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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

牛の首

牛の首

作者: 夕日色の鳥

ショッキングな表現、残酷描写があります。

苦手な方はご遠慮ください。

家紋武範様主催『牛の首企画』参加作品です。


 そいつは、ある日突然俺たちの街にやってきた……。




「……次のニュースです。

 ○○県黄昏市(たそがれし)丑頚町(うしくびちょう)を中心に殺人事件が頻繁しています。警察はこれを同一犯による連続殺人事件と断定。対策本部を立ち上げたとのことです」


「怖いですね~。巷では犯人のことを『牛の首』なんて呼んでいるそうですね」


「地名もありますが、何より被害者が皆一様に首を切られ、まるで飾るようにテーブルの上に並べられていることが強烈で、そう名付けられたようですね」


「猟奇殺人鬼ってやつですか。世も末ですね」


「市内の学校では集団下校が行われ、市民に早めの帰宅を呼び掛けているとのことです」


「怖いですね~。早く犯人が捕まることを祈ってます」





「他人事だよな……」


 俺はテレビで話すコメンテーターに文句を言ってから、リモコンでテレビを消す。

 母親に行ってくると言って玄関に向かうと、弁当を忘れていると渡してきたのでそうだったと受け取る。2人分。


「……今日は、行けるといいわね」


「……行ってくる」


 俺は母親の言葉を背に玄関から出た。




「……あっつ」


 外に出ると太陽が突き刺すように肌を焼いてきた。一気に汗が吹き出す。

 まだ7月に入ったばかりだと言うのにこの暑さ。

 俺はまだまだ気温が上がるであろう季節にうなだれながら隣の家に向かう。


「……まだ壊れてるか」


 俺はインターフォンを押すが、ボタンがへこへことへこむだけで住人に来客を知らせる役割を果たしている様子はない。


「……ま、鳴ってても出てこないか」


 俺はぼそっと呟いてから、カバンの内ポケットに大事にしまってある鍵を取り出した。

 それを隣家の玄関ドアに差し込めば何の抵抗もなくするりと鍵は入り、左に回せばガチャリと音をたてて解錠した。

 俺は手慣れた調子でドアを開け、中に入る。

 靴が散らばったままの玄関口に眉をひそめながら自分の靴を脱ぐと、そのままリビングへと向かう。


「……はぁ。またここで寝てんのか、おまえ」


「……ん? ああ、真吾(しんご)か」


 俺がリビングのソファーで丸くなっているソレに声をかけると、もぞもぞと(うごめ)きながら毛布から顔だけを出してきた。


「……なに?」


「いや、なにじゃねえよ。毎日迎えに来てんだろ。そろそろ学校行かないか? 美咲(みさき)


