王子の話
王女は毎日私の部屋を訪ねてきた。
「微光、お茶にしましょう」
「はい、そうですね」
たいていはお茶を飲んで過ごす。王族は成人するまで自由に王宮を出られないらしく、彼女は私の話を聞きたがった。自身と似たような境遇の気持ちは痛いほどわかった。私の話が終われば、今度は王女が話し始める。家族について、使用人について。噂話しか娯楽がないのだと言っていたが、娯楽にしては情報の精度が高かった。
私が王家に入ることになった理由は、その中で何となく知った。王は、雪家の娘、母に恋慕していたのだという噂があった。だが母は父と婚約した。王は完全に母を諦めるために、その代わりに子どもを要求した。憶測だというけれど、王子の言葉と照らし合わせてもそれが真実に近い気がする。
知ってももう何も感じなかった。あの時このことを伝えなかった王子には感謝するだけだ。
「今日は林檎を切ってもらったの。ね、微光、食べさせてあげる」
王女とは距離が縮まったと思うが、物理的な距離も近くなった。彼女はいつからか向かいではなく隣に座るようになり、今ではことあるごとに世話をしようとする。
「董華様、近すぎますよ」
肩に寄りかかる彼女をさりげなく引きはがそうとしていた時、急に扉が開いた。
「恥ずかしくないのか、董華」
一応王族に加えられた私の部屋の扉を合図もなしに開けられるのは王族だけ。入って来たのは王子で、謁見の間で見た同い年くらいの少年も一緒だった。
王女は蔑むような兄の表情に、傷ついた様子を見せながらも威嚇するように睨みつける。
「別に。何か問題がございますか?」
「年頃の女が年頃の男の部屋に毎日通うなど外聞が悪い」
「なっ!別に、そんな!」
王女は顔を真っ赤にして、私からぱっと離れた。
(私は女なんだけどなぁ)
「微光も、迷惑ならば言うべきだ」
「私は迷惑など感じておりませんよ。話し相手になってくださって感謝しています」
そう言うと、王子は驚いた顔になり、王女は更に顔を赤くして、
「し、失礼いたします!」
と部屋を出て行ってしまった。
「な、にか、気に障ることを言ったでしょうか?」
呆然としながらも王子に問うと、彼は困ったような呆れたような顔になった。
「完全に勘違いしているね。
私は男女の仲を疑われて迷惑しているのではないか、という意味で迷惑と言ったんだよ。それを、君は――」
私は自分の発言を思い出して、思わず顔を手で覆った。
「誤解です」
「わかっているよ、私はね。董華もわかってはいるだろうけど、僅かに期待する気持ちもあるんだろうからね」
僅かだろうと期待されては困る。私は男ではない。
「ところで、殿下はどうしてこちらに?」
彼と会ったのは謁見の間での顔合わせ以来だ。それに、後ろにいる少年も気になる。
「ああ、君と話をしようと思ってね」
王子が向かいの長椅子に座ると、その隣に少年が座った。
「紹介がまだだったね。彼は双連、幼い頃から共に育った友だ」
「友?」
てっきり弟かと思っていたら、違ったらしい。
私の反応に、王子と双連は顔を見合って笑った。
「年はそれなりに離れているから、弟だとも思っているけれど」
「それはありがたいね」
よく見れば、双連と王子は全く違う顔をしていた。
王子も整った顔立ちをしているが、穏やかな印象の方が強い。一方で双連は大きな目に、血色の良い唇、黒く輝く髪。とにかく人の目を引く顔だった。
(誰かに似ている気もする)
「双連とお呼びください。私は王族ではありませんので」
立場的には私の方が上になるのだろう。王子に気安い口調なのは、それだけ親しい仲で、王子が許可しているからなのだろう。
「双連、私のことは微光とお呼びください。あまり畏まられるのは得意ではありません」
「わかりました、微光」
飛び出した王女を彼女の侍女が追って出て行ってしまったため、卓の上には果物や飲み物が放置されていた。双連はそれを手早く片付け、廊下に置いてあった台車から新しい茶を用意した。
「双連は私の近侍も兼ねているんだ」
「趣味の部分もありますけれどね」
茶葉までこだわっているらしい。口に入れた瞬間に、ふわりと香りが広がる。
「さて、本題に入ろうか」
王子が湯飲みを置き、私もそれに倣った。
「この半月ほど、君は部屋の外に出ていない。王妃に言われてのことだろうが、それでは退屈だろう。
そこでなのだが、私を手伝う気はないかい?」
「手伝う?」
王子は頷いた。
「君も身を持って知っただろうが、私の父、現王は暗君だ。統治に興味がないが、権力はあるだけ使う。箱の女にはもう会っただろう?あれは、王が気に入られてしまった者たちだ。親を脅して、あるいは金で釣って、王宮に閉じ込めている」
何となく察してはいたものの、言葉にされるとその異様さにぞくりとする。
王の目は鋭く私を見ていた。私が自分の置かれた現状を受け入れられているか、確認しているようだった。私は箱の女ではなく王族に加えられたけれど、その本質は変わらない。今になって訪ねてきたのは、私が落ち着くのを待っていたからなのだろう。
私は目を逸らさずに頷いた。王はほっとしたように微笑んだ。
「私は父のようにはなりたくない。理不尽に人々が搾取されるようなことはあってはならないと考えている。
今の王宮内は腐敗している。高官も欲にまみれた者ばかりだ。もし私が王位を継いでも、その周りは変わらない。今は都合の良い傀儡が王だから大人しいが、自分の意に沿わぬ王が現れれば、あの手この手で引きずりおろそうとするに違いない。
だから今、私は信頼できる臣下を集めているんだ。双連もその一人といったところかな」
ここまで聞けばもうわかる。王子は、私に手伝う気はないかと言った。つまり、王子が望む王宮への改革を支え、王になった時に臣下にならないか、と言っているのだ。
「私は――」
いい機会だ。すべきことがなくなってしまった私に、ようやく目標ができる。
それでも、いい返事を直ぐに返すことはできなかった。
(私は、まだ未練があるのか)
そっと首の飾りに触れる。泉力を使おうとすれば、すぐに玉に吸い込まれていくのがわかる。
「それは、泉力を封じる玉だね」
王は憐れむように私の手元を見た。
「君はまだ泉族に心残りがあるのか」
そう聞かれてもわからない。
私は慶透と頑張って泉師を目指している途中だったけど、それも元々の目的は違った。私が泉師学校に入学したのは、兄の代わりに泉族としての役目を果たすため。資格を得て、師匠と旅をするためだ。
けれど、兄の代わりに泉族となる必要はなくなった。そうなると、泉師学校に通う意味もなくなる。
(私は、何をしたいのだろう)
目標がなくなったのではない。私には元から自分の目標がなかったのだ。
師匠と一緒に旅をすることが一番近いのかも知れないが、それも物語に影響されただけなのだ。
「微光、君はもう王家に入ったんだ。まだ気持ちの整理はできないかも知れないけど、一度、王族としての君について考えてみて欲しい」
「はい」
「うん、この話はここまで」
王子はそう言って取り留めのない話を始めたけれど、どの話も私の中には留まらず、するすると音だけが耳を通過していった。
続きます。




