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夏期休暇

 結局、慶透けいとうは実家に帰ることなく、同じ部屋で翌朝を迎えた。

 我が朋泉ほうせんの朝は早く、私が目を覚ます前に彼はいつも支度を終えている。休みでもそれは変わらず、彼は私が起きるのを待っていた。たいていは夜に多めに作って朝は温めるだけなので、先に朝餉を食べることも可能だが、慶透は一緒に食べるのが朋泉だと言う。

 そんな彼は本を読んでいることが多いのだが、今日は珍しく何も読んでいない。私が目覚めたのに気づいて、こちらを見た。


よう、よく眠れたか?」


 差し込んだ淡い朝の陽に、麗しの顔が照らされている。彼の表情は大きくは変わらないが、実はかなり感情を出しやすいのを学んだ。見た目の変化は微々たるもので(多分変わっていると思う程度)、説明するのは難しいのだが、今はそわそわ、わくわくといったところだろうか。


「おはよう、せい。どうしたの?」


 春季の途中で私が徐々に慶透の表情を読み取れるようになると、慶透は驚いていたが(喜びも大きかった)、今ではもう慣れたものだ。

 卓の上に置いてあった紙を広げて、私の方に見せてくれた。


「夏期の成績だ。君は家に戻らないから見られないだろう?」


 私は寝台から這い出て、のろのろと近づいて内容を見る。

 夏期の成績は貼り出しではなく、各家に配送される。夏期の休暇はまだ魔の発生も少なく気も緩みがちになるので、各家庭でしっかりと目を光らせてもらうためだと楽平らくへいが悲しそうに教えてくれた。


 最後は上手くいったとはいえ、授業も含めて散々だったのでひやひやしていたのだが、慶透が厳しい表情ではないのでそれほど危ない成績ではなかったのだろう。

 下の方から見ていくと、ちょうど半分あたりにいた。半分とはいっても下の方なので春期よりは下がっているのだが、退学を恐れていた身としては拍子抜けだ。


「どうして?」

「君は本当に自己の評価が低いな」


 慶透はそう言って、紙を懐にしまうと、立ち上がって台所に向かった。私はもちろん彼についていく。


(温めるだけだから異物混入の可能性は低いんだけどね)


 彼が一人で台所に立っていると冷や汗が止まらないのだ。


「結局のところ、成績に反映されるのは試験の結果のみだ。夏期は山の試験が四回、術の試験が四回だっただろう?君は山の方は上位に入れるほどにいい成績だ。術は三回だめだったが、最後の一回がよかった。総合的にはそう悪くないはずだ」


 慶透はそういうが、たぶん慶透の成績が満点なのもあると思う。


(って言うと、また怒られそうだな)


「悪くない、か」

「ああ、これからもっと良くなる」

「うん、そうだね」


 課題だった術も何とか先が見えてきたのだ。これより悪くなることはない。

 慶透が火を止め、椀によそってくれた汁物を卓に運ぶ。その間に彼は昼と夜のための米を炊く準備をする。必ずではないが、いつの間にかそうするのが私たちのきまりなっていた。


「今日はもう帰るの?」

「そうだ。家の方を手伝わなければならない」


 慶透は匙を二つ持って来て、私に続いて卓についた。一つを私に差し出し、もう一つを自分の椀の前に置く。


「君と食事を取るのもまた一月後だな」


 いただきますと手を合わせて、食事を始める。慶透は食事中に話すことは滅多にない。途中で話すときも一度食器を置いて食事を中断する。だから、私たちの食事の時間はいつも静かだ。慶透が未知の味付けをした時以外は。


 食事が終わると、慶透は手早く荷物をまとめて家に戻って行った。


茨塊しかいには十分気をつけるように」


 私が頷くと、彼は満足そうな顔で部屋を出て行ったのである。



*



 正直な話、慶透の言いつけは守れないかもしれないと思っていた。泉のときの借りが残ったままだったかれである。けれど、茨塊は私に返済を求めることもなく、学校で顔を合わせることもなかった。

 何も起きないに越したことはないけど、書室で本を読み、時間を見て山に行くの繰り返しは何の変わり映えもなく、飽きてくる。せっかくだから術の修業でもと思ったが、その辺の木をなぎ倒して賢叡けんえい先生に叱られるところまで想像できてやめた。


 ちょっとした事件が起きたのは休みの最終週になった頃だった。

 食糧の調達も兼ねて近場の山に登っていたら、遠くの方で人の気配がした。


(私以外に残っている生徒っていたっけ?)


