない。私はずっと話せていない深が心配だったのだが、茨塊の朋泉である深とだけ話すことは難しく、深から話しにくることもなかった。一年次での泉以降、慶透が深もろとも警戒しているのもあるのだが、目があうことすらない。
(深、茨塊は危険だ。気づいてるのかな)
無理やり私から近づけば深は応えるしかないだろうが、そうやって銀家の権力を使うのは嫌だった。人前で話すことで、深が周りの人から何か言われるのも怖かった。
(もう、一年も話していない)
半年前は色々とあったから、気にすることもなかったが、こうやって穏やかな日々が続く中で意識すると、避けられている気がしてしまう。せっかく再会できた昔馴染みだが、もしかすると深の方ではもうどうでもいい存在なのかもしれない。私の立場も色々と変わってしまったし、私のせいで雪家はつぶれてしまったのだ。思うところがあるのかもしれない。
「公清、考えごとか?」
あたまを雑に撫でられて、声の主が誰か分かった。
「炎陽、やめて。また慶透に怒られる」
「まだ自分で結えないのか?」
結えないわけではない。ただ綺麗にはできない。見かねた慶透がいつも私の髪をさっさと結ってしまうので練習の機会もないだけだ。
「そうふてくされるな」
今度は鼻をつままれてしまった。
「辛気臭い顔をされるよりはましだがな」
ぱっと手を離した炎陽の目には心配が宿っていた。
「辛気臭い顔してた?」
「ああ、ここずっと半月そうだろう。気づいていないのか?」
気づかなかった。思い返せば、慶透も、楽平も賢奨も最近妙に優しかった。
「あまり悪い方向に考えるなよ。魔は気を読むともいう」
そう言って炎陽が見る先には魔の山がある。昨年の冬の魔の山討伐以来だが、夏の陽気さが、禍々しい空気を抑えているようだった。
これからこの魔の山で、実習を行う。無事に卒業できれば雨期と年末の討伐に参加するので、一度は経験する必要があるのだという。
「うん、気をつけるよ」
前に入った時は魔獣に巣に連れていかれてしまった。そこで王子を助けた礼として王家と色々あったので、嫌な思い出しかない。
「慶透はまだ?」
「まだだ」
慶透は先に魔の山に入って、先生たちと一緒に安全確認をしに行っている。もし異常があれば、実習は取り止めとなる。
「俺としてはありがたいがな」
炎陽は、むに、と私の頬を軽く引っ張った。そのまま頬を滑り落ちた手に、先ほどの頭を撫でたり鼻をつまんだりする行為にはなかった甘さを感じて、私は顔が赤くなった。
「え、んよう!」
「怒るなよ」
(怒ってるんじゃない!恥ずかしいんだって!)
と言ってやりたいが、それがまた炎陽を楽しませるだけなのでやめておく。彼は私に思いを告げて以来、それまでのこわばりが嘘だったかのように積極的に接してくるようになった。それもこういった揶揄いを添えて。慶透がそのたびに「迷惑な男だな」と言い聞かせるように言ってくるのだが、その言葉に炎陽を拒めという意志を感じるので、逆に純粋に迷惑な男だとは思えなくなってしまった。慶透のせいだ。
「かわいい顔が台無しだ」
「炎陽!」
「なぜ怒る。堅玄には怒らなかっただろう?」
「慣れただけだよ。堅玄様はそういう人だし」
「へえ?」
炎陽は満足そうに笑った。意味がわからない。
「何を笑っている」
下見が終わったらしい。戻ってきた慶透が私と炎陽の間に立った。
「別に」
「髪が乱れている」
「相変わらず人の話を聞かないやつだな」
それさえも聞き流して、慶透は私の髪を結び直す。
慶透が戻ったということは実習が始まるということだ。私は気を引きしめた。
*
