最初の試験(下)
今日は実技の試験なので、午前の講義はなく、午後にいつもの山に集まることになった。
「微光、行くぞ」
「うん」
出発は全員同時だ。先生の札が宙で弾ければそれが合図となる。
六日間である程度の感覚はつかめているので、各々がそれぞれのペースで歩き始めた。
私達は完全に私次第なのだが、疲れが取れた状態だからか、昨日よりもかなり早い速度で進めた。初日も疲れはなかったが、最終地点までの道のりと自分の体力を把握できるようになった今は、初日より断然はやい。上の中といったところか。
「微光、もう少し速くできるか」
「いけそう」
何だか自分でも楽しくなってきて、半分ほど登ってもあまり疲労を感じなかった。このままならそこそこいい成績を残せそうだ。
「炎陽様!!」
突然、大きな声が響く。それは前方から聞こえてきた。
「すみません、誰か!」
助けを求めるも、誰も動けない。登山中は水のみしか持てず、札も持つことはできない。先生の助けを呼ぼうにも、術で助けようにも札がなければできないのだ。
慶透と顔を見合わせ、急いで騒動の方に駆けつけると、誰かが崖に半分身を乗り出していた。この大きな体は、炎陽の朋泉だろうか。
「このままでは落ちてしまいます!」
彼は崖から落ちそうになった炎陽の腕を掴んでおり、そのまま引き上げたいが、上手くいかないようだった。彼の背後で顔を真っ青にしている生徒たちも、手伝おうとはしない。
その中に混じって崖を覗き込むと、炎陽の脚と腕に魔獣が食らいついていた。朋泉の手は、炎陽の腕にいる魔獣に噛まれて血だらけで、他の者は魔獣を恐れて手を貸せないようだった。
「先に魔獣を払えればいいけど」
「馬鹿な。札も剣も弓矢もないのに、どうやって」
もし仮に炎陽を引き上げたとして、彼についている魔獣まで一緒についてきたら、今度はその場にいる者全員が魔獣に襲われる可能性がある。
「丈拳、もういい。手を離せ」
「けど、炎陽様が!」
崖の下の地面は見えるが、かなり距離があり、岩も多い。そのまま落ちれば確実に死んでしまうだろう。
「慶透、どうにかならない?」
私の声に周りがぎょっとする。普段は位の高い生徒は周りにいないので、私が慶透と呼び捨てるのも、ため口をきくのも、信じられない光景なのだろう。
「先に行って助けを呼ぶくらいしかできぬだろう」
「じゃあ先に行って!」
「私は微光と――」
「今はいいから!」
もう試験どころではない。私は慶透を真っ直ぐに見た。
「慶透が最速で行かないと間に合わない。私は慶透の全力についていけない。でも、私だって丈拳を手伝うことくらいできる。私が時間を稼いで、慶透ができるだけ早く先生を呼びに行く。そうすれば炎陽様を助けられるかもしれない。
二人一緒では無理だけど、二人で力を合わせれば何とかなるかもしれない」
「わかった」
慶透は頷いて、山を登って行った。数秒もすれば姿が見えなくなるほどの速さだった。
私は丈拳の横に体をつき、炎陽の腕に手を伸ばす。魔獣が噛みついてくるが、大して痛くはなかった。
「微光様、ありがとうございます」
「いいよ。ごめん、私はこれが限界だ。丈拳、引き上げられる力はある?」
「わ、私も手伝います!」
後ろで見ていた内の一人が丈拳の帯を引く。
「俺も!」
どんどんと参加者が増え、何とか炎陽の上半身を引き上げることができた、その時だった。
「離れろ!」
崖がみしりと音を立てる。炎陽にしがみついていた魔獣が、炎陽が引き上げる間に崖に攻撃し、崩れやすくしていたのだ。
(やけに頭のいい魔獣だな)
炎陽は丈拳の身体を押し、内部に追いやった。彼についていたものも、丈拳に倒されるようにして内側に避難する。
「炎陽様!」
炎陽だけが崖の下へと投げ出された。
私は思わず駆け出し、そのまま彼の後を追って飛び降りる。
「微光様!」
丈拳の声が遠くなる。だが、完全に私より炎陽の体重の方が重く、中々彼に追いつかない。私は足の裏に泉力を流し加速した。炎陽に追いついたところで彼の身体を腕の中に納め、頭を上にすると、足の裏の泉力で落下に抵抗する。
なるべく岩のない所に着くように位置を調整し、もう速度を落とせないところで体を倒し、背中から着地した。
「いた!」
「うっ!」
