泉での騒動
わけもわからぬまま山を登らされた生徒も多かったが、一番最初に登った山をそれほど苦労せず歩けていることに成長を感じている者もいた。
(どうりで試験が午前だったわけだ)
今までは午後に試験を行っていたのに、今日だけ午前だったのだ。先生たちは試験の褒美として泉を案内してくれているのだろうが、私にとっては都合が悪い。
慶透が泉に連れ出してくれたのは夜。それ以降も休日には朝から連れ出されそうになったが、たいてい慶透が家の仕事で出てしまうので、結局夜にしか行っていないのだ。
(どうしよう)
夜ならばまだ平気だ。下着一枚では胸元はともかく足元が見えることはないし、私に柔らかなふくらみは存在しない。たとえ昼でも人の股間をじろじろ見る者はいないだろう。だが、この明るさでは下着から透けて肌が見えてしまう。つまりは、醜い痕が見えてしまうのだ。
「微光、着いたよ」
何かうまい言い訳も思いつかないまま、泉についてしまった。
「この時期の泉は冷たくて気持ちいいよね」
賢奨は嬉しそうに衣を脱いでいるし、楽平にいたってはもう泉の中だ。それを見て賢奨も泉に浸かっていく。
周りを見てももう入っている者の方が多い。初めての者は心地よい痛みに驚きながらも、ひんやりとした泉を楽しんでいる。
「微光、入らないのか?」
ようやく合流した慶透も帯を緩め、泉に入る準備をしていた。
「あ、ううん、入るよ」
衣を脱ぎもしないと怪しまれるかもしれない。濡れなければ、下着が肌に密着しなければその下の痕も見えることはないだろうと、帯を解き下着一枚になる。
「微光?」
来ないのか?と泉の中で慶透が問う。
早くしないと変なのはわかっている。でも、これで泉に浸かってしまえば……。
「早くしろよ、雪微光」
迷っていたところを手を引かれ、泉に落ちた。
「うわ?!」
派手に水音を立てて飛び込んだというのに、楽平のからかう声も、慶透の心配の声も聞こえない。
異様に静かな周囲に、おそるおそる目を開くと、私は茨塊の腕の中にいた。
「え?」
私の立てた水柱でその顔は濡れていたが、それが余計に彼の妖しさを際立たせている。
数人は頬を赤らめて彼を見ている。だが、最も近くにいた人物は冷たい目で彼を睨みつけていた。
「茨塊、いったいどういうつもりだ?」
慶透は顔に飛んだ水を拭うこともせず、真っすぐにこちらを見ている。綺麗な眉の傾斜がきつくなり、声も一段と低い。
「ああ、これは慶透様。失礼、不埒な視線を感じたもので」
茨塊はにっこり笑って目だけで頬を赤らめている少年たちを見た。彼らは茨塊の色香にあてられていたのだが、慶透が視線を追って自分たちの方を見たことで今度は真っ青になった。
「早く身を隠した方がいいだろうと泉に引き入れたのですよ」
引き入れた、より引きずり込んだが正しい。
「私の朋泉を思っての行動ならありがたいが、何故まだ微光をはなさない?」
「慶透様もご存じでしょう?俺の朋泉は微光と昔馴染なのです」
理雪こと深は、交色街での一件で茨塊に咎められるまで、私を甘やかしてくれたので慶透も知っている。詳しく関係性を説明したことはないが、何となくは察していただろう。
「それが?」
「俺も微光と接する機会が増えまして、今では理雪より仲良しなんですよ」
茨塊が私をぐっと引き寄せて、抱きしめる。体の前面は茨塊と密着し、背中には茨塊の腕が回っている。これで痕は見えにくくなっただろうが、いかんせん距離が近い。
「茨塊、近い近い」
流石に恥ずかしくて距離を取ろうとするが、茨塊の腕の力は強く、私は顔を背けることくらいしかできなかった。その先にさらに眉を吊り上げた慶透を見つけ、やはり抵抗しない方がよかったかと血迷ったことを考え始める。
