麗家長男
王家から麗家に戻っても、慶透は私の手を離さなかった。本宅も通り過ぎて、慶透の宅に入ると、そこでようやく彼は手を離した。
「慶透、大丈夫だったの?殿下にあんな態度を取って」
「問題ない。それより君だ」
慶透は私を椅子に座らせると、そのまま両肩を掴む。
「君は、この先どうしたい?」
どうしたい、と問われても将来的なことは何も考えられていない。今はとにかく慶透の朋泉として泉師になる。そのことが目標だ。
「今は泉師を目指している。その先はわからないけれど、泉族としての役目を果たして行きたいと思う」
「師匠と旅をする、というのは」
「そうだね、できればそうしたい。私はまだ、外を全然知らないから」
ずっと雪家に閉じこもって生きてきたのだ。学校の実習などで行く山だけでなく、もっといろいろな景色を見てみたいという思いはある。
「それならば、なぜ殿下の問いに対して否定を口にしなかった」
『君は王になりたいか?』
その言葉はあまりにも非現実的で、受け止めるのに時間がかかっただけだ。慶透が先に話すから答える隙がなかったと文句を言っても無視されるだろう。
「冗談にしては内容が飛び過ぎていて、理解するのに時間がかかったんだ」
「王になる気は?」
「考えたこともないし、私には無理だよ。そもそもどうしてそういう話になるのか、さっぱりわからない」
恐らく花の子が関係しているのだろうけど、魔を操れる神に好まれているからと言って王にはつながらない。高貴な血筋であるとか(泉族としては高貴な血が流れていたけど)、偉大な力があるとか、特別な印があるとかでない限り王にはならないだろう。民がついてこない。
「君にその意思がないのであればいい」
慶透は私の疑問はさっぱり無視して話を終わらせてしまった。
「どうしてそんなことを気にするの?」
そもそも荒唐無稽な話だ。慶透が真に受けるような話ではないだろうという意味で言ったのだが、慶透の目が冷たく光り、両肩に置かれた手に力がこもる。
「君は、私の朋泉だろう?」
短いが、噛み締めるように吐き出されたその言葉に、慶透の強い想いを感じる。その意図を訊きたいのだが、そんなことを訊けるような雰囲気ではなかった。
「うん、私は君の朋泉だ」
とりあえず事実ではあるので頷くと、慶透は力を緩めて、手のひらを滑らせるようにして私の頭を撫でた。その顔が満足げだったので、もうそれでいいような気がした。
*
それ以降は麗家の本宅ですることもなく、暇を持て余して過ごした。修行は続けていたけれど、やり過ぎはよくない。自由に敷地内を見てもいいとのことだったが、修行以外で移動することはなかった。ふと思い立って探検してみると、結界で覆われた源泉や、泉師学校にも負けない大きく険しい山があった。山は清浄な気で満ち溢れており、魔の気配はなく、特別な土地なのだと実感する。
一通りまわって、与えられた部屋に戻る途中、一人の男性と出くわした。白地に細やかな青の刺繍が入った服に、青の帯、そしてその上に巻かれた紫の細い組紐。麗家の泉師であることは一目でわかった。
「君は、公清かな」
思わず聞き入ってしまいそうな柔らかな低音だった。優し気な笑みで、麗家当主を思い出す。
「慶透の兄、慶青だ」
慶透の兄、と言われると疑ってしまいそうだが、麗家当主の息子と言われればしっくりくる。麗家長男、次期当主、麗慶青。名前は知っているけれど、顔を見るのは初めてだった。
「慶青様、お世話になっております」
「そうかしこまる必要はないよ。公清、君とは一度、話をしたいと思っていたんだ。今、少しいいかな?」
予定などあるはずもないので、私は彼の誘いに乗った。
案内されたのは慶青の自室で、使用人が卓の上にお茶を用意していた。どうやらもともと私と話すつもりだったらしい。使用人が席を外したところで彼は口を開いた。
「君は慶透の朋泉だろう?弟は迷惑をかけていないか?」
慶透という優秀な人物が迷惑をかけていないかを心配する人がいるのが不思議な感じだ。
「いえ、むしろ私が迷惑をかけることが多かったです。今では、そうでもないと思いたいですけれど」
「君は優秀だと聞いているよ。そういった迷惑ではなくてね」
慶青は言いにくそうに一度お茶を飲んだ。
「この前も、弟が君の手を引いて宅に連れていくのを見た。慶透は朋泉に対する思い入れが強いだろう?」
その言葉には思い当たる節がありすぎて否定できなかった。正直、一年の最初は実力差や家格の差が大きい中で慶透の朋泉をつとめるのは怖かったし、朋泉を変える提案もすぐに断られた。それでも私は自分で納得して朋泉を続けていたし、彼に助けられたことの方が多い。