 首をかしげる美咲に呆れながらもきちんと説明して返す。

 くれぐれも慎重に、と医者にも親にも言われている。

 けどまあ、変に気を使う方がこいつも嫌だろう。きっと幼馴染みの俺には、いつも通りでいてほしいはずだ。


「……」


「……」


 今日も無理か。


「じゃあ、弁当はここに置いとくからちゃんと食えよ。昨日のは、そこか」


 俺は置く場所の少ないテーブルに持ってきた弁当を置き、片隅に広げてあった昨日渡した弁当箱を回収する。

 このあと、一度これを家に持って帰って母親に渡してから学校に行くのが最近のいつものルーティーン。


「……じゃあ、俺は学校行くから、おまえもあんまり寝てばかりいないで少しは掃除しろよ」


 俺は足の踏み場が少ない床を歩きながらリビングのドアまで戻る。


「……ん」


「?」


 後ろから声がするので振り返ると、美咲が毛布から出てきて立ち上がっていた。

 昔から着ているパジャマはもうだいぶ小さくなっていて、足首や手首が丸見えだった。胸元はあまり成長していないから問題はなさそうだ。


「……! な、なにやってんだ!?」


 そして、美咲はおもむろに着ていたパジャマを脱ぎだした。

 つけていたピンク色の下着が露になる。


「……ん。学校、いく」


「……え?」


 美咲はそれだけ言うと、とことことリビングから出ていき、2階へと上がっていった。


「……え?」


 俺は美咲の言ったことが信じられなくて、ただたださっきの下着姿を思い返していた。




「……おまたせ」


「……」


 しばらくすると、美咲は制服に身を包んで戻ってきた。

 久しぶりに見る姿に気恥ずかしいような嬉しいような気持ちになる。


「……大丈夫なのか?」


「……たぶん?」


 俺が気を利かせて尋ねると、美咲はこてんと首を傾けた。

 どこか他人事のように自分を語る。

 前はもっと明るい性格ではあったが、たしかに昔からそういうところはあったかもしれない。


「……じゃあ、いくか」


「ん」





 昨日の弁当箱を渡しに俺の家に戻ると、美咲の姿を見た母親は泣いて喜んでいた。

 母親が美咲の姿を見るのは、美咲の家族の葬式以来かもしれない。

 美咲は俺以外が家に入るのを極端に嫌がったから。






「……おい、あれ!」


「おお、マジか」


「学校来れたんだ、良かった」


「かわいそ~」



 学校に着くと、校門をくぐった時点で周りの生徒の視線が美咲に集まってくる。

 予想はしていたが、かなりウザい。


「……美咲、大丈夫か? 今日はここまででもいいんだぞ?」


 俺は医者が言っていたことを思い出して、そう声をかけた。

 いきなり教室に行く必要はない。

 最初は校門まで。次は下駄箱。保健室、と少しずつ学校に戻れるようにすればいい。


 医者はたしかそう言っていた。


 美咲が家から出なくなって数ヶ月。

 ここまで来れただけでかなりの進歩だ。


「……ううん。大丈夫。真吾がいてくれるから」


 美咲はそう言うと、ぎこちなく笑った。

 まるで笑うということを忘れてしまっていたかのような笑顔だった。

 でも、久しぶりに見た美咲の笑った顔はやっぱり可愛かった。







「おお! 水野! 学校に来てくれたのか! 先生は嬉しいぞ!」


 俺は教室に行く前に美咲を職員室に連れていった。

 担任の早川は美咲の顔を見ると驚いていたが、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせた。

 早川は顧問をやってる部活が忙しいはずなのに、たびたび美咲の家に様子を窺いに来ていたから良い教師なんだと思う。

 まあ、美咲は毎回出てこず、俺がいつも対応していたのだが。


「……はい。ご心配おかけしました」


 美咲はぺこりと頭を下げる。


 美咲は変わった。

 前は早川の熱いノリにもついていけるぐらい明るかったのだが、今はあの頃の輝くような笑顔はどこにもない。


「そ、そうか。まあ、無理はしないようにな」


 早川もそんな美咲の変化を感じたのか、熱量を抑えたようだ。

 俺も正直、早川のテンションにはついていけなかったから、これぐらいがちょうどいい。




「じゃ、失礼します」


「おう! またあとでな!」


 休んでいた間の連絡事項や手続きについて少し話して、俺たちは職員室をあとにする。



「……」


 背を向けた俺たちは早川が美咲のことをじっと見つめていたことには気が付かなかった。







「美咲~! 会いたかったよ~!」


「水野じゃん! 久しぶり!」


「学校来れたんだね! 良かった!」


 教室に着くと、さっそくクラスメートたちが群がってきた。

 もともと社交的だった美咲はクラスに友人も多かった。

 当初はみんな心配して自宅に押し掛けようとしたが、早川が迷惑になるからと美咲と特に仲の良かった数人に限定して、たまに美咲の家に来てくれていた。


「……うん、久しぶり」


 静かに応える美咲に皆もいたたまれない表情を見せる。


 3ヶ月前、美咲はいま世間を騒がせている連続殺人鬼『牛の首』に家族を殺された。

 父、母、弟の3人。

 美咲はその時、ちょうどジュースが飲みたくなったからと自宅近くの自販機に向かっていて難を逃れた。


 さっきまで笑顔で話していた家族が、ちょっとジュースを買って戻ってきたら全員死んでいたのだ。

 しかも、テーブルの上に3人の首が並べられて。


 その時の美咲の気持ちを思うだけで胸が苦しくなる。

 警察の現場検証のあと、ある程度の清掃が行われた。

 その間、美咲は俺の家で生活していたが、結婚して出ていった姉の部屋に閉じこもったまま出てくることはなかった。

 元の家に住めるようになっても俺の家にそのままいないかと俺の両親が美咲に提案したが、美咲は帰るとだけ言って自分の家に戻ってしまった。

 それからはずっと、一歩も家から出ることはなかった。

 俺以外が家に入ろうとすると激しく取り乱すので、食事は俺の母親が作ったものを俺が運ぶようになった。

 放っておくと何日も何も食べない。

 

