炎陽の告白
部屋に着くまでには何とか落ち着くことができた。
「ただいま」
ただ自分でもわかるほど声に力がない。慶透もそれに気づいたのか、文句を言おうと開いたであろう口を一度閉じた。
「目が赤いな」
それは炎陽との言い争いではなく、楽平と賢奨と話した際に泣いてしまったことによるものだろう。
(だから炎陽は声をかけたのか……。いや、でもそれで変に疑われるのは嫌だ)
「何があった?」
慶透は読んでいた書物を卓上に置いて、自分の向かいに座るように目で促した。私はそれに従い、とぼとぼと部屋の中に進んで椅子に座った。
「道楽平と聖賢奨と何かあったのか?」
「ああ、うん。二人とは色々話して、主に、私に起きたこととか、なんだけど」
「女であることも?」
「それは流石に、言えないよ」
「そうか」
「そう、でも、私の名前とか立場とか関係なく、友達だと言ってくれた。
それで、ちゃんと泣けたのかって」
慶透はそこで不思議そうに肩眉をピクリと動かした。
「なぜそういう話になる?」
「その――」
慶透は私を助け出すために尽力してくれた。そのことには感謝だけを伝えたい。けれどきっと、彼は私の全てを知りたいと思うだろう。そのことに関してだけは自分でも笑ってしまえるほどの自信がある。
「今回の出来事は一言でまとめてしまえば、雪家を出て銀家に入ることになったってことだ。みんなからすれば五家に入るのだから喜ばしいことだ。私も、嬉しく思っている。
けれど、そこに至るまで――王家に入ることになったり、自分の親について知らされたり、そういった過程について、私自身は、私の気持ちがどうだったのか、二人はそこを気にしてくれたんだ」
我ながら下手な説明だったが、慶透には伝わったらしい。眉が元の位置に戻って、目に優しさが宿る。
「そうだな。君は何かと気に負いやすいから。彼らは君のことをよく理解している。
賢叡先生も仰っていたが、急に銀家、それも本家筋だとなれば困惑する。そのこと自体は銀家の者もよくわかっているだろう。彼らは杏肇様の忘れ形見でもある君に対する喜びが勝っているだけで、君に感情を強制させたいとは思っていないはずだ。
王家のことについては――」
慶透は言葉を切って、私から視線を外した。
「君にとってつらいことしかないはずだ」
そこで私は慶透が迎えに来てくれた時のことを思い出す。
(そうか、慶透が来たのは殿下に女であることを知られてしまった後だ。泣いているところも見られて、困らせてしまったな)
慶透は、その時どうして私が泣いているのか訊ねなかったが、その後も何も訊かれていない。気をつかってくれているのかもしれない。
「君の感情を無理に抑え込む必要はないが、一つずつ紐解くことが余計に苦しみとなることもあるだろう。もし何かあれば、私に言って欲しい」
「うん、ありがとう」
「二人とのことについては理解した。他にはどうした?」
慶透には隠し事はできないようだ。言うか言うまいか、迷って、やはり言うことにした。
「実は、その後炎陽と会って心配させたというか、怒らせたというか――」
一言で説明するのは難しくて、私は二人の部屋を出たところから順を追って全てを慶透に話した。
「そうか」
慶透は静かに言った。
「私には君が悪いとは思えないが、炎陽も事情があるらしい、というのを朗妃から聞いた。君に話すべきか迷っていたが、彼を理解するには話しておいた方が良いだろう」
炎陽の事情。私は共に一年学んで彼の人となりは少し知れたと思うが、彼自身の事情にあたるものについては啓家の長男であるということ、そして、一人息子であるがゆえに、彼以外に跡継ぎ候補がおらず、努力をしていることしか知らない。
「彼は啓家の一人息子だ。跡継ぎの決め方は色々あるが、啓家は細かく厳しい。本家の長子が次期当主となり、その者が何らかの事情で次期当主となれなかった場合、その弟が後継者となる。そして当主の子ども以外が当主となることはない。家が途絶えぬように、養子を迎えることは可能とされているが、それを決めるのは当主でなくてはならないし、それは出来る限り避けねばならないそうだ。つまり、銀家のように親族を中継ぎとすることもできない。ここまで決まっているのは五家でも珍しい」
私も詳しくはないが、跡継ぎに関しては分家や派閥から出されることも多いと聞くし、そういった方法を取っていないことには珍しいと感じる。
「数百年前までは他とも変わらない、ただ長子が優先されるだけの決まりだったらしいが、あることが起きて今の形となったらしい」
「あること?」
「ああ」
「当時の当主には二人の息子がいた。長男が次期当主だったが、長男は体も弱く、次男の方が泉力も武術も優れていたという。だが決まり通り、長男が当主となった。問題が起きたのはその後だ。
