王女の話
試験の翌日、私は朝早くに身支度を終え、外に出ていた。
「公清、元気だったかい?」
しばらくすると、師匠が現れた。髪は高い位置で括られており、輝く銀の耳飾りと、白地に銀の服が美しい。
「師匠、お久しぶりです。私は元気です。師匠はお変わりないですか?」
「ああ、変わらないよ」
とは言うものの、師匠は以前に比べて少しやせたように感じる。それでも師匠が話さないと決めたことを訊ねるつもりはない。
「それなら、よかったです」
「もう出られるかい?」
「はい」
王女からの手紙も持ったし、慶透に夜は一緒に作るからと一人で準備しないことを約束させた。徐々に料理の腕前は上達している慶透だが、味付けに関しては信用できない。全部一緒にする方が安心だ。
「では、行こうか」
「はい」
向かう先は決して楽しい場所ではないが、こうして師匠と一緒に外を歩けるのはちょっと嬉しかった。
*
王宮に着くと、向かえに来た従者が門からの道を案内してくれた。本殿の一室に通され、二人で待つようにと伝えられる。豪奢な椅子に座っていると、それほど待たない内に王が登場した。それを見て、私と師匠は立ち上がり、片膝を付き、首を垂れる。
「面を上げなさい。銀家の杏澪、公清、よく来てくれた」
王の言葉に顔を上げると、そこで王と視線がかち合う。以前のような機械的な冷たさと異様な熱のこもった視線ではなく、燃え上がるような欲を感じた。その違いが何によって引き起こされたのかはわからないが、私はやはり王が苦手だと思った。
「座りなさい」
許しが出たので、もう一度椅子に座るが、自然と浅くかけてしまう。それは師匠も同じようだった。
「さて、本日公清を招いたのは董華だったが、その前に一つ話しておきたいことがある」
王の言葉に、師匠が身を固くした。
「王家に戻る気はないか?」
言葉と同時に、隣の師匠の纏う雰囲気が一気に重苦しくなる。音もなく周りの温度を下げてしまうあたり、師匠と慶透は似ているのかもしれない。
「陛下、何をおっしゃるのです?」
「そのままの意味だ。泉族の間で起きている事態については、こちらでも把握している。公清は女であろう?そのことが露見すれば、どのような目で見られるかわからぬ。王家に籍を置けば、その意味合いも変わるだろう」
泉族で起きている事態については全く分からない。雪家にいた時はそういった情報は入って来なかったし、五家の人間となってからも二年次の準備で忙しかった。泉師学校ではそういった情報は遮断される。
「花の子の存在を明かせば――」
「この状況下では難しい。できればとっくに行っている、違うか?もし公清が泉族の中で女として生きていくと決めていれば、状況も違っただろうが、彼女は今、泉師学校にいる」
二人の会話についていけないが、口を挟んで説明を要求することもできない。私がおろおろしていると、その様子に気づいた師匠が肩を落とした。
「この話は、やめましょう。泉師学校に在籍している間は王家になど入れません。それは陛下もご存じでしょう」
「そうだな。だが公清が望むのであれば、いつでも受け入れよう。それだけは覚えておいてくれ」
「はい」
王がまた私の方を向いたので大人しく頷くと、その場に残っていた熱がゆっくりと霧散していき、話は終わりとなった。
「では、董華の元に案内しよう」
扉の傍に控えていた使用人が扉を開けようとしたので、私と師匠は立ち上がった。
「杏澪、君とはまだ話がある」
師匠は途中で呼び止められたが、直ぐに座ることはしなかった。
「私は公清の付き添いとして参りました」
「ここまでで十分であろう。少女同士の会談にそなたがいては、董華も話しづらいだろう」
「しかし――」
「大丈夫ですよ、師匠」
私はできるだけ大丈夫そうな笑顔で言った。
「董華様とは仲良くしていただいておりましたから」
女であることがばれるまでは、だけれど。
王との会話では師匠のほうが不利な話の展開だった。おそらく私に聞かせたくない話があるから、師匠があまり話せなかったのだと思う。それなら私がいない方がいいと思うし、話があると言う王を振り切るのはよくないことなのかもしれないとも思う。それで師匠に不利益が生じるのは嫌だった。
「そう、君がそう言うなら、私は残ろう。ただし、帰りは一緒だ、わかったね?」
「はい」
王にも聞かせるように師匠が釘を刺す。私にとっては、むしろ一緒に帰れることが約束されたようなものなので心は軽くなった。一礼してから、使用人に続いて部屋を出た。
本殿を出て、渡り廊下を一つ渡った建物に王女の部屋はあった。私はそのもう一つ奥の建物に部屋を与えられていたため、新鮮な気持ちで廊下を歩く。使用人が止まったのは、一つの大きな扉の前で、そこに立っていた見覚えのある侍女が私の相手を引き継いだ。
「公清様ようこそいらっしゃいました」