「……真吾が悲しそうな顔するから」


 美咲がメシを食う理由はそれだけなんだそうだ。


 また、警察が話を聞きに来ても最低限の返答だけ。

 その時も俺の同席が必要。

 一度、俺が学校に行っている時に訪ねた時は出てもくれなかったという。


 正直、なんでこんなに俺に頼りっきりなのかは分からない。

 べつに俺たちはただの幼馴染みだ。

 お互い、とくに恋愛感情があったとも思えない。

 本当にただの幼馴染み。

 俺と美咲の関係はそんな感じだった。



「……」


 いま、こうして俺の陰に隠れるようにしている美咲を見ると、俺がこいつを守ってやらなきゃという気持ちになる。


「……おまえら、あんまり囲むと美咲も困るだろ」


「はいはい。やっぱり美咲は真吾が一番よね」


「でも、またあとで話そ~ね、美咲」


「そ~そ~。美咲がいない間の真吾の面白エピソード聞かせてあげる♪」


「……おい。そんなのないだろ」


「……たい」


「え?」


「それ、聞きたいかも」


「……おい、美咲」


 でしょ~! と盛り上がりながら、美咲はクラスメートたちとともに自分の席に座った。

 違和感なく迎え入れてくれたクラスメートたちには内心感謝した。それを口に出すことはないが。







「じゃあ、またあとで夕飯持ってくからな」


「ん。また」


 美咲はその後は普通に授業を受けた。

 もともと頭は良い方だったから、遅れを取り戻すのはそう難しくなさそうだった。

 俺は美咲を家の玄関まで送ると、自分の家に戻った。

 空になった2人分の弁当箱を渡すと、母親は嬉しそうにそれを受け取った。




「……『牛の首』事件の続報です」




「!」


 ついていたテレビからそんな声が聞こえ、俺はテレビに目を向けた。




「これまで6組の家族が被害に遭ってきましたが、首をテーブルに並べられている以外に新たな共通点が発見されたと警察から発表がありました」




「……」


『牛の首』に殺された被害者は全部で20人。

 その被害者は皆一様に首を切断され、テーブルに並べられていた。

 その中には美咲のように家におらず、被害を免れた者もいたという。


 その人たちは今どうしているのだろうか。

 美咲は、俺はこれからどうしていくのだろうか。

 どうしていけばいいのだろうか。




「『牛の首』は毎月1回、決まった日にちに犯行に及んでいるとのことです。

 それが17日。

 最初の家族は1月17日。次の家族は2月17日と、どの家族も毎月17日に被害に遭っています。

 そして、どの家族の家も、カレンダーの17日の部分が赤い丸で囲われていたそうです。これには被害者の方の血液が使われていたという話です」


「いや~、怖いですねぇ。しかし、犯人はなぜその日に犯行に及ぶのでしょう。何か特別な意味があるのでしょうか」


「警察ではいまその日にちと事件の背景を照らし合わせながら捜査をしているそうです。

 6月までの17日は休日であることも多く、幅広く犯人像を想定して捜査を続けるとのことです。

 また、前回の事件からまもなく1ヶ月。

 次の7月17日が来る前に警察は犯人を逮捕したいと意気込んでいるようです」


「もし犯人を見つけられなかったらどうなるんでしょうね。また凶行が行われるんでしょうか。怖いですねぇ~」




「……楽しんでんじゃねえか」


 コメンテーターのニヤついた顔が鼻につく。

 俺は直接の当事者でもないのにそんな所にも噛みつきたくなる。

 美咲にはこれは見せたくないな。


 でも、休日か。

 犯人は公務員? あるいは学生。もしくは学校関係者だろうか。







「美咲。夕飯持ってきたぞ……ん?」


「ん。ありがと」


 その日の夜、俺はいつも通り美咲に夕飯を届けた。

 その場で広げて一緒に食べる。

 初めは事件があった場所で食事をとることに抵抗があったが、一緒に食べると美咲も箸をよく動かすので、俺は夕飯はいつもここで一緒に食べることにしている。


 部屋を見回すと、リビングが少しだけ片付けられていた。

 本当に少しだけ、だが。


「……掃除、したのか?」


「……ちょっと」


 俺が尋ねると、美咲は人差し指と親指をコの字型にして、それを限りなく近付けた。

 一応、ちょっとだけという自覚はあるようだ。


 部屋を片付けるというのは前を向き始めたということだと聞いた。

 学校にも行って。

 美咲は少しずつ前を向こうとしているのだろうか。


「……」


「……ん?」


「……っ」


 美咲の顔をじっと見つめていると、美咲はすっと顔を上げてこちらを見つめ、小首をかしげた。

 俺は気恥ずかしくなって部屋をわざとらしく見回した。


「……ちょっとは片付いたけどまだまだだな。俺が片付け道を伝授してやろう」


「……ふふ。なによそれ」


 わざとらしくそんなことを言って胸を張ってみれば、美咲は口元を抑えて静かに笑った。

 その笑みにどうしようもなく惹かれたことは俺の心の奥にしまっておこう。







「……ふう」


 俺は夕飯の入った大きな重箱を抱えながら美咲の家をあとにする。


「……」


 ……リビングのカレンダーが7月に変わっていた。

 そして、17日のところに何重にも赤い丸が描かれていた。

 それを見つけてしまったことを隠すのにおどけるのは思ったよりも大変だった。

 おそらく美咲の家族の血でつけられたであろう赤い丸。

 美咲はそれをどんな思いで見るのだろう。


 早く来月になれと願いながら、俺は隣の自分の家に向けて歩いた。


「ん?」


 その時、向こうから誰かが歩いてくるのに気付いた。


「……早川?」


「おお! 真吾か!」


「……先生」


 向こうも俺に気付いたので、慌てて先生をつける。

 早川は男子を基本名前で呼ぶ。

 昔は女子にもそうしていたらしいが、今のご時世ではそれはご法度らしい。