魔の山には朋泉で入る。なるべく一所に集まらないようにするのは、気配に気づいて魔物が寄って来ないようにするためだ。一年生はもう休暇に入っているので、一年を担当する先生もいる。その分先生の数は多いが、学生と同じという訳にはいかない。もし危険を感じたらすぐに信号を打つように、ただしできる限りは打たないように、という難しい指示をもらった。今回の実習に評価はつかないが、実戦の試験と同じように、先生ごとに担当の学生が決まっているので、信号が上がれば助けに来てくれる。
魔の山の中は暗かった。生い茂った葉が日光を遮るからなのだが、その葉からは生命力より陰湿を感じてしまう。魔獣はそれなりのものもいるが、そういったものはこちらに気づいても(自分の強さを把握しているため)こちらが襲い掛からない限り大人しい。年末になれば、人を目にしただけで襲い掛かってくるだろう。立ち向かってくる弱い魔獣を倒しつつ、場を整えて強い魔獣に挑戦し、自分の力を確認する。
「公清、あれを射抜けるか」
「任せて」
自分自身の剣を見つけられていない私は弓の方が扱いやすいので、今日は剣は置いてきてある。魔獣が殺気立っている時なら剣にするが、今はそれほどでもない。遠くの獲物ならこちらに気づかず動かないので仕留めやすい。
矢を抜こうとした私の手を、慶透が掴んで止めた。
「慶透?」
「矢は要らない」
「術で?」
水浄矢なら発動されればそのまま飛ぶし、私なら飛距離的にも届くが、その分泉力を消費する。矢に泉力を流した方がはやい。
「これを使え」
慶透が掴んだ手で私の腕の向きを変え、そのまま手の平に札を置く。水浄矢の札と変わらないようにも見えるが、一部組合せが違う。
「これは?」
「杏澪様が新しく開発したものだ。古の術は今では使えないが、近い術を発動できるように書き換えられた。君に渡すように頼まれた」
大人しく受け取って、泉力を流してみる。すると、手の中に矢を模った浄化の水が現れた。泉力の消費も少ない。その矢を番えて獲物を狙う。捉えたところで指を離す。放たれた矢は魔獣に突き刺さった。魔獣の方に手を伸ばし、捻るようにして手の平を上に向ける。
「散!」
矢が崩れ、魔獣の中に侵入していく。
「爆!」
そのまま拳を握ると、魔獣は小さく呻いて横に倒れた。
「どうだ?」
「すごい。泉力の消費が極端に少ない。それに威力も上がってる。あれくらいの魔獣なら、物理攻撃で止めをささないといけないのに、泉術だけで仕留められた」
「それは君が急所にあてたからだろう」
慶透はよくやったというように頭を撫でる。
「それに、昨年の冬とはくらべものにならないくらい、強くなっている」
時期もあるが、これほど簡単に魔獣を仕留められるようになるとは思わなかった。自分自身でも感じていたことを、朋泉に認められてうれしくなる。
「慶透も――」
と返そうとしたところで、がきん、と剣のぶつかる音がする。気づけば慶透の後ろにいて、その慶透はぶつかっていた剣を払っているところだった。
「何?」
「剣を飛ばした者がいる。卒業後に習得する技だ」
「そんな、誰が、」
「結界を張れ!」
慶透の声に咄嗟に護符を発動させると、弾かれた剣がすうっと空を舞い、がさりと音を立てながら現れた人物の元へ戻る。
「茨塊!……と、深――」
剣を手に持った茨塊の横に深がいる。それは当然のことなのかもしれない。二人は朋泉で、今は実習中だ。それでも嫌な予感がする。
「魔獣と間違えた――ってのは冗談だ」
「何故その剣を持っている」
茨塊の手に握られた剣はどうみても高位の泉族が使うもので、その柄にはいくつかの玉が埋め込まれていた。王族への交渉が必要で、一つだけでも値の張る玉を剣に装飾するなど信じられない。
「もらったんだよ。そこじゃねえだろ?どうして、俺が使えるのか気にならないのか?」
「使えるのであれば理由は一つしかない。どこで手に入れた」
「それこそ一つしかないだろ?留家だよ」
(留家?)
