問答(上)
外からは虫の声が聞こえる。昼間の暑さはどこへやら、ひんやりとした風が涼しい夕方。いや、気のせいかも知れない。目の前に座る男の凍えるような目がそうさせているのかも。
あの後また泉を出る時にひと騒動あり、茨塊に回収された私はさっと着替えて、今度は深に連れられて泉に戻った。楽平や賢奨に心配されてしばらくすると、珍しく衣の乱れた(というか、下着が濡れているせいで不格好になった)慶透がやって来た。
その後でやけに機嫌の良さそうな茨塊、何でもないような顔をした深が現れ、全員が泉に戻った。
「さて、では帰りましょうか」
生徒が戸惑うのに構わず、先導してきた先生は笑顔でそう言った。
私の周囲の人間はもちろん、関係なく泉ではしゃいでいた者も、慶透の常以上の冷たい雰囲気に恐れをなして誰も口をきかなかった。下山するまで、足音と息遣いしか聞こえなかった。
「はい、では夏期はこれにて終了です。みな、よく頑張りましたね」
(どうしてそんなに笑顔でいられるんですか?!)
先生に明るく締められてしまえば、誰も何も言えず、泉でのことはみな無理やり頭から消して、楽しい長期休暇に思いを馳せた。
「微光、また生きて会おうな」
「今度会えたら、詳しい話を聞かせてね」
楽平は何とも怖いことを言ってきた。賢奨は気を遣ってかそう言ってくれたけど、楽平の後だと、今度会えるか不安になってくる。
「うん、またね」
精一杯の笑顔で返すと、ぽん、と頭に手を置かれた。
「炎陽」
慶透に遠慮するような人でもないのに、彼も道中無言だった。その厳しい表情から見るに何やら考え事をしていたようだけど、何についてなのかは詳しくわからない。
「俺はこの後家での用事がある。慶透に話しはしてあるが、何かあったら俺を頼れ」
「炎陽?」
あまりよくない話なのは確かだろう。泉でも茨塊を見て、慶透に何か言っていたようだし。
「ま、頑張れってことだ」
「いて」
最後に軽く人差し指で額を押された。そこに手を当てて、抗議するように見上げると、炎陽は眉間の皺を取って、にっと笑ってみせた。
「じゃあな、微光」
「失礼いたします」
炎陽に続いて丈拳が挨拶をし、彼らは去って行った。
他もみなそれぞれ友人と別れの挨拶を交わし、私を、正確には私の後ろにいる慶透を避けて寮に入っていく。
「戻るぞ」
二人だけ取り残されたところで慶透がそう言ったため、私はこくこくと頷きながら自室に戻ったのである。
それから慶透が衣を整える間、特にすることもないのにうろちょろと部屋を動き回り、彼が卓についたところで私もその前に座った。無言の時間が続き、もう夜に入ろうとしている。
慶透はやっと私から目を逸らし、部屋をくるりと見てから口を開いた。
「微光は、帰らないのか」
彼の指摘通り、私の荷物はまとめることなくそのままにされている。
これだけ待って出たのがその言葉なのか、と思うと同時に、それくらいでよかったと安堵する自分もいる。
「うん」
「何故だ?」
問われても困る。帰ってくるなと言われたからだ。
家族には会えないことも多かったけど、その分師匠が一緒にいてくれたから、私としてはそろそろ師匠に会いたいのだけど。
「ずっと家に閉じこもってばかりだったから、元気になった今は外を楽しみたいんだ。秋季と冬季の後の休みはここも閉鎖されるでしょ?だから今の内に楽しんでおこうかなって」
もし兄だとしたら、そう思うだろうか?私も外に出てはいなかったけど、彼も秘密を隠す以上、不用意に出歩けなかったはずだ。私が兄の代わりに学校に行くと決まったのは、彼が六歳の時のはずだ。
「その割には随分と寂しそうな顔をしているが」
「え?」
自分としては笑顔で言ったつもりだった。
「まあいい、本題に移ろう」
慶透が前置きをするような人だとは思わなかった。
「なんだ?」
「いいえ、なんでもないです」
私はそんなに顔に出やすいのだろうか。
「微光、君は私に何を隠している?」
「隠しているって、」
「茨塊とかいう男と何があった?春期の休み中に共に魔獣を退治したとは聞いたが、それから関係を持つようになったのか?それともそれ以前に何か?無体を働かれたことは?」
