桜餅
泉師学校では六日ごとに一日休みがある。泉師学校で初めて迎える休日だというのに、私は何故か普段と変わらない時間に起こされた。
「微光、泉に行こう。昨日は無理をしただろう」
きっちりと服を整えた慶透はそう言ったが、急遽麗家からの呼び出しがあり、私は起こすだけ起こされて放置されてしまった。
「すまない。夜にしよう」
私がうんともすんともいう間もなく、慶透は外に出て行った。
五家の仕事は多い。信頼も実績もあるから、金持ちもそうでない者もみんなこぞって五家に魔の退治やその他を依頼する。特に麗家は礼儀正しく、金のない者からは少額で依頼を引き受けるため特に忙しい。
慶透は麗家の次男だが、非常に優秀で、恐らくもう泉師として十分に活躍できるほどの力がある。泉師学校にいる間は修業が優先されるが、休みならば家の手伝いが大事なのだろう。
(あんなに山を登ったのに、休む日もないなんて大変だなぁ)
休みも初めてだが、慶透と長く離れるのも初めてだ。朝餉の粥をすすりながら、どうすべきかと思案する。
(学校の周りに娯楽施設なんてないし、この体で街まで出るのはしんどい)
ごそごそと自分の財布を取り出す。その口を開けると、想定より多い銭が入っていた。慶透が一緒に自炊をしてくれるので、食費の余剰がある。
私は食堂に向かうことにした。
休みの日だが、流石にみな疲れが取れないのか、学校内をうろうろしている生徒が多かった。
「微光!珍しいな、一人か?」
どうやら楽平もそのようで、同門の生徒と集まっていた。
「慶透が家に呼び出されたから」
「はぁ、さすが慶透様だなぁ」
「楽平は何してるの?」
「俺か?平たく言うなら探検だな」
楽平の言葉に周りの生徒も頷いた。
「遥か昔は神々も地上を訪れたというだろ?泉師学校は神域だからな。何か見つからないかと思って」
「なるほどね」
「お前も一緒にどうだ?」
たしかに神代の痕跡を探すのは面白そうだが、今はなるべく休みたい。
「いや遠慮しておくよ」
「そうか。また気が向いたら来いよ」
「ありがとう」
明日から修行は再開されるというのに、大丈夫だろうか。楽しそうに走り出した背中を見送って、食堂に向かう。
まだお昼の時間ではないので人はまばらだった。
「あらいらっしゃい。何か食べる?」
恰幅のいい老女が私に気づいて声をかけてくれた。
「何か甘い物はありますか?」
「甘い物?売り物じゃないけど、今みんなで桜餅を作ってるんだ。よかったら坊ちゃんもどうだい?あまりお金はないんだろう」
老女はにやりと笑った。
「ぜひお願いします」
図星なので私は苦笑いを返しておく。
泉師学校では無地の白衣を纏うことが義務付けられているが、それ以外は自由である。普通は入門している家の色の帯をつけるが、泉族の家系ではない者や、私のように個人的に師事する人がいる場合は黒の帯を着ける。彼女の口調が気安いのもそのためだろう。
案内された厨房には、子どもがもう育ったくらいの歳から孫までいそうな歳までの幅広い年齢層の女性たちが集まっていた。餡の甘い香りと米の炊きあがったむわっとした空気が立ち込めている。
「ほら、お手伝いだよ!」
「あら~、あまり見ない顔ね」
「そんな細腕で大丈夫かい?ちゃんとご飯は食べてるんだろうね?」
「こっちにおいで、一緒に作ろう」
彼女達は手を動かしながら私に構ってくれた。男手として計上された私は、普段食べるより粘度の高い米を赤い粉末と混ぜ合わせる役目を仰せつかったが、厨房の女性たちのほうが断然力があった。
餡を包んで形成する作業では出来栄えが綺麗だと褒めてもらえたが、そう褒める彼女達のほうが作業のスピードが速く、なんとも複雑な気分になった。