声は平らな調子だったが、私に対して思うところもあるのだろう、その目は冷たかった。侍女が扉を開くと、部屋の中ほどに人の姿が見えた。
「入りなさい」
震えているような細い声ではあったが、忘れもしない、王女の声だった。その指示に従い部屋の中に進むと、向かい合わせの長椅子があり、王女はその奥側の椅子の前に立っているのだということがわかった。
手前の長椅子の横に到着したところで、片膝を付き首を垂れる。
「ご招待いただき、誠にありがとうございます、殿下。銀公清です」
「面を上げなさい」
ゆっくりと顔を上げると、王女の表情が見えた。やや下がり気味になっている眉と、潤いを蓄えた瞳が不安げな印象を与える。どうして彼女が私を呼んだのか、その理由は手紙からはうかがい知れなかったけれど、そこでなんとなく察してしまった。
(私のせいで苦しませてしまった)
王女は私と目が合うと、余計に瞳を潤ませたが、堪えるような動作を見せた後、きつく結んでいた唇を開く。
「そちらにお掛けになって」
言葉通り、立ち上がって入り口に近い長椅子に腰かけると、王女は奥の扉の方を見た。
「下がりなさい」
侍女に向けたものだったのだろう。開かれていた扉を閉じてから、侍女は部屋の外に出た。それを確認してから王女は私とまた視線を交わらせた。
「今は、公清と言うのね」
「はい」
「新しい家には慣れたの?」
「はい。皆、とてもよくしてくださいます」
ゆっくりと探るように会話が進んでいく。こちらから話題を出そうとすると王女が身構えるので、私は彼女の言葉を待つことにした。
「公清、その、以前あなたに酷いことを言ったわ」
しばらくの沈黙の後、ついに彼女が本題を口にした。抱え込んでいた毒を吐き出したかのように、彼女の肩から力が抜けていく。揺れていた瞳は、とうとう雫を零し、幼い頬に一筋の軌跡を描く。
「殿下、それは私が――」
「いいえ、違うわ。あなたが性別を偽っていたことは確かだけれど、私は気づいていた。あなたが婚約の話を持ち掛けられて困っていたこと。私を慰めてはくれたけど、異性として見ることはなかったこと。それでも私は、そこから目を背けた」
王女は涙を拭うことなく言葉を続け、膝の上でそろえられた手に、水滴が落ちていく。
「私、あとで聞いたの。あなたのこと。どうして王家に入ることになったのか、どうして性別を偽っていたのか。それで思い出した。あなたは、私の話をよく聞いてくれたけれど、あなた自身については話さなかった。私は、あなたのことを何も知らなかったの」
「殿下、」
「それに!私は、あなたのことを好きでいたのに、あなたを苦しめるっ、苦しめるとわかっていて、玉を外さなかった!」
私につけられていた泉力を封じる玉は、泉力が流れ続ける限り外れない。泉力を宿す泉族には外せないが、それを持たない者には外せる。あの頃は、もう外そうと足掻く気も起きなかったから、王女に外してもらおうと思うことさえなかった。
「殿下、ご自分を責めないでください。泉力のない者であればあの玉は解除できましたが、溜め込まれていた泉力が漏れ出るので、泉力を持たぬ者にとってはかなりの衝撃があります。私は、殿下が痛い思いをされることを望みません」
玉が外せるのなら、どうして外してくれなかったのだと、思わないわけではない。けれど、泉族でない彼女にとって、泉力を封じられることの意味もわからないだろうし、王妃の判断を覆すような危険な行為を勧められるわけがない。
「許して、くれるの?私、酷いこともたくさん言ったのに」
声に幼さが宿ると、胸の奥が痛くなった。私は知っている。彼女がどういう人間なのか。知ってしまったのだ。ずっと王宮に閉じこもって生活をしてきた。父は美しい女性に夢中で、母は自分の心を利用する。兄も彼女に厳しかった。
「もちろんですよ。殿下、私も謝らせてください。ずっと性別を偽って接していたこと、そのせいで殿下を深く傷つけたこと。本当に、申し訳ございません」
「うん、許す、許すわ、公清」
王女はようやく涙を拭いて、初めて笑顔を見せた。
「あなたは、一度だって心を偽らなかった。私、あなたともう一度、やり直したいの」
やり直す、とはどういう意味だろう。お互いに心に引っかかっていたことを解消できたのは良かったけれど、彼女が私を呼んだのはそのためだけではなかったのか。王女のことは悪く思っていないけれど、もう王家とは関わりたくない。
「女の子同士、友達として、あなたに接したい」
たしかに私は女だけれど、今は泉族として修業中で、泉師学校では男のままである。泉力を持っている以上、王宮に足を運ぶのもよろしくない。
だが、彼女が今、どれほどの勇気をもってその言葉を口にしているのか、わかってしまう。透き通った瞳は、真っすぐで、純粋な感情しか存在しない。
