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問答(下)

 慶透けいとうは何も言わなかった。

 処理しきれない情報は弾いて、私の手当てをすることを優先した。胸部をはだけさせ、冷たい水を含んだ布を当ててから、泉力を流し込んでくれた。ゆっくりと流し込んでくれたおかげか茨塊にされた時のような不快感はなく、慶透が布を取った時にはうっすらと赤みが残る程度だった。


「ありがとう」

「いや、私が原因だ。すまない」


 服に残った水分も取った後、苦々しい顔で私の衿を直すと卓の上を拭いて、湯飲みを片付けた。私はその間に床に零れた分を拭いた。

 もう一度二人とも席に着いたところで、慶透が話し始める。


茨塊しかいが知っているのは、これか?」

「うん。これはしんも知っている」

「これは?」


 おっと、口が滑った。

 すっと目を逸らすと、慶透はじっとこちらを見つめた後、諦めたように溜息を吐いた。


「君が泉で茨塊から離れなかったのは、そのせいか」

「そう。暗い所ならまだ大丈夫だけど、あれほど明るい中で下着が濡れると肌が透けてしまうでしょう?」


 ここで昼のことについては疑問が解けただろうけど、それ以上の謎が慶透には残る。


「その傷痕はなんだ?

 通常の傷ならば、昼のように泉に浸かればたいてい治る。治りにくいのは泉力が通されたものだが、それも多少は薄れるはずだ。そのように残るのは絶え間なくその箇所に損傷がある場合だけだ」


 できれば触れずにいてほしかったけれど、慶透はお構いなしだった。


雪微光せつびこう。体が弱く、人前に姿を現したのは源泉に浸かった六歳の時のみ。雪家は大切な跡取りとして丁寧に扱った。

 これは炎陽から聞いた話だが、君のその様子では嘘だったのだろうか」


 嘘ではない。それは確かに雪微光の記録だ。

 当時四歳だった私はあまり覚えていないけど、珍しく家の中が騒がしかったのを覚えている。

 それからしばらくして、兄に泉力が使えないことがわかったのである。その時には既に師匠に修行をつけてもらっていたけれど、そこで正式に私が微光として家を支えることが決まった。


「炎陽はかなり君のことを探っていたけれど、不審な点はなかったと言っていた。会話の中身も君は病弱だった微光に間違いはない。いつからか知らないが丈夫になって、今ここにいる。私も先程までそれを信じて疑わなかった」


 今は疑っているということだろう。

 それは私が雪微光であるかというより、炎陽のもたらした情報との違いを訝しんでいるのだろうが、私にとってまずい状態には変わりない。


「それを説明できる情報を、茨塊は知っているのだな?」


 端に私が微光ではない、ということは深だって知っている。茨塊は私が女であることも知っている。

 もし深がどこかの泉族に拾われたのなら、私の性別も知り得ただろう。雪家には兄と妹がいる。その情報は隠されているわけではない。


「私を信頼しているのならば、君の口から教えてくれ」


(その言い方はずるい)


 慶透のことは信頼している。けれど、これほど大切にしてきた朋泉が、女だと知ったら?泉力を使える女がいると知ったら?

 茨塊は面倒ごとは御免だと流してくれたが、泉族で五家の子息である慶透がそれを見過ごせるとは思わない。

 慶透のことは信じているが、どんな反応をされるかわからなくて、怖い。


「やはり、私では無理なのだな……」


 何も言わない私に、慶透が諦めを含んだ声を漏らした。

 そこには私を責めるような色はない。自分を不甲斐ないと感じている。似たような感情を、私は知っていた。

 私は、兄の代替品ですらない。役目を果たせど、決して両親が振り向いてくれることはないのだ。

 どれほど頑張ったって、無駄になる。


(そうであってほしくなかった)