「それに、あまり人の意見を取り入れる子でもないだろう」
それはそうだ。思わずうなずいてしまった私を見て、慶青は笑った。
「私のせいでもあるから、あまり注意することもできないけれど」
「肇青様の?」
慶青はまた茶を飲んだ。
「昔話に付き合ってもらえるか?」
慶透は私の過去を知っているが、私は慶透の過去を知らない。家族についての話も特にないと言われてしまった。慶透から話を聞けることはないだろう。
「私でよければ」
慶青はにこりと笑ってから、視線を少し上げた。
「弟が生まれたのは、私が十の年だった。麗家は長男が家を継ぐことになっているが、年が近いと跡継ぎでもめることが多いからと母上が心配したからだった。
昔は弟もああではなかったのだ。幼い頃から同世代とは比較にならないほど秀でていたが、いたって普通の子どもだった。よく笑い、感情もわかりやすかった。私も年の離れた弟はかわいかったから、同じ年頃の子どもと上手く馴染めないあの子の相手をすることも多かった。
けれど慶透が泉力を授かってから、変わってしまった。あの子は泉族として優秀過ぎた。私が泉師学校に入学して遊び相手がいなくなった慶透は、家にある書物を読み漁り、勝手に育っていった。一年で泉師にも匹敵する力をつけた」
泉力を得て一年なら七歳にして泉師相当の力を持っていたことになる。優秀だとは知っていたけれど、そんなに幼い頃からそれほど突出しているとは思わなかった。炎陽が自信を失いかけたのも納得だ。
「私は優秀な弟が自慢で、誇らしかった。それと同時に、慶透が家を継いだ方がいいのではないかと思い始めた。あの子は本当に何でもできたから。けれど両親は認めなかった。麗家の跡継ぎは長男だから、と。それ以降、両親は慶透に導師にならないかと言うようになった。おそらく、麗家の跡継ぎを意識させないためだったのだろうけど、未熟だった私は、跡継ぎでありながら期待をされていないのだと考えてしまった。そう思えてしまったのだ」
導師と当主を兼ねることはできないけれど、次期当主として育って来た者やその時当主であったものがその座を別の者に任せ導師になることはできるし、そういった導師も多い。自分にかからないその期待が弟にかかっている、というのはつらいものだ。
「今でも覚えている。泉師学校のに二年次の夏期休暇だ。魔の山の実習を終えて暇になった私をあの子が訪ねてきた。修行をつけてほしい、と。あまりにも進み過ぎていた慶透に師はいなかった。五家の高位の人間に指導されることはあっただろうが、麗家で慶透の師となれる人間がいなかったのだ。
その時、私はあの子を拒絶した。まだ幼かったあの子に、できないとだけ告げ、何の説明もせずに追い出した」
しん、と静まり返った空間に、後悔を含む慶青の吐息がこぼれた。
「あの子は何度も尋ねた。どうしてだめなのか、と。泉師学校に入るまでは一番傍にいたというのに、急に突き放した兄に、あの子は混乱していた。
その言葉で、あの子の才能に嫉妬しているのだと気づいた私は自分の情けなさに愕然とした。十も下の素直な弟に、汚い感情を抱いているのが嫌だった。それをあの子に知られるのも耐えられなかった。だから私は何も言わずあの子から距離を取った。慶透はしばらく私を訪ねて来たが、いつからかそれもなくなった。私以外に交流のある友もいなかった慶透は、そこで完全に自分の殻に閉じこもるようになった。それはそうだろう。人との交流に慣れていなかったあの子が、私と言葉を交わして理解しようとしたにも関わらず、何の説明もされず遠ざけられてしまったのだから。私はあの子の心に傷をつけてしまったのだ。
両親は自分たちのせいだと言って、私の顔も見たくなくなったのか、自分の宅が欲しいというあの子の要望に答えた。そのせいでますます慶透は孤立した」
慶透が友人と言えるような存在――例えば私にとっての楽平のような、五家のように家の関わりで知り合いであるというのではなく――がいないのは知っていたけれど、家の中でまで人との関りが少ないとは思わなかった。
「ずっと自分の中に籠っていたから、私がそうしてしまったから、慶透は人と関わることがなかった。そうする気を失くさせてしまったのだ。それでも優秀だから他者に認識はされるし、すり寄ってくる者もいたが、それが逆に慶透に壁をつくらせた。