仲良く体の中から空気を出すことになったが、炎陽も私も死ぬことはなかったようだ。
「炎陽様!微光様!」
丈拳の声に手を上げて答えると、崖の上からわっと歓声が上がった。
「お前、何をした?」
炎陽はその歓声を気にも留めず、私を睨みつける。
「独自飛行したのか?」
泉力を使って空を飛ぶ方法は様々だ。泉器としての靴を使うのが最も一般的だが、剣を使って飛んだり、泉器の衣を纏ったりもする。それらなしで自分の身体だけで飛行することを独自飛行という。
「飛べませんでしたけれど」
「俺がいなかったら飛べていただろう。泉力も足切りぎりぎりで、術に関してはからっきしだったはずだ。泉師でも難しい独自飛行ができるなど……実力を隠していたのか?」
血だらけの腕で胸倉を掴まれる。
「そんな、まさか。師によると、泉力の流れが他の人とは違うらしいので、それが原因かと」
「本当か?」
「本当ですよ。だいたい実力を隠してどうするのです?慶透の足を引っ張って悪目立ちしたいなんて、誰が思うんですか?」
「それは、確かにそうだな」
炎陽はぱっと手を離した。
「悪かった。あと、助かった。礼を言う」
「いえ、礼なら丈拳に」
崖の上を見上げると、炎陽もそれにならい、「そうだな」と同意した。
その後は先生が助けに来てくれ、怪我の手当てを受けた。しかしながら泉師学校の決まりで、試験の再試はできない。怪我の手当てが終われば、自力で一度到着地点まで来るように言われ、私は慶透と一緒にまた山を登った。
結果は丁度真ん中あたりといったところだった。連日の実技訓練で下層の者は体力が回復しておらず、そこまで順位は落ちなかった。せっかくならば頑張った成果を見たかったが、初日に比べれば上がっている。酷いのは炎陽たちだろう。常に上位で到着し、私達が着くころには帰っていたはずだ。
「炎陽様、今回は災難でしたね」
何度か視線をちらちら送られ、丈拳にせがむような表情をされたので、私は先に到着していた炎陽たちの元へ向かった。
「いい」
「はい?」
「炎陽で構わない」
「え、」
「敬語も要らん」
意味が理解できず、三秒ほど沈黙が流れた。
「炎陽。ほら、言ってみろ」
「え、炎陽……」
オウムのように繰り返すと、少々むっとした顔をされた。嫌ならわざわざ呼ばせなくてもいいだろうに。
「お前は命の恩人だ。歳も変わらぬのだし」
(いや、本当は二個下なんだけど)
「もし恩人が年下だったらどうするんです?」
「今までお前以外に命を救われたことはない。が、そうだな、三つ以内ならよかろう。俺だって親しい人物であればそれくらいの差なら呼び捨てる」
そう言われれば、こちらとしても呼びやすい。
「家格は気にするな。慶透だって呼び捨てているだろう」
炎陽は私の後ろに目を向ける。呼ばれてはいないが、私が移動すると慶透もついてきたのだ。
「それは……」
「用が終わったなら、行くぞ」
慶透がくるりと後ろを向く。
「待て、礼がしたい。下山したら食事でもどうだ?奢ってやる」
「奢り?!」
いつも通り慶透の後に続こうとしたが無理だった。ご飯、美味しいご飯。作る手間もかからず、いつ何を入れるかわからない朋泉を監視することもなく、完成された料理が食べられる。それも他人の金で。
唾液の分泌量が増える。
「行くぞ」
慶透が振り返って語気を強めた。
三秒ほど見つめてみるが、慶透は目を逸らさない。私が折れて、大きく項垂れた。
「炎陽、ありがとう。今日は行けない」
「ああ、そうみたいだな」
炎陽の呆れた視線を浴びても、慶透は表情一つ変えない。私はしぶしぶ慶透に続いて下山した。
*
道中慶透は一言も喋らなかった。疲れている私も喋る気にはなれず、二人で暗い夜道を進む。
寮に戻るのかと思えば、慶透は違う方向へと進んでいく。
「慶透?」
着いたのは寮とが学舎の間に位置する食堂だった。
試験終わりの生徒も多く、わいわいと賑やかな声と、構内の柔らかな光が漏れ出ている。
「入ろう」
慶透に続き屋内に入ると、一瞬辺りがしんとした。五家の一人である慶透が、それも一度も食堂を訪れなかった慶透がやって来たからだ。
しかし音は直ぐにあふれる。五家とはいえ同い年の同期だし、この七日間でどの家の子どもも炎陽に慣れていた。
「おい、見ろよ、微光だ」