「ぜひ、友としてよろしくお願いいたします。ただし、私は泉族です。それも泉力を授かっている。殿下の望むような関係が築けるかは、わかりません」
はぐらかして前回の二の舞になるのはごめんだった。伝えるべきことを伝えると、王女は顔を曇らせることなく、きょとん、とした顔を見せた。
「私が望む関係?そうね、よく考えたら、友達ってどういう関係なのかしらね?」
その言葉に胸がぎゅっと痛む。彼女はこの王宮の中で孤独だったのだ。
「公清の事情もわかるわ。大丈夫」
「でしたら、よいのですが……」
「やった!ねえ、もう私達、友達なのよね?公清のことを教えて!」
王女は嬉しそうに重心を前に移した。
「私のこと、ですか?」
「そう!例えば、友達はいるの?朋泉以外で」
「朋泉以外で?殿下は朋泉を知っているのですか?」
泉族の用語を王族が知っているとは思わなかった。
「一応、ね。あなたの朋泉は、何て言うか、とても美しくて正しいけれど、冷たい人ね」
どうやら彼女は用語ではなく対象として捉えららしく、思いもよらぬ答えが返って来た。
「私の朋泉は、冷たく映るかも知れませんが、意外と優しいのですよ」
「そう?私には怖いだけだったわ」
いったいいつ、どのような状況で会ったのだろうと気になったが、だいたい慶透はそういう印象を持たれるのでいつでも変わらない気がしてきた。
「朋泉はいいの、それ以外は?」
「そうですね……」
一度頭の中で考える。楽平と賢奨は間違いなく友達と言っていい。丈拳も、炎陽もそうだ。朗妃は感覚としては友達に近いけど、実質的には先輩だ。深もどちらかというと家族に近い。
「四人ほど、ですかね」
「みんな男なの?」
「ええ、みな泉師学校で出会いましたので」
「じゃあ私が初めての女の子の友達なのね?」
「はい、そうなります」
王女は明らかに嬉しそうだった。
「殿下、そろそろお時間です」
扉の外からの声にその笑顔は消える。
「もう時間なのね。最後に、公清、何か変わったことはない?」
「変わったこと、ですか?」
王女は目を伏せ、声を落とした。
「周りに女性がいないのでしょう?女同士でしか話せないこともあるわ。体の成長だってあるだろうし」
図星を突かれてつきりと糸が張るような痛みが胸を襲う。
(ある。けれど、王女に話すようなことなのだろうか?)
まだ、ほんの少しの異変だ。言うほどのことでもないし、それを言えるほどの信頼を築けていない。
「いえ、特にございません」
「そう」
王女の声は沈んだものだったが、向けられた目に心配が宿っている。
「また、何かあったら教えてちょうだい。手紙でもいいけれど、できれば顔を見たいわ」
「わかりました。また、お会いしましょう」
私の返事に、王女は安心したように微笑んだ。
侍女に扉を開けてもらって、控えていた行きと同じ使用人に案内してもらう。師匠の待つ部屋にもう王はいなかった。そのことにほっとする。師匠は私に気づいて立ち上がり、可能な限り早く王宮を出た。
「大丈夫かい?」
王宮が見えなくなった辺りで、師匠に声をかけられた。
特に何も起きなかったけれど、王の嫌な目だとか、王女と交わしてしまった約束だとか、心の面での疲労は大きく感じる。
「ちょっと、疲れました」
先を歩く師匠に追いついて顔を見上げて言うと、師匠は曖昧な、けれど嬉しい方が強いだろう笑みを見せた。
「どうかしましたか?」
「いいや、何でもないよ。よく頑張ったね」
師匠の大きな手が、優しく私の頭を撫でる。
「はい」
(私、頑張ったんだな)
大人しく撫でられていると、幾分か気分が回復した。
*
師匠に別れを告げて寮に戻ると、もう灯りがついていた。慶透は家の仕事が早めに片付いたのだろう。嫌な予感がして、慌てて部屋に駆け込むと、丁度彼がよくわからない粉を鍋の中に入れようとしているところだった。
「け、慶透!」
「ああ、お帰り、妖」
「お帰り、じゃないよ!」
私は鍋の上から慶透の手を退かす。幸いにも中身はまだ零れ落ちていないようだった。
「ご飯、一緒に作ろうって言ったじゃないか!」
「そうだったな」
「何で作ってるの?!」
「君より早く帰った」
用意しようとしてくれる気持ちは嬉しいが、私は激マズ料理で歓迎されても嬉しくない。慶透は相変わらず私の話を聞いてくれない。
(まあ、慶透だからなぁ)
慶透の手から粉末の入った器を取り上げて鍋の味見をすると、普通に美味しかった。
(間一髪、間に合った)
慶透は素知らぬ顔で夕餉の準備を始めていた。責めるように彼を見ると、彼は納得のいかないという顔をする。
「君がいなかったのだろう」
「うん?それは、そうだけど」
慶透の意図をがわからず首を傾げると、彼は説明することなく作業に戻ってしまった。
(何だったんだろう?)
私としてはまともな料理が食べられれば、それでいいのである。
続きます。