 俺は正直、そこも男女平等にしてほしいと思うのだが、不思議と早川の男子人気は高い。

 名前呼び戦法は単純な俺たち男子には有効な人心掌握術のようだ。


「すいません。もう夕飯食い終わったから美咲には会えないですよ」


 美咲は夕飯が終わると風呂に入り、さっさと寝てしまう。

 さすがに風呂の間も家に居座る勇気はないので、俺は一緒に夕飯を食べたらすぐに自分の家に帰るようにしているのだ。


「そうか、遅かったか。いや、部活が思ったより長引いてな。

 久しぶりに水野が登校してくれたから、アフターケアも兼ねて様子を見に来たんだが、どうやら心配なさそうだな」


「?」


 早川は俺の顔を見るなり、ほっと安心したような顔をしてみせた。


「おまえ、ずいぶん嬉しそうな顔してるぞ。水野の笑顔でも見れたのか?」


「……そんなことないです」


 自分ではそんなつもりはなかったのだが、端から見たらそんなふうに見えていたのだろうか。

 夜にそんなニヤケ顔で歩いてるなんて、シャレにならない。


 俺はわざとぶすっとした顔をしてみせた。


「ぷ、くくっ。まあ、大丈夫そうならそれでいいさ。明日もまた学校来てくれるといいな」


「……はい」


 屈託のない笑顔。

 こういうところが生徒に好かれるのだろう。

 俺も結局のところ、早川のことはわりと好きだ。


「真吾もあんまり気負いすぎるなよ。なんかあったらいつでも俺に相談してくれな」


「はい。ありがとうございます」


 俺は早川にお辞儀をして、自分の家に入っていった。





「……」


 そんな俺の後ろ姿を早川はものすごい形相で睨み付けていたのだが、俺はそんなことにはまったく気付いていなかった。




「……」


 そして、そんな早川を部屋の2階から冷たく見下ろす美咲のことにも。











 そして、7月16日になった。

 明日は17日。

『牛の首』が動く日だ。




「結局、今日(こんにち)に至るまで警察は『牛の首』を逮捕することが出来ていません。

 市内の学校は明日は休校にすることにしたそうです。また、不要の外出は避け、必ず家の施錠を行うよう注意を呼び掛けているとのことです。

 そして、日付が変わる午前0時から黄昏市全域に警察官を大量に投入し、市内の警戒を強める方向で話が決まったようです」




 どうやら警察が丸1日市内をパトロールしてくれるらしい。

 とはいえ、警察官の数にも限りがある。

 丑頸町だけならまだしも、市内全域となると必ず穴が出来るだろう。


 俺は嫌な予感を払拭しきれずにいた。



「やれやれ。あんたも嫌な誕生日になっちゃうね」


「誕生日?」


 家でニュースを見ていると、母親がふいにそんなことを言い出した。


「何言ってんの。明日はあんたの誕生日じゃない」


「あ、そうか」


 すっかり忘れていた。

 7月17日は俺の17回目の誕生日だった。

『牛の首』事件のせいで、17日は嫌な印象しかなかった。


「まったく。あんたはそういうとこ抜けてるのよね」


 母親はやれやれとため息をついていた。

 自覚はないが、そう思われていたようだ。


「で? 明日はどんなケーキがいいの?」


「……三角ケーキ。美咲にも持っていけるように」


「……オッケー」


 俺が答えると、母親はやけに優しい顔をして頷いた。


「あ、買うなら今日のうちに買っといてくれよ。明日は父さんも母さんも有休とったんだ。出掛けなくていいようにしててくれ」


「はいはい。わかってるよ。父さんに帰りに買ってきてもらうように頼むから大丈夫」


「……ならいいけど」


 俺の両親は共働きだが、明日は2人とも有休をとった。

 というより、会社からそうするように要請があったそうだ。

 会社側からしたら、もしそれで万が一があったときに批判されるのを忌避したのだろう。

 俺としてもその方が安心して美咲のところに行けるからちょうど良かった。


「……あのね、真吾」


「ん?」


 母親が改まったように話を変えてきた。


「美咲ちゃんのことなんだけど、お父さんと話して、うちで引き取ろうかって思ってて」


「!」


 その可能性は考えていた。

 というより、美咲のためにもそれが良いんじゃないかと。

 けど、経済的に決定権のない俺が言い出すわけにもいかず、どうしたものかと思っていたんだが。


「……どうかな?」


「……ああ、いいと思う」


「そっか! 良かった!」


 俺が返事を返すと、母親はパアッと顔を輝かせた。俺が反対するとでも思っていたのだろうか。

 いつまでもこのままというわけにはいかないし、美咲を俺のいないところに行かせるのも気が引けた。


 ……というより、たぶん俺がそれは嫌だった。

 だから、今回の母親の提案は俺にとっても嬉しいものだった。


「美咲には、タイミングを見て俺から伝えておくよ」


「そうね。それでお願い」









「いいか。0時を過ぎたら絶対に1日家から出るな。鍵は必ずかけろ。

 俺も起きたらすぐにそっちに行くから、それまでは絶対に玄関を開けるな、いいな」


 その日の夜。

 俺は美咲に何度もそう言って聞かせた。

 本当は俺もこの家に泊まり込みたかったが、さすがに女子の独り暮らしの家に一晩中いるわけにはいかないだろう。

 美咲は「もう、わかってるよ」なんて言いながら笑っていた。

 そういえば、美咲はまたずいぶん笑うようになっていた。

 学校であったくだらない話を、俺もその場にいたというのに夕飯時に楽しそうに話したりする。

 学校ではまだぎこちないところもあるが、少しずつ以前の美咲に戻ってきているのだろうか。


「……」


 この調子なら、ウチで引き取るという話も出来るかもしれない。

 明日が終わったら美咲に話してみよう。


 俺はそんなことを考えながら床についた。





 そして、0時が過ぎ、17日になってすぐ。



 どんどんどんっ!!



