茨塊再び
夏期の授業は春期とあまり変わりはないが、確実に実戦を意識したものになっている。学ぶ者が気を引き締めるのも、先生たちが指導に熱が入るのも当然である。なぜなら、夏期の終わりに、正確には夏期休暇の始めに、魔の山に入ることになるからだ。
夏期は魔の発生が抑えられる上に、春期に一度大人たち(一部力のある未成年も含む)によって魔獣が狩られ、地も清められているので魔の山は一年の中では最も落ち着いている。それでも下手をすれば命を落とす可能性もあるのでみな必死になる。
私は順調ではあるものの、生理が月に一度は来るものらしく、それによって苦しめられていた。朗妃は強めの薬を持たせてくれたが、頻繁に使うとかえって危ないとのことだった。それでも外側ではなく内側の痛みに対する耐性はそれほどない私は、控えることもできなかった。痛みはなくなっても出血の不快感は変わらないし、気分は落ち込むことも多かったが、朗妃に対処を教えてもらった慶透が慰めてくれるので頑張れたのである。銀叡先生を筆頭に、五家の中心に近い先生たちが気を使ってくれているのも感じていた。
(まあ、その銀叡先生に呼び出されて慶透は今日いないんだけど)
泉師学校の中とはいえ、狙われている身なので一人では行動できない私は慶透がいないと部屋に閉じこもることになるのである。今までは慶透のいない間に楽平や賢奨と会っていたけど、それができない。指輪の泉器を通して二人も慶透がいることには慣れてきたが、やはり五家の子息、それもあの麗慶透の前だと思うと緊張するらしいので、慶透のいない時間に二人と会うことができないのは少し寂しい。
慶透が呼び出されることはしばしばあるが、今回は五家の子息間での情報共有だと言っていた。今までは教えてもらえなかったけれど、一応銀家の者になったので慶透は用件を伝えてくれた。その銀家に入った私は情報が止められている部分があるので、その話し合いには参加できないらしい。
「随分と暇そうだな、妖」
急に聞こえた慶透以外の声に、私は咄嗟に剣を抜いた。ちょうど武術の試験が終わったところなので、出しっぱなしになっていたのだ。
「ふうん、用心深くはなったようだ」
剣先を向けられても茨塊は動じなかった。
「どうして入れたの?」
「護符か?あれは魔を弾くのと人を弾く効果がある。俺は魔獣ではないし、人ではあるが、人にはないものを持っている」
「どういうこと?」
「おっと、喋り過ぎた。お前には伏せられていることが多いんだった」
「なに?」
どうしてそれを茨塊が知っているのだろうか。それともただかまをかけただけなのか。
「そう怖い顔をするなよ」
茨塊は親し気な顔をして近づいて来た。私は剣を構えたまま睨みつけたが茨塊は歩く速さを変えなかった。もう少しで彼の喉に刃先があたるところで剣を下ろすと、そこを狙っていたかのように茨塊が飛び込んで来た。彼に蹴られた剣が宙を舞って床に転がる。
「甘いな。人を傷つけるのが怖いのか?泉術に移ろうとしただろ」
茨塊の言う通りだった。中途半端に懐に伸びた手を掴まれた私は剣を失った方の手で泉力を流して攻撃しようと思ったが、急に体が動かなくなる。
(また!!どうして?)
「よしよし、いい子だ」
茨塊が頭を撫でると、そこから毒が染み込んでいくかのように体の感覚が薄れていく。彼は手早く私の合わせを開くと、うっそりと笑った。
「はは、やっぱりな」
「やめ――」
「はいはい、今日はお喋りはなしだ」
口が動かなくなり、呻き声さえ出なくなった。
「前は確認できなかったが、多少は女らしくなったんじゃないか?」
茨塊の手がするりと肌の上を這う。
「なあ、怖いか?体がつくり変えられていくのは。怖いだろうな。お前は今不安でたまらないはずだ。平気そうな顔をしていても、お前の奥に染みついた苦しみは消えない。
クソみたいな家に生まれ、父親だと思っていた相手にしいたげられ続け、母親にも愛されない。ああ、昔はその母親の方が酷かったんだって?忘れたわけじゃないだろう?お前の身体も覚えているはずだ。この痕が、その証拠だ」
茨塊は指先で傷痕を辿る。体は動かないのに、感覚は麻痺しているのに、その茨塊に与えらえる刺激にだけは反応して、嫌でもその場所がわかる。
「そしてお前は二人から愛されてぬくぬく育った兄に代わり、性別を偽って生きてきた。役目を果たせば認められるかもしれないと、健気に信じてな。それがどうだ、ふたを開ければ、お前は元から王に差し出されるために使われていただけだった。兄の身代わりに、な。つらかったろう、悲しかったろう」
茨塊の言葉がするすると耳を通っていく。塞ぎたいのに、手は動かないし、かき消したいのに、声は出せない。
「そこから救い出されても、明かされた真実はお前を苦しめた。父親が自死した原因で、お前は生まれた。大好きな師匠の弟がいなくなった原因で」
目が熱くなって、堪え切れなくなった涙が落ちていく。考えないようにしていたことだ。どうして、そんな酷いことを言うのだろう。
「泣けよ、妖。何を平気な顔をして生きている?たかが半年、時間が経った程度でお前の傷は癒えない。雪家でのことを考えれば、お前はずっと苦しめられていた。友人に話してすっきりしたか?そりゃ、多少はしただろうが、それで解決するほどのことだったのか?違うだろ」