そんなあの子でも、朋泉にだけは唯一興味を示した。どこでその存在を知ったのかは知らない。少なくとも入学する数年前には泉師学校での朋泉制度を知っていた。そして、無作為に朋泉を選んで欲しいと言った。五家は基本的に優秀な者と朋泉になることになっている。成績の問題もあるが、そもそも普通の家の子に五家の朋泉は荷が重いからだ」
去年の私がそうである。あれは五家だけでなく、他の学生に対する配慮でもあったのだ。
「あの子はそれを承知で、かつ一度断られたにも関わらず、引き下がらなかった。あの子がそこまで人との関りにこだわりを見せるとは思わなかった。それほど思い入れの強い存在なのだろう。無理を通して無作為な朋泉の選別を行ったように、君に対しても無理をさせているのではないだろうか?」
過去の話から、先ほどの問いに戻った。
「無理をしているかについては、なんとも言えません。正直なところ、そういう慶透に慣れてしまったのもあります。けれど、それよりも、自分の中の認識が変わったと思うのです
「自分の中の認識?」
「それこそ最初は私が慶透の朋泉だなんて無理があると思っていました。朋泉を変えようと提案して断られたこともありました。それでも、慶透は私を放ってはおかなかった。常に共にあると言って、明らかに遅い私の速さに合わせて山を登り、置いていくことはなく、授業でも私を助けてくれました。
私は、そんな彼に応えたいと思います。たとえそれが無茶な要望だったとしても、彼が望むのであれば叶えたいと思うのです」
私の話を聞いてくれない、というのもあったけれど、それでもいいと思えてしまう。私は、慶透が自由に動くのが好きなのかもしれない。
「そうか。それは余計なことを訊いてしまったな。君のような人がいてくれて良かった」
喜ばしいと思っているのはわかるが、その表情に諦めが見えた気がして私は胸がざわりとした。
「肇青様は、慶透に伝えないのですか?今からでも、遅くないと思うのです」
「今更何を伝えるというのだ?私は今でもあの子を羨ましく思う気持ちがある。それに何より、あの子にとって私は嫌な存在だろう。顔もみたくないはずだ」
慶青の意志は固そうだった。それが何とも歯がゆかった。
「私にも、兄がいます」
「ああ、聞いているよ」
慶青は申し訳なさそうに言った。本来ならばその家と交流のある者しか知らないような家族間の関係は、私に関しては五家の中で周知のものとなっている。
「私は、両親に認めてもらいたい思いが強かったのですが、それでも兄を羨む気持ちはありました。特に、雪家のために働くのをやめてから、どうして兄ばかりが愛されていたのだろうと思うようになりました。父上――元雪家当主とは血のつながりはありませんが、母は母なのです。
雪家に戻った際に、兄にお前のせいだ、と言われました。兄はずっと家の外に出られませんでした。そして私が銀家の子どもだと発覚し、当主は処刑、家は潰れました。それが、私のせいだと」
慶青は顔を歪めた。
「君のせいではないだろう」
「けれど、兄のせいでもないのです」
家の中で過ごさざるを得なかったのも、父親が殺されたのも、家を潰され一生家を出られない罰を与えられたのも、兄には何の咎もない。
「その、なんと言いますか、私は兄を羨んでいますし、兄に非難されたこともあります。慶青様の気持ちも、慶透の気持ちも、決して同じではないけれど、何となくはわかるつもりです。
それでも、私は今、兄と話してみたいという気持ちがあるのです。十分にお互いの胸の内を晒して話した訳でもなく、そもそも幼い頃から言葉を交わしたことさえなかったのです。わからないまま、諦めてしまうのは酷く悲しいことだと思います」
私は兄を知らない。兄も、私を知らない。ああではないか、こうではないかと考えて、それが合っている保証もない。
「難しいことだとは思います。兄と話して余計に嫌な思いをしたり、させたりするのではないかと考えると直ぐにはできないという気持ちもありますから」
「そうだな」
じっと私の話を聞いていた慶青は諦めを飲み込んで同意した。
「ありがとう、公清。君に話を聞いてもらえてよかった」
「私の方こそ、ありがとうございます」
兄についての話は、慶透にはあまりできなかったのだ。慶透は雪家に対して悪い印象が強すぎるから、兄と話してみたい、と言うのも憚られた。
慶青と話したのはこの一回きりで、私は銀家に一度戻って、夏期の授業を迎えることになった。
慶透の家族と、朋泉に対する思い入れについてでした。
続きます。