「うわっ!」


 俺が寝ている部屋の窓が何者かに激しく叩かれて、俺はベッドから跳ね起きた。


「……だ、誰だ」


 心臓がどくんどくんと早鐘を打つ。

 夏の暑さとは違う汗が頬を伝う。


 ゴクリ、と唾を飲む。



 そぉ~っと、音を立てないようにカーテンに手をかける。



 ゴクリ、と再び喉が鳴る。



「……っ!」



 俺はバッ!と一気にカーテンを開けた。




「……美咲?」


「やっほ~」


 カーテンの向こう側では美咲がのんびりと手を振っていた。


「なんだよ。びっくりさせるなよ」


 俺はまだ激しく動悸する心臓を落ち着かせながら窓を開けて美咲を入れてやった。


「へへ、ごめんね」


 美咲は照れくさそうに笑いながら部屋に入ってきた。


「そういえば、昔はよく窓越しにお互いの部屋に遊びに行ってたな」


 俺と美咲の家は庭がそれぞれ左右にあるため、俺と美咲の部屋はちょうどすぐ近くになるようになっていた。そのため、窓を開ければ簡単に互いの部屋を行き来できるのだ。


「そそ。それでなんだか懐かしくなってね」


「おまえ、このタイミングでやめろよ」


 本当に『牛の首』がウチに来たのかと思って生きた心地がしなかった。

 冗談にしてはやりすぎだ。


「……ってのは冗談で。ホントはちょっと、1人でいるのが怖くなっちゃってね」


「……そうか」


 えへへと申し訳なさそうに笑う美咲。

 その真意に気付けなかった自分に嫌気が差す。


「ってことで、おやすみ~」


「あ、おい!」


 そして、美咲は何の躊躇いもなしに俺のベッドに飛び込んで布団を被った。


「……だめ?」


「~~っ」


 美咲は被った布団から目から上だけを出してこちらを見つめてきた。

 そんな顔されたら断れない。


「……わかったよ。俺は床で寝るから、ベッドは貸してやる」


「え~。一緒でいいのに~」


「……ふざけんな」


 俺はクローゼットから毛布を引っ張り出すと電気を消し、赤くなった顔を隠すようにさっさと毛布にくるまった。


「……おやすみ」


「……おやすみ」


「……」


「……ありがとね」


「……早く寝ろ」


「……うん。おやすみ」


「……ああ」


 そうして、俺たちは眠りについた。





 俺と美咲の家の間。

 美咲が俺の部屋に入る瞬間を睨み付けるように見上げる男がいたことに気付いていたのは美咲だけだった。











 翌日。


 目を覚ますと美咲はいなかった。

 部屋の窓が開いていて、美咲の部屋の窓も開いていたからきっと自分の家に戻ったんだろう。


「……ん!」


 ゆっくりと伸びをすると体が朝だということを自覚する。

 美咲が隣にいたからか、昨日はよく眠れた。

 いつもは、美咲がちゃんと眠れているか気になってすぐに寝付けなかったから。


「……ははっ」


 これじゃ、どっちが依存してるんだか分からないな。

 俺は自分の滑稽さに嘲笑を送った。



「……ん?」


 窓の前に立っていると、横目に何かが通ったことに気が付いた。

 今日は外出しないよう通達が出ていたはずなのに誰だろうか?

 気になって窓から身を乗り出してみると、歩いていたのは早川だった。


「……なんでここに?」


 学校は休校だが、よりによって今日美咲の家に来なくてもいいだろう。

 俺は早川のことが気になって部屋を飛び出した。


 なんだか嫌な予感がしたというのもある。


「ちょっと美咲のところに行ってくる!」