塩漬けされた桜の葉に餡の入ったもち米を包めば、桜餅の完成だ。
「さ、熱いうちに食べよう。あんたも、お茶を出してあげるから」
用具の洗浄や片づけが終わると、厨房内の大きな机の周りに椅子が並べられていく。私も椅子を運んだり、お茶の手伝いをした。全員が席に着くと、熱いお茶と食べやすい温度になった桜餅がそれぞれの前に配られた。
「ほら、あんたの分だよ」
私の前には三個の餅が置かれた。
「こんなに、いいんですか?」
「いいよ。よく頑張ったしね」
「そうそう。米を混ぜる力もないなんて、男として魅力が足りないわ。いっぱい食べて力をつけなさい」
「餅じゃあちょっと頼りないけどねぇ」
男ばかりの環境に少々疲れていたので、話題が絶えず生まれる女性たちの中にいるのは居心地がよかった。幼い頃は、家の手伝いたちが一緒に遊んでくれたものだ。
厨房が忙しくなり始める前に帰ろうと思ったのだが、今朝のあまり物をもらえることになって、結局食堂を出たのは昼頃だった。三つ貰ったうちの一つは食べたけど、もう二つは持って帰ることを許してもらえた。
「お腹が空いたらまたおいで」
ありがたい言葉にうなずいて、包んでもらった桜餅を胸に抱えて外に出る。
一つは慶透にあげるつもりだ。そもそも食堂には昨日のお礼をするために来たのだ。まさか自分で作ることになるとは思わなかったが、そちらの方がお礼らしい気がする。
あともう少しで寮に着くところで、急に横から引っ張られ、地面に押し倒される。どうやら寮の塀の役目も果たす竹林に連れ込まれたようで、急に視界が暗くなり、背中に冷たい土を感じる。
「理雪、釣れたか?」
「ああ」
「懐を探って裏を向けろ。抵抗されても面倒だ」
言葉通りに懐から財布と、竹皮に包んでもらった餅を取られた後、地面にうつ伏せにさせられた。上にのしかかっているのが理雪という人物なのだろう。
「ち、しけてやがる。やはり金持ちをひっかけるのは難しいか」
「茨塊、やっぱり黒帯を狙うのはやめないか?貧乏人ばっかだぞ」
「うるせえ。しょうがないだろ、先生方に泣きついても取り合ってもらえないようなやつでないと、この先厳しくなるんだぜ?」
「まあそうだけどよ」
茨塊と呼ばれた方が、私の財布を探ったようだった。
「雪家はそれなりに金があるはずだろ?雪微光」
その言葉に私を押さえつけている理雪が反応し、かかる力が強くなった。
「こいつが微光?」
「そうだ。麗家次男の朋泉で、初っ端から五家の子息の足を引っ張りまくってるって有名だろ?」
あまり嬉しくない噂で有名になってしまったらしい。
(半分以上は事実だからしょうがないけど)
「その話は知ってるが、本当にこれが微光か?」
「ま、お坊ちゃんにしては所持金が少なすぎるよな」
「いや、そうじゃなくて」
理雪は戸惑っているようだが、茨塊の方は満足のいく収穫が得られずいらいらしているようだった。乱暴に前髪を掴まれて引っ張られ、顔が上を向く。
見上げた先にあったのは、美しい顔だった。ともすれば少女にも見えなくはないが、白い肌で赤い唇と強い意志を持った瞳がより強調され、異様な妖しさがあった。
「もしかして金の管理はちゃんとする性質か?――こっちの包みは、」
茨塊は私の顔を持ち上げたまま、器用に片手で竹皮を開いた。
「あ?なんだこの餅。せめて珍味を入れろよな!」
茨塊は私の髪を離すと、立ち上がり、竹皮ごと餅を地面に投げつけた。そしてあろうことか、それを足で踏みつけた。
「な!何するんだよ!!」
せっかく厨房の人と一緒に作ったのに。慶透に礼として渡すつもりだったのに!