「それにほら、微光は病弱だったから、鍛えられた人の身体を見るのが恥ずかしいのですよ」
私の顔は赤いが、別に慶透やその近くの炎陽を見て赤くなったわけではないのに、元凶は白々しくそう言い放った。
「微光、こちらに来い」
慶透は茨塊の言葉に耳を貸さず、私にそう呼びかけた。私だって茨塊の腕の中にいたいわけじゃない。周りの視線は痛いし、何かとてつもなく悪い誤解をされている気もする。
だが、そちらに行けば私の肌に残る醜い痕を見られてしまうのだ。言い換えれば、茨塊と一緒にいる限り肌を見られることはない。
「微光!」
慶透は茨塊の腕から抜け出そうとしない私を見て、一瞬悲しそうに眉を下げた。だが、後ろで事態を見守っていた炎陽が何か囁くと、慶透はいつもの無表情に戻って、
「好きにしろ」
炎陽たちの方に行ってしまった。
何故だか胸が痛くなって、八つ当たりのように茨塊を睨みつけてしまう。茨塊は不快そうに顔をしかめて、私の眉間を爪弾いた。
「いたっ」
「俺を睨みつけても意味ねえだろ、むしろ感謝してほしいくらいだ」
その通りだが、もう少しやり方はなかったのだろうか。とはいっても私に他の案があったわけでもない。
「ありがとう」
「フン、また貸しが増えたな」
「それは俺につけといてくれよ」
後ろから顔を出したのは深だった。
「俺が頼んだんだからさ」
深は私が女であることは知らないが、家での私の扱いを知っている。何度か薬を塗ってもらったこともあるし、痕が残っているのもわかっている。
「お前は微光に甘すぎる」
「いいだろ?お前だって、微光には同情してたじゃないか」
「馬鹿言うなよ」
深は茨塊が私の正体に気づいたことを知っているのだろう。そうでなければ、茨塊に頼むことはない。
「とにかく、ありがとう、深」
「ここでは理雪だ」
深は照れ臭そうに笑った。
「茨塊がみんなの視線を集めている間に、お前の衣を乾かすふりして離れた場所に置いて来た。泉から上がる時には茨塊に抱えてもらえよ」
「そこまでしなくていいよ」
「はあ?お前どうやって泉から出るつもりだ?」
茨塊は不機嫌そうに言った。
「それは、みんなが下山してから……」
「全員で来たんだから全員で帰るだろ。それにもしそうだとして、お前の朋泉がお前を置いて帰ると思うのか?」
思わない。
「妖、わかってるだろ。確かに周りの目は痛いかも知れないが、お前にとってどっちが最善なのか」
もとから危険人物と見られていて、最近では株が上がったようだけど、まだ私を快く思わない人は多い。これ以上噂が増えても、いたたまれなくはなるが、何か害があるわけではない。
「……ここでは微光だよ」
最近はあまり交流がなかったせいで、深が懐かしく、変に意地を張ってしまった。
深は出来の悪い弟を見るように微笑んで、茨塊はやれやれと首を振った。
*
麗慶透は下着が乾くのも待たずに衣を着て林の中に立っていた。下賤の輩に連れていかれた朋泉を追って来たのだが、目の前にはその輩しかいなかった。
おそらく別の者が途中で交代して連れて行ったのだろうが、そちらを追いたくとも目の前の人物が通してくれない。
「そんなに急いでどこに行かれるんです?」
「ふざけた真似はやめろ」
慶透が言うと、朋泉を連れ去った男――茨塊は柔らかい笑みを崩して口の端を吊り上げた。
「酷えな。せっかく敬意を払ってやったってのに」
「御託はいい」
切り捨てると、茨塊は笑みを消した。
「はっ、そんなにあいつが大事かよ?」
「大事だ。朋泉なのだから」
「ふぅん」
茨塊は慶透に歩み寄ると、手を伸ばしてその頬に触れようとした。
「触るな」
慶透が手を弾くと、茨塊はうっそりと微笑む。
「触れるのは大事なことだぜ?