 俺は階段を駆け降りると、リビングにいるであろう両親にそう声をかけて玄関から外に出た。


 隣の家に目を向けると、ちょうど早川が美咲の家のインターフォンを押しているところだった。

 そのインターフォンは壊れていて鳴らない。

 俺は玄関を出て門に手をかけた。


 今日は美咲のことはそっとしておいてほしかった。


 2人で祝う誕生日を誰にも邪魔してほしくなった。


 俺の中では、そんな2つの思いが渦巻いていた。


「……っ!」


 だが、そんな俺の気持ちを無視するかのように美咲の家の玄関の扉が開いた。


 そして、美咲は早川を笑顔で迎え入れた。


「……な、なんで?」


 美咲は俺以外を家に入れなかった。

 そもそも訪問者が来ても出たりはしなかった。


「……!!」


 そして、早川が美咲の家に入る瞬間、俺は見た。

 早川が後ろ手に大きなナイフを握っているのを。



「美咲っ!!

 父さん! 母さん! 警察に連絡してっ!」


 俺は素早く大声で両親にそれだけ伝えると、美咲の家まで急いだ。


「おい! 美咲! 大丈夫かっ! おいっ!」


 玄関についた俺は鍵のかかったドアを何度も叩き、大声で叫んだ。

 大声を出せば近所の人間が気が付きそうなものだが、このあたりは騒音対策で防音効果のある壁や窓にしている家が多かった。

 俺がしばらく大声でドアを叩き続けても、他の家から人が出てくることはなかった。


「……くそっ!」


 いっこうに開く気配のないドアに悪態をつき、俺は庭の方に回った。

 リビングの窓を叩き割れば中に入れるだろう。



「はぁはぁ」


 庭についたが、窓にはカーテンが引かれていてリビングの様子を窺い知ることは出来ない。


「……っ。だぁっ!」


 俺は庭にあった大きめの石を窓に投げつけた。

 窓はガシャン!という音をたてたが、割れたのはほんの一部だった。

 だが、手を入れれば何とか鍵に届きそうだった。


「……っ。痛たっ」


 俺は割れたガラスで少し腕を切りながら、何とか窓の鍵を開けることに成功した。

 急いで窓を開け、カーテンを乱暴に投げるように部屋の中に入る。

 切れた腕がずきりと痛むが、そんなことは気にしていられない。


「美咲っ! ……うっ!」


 部屋に入ると、むせかえるような嫌な匂いが鼻をついた。


 これは、血の匂い?


「……あぁ、真吾。

 来てくれたのね」


「美さ……き?」


 美咲の声がしたことに安堵しながらそちらに目を向けると、美咲はテーブルに腰かけていた。

 身体中を血に染めながら。


「……美咲。

 おまえ、それ……」


 そして、テーブルに腰かけた美咲が手を置いていたのは早川の頭だった。

 が、それには首から下がついておらず、まるでテーブルから首が生えたように、ごく自然にそこに置かれていた。


「……ああ、これ?」


 美咲は口元は微笑んでいたが、早川だったソレを見下ろす目は興味のひと欠片もないような冷たい目だった。


「なんか、私のことが好きだったんだって」


「……は?」


 ただの事実のみを淡々と語るような言い方に、俺は言葉の意味をすぐに理解することが出来なかった。


「で、私としたいって。これからは俺が守ってやるって言ってきて」


 ……このやろう。

 もはや亡き人とはいえ、その胸くその悪さに吐き気がした。


「私は断ったんだけど、そしたら真吾がどうなってもいいのかって言い出して」


「……え?」


「真吾に手を出されたくなかったら言うことを聞けって言われたから家に入れたの」


 俺のために?


