四人の誓い(下)
耳に馴染まない声の方を向くと、いつも私に嫌な感情を向けてくる生徒たちがいた。そしてその足元に倒れ込んだ丈拳の姿が見える。
「丈拳!」
思わず立ち上がると、
「無視するな!」
思いきり頬を打たれ、私は椅子に引っかかりながら尻から地面に倒れた。
「うっ!」
「微光!」
楽平が席を立ってこちらに駆け寄って来てくれた。
「大丈夫か?」
楽平に上半身を起こしてもらうと、視界がゆらゆら揺れていた。頭を打ったわけではないが、振動で感覚が歪んでしまったようだ。
「白聡廉、どういうつもりですか?」
「おやおや門衛に落ちた聖家の賢奨。何か言いたいことでも?」
賢奨は席に座ったまま、聡廉を睨みつけるも、聡廉は蔑んだ視線を向け、馬鹿にしたように言った。
泉族には曖昧ながらも階級が存在する。家格とも呼ばれるものだ。上から預泉、囲山、門衛、連、郡、集だ。慶透や炎陽のように五家と呼ばれる家が預泉で、預泉の地位が揺らぐことはないが、囲山には20までの家しか入れず、囲山と門衛を行き来する家は多い。
聖家はここ数年で門衛に降格したようだが、白家は入れ替わりなく常に安定して囲山の格を保っているのだろう。同じ位にあっても上下は存在し、ついこの前まで同じ格であったとしても、安泰の白家は聖家にとって目上の存在であることは常に変わらない。賢奨は言い返すことなく、唇を固く結んで俯いた。
「へえ、お前はそういう奴なのか。それなら朋泉の俺が言わせてもらおう」
今度は楽平が聡廉を睨みつけた。道家は聖家と同じように囲山と門衛を行き来する家だが、十年ほどは囲山であると言っていた。見えない上下関係もたいていは師事する家が同じであればこそだ。聖家も白家も銀家の派閥だが、道家は壁家の派閥だ。建前上は同じ立場である。
「聡廉、いったいどういうつもりだ?」
自ら家格を持ち出した以上、心の中で不安定な囲山と下に見ていても、家格に応じた対応をしなければならない。聡廉は忌々しそうに楽平を見下ろした。
「どういうつもりもない。私を無視するから指導したまでだ」
「指導?」
「本来なら同じ派閥の者がするが、こいつはどこにも属していないからな」
そもそも事情が事情なのでどこの家にも入れないのだが、上手く手を回せば裏口入門くらいできる。師匠がそうしなかったのは、こういうやっかいな制度が容認されているからでもある。
怒りを通り越して呆れているらしい楽平から体を離し私は立ち上がった。
「なんだ?文句があるのか?」
一応危険人物の認識はそのままだったので、聡廉は一歩下がる。
「いえ、ご指導いただきありがとうございます」
一歩進むと更に向こうも一歩下がる。それを繰り返して、私はようやく丈拳の元に辿り着くことができた。
「丈拳、立てる?」
「微光様、ありがとうございます」
床に座り込んだままだった丈拳を引き起こしてもとの席に座らせてやる。
「微光、いいのか?」
「別にいいよ。迷惑かけてごめん」
「迷惑なんかじゃないけどさ」
しぶしぶ元の席に戻った楽平は、強張ったままの賢奨に声をかけ、その緊張を解いてやった。
まだ視線を感じるのでそちらを見ると、聡廉とその一行はまだその場に立っていた。
「まだ何かございますか?」
その声に反応して、また聡廉が近づいてくる。楽平が動きそうなのを目で制して、勢いよく振りかざされた手を弾いた。自分が殴られるのだろうと覚悟して目を閉じていた丈拳が、驚いたように私を見る。
「微光様」
「微光、いったいどういうつもりだ?!」
(聡廉こそいったいどういうつもりか訊いてみたいものだ)
「白聡廉、あなたは今、丈拳の椀に手を伸ばしましたね。それがどういうことかわかりますか?」
私の問いかけに、後ろにいたうちの一人が聡廉の腕を引く。
「聡廉、やめよう。使用人の丈拳自体はともかく、その丈拳の食事は主である炎陽様が負担している」
つまりはそういうことである。ついでに私の食事も今日は炎陽持ちだと付け足そうと思ったが、それはそれでまた睨まれそうなのでやめた。
「もうよろしいですか?」
そろそろ食事を再開したい。素っ気なく聞こえないように弱めの声で許しを乞うと、聡廉は逆に強気になって、掴まれている腕を振り払い、私の腕を取って立ち上がらせた。
「いや、ここで済ませる」
「何を?」
わけがわからない内に私は卓のない所に投げ飛ばされた。背中で地面を滑って、止まったところで胸ぐらを掴まれまた立たされる。
「囲山として栄えていた雪家ももはや地に落ちた。そんな家の者が五家の子息と朋泉であり、かつ名を呼び捨て、砕けた調子で話すなど、あり得てはならない」
空いている方の手で、聡廉は私を叩きつけた。先ほどと同じく泉力を使っているため、通常の何倍もの威力である。首がもげそうになるのを耐え、胸元を掴む手を引きはがそうとするが、既に二発目が迫っていた。
「おい、食事中だろ?埃を立てるんじゃねえよ」
二発目が私に当たることはなかった。胸倉を掴んでいた手も離れ、私はまた地面に体をつけることになった。
「茨塊……」
食堂にいるはずがないと思っていた。視線をずらすと、こちらを心配そうにうかがっていた厨房の人達が見える。一人がこっそりと群れに入っているのを見て、厨房の人が茨塊を呼んでくれたのだと知る。
(来てくれたのが意外だけど)