なあ、お前、あいつと朋泉なんだろう?なら、あいつのことは何でも知っているよな?」
「何でも、ではない。まだ知らぬことも多い」
「素直なことで。面白みがねえな」
茨塊は慶透から距離を取ったが、まだ慶透を通す気はないようだった。慶透の動きを見逃すまいと神経を張り巡らせ、指先を動かしただけですっと目を細める。
それでも彼は戯れのように慶透に語り掛けた。
「俺は知ってるぜ」
慶透がぴくりと眉を動かすと、茨塊は嬉しそうに口角を上げる。
「あいつに触れたことがある。はは、可愛かったぜ?
簡単に転がって身動きとれなくなってよお、あの怯えた顔!ああいう顔されると俺は我慢できなくなるんだ」
耳に入る不快な内容に、慶透のこめかみに筋が浮く。
「たかが下衣を脱がせたくらいで泣きそうになってさ、灯りを消せって喚くんだ」
「黙れ」
「途中で大人しくなって面白くなかったが、その諦めた顔は中々によかったぜ?上衣も下着も開けば雪みたいに白い肌が――」
「黙れと言っている!」
慶透が怒鳴ると、その熱量とは逆に周囲の気温が一気に下がる。
「戯言を――」
「戯言?何の根拠があってそんなこと言うんだ?」
「もしそのようなことがあれば、微光は私に言う」
茨塊は嬉しそうに笑みを深めた。
「微光が、お前に?あはは、お前、あいつのことを何にもわかっちゃいないな!
お前の朋泉である重責に耐えきれず、それでもお前に文句も言わず、一人林で落ち込んでたあいつが?
じゃあ一つ質問してやるよ、ここ最近あいつが術の修業に励んでいたのはなぜだ?」
「……彼は常に努力している」
「言い方を変えてやる。あいつはなぜ、それまで以上に努力し、授業時間外も修行に励んだ?思い当たる節はないのか?あいつの姿勢に変化を感じなかったのか?」
慶透とて何も感じなかったわけではない。ある日を境に、微光はいっそう修行に励むようになった。だがそれがいつなのか覚えていない。何か大きな出来事があったわけではなかったからだ。そこに理由を見出そうと思ったことはない。
慶透の胸の中にじわりと黒い靄が広がっていく。
朋泉なのに、自分は微光のことを何も知らないのではないか?どうしてそれほど交流もなかった筈の男が、自信たっぷりに微光を語る?
焦り、不安、苛立ち。
「ほらな、お前はあいつを知らない。おそらくお前以外は知ってるぜ?」
「彼はどこだ」
「朋泉ならわかるだろ?」
「どこだ」
麗慶透はいたって冷たかった。眉はつり上がり、眉間に皺が寄っているが、その表情に彼の心の内の烈しさは現れない。冷たく低い声に、茨塊は流石に余裕がなくなる。意地でも笑みは崩さないが、引きつっているのが自分でもわかる。
「はあ、ったく。坊ちゃんには冗談が通じねえな。もう泉に戻ってる」
泉、まで聞いて慶透はさっと体を翻した。
ようやく目の前の圧から解放され、茨塊は全身に入れていた力を少し抜いた。
「煽り過ぎたか?」
「煽り過ぎだ」
遠くから様子を見ていた理雪は呆れたように言ったが、内心感心もしていた。慶透に気取られぬようにかなり離れた位置にいたが、それでも彼の出す異様な圧は凄まじかった。姿を見てもいないのに、冷や汗が止まらなかった。
「あんまりやると殺されるぞ?」
茨塊と理雪は泉族の出ではないどころか、理雪は商人の丁稚でありその前は孤児、茨塊に至っては交色街出身である。吹けば飛ぶような命である以上、その可能性は大いにあった。
「はっ、殺してみろっての」
それでも強気に生きていられる茨塊は、理雪にとって憧れの対象でもあるのだ。
「妖が心配だな」
「あいつの身が危なくなることはないだろ」
「ない、と思うけど、あの様子じゃ色々訊かれるだろ?」
「それで嫌になってこっちに来りゃもうけもんだ」
茨塊の言葉に、理雪は頷いた。
「妖はあんなところにいるべきじゃない」
そう言った理雪は恐ろしいまでに無表情だった。茨塊はそれを見て満足そうに笑う。
「ああ、俺達が救ってやらねえとな」
続きます。