「そ、そうか。それで襲いかかってきた早川を返り討ちにしたんだな?」


 ……分かってる。俺はもうとっくに分かってる。


「ん~。まあ、そうだね。そんな感じ。

 前からウザかったんだよね~。私の周りをチョロチョロ嗅ぎ回って。

 動きにくいったらありゃしない」


 それならわざわざ首をはねる必要なんかない。


 テーブルの近くに落ちていた早川は直視するのも躊躇うほどに壊されている。


 美咲は、わざと早川を惨たらしく殺したんだ。


「……なんで、17日なんだ?」


「ん~?」


 美咲は首を横にこてんと倒した。

 口は微笑んでいても、目は笑っていない。


「……17日は真吾の誕生日じゃない。だから、それを忘れないために。世界にそれを刻み付けるためにその日を実行日にしたの!」


 美咲は輝くような笑顔で両手を広げる。

 その右手には早川だった頭。

 血飛沫が俺の顔に飛ぶが、それを拭うことも忘れていた。


 美咲はもう気付いた。

 俺が気付いたことを。

 そして自白したのだ。

 自分が『牛の首』だと。


「真吾はなんで気付いたの?」


 美咲は首を投げ捨てながら尋ねてきた。

 ぐしゃっという音をたてて早川が落ちる。


「べつに気付いたわけじゃない。

 休日が多かったってことで学生の可能性もあるとは思ってたけど、いまこの惨状を見るまで疑ってもいなかった」


 けど、今になって思えばおかしな点はあった。

 美咲の家族が殺されたのは3月17日。

 それなのにこの家のカレンダーには7月17日に赤丸がついていた。


「ん? ああ、その丸ね。パパとママと弟の血でつけたんだ。

 大丈夫。ちゃんと3月以降の全部の17日につけといたから。警察にはバレてないよ」


 美咲はまるで良いことをしたのを報告するかのように話した。

 そして、キッチンまでスタスタと歩くと、石鹸で丁寧に手を洗う。


「な、なんで、そんなことを……」


 俺の声はきっともう震えていた。

 それは恐怖なのかショックからなのか、失望なのか絶望なのか。

 もう説明することは出来なかった。


 美咲は手を洗い終わるとタオルでしっかりと水気を取り、どこから取り出したのか大きな斧を担いでこちらに歩いてきた。

 斧からはポタポタと血が滴っている。


「美咲っ! なにをっ!?」


 美咲は血のついた部分を避けるようにして、斧の端で自分の指に軽く傷をつけた。


「いててて」


 美咲が指先をぐっと押すと、そこから玉のような血が溢れてきた。


「それと~」


「いたっ!」


 美咲はその手で俺の怪我した腕をつかんだ。

 美咲は切れた俺の傷口に自分の傷口を押し付けた。


「い、たっ。やめっ……」


「……くす」


 美咲はしばらく指で傷口をぐりぐりとしたあと、妖しく笑って、パッと腕を離した。

 美咲につかまれていた部分と傷口がひどく熱い。


「その変態の血はつけたくなかったからさぁ」


 美咲はそう言うと、俺と美咲の血がついた指でカレンダーの17日の部分を丸くなぞった。


「ふふっ。ず~っと、これがやりたかったのよね。他人の血じゃ何か違うなって思ったのよ。

 でも、真吾にはバレたくないじゃない?

 それで自分の家族でもやってみたけど何か違くて。

 そのあとの3組は惰性ね。7月が本番だったから。

 1月から始めちゃったもんだから引っ込みつかなくってさぁ」


「……は? お、おまえ、なにを、なにを言ってんだ」


 駄目だ。まったく理解できない。

 俺には美咲の言っていることが何一つ理解できなかった。


「そこが分からないのよね。なんでみんな理解しようとしたがるのかしら。よく猟奇殺人鬼なんかが人を殺した理由を解説しようとしてるけど、そんなのその人にしか理解できるはずないのに。

 それをしたいからするのよ。

 したいからしたのよ。

 それでいいじゃない」


「……っ」


 怖い。


 怖いと思った。

 人はたぶん、理解できないと怖いんだ。

 だからみんな、何かしら理由をつけたがるんだって分かった。


 俺はいま、生まれて初めて美咲のことが怖いと思った。


「……っ」


 俺はじり、と美咲から距離を取るように後ずさった。


「……はぁ。やっぱり真吾も分かってくれないよね。べつにいいけど」


 美咲は俺が下がったことにすぐに気が付き、悲しそうに呟いた。


「……真吾の親もそうだったしね」


「……は?」


 いま、なんて?