「待って、待って!」
いっぺんに訊かれても答えられない。
「慶透、矢継ぎ早に言われても、答えられない」
「すまない。炎陽に具体的に質問しろ、と言われ、それを意識し過ぎた」
どうして炎陽が出てくるのだろうか。
「一度、茶を淹れよう」
慶透が立ち上がりかけるのを止めて、
「私が淹れる」
返事も待たずに台所に向かった。
慶透が不満気な顔をしているが、二人して渋い顔で湯飲みを持つことは避けたい。慶透は液体に弱いのか、鍋の味の加減もわからなければ、茶の濃さもわからないらしい。一緒に不味い顔をしているので味覚自体は機能していると思われる。
茶を用意して、二人とも一口飲んだところで、慶透が口を開く。
「微光、一つずつ訊こう。君はいつ茨塊と出会った?」
「出会った、というか――」
いきなり竹林に引きずり込まれたのだ。これは深が関わっていたので慶透には隠しておこうと思ったが、彼の眼光に負けて正直に話した。ついでに深との再会も説明しておく。
慶透は湯飲みを手に取ってまた一口茶を飲んで、
「そうか」
と湯飲みを置いた。
湯飲みか、卓か、それとも双方か。みしりと音がしたのは聞こえなかったことにしておく。
「次に会ったのはその魔獣退治で間違いないか?」
「いや――そうだね」
「嘘だな」
適当に誤魔化そうとしたが、慶透は即座に言い切った。
「嘘じゃ、ない」
「そうか。では、私の目を見て言え」
いつの間にか泳いでいた目を、卓に身を乗り出した慶透の手によって強制的に彼に向けられてしまった。
切れ長の目が真っすぐに私を捉えている。無表情であっても、鋭い眼光を放つそれからは逃れられない。
「……言えない」
「何故だ」
「茨塊との約束がある」
何の言い訳にもならない。
茨塊と交わしたのは彼が交色街出身であることを秘密にするという約束。どこへ行ったさえ言わなければそれに繋がるような話にはならないのだから、その約束を盾にこの質問に答えないことはできない。
結局はそこで起きたこと、茨塊に体の秘密を二つ知られてしまったことを言いたくないだけだ。
慶透も、茨塊のことではなく、私について訊いているのだから、全てを話さなければいけないわけではないだろう。
「彼と何を約束した?」
「言えない。言わない約束だから」
「では、脅されているのか?」
「脅されてない」
「では、君について、彼が知っていて、私が知らないことはあるか?」
感情を押し殺したような声だった。それが本当に彼が訊きたいことだったのだろうか。
茨塊との関りだとか、彼と何を約束したとか、そういったことはどうでもよくて、彼は私について知らないことがあるのが嫌だったのか。それを知りたいと思ったのか。
慶透は私の顔から手を離し、席についた。
「いや、違うな。まずは君の身に危険が及んでいたのか、否かだ」
慶透はまた茶を飲んで、気を落ち着けるように深く息を吐いた。
「君は茨塊に触れられたことがあるか?下衣を脱がされたか?上衣も、下着も?」
「っんぐ!」
お茶を飲もうとしていた私は、思わず口に含んでいた茶を思わず吹き出しそうになった。そんな汚いものを見るような目で見ずに、口内に押しとどめたことを褒めて欲しい。
「どこで、そんな、話を――」
「否定しないな」
慶透は鋭い目で私を睨む。
「何故、私に話してくれなかったんだ?」
それは、茨塊と約束したからでもある。彼の出身を知らせないため、交色街に行った話をするのは躊躇われた。何となく、慶透はそういった話は好きではなさそうだからというのもある。
けれど一番の理由は、知られたくなかったからだ。
彼の口ぶりからすると酷いことをされたと、相談してほしかったのだろう。だが、私としてはそこは問題ではなかったのだ。体の秘密を知られてしまったことの方が大きくて、それを内緒にしてくれると茨塊が約束してくれたから、そのことを話すことの方が私にとっては自らを危険に晒すようなものだったのだ。
「私は、君といい関係が築けていると思っていた」
「慶透、違うんだ」
「何が違う?朋泉なのに、私は君のことを知らない。君の昔馴染みはともかく、後から出会った、それも迷惑をかけた奴の方が君を知っている!