啓家は泉力を授かると同時に派閥の囲山から許嫁を選ぶ。その長男にも許嫁がいて、無事に夫婦となったが、後にその妻が次男と関係を持っていることが発覚した。その衝撃もあったのか、当主は体調を崩し、流行り病にかかり、身体が弱かったために見る間に衰えていった。彼には息子が一人いて、妻が二人目を身籠っている状況だったが、その子が弟の子かもしれないと思い、跡継ぎに関しての規則を加えた。一人目の子どもは泉名をつける時に泉力を見て自分の子どもだという確信があったから、確実にその子が当主となるように、自分の死後、何か起きて弟の子が当主とならないように。規則は除くのは難しいが加えるのは容易い。現在までその時の決まりが残っているというわけだ」
慶透が私の様子を窺いつつ話すのは、少し母の話と重なるからだろう。事情は違うけれど、妻が他の男の子を宿すという点では似ている。
「遠い昔の話だ。それだけならば何もなかっただろうが、炎陽の許嫁は現在、別の者の許嫁となっている」
「どういうこと?」
「炎陽の許嫁は数年前、許嫁を解消したいと言い出した。幼い頃から友として接していた者に恋をしてしまったと。許嫁といっても六つの時に決められたもので、親の決定だ。彼自身が許嫁に対してどいういう思いで接していたかは知らないが、それなりに衝撃を受けただろう。祖先の話もあってか、男女の心の働きにいい印象がないのだと言う」
男女の性の違いで、人の捉え方は簡単に変わる、と言っていたのはそことを指しているのだろうか。
「これは朗妃から聞いた話で、私自身は彼について知らないことが多く、あまり理解できていない。だから君に詳しく説明することは出来ない。どうして私と君の関係にまで口を出したがるのか、わからない」
慶透の言うこともわかる。けれど、炎陽にも事情はあって、それを知らなかったとはいえ八つ当たりのようなことを言ってしまったのは私だ。
「私も炎陽の考えはわからないけど、嫌なことを言ってしまったのはたしかだ」
「仕方のないことだ。彼も君に対して配慮のない発言をした」
「ちゃんと炎陽と話をしないとね」
このままではいけない。途中で話を切って逃げ出したのは私だ。きちんと話し合って、お互いの考えを理解しないと。
「それならば私も同行しよう」
「え?」
どうして慶透が同行するのか。
「朋泉ならば、当然だ」
「う~ん、うん?」
強い目で押し切られてしまい、翌日、結局慶透と一緒に炎陽を訪ねることになった。
「どうしてお前がいる」
当然、炎陽に指摘されたが、慶透は聞こえていないかのように私の後に続いて炎陽の部屋に入った。
授業の始まる前に話したいと伝えてあったからか、部屋の中の卓には既に茶が用意されていた。丈拳は慶透が来たのを見てすぐに器を追加したのか、三人分の湯飲みが置かれていた。
席に着くと、炎陽は直ぐに口を開いた。
「昨日は、悪かった」
「ううん、私こそ、ごめん」
お互いに謝ると、炎陽はほっとしたように肩の力を抜いた。
「本当に、どうかしてた。俺の都合でお前に色々言ってしまった。本当は、お前が謝る必要はないんだ」
炎陽は姿勢を正し、一度慶透に目をやってから、真っすぐに私を見た。
「俺は、お前を好いている」
力強い目に、しばらく言葉の意味を理解できなかった。
「え?」
「お前が、好きだ。友としてではなく、異性として」
隣で、慶透が警戒するように身を固くした。
「慶透の宅で集まった時、俺はお前が微光ではないことを謝罪して、それに何も返せなかった。混乱していたんだ。
慶透が言ったことを覚えているか?」
『君は、やけに男女にこだわるな。性別で人を判断するのか?公清が女だということが、君の認識にそれほど影響を与えるのか?だから先ほども返答しなかったのか。女だとわかった公清とは変わらず接することはできないと?』
炎陽が言い返せなかった言葉だろう。
「お前は、お前だ。それは変わりない事実なはずだ。俺が接してきた”雪微光”は公清と名を変えただけで、お前に変わりはないのに、以前のように接することができなかった。
俺はもともとお前を好ましいやつだと思っていた。最初の試験の時にお前に助けられた、あの時から、咄嗟に助けに入る勇気に尊敬を抱いたし、お前の努力と成長を目の当たりにして、すごいやつだと感動した。面白くて、つい構いたくなる、そう思っていた」
炎陽は私によくしてくれた。慶透のように常に共にある存在でも、楽平や賢奨のように気の許せる友でもなかったが、心地よい関係が築けているとは思っていた。好ましいとまで思われていたのは知らなかったが、そこにはあまり驚きはなかった。
「それが、お前が女だと知った途端、変な方向に捻じれたのを自分でも感じた。お前が欲しいと、お前の特別な存在になりたいと思った。その時は、俺も混乱していて、お前に対する気持ちを整理できなくて、何も言えなかった。以前のようにお前を見れていないのはわかっていたから」
炎陽の顔は真剣そのものだった。
「それからは、お前が他の男といるのが嫌になった。純粋にお前を心配する気持ちもあったが、男女の話は建前で、俺はお前が好きだから、慶透と同室のままなのも、やけに道楽平と親しいのも、嫌だった。お前や慶透、道楽平ににそんな気はないとわかっていても……」