「理雪、もういいぜ。この銭もないよりましだろ。行こうぜ」
「……わかった」
私の身体は解放されたが、起き上がることはできなかった。踏みつけられてぐちゃぐちゃになった桜餅から目が離せなかった。
(何で、こんなことされなきゃならないんだ)
じわじわと腹の底から怒りが込み上げてきて、不思議なことに目に涙が溜まる。怒ってるのに悲しくて。それでもやはり怒りが強い。
私は桜餅を持ち、起き上がってまだ見える背中に追いついた。
「おい!」
「あ?なんだ――うぐ、」
振り返った茨塊の口に、手に持っていた餅を突っ込んだ。
「食べ物を粗末にするな!!」
茨塊も、となりの理雪も驚きすぎて現状の理解ができず、固まった。私はその隙に元の竹林に走った。途中で竹皮を回収し、奥へと逃げた。
悔しい。苦しい。
竹に背中を預けて座り込む。竹皮の中を見ると、ひとつ残った桜餅は大して崩れてはいなかった。それでも土がついてしまっていて、五家の子息にあげることなどできなさそうだ。
「くそ、なんで――」
どうしてこうも自分は上手くいかないのだろうかと、涙が止まらない。五家の慶透の朋泉になったことも、昨日の試験で予想外の事件に出くわしてちゃんとした結果が出せなかったことも。自分の中で落ち着いたと思っていたことまでもあふれ出てくる。
「微光!いないのか、雪微光!」
草を踏み分ける音と、先ほどの理雪と呼ばれた男の声がして、涙をぬぐい、体を縮こまらせた。普通に見つかってもやばいし、こんな情けない姿をみられたくない。
「妖、いないのか?」
声が小さくなり、近くで自分の名前を呼ぶ声がする。私は思わず立ち上がった。
「そこか?!逃げるなよ、俺だ、俺だから」
理雪の声はどんどん近くなる。
私が妖であると知っているのは、家族と師匠以外にいないはずなのに。いったい彼は誰で、どこからその話を聞いたのか。
心臓が早鐘を打つ。逃げ出したいが、このまま放置しておくわけにはいかない。
私は竹の裏側へ回った。その音を聞きつけて、理雪がやってきた。
「妖、やっぱりお前だったんだな……」
「君は、深、なのか?」
私と同じく黒の帯をつけていた。生意気そうにつり上がった目と、優し気に垂れる眉をした少年。その中に幼い頃の友人の面影があった。
「そうだ、深だ。ああよかった、お前、ちゃんと生きてたんだな」
「それは、深の方でしょう」
深は代々雪家に仕える使用人の一族の息子で、歳も近かったためよく一緒に遊んでいた。しかし十年ほど前に、与えられていた家が全焼し、彼の家の者はみな死んでしまったのだ。深もそうだと思っていたのに。
「無事でよかった、けど、どうして。それに理雪って……」
「はは、混乱するのはわかるが、ちょっと落ち着けよ。
俺もあの時家にいた。寝てる時間だったから火にも気がつかなかったけど、いつの間にか外に運び出されてたんだ」
「そっか。でも家には戻って来なかったんだ?」
深は視線を外してしばらく考え込んだ後、苦笑いした。
「まあ俺は餓鬼で、できる奉公も限られてる。戻っても俺の世話の方がかかるだろ。
それに、丁度助けてくれたのが丁稚を探してる商家でさ、そのままその人の家になだれ込んだわけだ。とりあえず十六だから試しに受けてみろって言われた試験で、泉師学校に受かったんだよ」
「そうなんだ」
「ああ。しかし、お前は変わらずひょろひょろしてんな。何で微光じゃなく妖がここにいるんだ?」
深は幼い頃からの知り合いだが、私のことは男だと思っている。私が泉族として修業していることを知っていたからだ。そして兄が泉力を使えないのも知らない。
(なんて説明しようか)
「またあいつの身代わりか?身体が弱いかなんだか知らねえが、いつもお前は損してるな」
説明せずとも自分で納得してくれたので良しとする。
「しかも泉師学校に入学することになって、五家の麗家子息と朋泉。しまいにゃ財布を奪われる。つくづく運がねえな」
「最後のは深が悪いでしょ?」
「おうおう、悪かったよ」
深は懐から何かを取り出して私に放り投げる。手に落ちたのは私の財布だった。慌てて中を確認するが、中身も変わっていない。
「お前、それが全財産だろ?」
「よくわかったね」
「そりゃあ――」
言いかけて深は口をつぐんだ。
「深、いつもこんなことしてるの?」
「いつもではねーよ。たいていは喧嘩売ってきた奴から巻き上げてるだけだ」