少しずつ知っていければと思っていた。それでも今、朋泉である私以外の方が君を理解している。私は気づけない。君が今回、何をきっかけに常以上に修行に励んでいたのかも。
……術なら得意なのに、君に教えてやることもできない。君は私の朋泉として努力してくれていたのに、私は君に何も返せていない。
私は、君にとって朋泉として頼りない存在なのだろう?」
だんだんと発言が自身を責めるようなものになっていた。
普段よりもどこか幼い言い方に、ぎゅっと胸が締め付けられた。
(違う、違うのに。
茨塊が私の秘密を知ったのは偶然で、私が告げたわけじゃない。私が今回術の試験にそれまで以上に必死になったきっかけも、慶透が噂を聞かないだろうと踏んで敢えて言わなかった。
慶透にはたくさんのものをもらっている。いざとなったら一番頼りになる存在だと思ってる!)
「違うんだよ、慶透」
本当は全部言ってしまいたい。
私は雪微光じゃない。妹の妖で、女の身で泉力が使えるから、男なのに泉力を使えない兄の代わりに学校にいる。ここを卒業すれば、兄の代わりに魔を退治して、泉族としての役目を果たしていく。
深は兄の身代わりかと言うけれど、私にはこれしかない。本当は男の子が欲しかったらしいのに、私は女として生まれてきてしまった。母も父もこの私の身体を疎んだ。それでも、兄の代わりを務められるのであれば、私にもまだ価値がある。
今ここで全てを話してしまえば、それすらもできなくなる。たった一つ望まれたこともできないなんて、そんなの嫌だ。それじゃあ、私はいったい何のために生まれてきたの?
「私は、慶透を信頼してる。君の朋泉として、私は頑張りたいと思ったんだ」
「それは聞いた。君は私の朋泉として、と本当に頑張っている。それはわかっている。けれど信頼はしていない」
「してる」
「そのような嘘はつかなくてもいい!!」
慶透は強く卓を手で打って立ち上がった。
卓上の湯飲みが舞い上がって、まだ熱い茶をまき散らして転がった。
「あつっ!」
幸いにも湯飲みは割れずに卓上に残ったが、舞った中身が私の胸部にかかった。
慶透は顔を真っ青にして立ち上がり、即座に私の方に回って、私の合わせに手をやった。
「待って!!」
制止の言葉は間に合わず、慶透は私の上衣と下着の合わせを一気に開いた。
「なんだ、これは……」
彼の顔が更に青くなって、もう気を失うのではないかというほど白くなる。
もう自分でもどれがどれだかは覚えていない。鞭で打たれた痕、泉器で殴られた痕、蹴られた痕、肉を抉られた痕。師匠が手当てをしてくれるようになって、いくつかはもう消えたけれど、新しいものは増えていく。
私は平凡な人間だ。貧しくもなく富んでもいない。器用でも不器用でもない。目立つところの何一つない普通の人間。せめて、泉師学校にいる間は、そうでありたかった。
望まれぬ子であることなど忘れて、唯一の役目を立派に果たしたかった。
痕に関しては見られたくない、というよりは存在を思い返して惨めな気持ちになりたくない、くらいの感覚です。周囲から微光ではないと疑われてしまうかもしれないというのもあります。
よくわからない茨塊に見られても諦めの方が強かった妖ですが、今回は相手が慶透なので、色々思うところがあります。
続きます。