いきなり言われてもその言葉を受け入れられない。炎陽の瞳で、董華を思い出してしまう。
(異性としての好意を、私は――)
「随分な話だ」
急に割って入ったのは慶透で、その声からも表情からも怒っているのがすぐわかる。炎陽は驚いた様子もなく、今度は慶透を見据えた。
「君は、彼女の事情を理解していて、異性として好きだと言うのか」
「そうだ」
即答されて慶透の方は少し驚いたようだった。
「お前にはわからないだろうな。お前は、公清は公清だと、そう言い切ってしまえる。女であろうと男であろうと、公清に対する気持ちは変わらない。
だが、俺は違う、違った。女であると知って、そういう対象として見てしまった。公清への好意が、形を変えてしまった」
「お前にはわからない」と、炎陽は繰り返した。正直私もよくわからないが、炎陽は私がわからないのも理解しているようだった。何も言えない私に驚くことなく頭を下げた。
「急に悪い。お前自身は俺のことをどうとも思っていないのは理解している。お前は今まで女であることを責め、思い悩んで生きてきた。女だと知って好きになったと言われても嬉しくはないだろうと思う」
眉根を寄せた炎陽は苦しそうで、とても想い人に想いを告げている人の表情ではない。
「言うつもりはなかった。お前が困るのはわかりきっていたから。今日は昨日のことについて謝るために部屋に招いただけだった」
炎陽の目が慶透に向く。
「だが、慶透が共に来て、どうしても言いたくなってしまった。俺にだって、他の誰にだってわかる。お前の特別は慶透で、慶透の特別はお前だ」
それはそうだろう。朋泉となって、寝食を共にした。私は慶透に助けられることが多かった。お互いの気持ちを吐き出して、理解し合った日もあった。
師匠ももちろん大事だが、ずっと雪家に閉じこもっていた私にとって、同世代で長く共に過ごしたのは慶透が初めてだった。
「慶透がお前の傍にいる限り、お前は他に目を向けることはない。お前の特別は変わらないままだ。だから、言っておきたかったんだ。
俺はお前が好きだ、公清。気持ちを受け取ってくれとは言わない。知っていて欲しい」
私を見つめた炎陽は、卓に置いていた私の手を取った。
(何がなんだかわからない、けど、炎陽は真っすぐに私に向き合って伝えてくれたんだ)
返答しようと思った時、じっと様子を見ていた慶透が私の手を引かせて、炎陽から離した。
「何のつもりだ?」
「私こそ、君に何のつもりだと問いたい。君が公清を好いているのはわかった。だが、私の朋泉だ。君にその座を譲るわけにはいかない」
「別に俺は公清の朋泉になりたいわけじゃない」
「公清の特別になりたいと言っただろう」
慶透が睨みつけると、炎陽は手を引っ込めて、睨み返す。
「そうだ。だから、お前のいる前で告げた。お前に後で色々言われるのは嫌だからな。
決めるのは公清だ。お前に止める権利はない」
炎陽がきっぱりと言うと、慶透は私を見た。彼の瞳が揺れているように感じる。それほど、慶透にとって朋泉という存在は大きいのだろう。
私は大丈夫という意味を込めて微笑む。炎陽の気持ちを知ることで朋泉への気持ちが減ることはない。
「炎陽」
私は硬い表情のままの炎陽を見上げた。
「伝えてくれて、ありがとう。私にはまだよくわからないけれど、君が私を異性として好いていることについては、わかったよ。その、それで何が変わるとかはないけれど。
君は敢えて『女だと知って好きになった』と言ったけれど、それまでも好意的に思っていてくれたのだから、その好意自体は嬉しく思うよ」
告げると、炎陽の眉間が解れ、眉が元の位置に戻る。
「だけど、そのことで私が慶透と部屋を離したり、楽平たちと距離を置いたりすることはない。私にとって、慶透は特別で、朋泉で、楽平と賢奨は大事な友達だから」
「ああ」
わかっている、と言うように炎陽は眉を下げた。
「君が伝えてくれたおかげで、もやもやしてたのが、なくなった気がする」
「それならば、よかった。俺はお前の能力を疑ったことはない。お前のことが好きだから、他の男に気が向いているのが嫌だったし、お前に何かあったらと落ち着かないだけだったんだ」
「う、ん、ありがとう」
炎陽が今まで見たこともない優しい笑顔を見せる。声も柔らかく、初めて知る彼の一面に、気恥ずかしくなってしまう。
(今、やっと炎陽の好意がわかってきた気がする)
じわじわと体の中で熱が広がって、まともに炎陽の顔を見れない。思わず触れたままの慶透の手を掴んでしまった。炎陽は肩眉を上げたが、何かに気づいたのか、嬉しそうに口角を上げる。
「ふ、効果はあったみたいだな」
今までの緊張はどこへやら。炎陽の表情には自信が戻っていた。
「お前が俺を男として意識できるのなら、全く望みがないわけでもなさそうだ」
「え、なに?」
「いや?必ず、俺を好きにさせてみせる。よろしくな、公清」
にっこりと笑みを作られて、私はなんだかとんでもないものを受け入れてしまったのではないかと、ちょっと不安になった。
炎陽はわりと長い間ずっと悩んでました。
続きます。