聞いたことがない。名の知れた家は銀、壁、啓、穣、麗の五家。そこまで考えて、私は札の要素を思い出す。五家の家名を基本要素として扱うが、ごくまれに使うのが「留」の要素だ。
「留家は滅びた」
「そう、六百年前にな。当主が死んで、こちら側の者も反逆の罪に問われたからだ」
「やはり、あちら側の人間か」
「そうだな、そうじゃなきゃ知らねえはずだ。だとしても少しは驚けよ。お前の護符は発動しなかったんだぜ?」
慶透は口を噤んだ。そこに関しては何故かわからないのだろう。私は目の前で交わされる言葉に理解が追いついていない。それに、うつむいたままの深が気になって話が入ってこなかった。
「だからこれも無駄だ」
「え」
腹に違和感があって、見ると、自分の腹に黒いものが巻き付いていた。そしてくん、と引かれ、外からの侵入を防ぐことしか想定していない結界から引きずり出される。
(どうして結界を破れたの?!)
「神の加護もねえ結界の効力なんて、たかが知れてる」
茨塊の声が近くで聞こえたと思ったら、黒いものの上から茨塊が私の腰を抱き、飛んだ。周りの景色が形を崩して流れていく。前に引っ張られるように感じるのは、これが泉器でも独自飛行でもない移動だからだろうか。
しばらく移動すると茨塊は止まり、私を地面に転がした。くらくらする頭で起き上がろうとすると、上半身を起こしたところで茨塊が私の太ももの上に乗る。
「銀公清、いや、花の子。俺達はあちらに行く。この山の更に向こうだ。お前も来い」
「いきなり何を言うの?行くわけない」
頭がまわらないし、知らないことも多すぎるが、こんな乱暴なやり方で誘う茨塊について行こうとは思えない。
「あいつも、理雪も来る」
「深が、どうして」
あの場にいた時点で、茨塊の行動に何も口を挟まなかった時点で、深は茨塊がすることを理解しているのだろうとわかっていた。それでも、なぜなのかわからない。
「お前のためだよ」
「え?」
「一つ、何も知らねえお嬢ちゃんに教えてやる。花の子は泉力を使える女じゃねえ。泉力も――
――魔を操る力も扱える存在だ」
(魔を、操れる――?)
「自覚がないのも当たりまえだ。雪家のせいで、お前は泉力が体内で正しく流れていなかった。だから体の成長も遅く、入り組んだ泉力に絡めとられて魔の力も封じられていた。
だが泉名を得て、体内の流れが正常になり、魔の力も解放されたはずだ。体の成長が進んだようにな」
そこで、あることを思い出す。ちょうど、去年の冬。この魔の山で、王子を助けようとした時だ。護符を飛ばす前、間に合わないと思った時、私はやめろと叫んだ。あの時、魔獣は動きを止めた。私に気づいても、しばらく攻撃してこなかった。
「思い当たる節でもあったか?」
「いや、まさか、そんな……」
「残っても異端者になるだけだぜ?深は、それを心配してんだ」
(深!)
茨塊が花の子であると話したのだろうか?
「花の子については俺が話した。お前が女だってことに、あいつが気づいた。だから教えてやったのさ、どうして女なのに泉力が使えるかってな」
顔に出ていたのか、茨塊が言う。
「深が?」
「街じゃ気にもしねえが、泉師学校では泉族の家族構成なんて知れ渡ってるだろ?お前は悪目立ちしてたから、雪家の近くの連中が情報を垂れ流しにしてた。あいつはそれを聞いたってわけだ」
深はずっと私が弟だと、雪家の次男だと思っていた。そこに兄妹であるという泉族の話が出れば、混乱しただろう。
「んなことはどうでもいい。来い」
「そんな、無理だ……」
「いいのか?あいつの想いを無駄にするってことだぜ?」
それを言われてしまうと、きっぱり拒絶の言葉を口にできない。
「公清!!」
遠くから、慶透の声が聞こえる。
「ちっ、時間だ」
茨塊は急に私の顎を掴むと、顔を寄せて口を塞いだ。彼の、口で。
「んむ!」
舌先が唇を割り、できた隙間から何かを流し込まれる。冷たくて重たいそれは、どんどん肺を満たしていく。体がしびれて力が入らなくなり、まぶたが下がる。茨塊が手を放すと、私はそのまま地面に背をつけるしかなかった。
「お前はしばらく寝てろ。おやすみ、妖」
茨塊はそれだけ言い残して、どこかに去っていた。
近づいていたはずの慶透の声が遠くなり、目に入る光が小さくなっていき、やがて、完全な闇の世界に意識を落とした。
続きます。