「今日は慶透様だけでなく、炎陽様まで巻き込んだんだって?」
炎陽の一件があった崖は山道から少しずれており、あの場にいた者以外にい事件の詳細はわからない。そうなれば私が炎陽を巻き込んで落下したと考えるのが妥当だったのだろう。既に五家の一人である慶透の足を引っ張っているのだから。
慶透がじっと噂話をしている人を睨むと、彼らは黙って食事を続けた。
「あ!慶透様!」
食堂の一角から明るい少年の声が聞こえた。
「こちらへおいでになってください!」
机に片手を着き、反対の手を大きく宙に挙げていたのは、麗家に入門している少年だった。白い制服を締めているのは水色の帯だ。慶透も同じである。
その机にいる者は全員水色の帯をしていて、食堂では一門の生徒たちが集まって食事を取ることが多いのだと知った。
「耀慶、いつも食事はここで?」
示された位置に腰を下ろした慶透は、同じく座り直した耀慶をじっと見た。耀慶は苦笑いを浮かべて、
「最初は朋泉と作っていたのですが、やはり連日の登山は厳しく……。座学を疎かにするよりは、食堂に行った方が早いだろうと……。その、自炊は時間も手間もかかりますし……」
「そうか」
私も慶透の隣の席に座ると、他の生徒にじろりと睨まれる。本当は慶透だけを席に招きたかったのだろう。
「君の朋泉はどうした?」
「朋泉は自分の門派の席で食事を。朋泉とはいえ、本当にずっと一緒にいなければならない訳じゃないですし」
「そうか」
軽く受け流す慶透に衝撃が隠せない。朋泉だから何事も共にすると、彼は言っていたはずだ。
「慶透、」
私が呼び掛けると、周りの温度が一気に下がる。五家の子息を呼び捨てるなど言語道断なのだろうが、そんなことは関係ない。
「朋泉は常に共にあると言っていなかった?」
「ああ。だがどうするかは本人次第だ。私が口出しすることではない」
「では私は?」
「何を言っている?君は私の朋泉だろう」
心底不思議そうに言われ、ああ、こいつは人の話を聞かないんだったと思い出した。自分がそうだと思ったことはその通りにしないと気が済まないのだろうか。
「食事を頼もう。何が食べたい?」
慶透が卓の品書きを取って一緒に見せてくれる。私が慶透を見つめると、彼は大きく頷き、懐から財布を出した。
(まさか、奢ってくれるのか!)
私は遠慮なく、値段を見ずに食べたいものをただひたすらに頼んだ。
人の作った料理を食べるのは久し振りだった。普段なら高価で手に入らない上等な肉も、容易には頼めない季節の甘味も、最高に美味しかった。冷たい視線が向けられる中での食事はつらかったが、料理の味は変わらないのだ。
食事が終われば寮に戻る。支払いはやはり慶透がしてくれた。もう真っ暗になった道を、慶透と二人で歩く。
「慶透、ありがとう」
「いい。君にはいつも料理の大半を任せている。偶には礼を返さねば」
少々堅苦しい物言いに、思わず笑みが零れた。
「私達は朋泉だ、そこまで気を遣わなくてもいいのでは?」
先を行く慶透が私を振り返る。僅かな月明かりに照らされた綺麗な顔には驚きの表情が浮かんでいた。柳のような眉が下がり、形のいい目が細められ、薄い唇が持ち上がると、それは微笑みへと変わる。柔らかい表情が、人ではあり得ないほど美しい。
「ああ、私達は朋泉だ」
艶やかな唇から少し低い声が零れ、私ははっとする。
(まずい、思わず見惚れていた)
「慶透、あなたは笑っていた方がいいよ」
「急になんだ?」
「いいや、何でも」
直ぐに消えてしまった微笑みを惜しいと思いながらも、この無表情が常だと安心もする。
「今回は上手くいかなかったけど、次の試験こそ、頑張ろうね」
「ああ、導師になるために」
(だから、導師になりたいわけじゃないんだって)
私が泉師学校に入ったのは、泉力を授からなかった兄の代わりだ。学校を出て資格を得て、彼に泉力がないことを隠すためだ。学校さえ終われば、尊敬する師匠と旅に出ることができる。
だから泉師学校の二年は、ただの役目を果たす二年であって、そこに何の思いもなかった。泉師になれずとも良かった。でも、少しだけ。ほんの少し。
(泉師くらいは目指してもいいかなぁ)
慶透と共に山登りの修業をして、試験では自分の成長を実感して、そう思うようになった。
ちょっとした成長。
続きます。