呪いのメッキが剥がれたら【短編版】
※連載版もあります。続きが気になる方は作者ページより飛んでいただけると幸いです。
どこにでもあるような街のどこにでもあるような朝、一人の青年は鏡に映る自分とにらめっこをしていた。鏡の傍らには『今どき新定番 なりたい自分になろう!』と大きな文字で書かれているページが開かれた雑誌が置かれており、そこには笑顔の好青年がポーズを決めている。鏡に映る自分とは、笑えてしまうほど違う。
「……なんだよ、全然違ぇじゃん」
花田龍一は鋭い目で鏡を睨みつける。我ながら相当に威圧感のある顔をしていると思う。
龍一は20分ほどかけてセットした髪をぐちゃぐちゃにかき乱していつもの乱雑なヘアースタイルに戻す。「なりたい自分になろう」なんて出来るわけがないのだ。
地面に転がった学生鞄を手に取って、再度鏡を見る。そこに映るのは悪魔のような笑みを浮かべた男の顔だ。
外を出ると春一番の風が龍一を撫でていく。いや、なりたい自分になれない龍一を冷やかしているのかもしれない。古いアパートの二階から見下ろす景色には新たな門出を祝う桜色があったが、朝から憂鬱な龍一の視界には入ってこない。ただ、春休みに入る直前にクラスメイトから言われた一言が頭の中で反駁する。
『ごめんなさい……。龍一君とは、その、話すなって言われてて……。ほんとにごめんなさい』
夕暮れの教室に女子生徒の怯えた表情。つい先日まで楽しそうに笑っていたのに、今は目の前の男子生徒に恐怖しているのだ。何てことない、ただの日常。
「はぁ、俺はただの男子高生だってのに」
龍一は朝から何度目かのため息をつく。道を歩く龍一を見て、周囲は距離を取り、過ぎ去った後にこれ見よがしに言葉を交わす。
「あれって、『棘の龍一』だろ? めっちゃこえぇな」
「あぁ。……それより、あの噂ってホントかな。ほら、親が元暴走族ってやつ」
「あー、知らないけど、ホントじゃね? あの目で睨まれたら誰も動けねぇだろ」
小さな小言だが、龍一にはしっかりと届いている。彼らは別にわざとそうしているわけでは無いだろう。しかし、気にしていることだからこそ、無意識的にそう言った言葉を耳が拾ってくるのだ。
彼らが話していた「噂」は殆ど事実だ。
龍一の父は元暴走族の総長だった。顔は厳つく、目つきは鋭い。大柄で腕っぷしが強く、それでいて情に厚い。母はそんな父に惚れ、父も自分を好いてくれる美しい母を受け入れた。そして生まれたのが龍一だった。
龍一は見事に親の容姿を遺伝した。ただし、良くない方に。
最寄り駅に到着すると、慣れた手つきで定期を機械にかざす。ピッという電子音と共に小さな扉が開いて龍一を迎え入れる。みんながこうならどれほど楽か、龍一は罪のない改札機を睨みつけつつ悪態をつく。
今日は朝からついていない。
いつもならもう少し家を早く出て、あまり学校の生徒に会わないように心がけている。しかし、20分の無駄な時間を鏡の前で過ごしたがために、生徒が一番混雑する時間帯に乗り込んでしまった。背の高い龍一は否応なく目立ってしまう。更に、この顔が出ているのだ。悪い方向に目立たないわけがなかった。
小さな声が集まると、大きな意味を持つ。大きな意味を持った言葉たちは人の心を傷つけるのには十分だろう。ただでさえ朝から気持ちが沈んでいるのに、電車での心無い言葉たちは更に龍一を落ち込ませる。
電車の窓に映る自分の顔。鋭い目が自分を見ている。最早、これは亡くなった父からの呪いだ。
そう考えて自嘲気味に笑う。すると、1人のサラリーマンが反応した。別に大きな声でも、目立つようなしぐさをしたわけでも無かったが、びくびくと左右を確認し始めるその男性に龍一は怪訝な表情を浮かべる。
もともと鋭い目をしている龍一が怪訝な表情を浮かべるとどうなるか。そんな事、火を見るよりも明らかだった。
挙動不審な男性と龍一の視線が交わる。すると、そのサラリーマンは恐怖で顔を強張らせる。震える体を何とか抑えつつ、その男性は龍一に対して声を出す。
「な、何か?」
「……はぁ? 別に何でもないですけど?」
龍一にとっては普通の返答だった。しかし、鬼の形相、いや悪魔の形相に見えたその男性はそそくさとその場を離れる。そして、丁度そのタイミングで電車が止まり、男は何かから逃げるように電車を出ていった。
龍一は首を傾げる。もとより、男の動きは不審極まりない物だった。しかし、龍一を見てから、いや龍一に見られていると気が付いてからの彼は余計におかしかった。何か後ろめたい事でもなければ、ちょっと見たくらいで逃げていったりはしないだろう。
しかし、その疑問はすぐに解決する。小さな手が龍一の学ランの袖を引く。小さい。本当に小さく、白い手が。