「あーあー、綺麗な顔が台無しじゃねえか」
茨塊はぱっと聡廉の手を放し、私の前にしゃがみ込む。目には愉悦が浮かんでおり、私を心配してというよりは、面白いことに釣られてやって来たのだとわかる。
茨塊は私の両頬に手を当て、泉力を流し込んだ。手当をしてくれるのはわかるが、他人の泉力が直接流れ込んでくるのはいい気分ではない。しかめっ面になると茨塊はますます愉しそうに笑った。
「ふ、いい顔だな」
茨塊は立ち上がり、呆然としている聡廉に向き直る。聡廉はびくりとして茨塊を睨みつけるが、怯えの方が強い。
「良家のお坊ちゃん方がよぉ、いい趣味してるじゃねえか。家格で言えば俺が一番下だが、代わりに相手してやろうか?」
そもそも泉族ではない茨塊に、こちらの常識は通じないし、彼はかなり強い。泉族ではない分基礎なく粗削りだが、実力と伸びしろを考えれば五家の子息でもおかしくないくらいだ。
「き、君に用はない」
「ふうん?派閥に属さない者を指導するのがお前の役目なんじゃなかったか?どう考えてもあいつより俺の方が指導が必要に見えるが?」
「~っ、今日は終わりだ!」
上手い返しが思いつかなかったのだろう。聡廉は顔を真っ赤にして、逃げるように食堂を出て行った。
「茨塊、ありがとう」
「礼を言われる筋合いはねえよ。また貸しができたな」
「うっ、」
茨塊は笑みを浮かべると私の手を引いて起こしてくれた。
「今度、また手伝ってもらう」
茨塊は他の人に聞かれないように耳元で囁いた。
「長期休暇にしてくれると嬉しい」
「考えておいてやるよ」
茨塊はぱっと体を離し、
「そろそろ理雪が飯を作り終えただろうからな。俺はこれで帰る」
そう言って周囲の目も気にせずに歩いて行ってしまった。途中、厨房によって何やらもらっていたようなので、私の分の借りを減らしてくれると嬉しいのだが。
「おい、微光!」
席に戻ると、楽平が目を丸くして詰め寄ってきた。机の上に乗り出した状態は行儀が悪いので、先に肩を押して席に座らせる。
「なに?」
「なに、じゃない!あの茨塊と知り合いだったのか?」
「あの茨塊……」
まあそれはそうだろう。私のような黒帯の者は強盗に遭うこともあるし、能力は高いが下賤の出だと噂されている。本人の態度もああだから、敬遠されているのも頷ける。
「微光、彼はあまりいい噂がないよ」
賢奨も心配そうに言ってくれるが、何もそのことを知らないわけでもない。
「大丈夫だよ。私は茨塊が良い人だとは思わないし、とても親しい仲ではないから。彼も気まぐれに助けてくれたんだろう」
「目をつけられてるんじゃないのか?」
逆に楽平に心配される形になってしまった。交色街での借りの清算を要求されているあたり、目はつけられていると思うけど、そこまで悪いものでもない。彼が本当にそういう意味で目をつけたなら、もったいぶらずにすぐ攻撃してきそうだ。
「本当に、大丈夫だから」
「微光の大丈夫は信用できないな。既に慶透様ともかかわりがあって、最近では炎陽様ともつながりができたじゃないか」
「五家の子息を茨塊と一緒にしないで」
賢奨が楽平を叱ると丈拳も同意するように何度か頷いた。
「あの、お願いなんだけどさ、ここであったことを慶透には言わないで欲しいんだ」
「どうして?」
賢奨は不思議そうに首を傾げる。
「慶透様にこのことを告げれば、白聡廉が今後何か言ってくることはないと思うよ」
「それはそうなんだけどね」
本来ならそのやり方が正しいのだろう。せっかく朋泉の身分が高いのだから、本当に無礼を働いたならともかく、逆恨みで叩かれたのだから、それこそ本当に指導してもらえばいい。
(でも、それじゃだめなんだ)
「彼らの私に対する恨みがなくなるわけじゃない。それは私自身が対処しなければならない問題だと思う」
「じゃあどうする?」
「最初から決まってるよ。私が慶透の朋泉でもおかしくないくらい、力をつければいいんだ」
慶透が五家の子息だからとかじゃない。慶透が私の朋泉だから。私は朋泉として、慶透に並ぶに相応しい力を得るように努力する。
決意を込めて楽平を見ると、彼は呆れたような、安心したような顔で笑った。
「まったく微光は揺るぎないな」
「え?」
「何でもない。俺も頑張ろう、って思ってさ」
楽平は拳を前に突き出した。私が自分の拳を合わせると、賢奨もそれに加わった。
「私も頑張る。楽平が成長しているのだから、朋泉である私も努力しないと」
はじめは怠け癖や諦め癖のあった楽平が、春季に大きく力を伸ばしたことを言っているのだろう。楽平は恥ずかしそうに笑い、誤魔化すように丈拳に声をかける。
「ほら、丈拳も。座学が苦手な者同士、頑張ろうぜ」
丈拳はまさか使用人である自分に声がかけられるとは思っていなかったのだろう。きょとんとしてから、ゆっくりと笑みを広げた。
「ありがとう、ございます。私も、炎陽様の朋泉として努力します」
控えめに差し出された丈拳のも合わせて、四つの拳が卓の上で一つになった。
「俺達は何も言わないけど、どうせこのことは明日には広まってると思うよ?」
寮へ戻る途中、楽平がぽつりとつぶやいた。だがその心配をする必要はない。
「大丈夫、慶透は噂話も含めて人の話を聞かないから」
「お前、だいぶ図太くなったよな」
私もそう思う。
続きます。




