過去(下)
魔女。それは泉力を使う女の蔑称であった。といっても、何人もいるわけではない。いつの時代にもいるわけではない。生きている内に魔女を二人見る者はいない。
「災いをもたらす存在です!」
「それは違う」
杏澪は静かに否定した。
「それは過去の話だ。あなたちは知らないだろう。ここ数十年の間に王族と五家での認識は変わったのだ」
「どういうことですか?」
「その存在について詳しいことがわかったのだ。まだ確定ではなく、混乱を避けるために知らされていない。まさか誕生していたとは」
杏澪は腕の中の赤子を優しく抱き寄せた。
(どの時代も、花の子は不運な道をたどる……)
「この子は私が引き取ろう」
その言葉に、蘭が弾かれたように杏澪を見た。
「それはできません」
「何故だ?」
「何故?そもそも、銀家がその子を引き取る理由がございません」
「理由なら――」
ある、と言いかけて言えなかった。
「言えますか?あなたの兄弟が、人の妻に手を出して作った子だと」
言えない。杏肇は夫のある女性と契ったことを罪として自害したのだ。それを理由として子を引き取るなどできるはずがない。
「それならば、その赤子はあなたと無関係です。銀家に入門していたのは祖父の代までです。五家といえども、何の関係もない家に口を挟む権利はないはずです」
「――ええ、そうですね」
杏澪は悔しさに顔を歪ませた。
「あなたたちはこの子をどうするつもりなのですか?」
「殺すんだ!」
黙っていた男が急に叫んだ。
「こいつを生かしてはおけない。あなたのように力のある者が見れば、その親がばれるかもしれない。そうすれば蘭が誹りを受ける。だから外には出せない、消すしかないのです!
やっと膜が取れたんだ、今しかない!」
赤子を始末しようとしていたが、泉力の膜が邪魔して手を出せなかったのだ。それが、急に解けた。
杏澪はそれを理解して、運命のようなものを感じた。
(この子は、私が来たから膜を解いたのではないか。父と同じ家の者の泉力を感じて、助かると思って――)
杏澪はますますこの子を手放すわけにはいかなくなった。
「男の子が欲しいと言っていましたね。何故ですか?」
二人は言葉に詰まったが、蘭が答える。
「長男が、泉力を使えないのです」
「泉力を使えない?まだ授力前でしょう」
「子どもは生まれる時に母から養分をもらっていた名残で、僅かに体内に泉力があります。だから、泉族の子は泉力に生まれつき耐性があり、源泉で泉力を受けやすい。
子ができれば、夫はその子に泉力を馴染ませるように少し体内で動かしてやるのです。けれど、あの子はそれができませんでした。詳しい者に聞いたところ、そのような子は珍しいが前例があり、泉力を使えなかったというのです」
杏澪も聞いたことのある話だった。だが、そのようにして生まれてすぐにわかるものだとは思わなかった。
これは作り話ではなく、蘭は泉力が使えないだろう我が子が余計にかわいそうになった。成人すれば王家に入れられる身。泉族から王家への移動となれば泉力は封じられ、苦しい思いをするかもしれない。それなのに、その泉力すら使うことができないなんて。
だからこそ、男の子が必要だったのだ。泉力が使えようが、王家は雪家の男児を求めている。女を差し出すことは出来ない。
「泉族で男児が生まれれば、その子もまた泉弟や泉師となって働く必要があります。雪家は代々子が一人。それも、生まれたことは知られていません。その一人の男児が必要なのです」
杏澪は蘭の言葉に納得した。
生まれた子が女であり、忌み子だと思っているからここまで非道ができたのだろうが、彼女は泉族として役目を果たすために、また我が子を守るために子どもを欲していただけなのだと。
「それで、代わりの雪家の男児を手に入れたとして、その子はどうするつもりですか?」
杏澪の言葉に、蘭は顔を歪めた。
そこはこれから考えなければならないことだった。子どもが一人と偽れば、その一人分しか物を調達できない。王家に代わりを差し出した後も、事態が露見せぬように子どもが見つからないようにするのは大変だろう。
「この子を、代わりにしてはどうですか?」
杏澪は腕の中の赤子が殺されぬよう、必死になって提案した。
「雪家には兄と妹が一人ずつ。泉族として役目を担うのは一人。この子が泉弟の資格を得て、雪家として働き、その子は妹として家に残ればよいでしょう。無論、多少の我慢は必要でしょうが」
それを聞いて、蘭は考えた。妹という枠で我が子の戸籍を確保できるのはありがたい。
王家に出すのに女であることはあまり重要ではない。王は蘭を求めた。本当は女児を入れたいのである。だが、王妃の都合で男児となったのだ。
問題はどうやって男として王家に入るかだが、これも泉力が使えるのであれば男と思われよう。幸いにも王家に入るのは成人後。泉族の学校を出ていれば、男であると疑う者はいない。
生活をする内にばれるかも知れないが、王は雪家の子どもを手に入れれば満足だろう。雪家に興味をなくしたところでどこか違う場所に移ればいい。ばれたところで、王は喜ぶだろうし、わざわざ雪家を探しはしない。雪家の子を王家に入れるという、王の望みは叶うからだ。そこで王妃が怒ろうが、身代わりの忌み子がどうなろうが知ったことではない。
「あなたに利があるようには思えませんが?」
「私はこの子を死なせたくない。親族としては口出しできぬとも、師としてならできるようにもなるでしょう。
もしこの子が資格を得たら、任務をしつつ、旅に出る許可を得たい。それならば、あなたたちの邪魔にもならぬでしょう。この子は雪家でありながら、雪家を出るのです」
杏澪は正直に話した。彼は弟をたいそう可愛がっていたのだ。その子どもをみすみす殺させてしまうことはできないし、できれば傍にいたいと思う。
蘭はそのことをなんとなく読み取った。
(問題はこの人だけ)
今、杏澪がその提案をしたのは、資格を得た後、忌み子がお役御免になると思っているからである。もし王家に入れるのだと知れば、五家の権力を使ってでも赤子を引き取ろうとするだろう。銀家はその性質から権力を使うことを厭う。だから今、蘭は交渉の場に立てている。
(いや、五家も王家には逆らえない。卒業間際で王家に引き渡せば、手出しは出来ない。兄弟の名誉を考えれば約束が反故になっても、事実を言うとは思えない)
「わかりました。それのことはあなたにお任せします。
ただし、あなたが雪家を出れば、このことを誰かに口外するつもりだと見なし、それを殺します」
「受け入れましょう」
こうして、妖の運命は決まったのである。
さすがに六つの男児と四つの女児では違いが大きすぎる。雪家の子が六つの時に源泉で泉力を授かり、雪家長男のお披露目をしたところで、妖と入れ替える。そして妖が泉族の学校に通い、卒業する。ここまでは両者ともに同じことを考えていた。
杏澪は卒業後、自分とともに旅すると考え、雪家は卒業付近で杏澪に悟られぬように王家に差し出すと考えた。杏澪は泉族の役目を果たす必要がある妖は、周囲に知られぬように泉名を授かると考え、雪家は泉族として働かせるつもりのない妖に危険を冒してまで泉名をつける必要はないと考えた。
結果として、雪家の企みが上手く行き、予想外のところで王家とつながった妖を、計画より早く王家に差し出すことができた。しかし、彼らの考えとは違い、それを知った杏澪は秘密を守ることをやめた。そして妖は王家から助け出されたのである。
雪家の蘭と師匠の思惑が絡み合っていました。
続きます。