「今朝、目が覚めて自分の部屋に戻る時に真吾の両親に見つかってね。で、このまま自分たちの子になってウチに住まないかって言われたのよ」


 ゴクリ。


 と喉が嫌な予感を飲み込もうとする。


「だから私は言ったの。

『あんたたちはいらないから真吾だけちょうだい』って。

 そしたら、なんか学生がどうとか子供のくせにとか道徳がどうとか、なんかよく分かんないことを喚きだしてね」


 嘘だろ。

 もう、やめてくれ。


「だから、2人とも並べることにしたの」


 ……?


「……あ」


 俺は美咲の言葉の意味に気付いて走った。

 その場から逃げ出せたことに安堵した気持ちに気付かないフリをして、急いで自分の家に駆け込んだ。


 さっき自分が通った廊下を通り、リビングへ。

 さっき警察を呼ぶように言った時に返事が返ってこなかったリビングへ。


「……あ」


 そのリビングに置かれたテーブル。

 その上には見慣れた両親の顔が、首だけという見慣れない姿で並べられていた。


 恐怖と痛みに顔を歪ませた母親。

 顔を殴られたのか、頬が腫れ、目が陥没した父親。


「……そ、そんな」


 俺はその場にへなへなと崩れ落ちる。


「首ってね。けっこう切るの大変なんだよ」


 後ろから美咲の声が聞こえる。


「抵抗されると綺麗に切れないから、まずは痛め付けるか気絶させるの。

 それで、斧の先端の重さの中心がちょうど首の骨の間に当たるように、振り子の要領で思いっきり振り下ろすの。

 すごい疲れるから1ヶ月に1回が限界」


 美咲が楽しそうに声を弾ませる。

 内容はもう頭に入ってこない。

 正直、もうどうでもいい。


「……どーしよっか。

 私としては真吾と2人でこのままどっかに逃げて、2人で幸せに暮らしたいなって思うんだけど。

 真吾はどうしたい?」


 美咲が俺の顔を覗き込んで聞いてきた。

 もう涙で美咲の顔がよく見えない。けど、きっと美咲は笑っているんだと思う。


「……りだ」


「え?」


「……無理だ。俺には、無理。もう、終わらせてくれ」


 俺はもう美咲が怖くて仕方ない。

 そんな美咲とともに生きていくなんて、怖くて怖くて仕方がない。


「……そっかぁ」


 美咲が残念そうに俺から少し離れる。


「……残念」


 斧が振り下ろされる音と、美咲のその声が、俺が最後に聞いた音だった。














「……次のニュースです。

 今朝、再び『牛の首』による犯行が行われてしまいました。

 警察の発表によると被害者は4名。

 3番目に犠牲になった水野さん一家の隣に住んでいた家族3名と、その息子さんの通う学校の担任だった早川さんです。

 また、水野さん一家で被害を免れていた美咲さんの行方が分からなくなっており、警察は行方を追っているとのことです。

 さらに、今回犠牲となった家の長男である真吾さんの頭部だけが見つかっておらず、警察ではそちらも合わせて捜索中とのことです」


「いや~、怖いですねぇ。警察は本当に何をやっているんだか」


「本当ですね。一刻も早い事件の解決が望まれます。

 それではここで、犯人の動機を探るためにプロファイリングのスペシャリストをお呼びしています。よろしくお願い致します」


「よろしくお願い致します」


「それではさっそく、犯人はなぜこのような凶行を行っているのでしょうか」


「それはですね……」




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― 新着の感想 ―
[一言] 衝撃のラスト(゜Д゜;) まさかの犯人まさかの動機!! ミスリードとかもう最高の構成!! 読ませていただき感謝なのです(゜Д゜;)
[良い点] ∀・)ほぉ。ミステリー的な「牛の首」がきましたね。猟奇的殺人が浮かび上がる「牛の首」の伝承。しかしその正体は?ってところで本編の人物ドラマと繋げてく手法。なにか夕日色さんのスタイルを掴んだ…
[良い点] 面白かったです! ミスリードさせるような仕込みや、徐々に明かされる種明かしの運びも見事でした! 人が動く理由なんて、理屈じゃないんだという力技! ホラーなのにいっそ清々しいくらいの爽快感が…
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