 もしかすると茨塊かも知れないと思っていたら、


「いっ、痛い!!」


 と叫び声が聞こえたので、慌てて声の方に向かった。

 そこは何度か行ったことのある泉があり、その近くで蹲っている人を見つける。


「大丈夫ですか?」


 その人は薄い布がかかった笠を被っていて、全身を覆う大きな外套を身に纏っていた。近づくと、右脚を抱え込むようにして座っていることがわかった。靴は脱げており、その足先が濡れている。


(泉に足をつけたのか。そこまで強力な泉じゃないはずだけど)


「足が、痛い。泉には神秘的な力があるんじゃないのか……」


 声からして男の人だが、そこに覇気はなかった。話している内容からすると、泉族ではないのかもしれない。


「この辺りは神域ですから、泉の効力が強すぎるのかも知れません。泉族ならひりひりする程度なんですけど」


 背負っていた籠を降ろして、傍に行く。もともと泉に浸かる予定だったのだろうか、近くに置かれている布を拾って、その足先を拭った。彼は抵抗することなく、身を固めたまま、


「知らなかった。ありがとう、助かるよ」


 と言った。




 彼が落ち着いたところで、話を聞くことになった。どうしてここに泉族でない人がいるのか気になったし、単純にお腹が空いたからでもある。魔獣が少ない季節は動物も狩りやすいし、山菜も豊富なので一緒に食事を取ることにした。


「食事までありがとう」

「いえ、丁度自分でも食べるところでしたし」


 彼の外套の下は地味な色合いではあったが、上等な布の使われている服だった。家が裕福なのか、私が捕らえた獣の処理をしている時、珍しそうに凝視してきた。歳は慶透と変わらないくらいだろうか。まだ成年でないことは確かだが、そのへんはわからなかった。


「君はここの生徒かい?」

「はい。今一年生です」

「そうか。この時期は生徒はいないと聞いていたんだけどなぁ。ああ、私はきちんと許可を取ってここにいるよ。生徒ではないけどね」

「泉族でもないですよね?どうしてここに?」


 彼は困ったように微笑んで、串にささった肉をひとかじりした。


「将来のためにね。最近では魔も多くなってきて、泉族と関わりを持たないことはできないだろう?決して悪い意味ではなくてね。一緒に動くことになるかもしれない相手のことは知っておいた方がいいだろう?」


 家がそういった商売をしているのだろうか、と思ったが、歯切れの悪い様子にあまり訊かれたくないことなのかなと思う。

 彼はまた肉をがじがじとかじっていた。かぶりつく、という行為に慣れていないのか、口周りが汚れている。


「そうですね。けれど、あまり山や森には一人で入らない方が良いですよ。今は魔獣も少ないですが、全くいないわけではありません。もちろん、先生方がいらっしゃるので安全は保障されていますけど」

「そうだね。私も、我儘を言ってしまった。魔獣が出ずとも、知らないことも多い。泉が私にとって危険だとは思わなかったし、対処法も知らなかった。これからはきちんと泉族の方に同行をお願いするよ」


 裕福な人だと思ったが、素直な性格でびっくりする。


(逆にお金があるから余裕があるのだろうか)


「ぜひ、そうしてください。あと、水、使いますか?」


 長居するつもりはなかったのか、彼は水分を持って来ていなかった。泉の水も使えない彼は、高そうな布で口元を拭おうとしていたのだ。水で流してからの方が布も汚れないだろう。

 私が水筒を差し出すと、彼はにこりと微笑んだ。


「ありがとう。君には助けられてばかりだね。

 お礼になるかわからないけど、これをあげよう」


 口周りを綺麗にした彼は、自身の指から一つの指輪を抜き、私に握らせた。


「君たちにとっては泉器せんきの方が価値があるかもしれないけど……。売ればいくらかにはなるだろう」

「こんなの、受け取れません」


 詳しくないのでどれほどの物かわからないが、育ちのいい人がいくらかになはなる、と言うことは相当高価なものなのだろう。私は泉の効力で動けない所を助けただけだ。放っておいても時間が経てば泉力が薄まり、何とかなったはずだ。


「私の気持ちとして、受け取ってくれないかな?何もしないのも気分がよくないんだ」


 と、指輪を乗せた手を押されてしまう。変わらぬ穏やかな笑みに、これ以上言っても困らせるだけだと思い、ありがたく頂戴することにした。


「では、いただきます。けれど、もし何かあればお返しします。卒業するまではここにいますから」

「うん、ありがとう」


 彼は嬉しそうに頷いた。

 食事を終えた後、彼を麓まで送っていき、そこで別れた。本当なら先生のところまで案内すべきなのだが、彼に断られてしまったのである。

 私は高価な指輪をつけることはできず、寝台の近くの棚にある荷物籠に、布に包んで入れることにした。


 結局それ以外は特に何もなく、私の夏期休暇は穏やかに終わりを迎えた。

泉族以外との出会いでした。

続きます。

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