茨塊の声を聞くたびに、胸の奥底にしまっていた何かがじわりじわりと染み出てくる。苦しくて、痛くて、それでも閉じ込められていたそれが出てくることに解放感を感じる。
(だめだ、これは、出しちゃだめなやつなのに)
「それに、お前はまだ秘密があるままだ。友人に性別を隠したままだ。自分のこともよくわかっていない。そう頑なになるな。俺ならお前を助けてやれる、ついでに花の子についても教えてやろうか?」
耳元で囁かれた言葉は酷く魅力的だった。
「お前がお前自身について知るのに制限がかかるなんて、おかしいだろ?」
(それでも、師匠が話さないと決めたなら、それが師匠の本意ではなかったとしても、私はそれに従う)
茨塊を睨みつけると、彼は呆れたように肩をすくめた。
「麗慶透でさえ――」
慶透の名前が出た瞬間、はっと目が覚めたかのように身体に感覚が戻り、私は茨塊の手を振り払った。彼は驚いたように弾かれた自分の手を見たが、すぐに興味をなくしたように手を振って力を抜く。
「やっぱりあいつの存在はでかいか」
「茨塊、何しに来たの」
出るようになった声で問うと、彼はまた嫌な笑みを浮かべた。
「必要なことをしに来た。それでも回りくどいやり方をしたのは、ただの嫌がらせだ」
嬉しそうに言われても、怒りは湧いてこない。目の前の得体の知れない人間に恐怖を抑えるのが精一杯だった。
「どうしてこんなこと、に対する答えも同じだ」
また彼の手が伸びて来たので私はその手を払う。
「酷ぇな。直してやろうと思ったのに」
「自分でできる」
「そうかよ」
茨塊は手を下ろした。
「さてさて、そろそろお出ましかな」
茨塊の言葉が終わらない内に、札が飛んでくる。それは茨塊が取り出した護符に相殺されて、泉力がぶつかった光だけが見えて終わった。
「気づかれないように破ったつもりだったんだがな」
「出ていけ」
その低い声がその場の空気を支配する。冷たくひりひりとするような空間を作り出したのは、慶透の一言だった。
「何故と問わないのか?」
「出ていけ」
繰り返された言葉に、茨塊は笑みを保ったまま入り口に近づく。
「混乱してんだろ、麗家のぼっちゃん」
「出ていけ」
「俺はお前らの考えるようなものは持ってねえよ、じゃあな」
慶透は茨塊の言葉が終わらない内に部屋の中に入り、入り口に結界を張った。
「妖、何をされた?」
「え?」
「泣いたのだろう」
そっと頬に触れられて、そういえばそうだったと思い出す。指摘されたことで驚いて止まっていた涙がまたあふれ出る。急に恥ずかしくなったが、自分で顔を隠す前に慶透の腕の中に閉じ込められてしまった。
「慶透?」
「君の泣いている顔は見たくない」
(そういえば、王宮に助けに来てくれた時も、そうだったっけ?)
「すまない。私の警戒が甘かった。侵入を許してしまった」
「慶透のせいじゃない。勝手に入った茨塊が悪い」
「そうだな。次は彼を弾くように護符をつくる。泉力は覚えた」
特定の人を弾く護符なんて聞いたこともないけど、慶透ならできてしまうのだろう。もしかしたら、師匠もできるかもしれない。
「慶透、もう大丈夫だから」
そっと腕の中から出ると、慶透は心配そうに私を見つめていた。そして、目が合った瞬間、何かに気づいたように私の手首を握る。
「な、なに?」
「あの無礼者は――!」
慶透がここまで言葉を乱すのは初めて見た。あまりの衝撃だったのか、言葉を失っていた。
「妖、君の――泉力の器が損傷している。私の泉力を流してもいいか?」
今度言葉に詰まったのは、言えないことがあるからなのだろう。それでも慶透の必死さだけはわかるから、私は頷いた。
「うん、お願い」
慶透は私の胸の辺りに手を当て、ゆっくりと泉力を流し込んだ。特に攻撃を受けたわけではないが、本当に泉力の器も傷ついていたのだろう。ゆっくりと泉力が満たされるのを感じながら、同時に、胸の奥から溢れそうになっていたものが引いていくのも感じた。慶透の泉力が包み込んでくれたようだった。
「これでいいだろう。公清、明日は私もここに残ろう」
今まではずっと休日に家の手伝いをしていた慶透から、信じられない言葉が出た。
「家のことは――」
「どうにでもなる」
そう言って、私の手を引いて慶透の荷物から紙を取り出すと、いつもの席に私を座らせてから、自身もその向かいに腰を下ろす。私の返事をきかないのはいつものことだ。
以前ならとんでもないことだと慌てていたが、今は慶透の事情を少し知っている。麗家当主は慶透に負い目があるから、その頼みはすんなりと受け入れるだろう。そうでなくても優しそうな人だった。息子の頼みくらいはきいてくれるのだろう。
「慶透」
「何だ?」
「ありがとう」
慶透の名前を聞いて、私は自分の身体の制御権を取り戻した。そんなこと、慶透は知らないけれど、そうでなくとも、私の泉力の器を修復してくれた。それと同時に、胸の内が落ち着いたのも確かだ。
「私は君の朋泉なのだから、当然だ」
「うん。私も、慶透が私の、私が慶透の朋泉になったのは、当然のことのような気がしてきた」
慶透が意地を通さなければ決して朋泉になることなどなかっただろう。それでも、私と慶透が朋泉になったのは必然のように感じる。私の朋泉は慶透でなければならない。慶透の朋泉は私でなければならない。
「今更だ」
そっけない返事だったが、筆を止めて少しこちらを見た慶透の顔には、柔らかな笑みが浮かんでいた。
続きます。