 私は家のために役に立てる唯一を全うしたい。だけど、その為に慶透を悲しませていいのか。何かを諦めさせてしまっていいのか。彼は、私とは違って素晴らしい人なのに。


「無理、なんかじゃないよ」


 口にした声は震えていた。まだこの段階で、私は決めあぐねている。慶透に、話すか、否か。

 真っすぐに彼を見ると、その瞳は淡い期待を孕んでいた。諦めの僅か隙間に、希望が光っている。その目を見て、勇気づけられるように言葉が流れていく。


「慶透、私は君を信じている。だから、どうかお願い。このことは誰にも言わないで」

「ああ」

「もし知っても、私のしたいことを邪魔しないで」


 優しくて強くて、真っすぐな慶透だから、話を聞いたら怒るかもしれない。でも、私の存在意義だけは奪わないでいて欲しい。


「約束する」


 凛とした声に、私は決意を固めて、ゆっくり深呼吸した。



「私は、雪微光じゃない。私は雪家の長女、微光の妹、妖なんだ」



 虫の音さえどこか遠く聞こえる。

 とっぷりと陽が沈んだ中、頼りになるのは部屋の灯りだけ。その光に照らされた我が朋泉は、その綺麗な顔をほんの少し綻ばせた。


「よく、言ってくれた」


 たいして驚いてもいない顔で、満足したように微笑まれて私の方が驚いた。


「どう、して?知ってたの?」

「いや、知らなかった。もしかすると女なのかもしれないとは思ったが」

「いつ?」

「先程、君の衣の下を見た。日頃から華奢だとは思っていたが、あまりにも線が細い。雪家に妹がいることは知っていたから、そうかも知れないと思った」


 どうやら本当についさっき可能性に行き着いたらしい。


「だが、そんなことは関係ない。

 君にとっては、重大な秘密だっただろう。恐らく、君の本質に関わるような。

 私に教えてくれて、ありがとう」


 お礼を言われてしまうと、却って罪悪感がわく。


「ごめん、今まで、黙ってて」

「構わない。私が君に男かと訊ねたことはないし、君も男だとは告げなかっただろう?」


 彼にとってはそういう問題になるのだろうか。

 何だかおかしくなってきて、同時に嬉しさが込み上げてきて、私は思わず泣いてしまった。


「泣くことはないだろう」

「泣くこと、だよ。

 慶透、君は私が朋泉でいいの?」

「君は君だ。今までの君と何も変わらない。男であろうが、女であろうが、君が私の朋泉だ。

 また朋泉を変えるなどと言わないでくれるな?」


 そう言われると、逆に涙が止まらなかった。

 私はずっと、男であることを望まれていた。女に生まれてしまった自分を恨んでいた。けれど、彼はそんなこと関係なく、私を見てくれていたのだ。

 きっと他の人じゃこうはいかない。まず、どうして女が泉力を使えるのか、この不気味な身体について訊いてくるはずだ。

 慶透は、本当にそういったことが先には来ないのだろう。


「慶透、私は君が朋泉で良かったとずっと思ってる」

「私もそうだ。妖、君のことをもっと教えてくれないか?」



*



 私は慶透に全てを話した。

 私が泉力を使えること、兄は使えないこと。男として生まれてきて欲しかった両親に、罰として鞭を受けてきたこと。私が兄の代わりに泉師学校に入学して、卒業後は兄の代わりを果たしながら師匠と一緒に旅をすること。

 深は私の昔の家僕の子で、私が弟だと思っていること。深が妖について話したせいで茨塊は私について知っていたこと、加えて女であることがばれて妖は妹であると知られてしまったこと。

 ついでに、食堂での騒ぎについても報告した。


「茨塊が言っていたのはそういうことか」

「茨塊に言われたんだね。でも、慶透が噂話は聞かないだろうと思って黙ってたのは私だ。ごめん」

「いや、いい」


 慶透は何故か嬉しそうだった。


「君は私をよく理解しているということだ」

「そうだと、いいけど」


 あまり堂々と言われると照れてしまう。


「これは確認しておきたいのだが、君の目標はなんだ?」


 この質問は慶透にしてはあまりに珍しくて、私はいったい何を訊かれているのか、すぐには理解できなかった。


「そう驚いた顔をするな。

 炎陽に言われたのだ。私は君の意志をあまり聞いていないと」


 彼自身も自覚はあったのだろう。いつもは横一直線の唇が僅かに両端下がっている。


「そうだね、慶透のように導師どうしを目指してはいない。それこそ最初は、泉師せんしにすらなる気がなくて、泉弟せんていの資格を得るだけでよかったんだ。

 けど、今は泉師くらいは目指してもいいんじゃないか、って思ってる。慶透の朋泉として、私も努力したいと思えたんだ」


 慶透の家格とかではなくて、彼自身の人柄が私をそうさせたのだ。彼の隣に立つからには、私もちゃんとしたい。

 ここでは兄の代わりだけれど、それ以外の、私の道も進んでみたい。


「そうか。君の気持を確認できてよかった」


 慶透はさして残念そうでもなくそう言った。


「私は君を害することはない。今まで通り、君の朋泉としてともに切磋琢磨していきたいと思っている。そして君の秘密を誰かに漏らすことは絶対にない」


 慶透が絶対にと言えば、絶対なのだろう。


「君の秘密を教えてもらった代わりに、私も一つ教えよう。いや、私が知っていて欲しいだけだ」


 そう言うと、慶透は私に手を出すように合図した。私は差し出された慶透の左手に右手を重ねて置くと、それをひっくり返して手のひらを上にされた。

 慶透はそこに、一つの文字を書いた。


「私の幼名だ。あまり人に伝えるものではないが、機会があれば是非呼んでみて欲しい」


 大切な何かを渡すようにそっと手を握らされて、私は少し嬉しくなった。


せい、これからもよろしくね」

「もちろんだ、妖」


 泉名せんめいを受ける前の幼名は、家族しか知らないことが多い。彼の深いところに踏み入れた気がして、より絆が深まったように感じた。


「ああ、そうだ」

「何?」

「炎陽から伝えるようにと言われていた。

 ――茨塊には気をつけろ」


 一段と低くなった声に、急に空気が重くなる。


「彼は謎が多い。最初の山の試験で魔獣をけしかけたのは彼ではないかと炎陽が疑っていた」

「茨塊が?そもそも魔獣に言うことをきかせられるのか?」

「そこはまだ言えないと言われた。君は特に茨塊に目をつけられているようだから、すぐに伝えるようにと言われたのだ」

「すぐに?」


 かなり長々と話をしてきたから、この段階ではすぐにとは言い難いのではないだろうか。


「可及的速やかに、だ。私としては君の事のほうが優先度が高い」

「どちらも私に関係あるんじゃない?」

「私に話すように言ったのだから、私に選択権がある」


(炎陽が聞いたら怒りそうだな)


 なんだかんだ、慶透の変わらない部分を見れて安心した。

 随分と炎陽の助言を参考にしていたようだけど、結局は彼の伝言を自分の優先順位で後回しにするのだ。


「今、失礼なことを考えたな?」

「いいえ、まったく」


 変なところで鋭い朋泉にひやひやしながら、私は寝床の準備をした。

慶透もそれなりに変化がありますが、変わらない部分が多いです。

とりあえず気が向いた時に炎陽の話を聞くようにはなりました。

続きます。

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