深だって懐事情は良くないのだろう。商家に丁稚として拾われたはずが、まさかの泉師学校に入学することになり、金がかかることになった。泉族として働ければその分後で金は返ってくるが、商家としても今送れる金は少ないはずだ。
「ほどほどにしなよ」
「わかってる。お前もな、妖。普通は二人組に一人で襲い掛からねえよ。それも弱いのに。
茨塊が『ごちそうさま』だってよ」
「あはは……」
冷静に考えてみればたしかに分が悪い。無策で挑んでも何もならない。ごちそうさまは嫌味として受けとった方がいいだろう。
「茨塊は深の知り合い?」
「朋泉だよ。あいつも泉族の出身じゃないから、気が合うんだ」
「そうなんだ」
朋泉ならば何も言えない。
(茨塊……ちょっと嫌な感じがしたけど)
「じゃあ俺は戻るな」
「うん、またね」
初対面の印象が悪かったせいだと思い込み、私も寮に戻った。
*
既に慶透が帰っていて、戻った瞬間、
「遅い!」
と怒鳴られた。
「昼は食べたのか?料理の形跡がないが、抜かした訳ではあるまいな?」
「ちゃんと食べたよ。食堂の人に残りをもらったんだ」
「そうか。しかしなぜそんなに汚れている?」
これは深に地面に倒されたからだが、昔馴染みのことを悪く言うのは気が引けた。
「ちょっと、いろいろあって」
これ以上入り口で怒られるのは勘弁してほしいので、慶透の脇を通り抜けて中に入る。その際に手に持っていた竹皮を奪われた。
「これはなんだ」
「あ、ちょっと!」
人の話を聞かないことに定評のある彼は、そのまま包を開けてしまった。そこにあるのは土のついた歪な桜餅。
「その、本当は昨日のお礼がしたくて、食堂に行ったんだ。そしたらたまたま桜餅を作ってて、混ぜてもらって。
慶透と一緒に食べようと思ったんだけど、落としちゃったんだ」
「それで一つなのか。容器が大きいわけだ。
微光、昨日は私からのお礼だ。返しは要らない」
言われてそう言えばそうだったと思い出す。
結局あげようと思っていた桜餅は地面に落ちるし、もう人にあげられるようなものではないからいいのだけど、
「ごめん……」
「なぜ謝る。君が私のために作ってくれたのなら食べよう」
椅子に座った慶透に慌てて駆け寄り、竹皮ごと取り上げる。
「だ、だめだめ!一回土についてるんだってば!ちゃんと私が食べるから!」
「構わぬ。食べられぬほどではない」
「いやでも、慶透は五家の若君だし、食べさせられないよ」
慶透は私をじっと見て、
「座れ」
と言った。平均より低い声を持つ慶透だが、その声は常よりまた一つ低く、私は大人しく向かいの席に座った。
「その竹皮を卓上に置け」
これにもまた従うと、慶透は満足そうにうなずいた。
「微光、君はこの桜餅を五家の子息のために作ったのか?
それとも、君の朋泉である麗慶透に作ったのか?」
「……慶透に作った」
「ならば構わぬだろう。君の朋泉として、私は食べる」
慶透が食べると言えば食べるのだろう。結局のところ彼には逆らえないし、そもそも決めたことを曲げるような人ではない。
(申し訳ないが食べてもらおう)
大人しく慶透の動向を見守っていると、彼はいつものように流れるような動作で竹皮から餅を取り、二つに割った。餅を二つに割るのはかなり難しいと思うのだが、と変な所に感心していると、その片方を差し出される。
「何?」
「君は私と一緒に食べようと思っていたのだろう?」
そうだ、本当は慶透と一緒に食べようと持って帰って来たのだった。私は半分になった桜餅を受け取った。
「む、美味いな」
「ほんと?」
先に食べた慶透に続き、私も口に含む。少し土の味がするがそれもすぐに本来の味に上書きされる。厨房でそこの人達と食べた時と一緒の、甘くてしょっぱい味だ。
「うん、今度また作ってくれないか?」
「いいよ。良かった、慶透は甘味苦手じゃないんだね」
「甘い物は好きだ」
意外なことに好きとまで来た。これは作り甲斐がある。
その数時間後、朝に彼が宣言した通り、険しい山道を登り泉に行くというしょっぱいのみの思いをすることになろうとは、その時の私は全く思い至らなかったのである。
(慶透の石頭!甘味は絶対たまにしか作ってやらないから!)
理雪や茨塊のように、修行をしていなくとも試しに受けてみて泉師学校に受かる人もいます。
平民はたいていは泉弟の学校にしか行けないです。普通に働くより多く金が手に入るので、泉族になろうと挑戦するものも多いです。
続きます。