パッとその手の主に視線をやる。すると、150cmくらいの少女、いや同じ学校の制服を着ているため女子高生と形容すべきかもしれない、そんな女子が立っていた。髪の毛はベージュっぽい明るさがあり、肌は透き通るような白。どことなく外国人のようだが、顔たちは童顔で日本人らしい。普通に会ったなら、可愛い女の子と思っただろう。
しかし、彼女の顔を見てしまった龍一は言葉を失った。彼女の特徴的な大きな瞳には涙が溜まっていて、龍一の袖をつかんだ手は細かく震えていたからだ。
「あ、あの、ありがとうございます……」
女の子はか細い声でそう言う。龍一は不意に視線を外した。人の泣いている顔を見るのは、あまり好きじゃない。龍一の中で、泣き顔は彼の母親を連想させる。周囲の目を憚らずに泣き、自分を捨てた母親を。
「……いや、俺は何もしてないっすけど」
龍一はぶっきらぼうにそう答える。実際、何もしていないし、そもそも彼女が何かされていることに気付きすらしなかった。彼女が震えていても、慰めることもできないし、こんな凶暴な容姿をしていても自分を守ることに必死で目すらも合わせられない。
しかし、その女子生徒は首を横に振る。小さく、何度も。
「……そんな事ありません。あたし、怖くて何も言えなくて……、あなたのおかげです」
少し高い声は震えている。その恐怖が龍一の顔から来るものなのか、さっきまでの嫌な記憶から来ているのかは分からない。小さくすすり泣く声と涙を拭く布の音が聞こえる。
その音を聞いて龍一は彼女の手を振り払い、今にも閉まりそうな扉をすり抜ける。
「――え、ここ降りる所じゃないですよ!」
電車の扉が閉まる直前、さっきの女子高生の甲高い声が聞こえた。しかし、もう遅い。既に扉は閉ざされており、もう中には戻れない。
電車は何事もなかったかのように動きはじめ、数秒後には見えなくなる。ここは学校から3駅ほど離れた駅であり、歩くと30分ほどかかるだろう。龍一が住むこの街が田舎という事もあり、次の電車が来るのは30分は後の事だ。
「……はぁ、やっちまった」
遅れながら、龍一は自分の行動を後悔する。しかし、どうしてもあの場にいることは出来なかった。
スマホを取り出して今の時刻を見る。スマホ画面に映る時計の短針は8を過ぎ、丁度真ん中あたりを指し示そうかとしている。
「……クラス分け初日から遅刻かよ」
龍一はそう呟き、スマホを学生ズボンのポッケに突っ込んで走り出す。走っても間に合わないだろうが。
案の定間に合わなかった龍一は廊下をジョギング気味に走りながら教室へ向かう。入口に張り出されたクラス分けの表を見て、自分が2年3組だと分かった。他の生徒などは見ていない。何より教室へ向かう事が最優先だからだ。
ここまで走ってきたため、息はかなり上がっている。何の運動部にも所属していないつけがここでやって来たと言っていいだろう。
長い階段を駆け上り、2年の教室がある3階に辿り着いた龍一は階段の左手にある3組の扉を勢いよく開く。
「花田君、遅刻ですよ!」
「……あぁ?」
担任の先生らしき女性が注意してきたので反応する。しかし、息が上がっていたからか想像よりもドスの利いた声が出てしまった。何より先生に向かって「あぁ?」とけんか腰に返答してしまっている。
龍一自身、やってしまったと反省する気持ちもある。しかし、時すでに遅し。龍一の口撃を受けて、担任は勿論、クラス中がドン引きしている。特に、担任はひどいもので、目を右往左往させながらあわあわと口を開けている。
龍一は教室を見回して、唯一空いている席へ歩いていく。あの担任とは初対面であり、名前を断定されたところを考えると、このクラスの遅刻は自分だけ。つまり、空いている席こそが自分の席だと考えたからだ。実際に龍一の推測は正しく、龍一は自分の席に座り鞄を机に引っ掛ける。
ようやく我に返った担任が「学校通ってたら遅刻することも偶にはあるわよね。うん、うん、そうよねぇ~……」と呟きつつ、黒板に何かを書きつけている間、クラス中の視線が龍一に向いていた。やらないが、もし龍一が周囲を見渡したら、皆下を向くことだろう。
黒板に文字を書き終えた担任は、「とりあえず、今日は役員決めして学活やったら終わりだから、ぱぱっとやってちゃっちゃと帰りましょうねー」などと言い、「まずは学級委員、挙手!!」と元気よく手を上げる。クラスのお調子者連中が挙手をして、徐々に埋まっていく黒板を興味無さそうに見つめつつ、龍一はただただ椅子に座っていた。
担任の思惑通り、明日からの時間割表や様々な配布物を配り終えた瞬間、その場で解散となった。
龍一は少し重くなった鞄を肩にかけて、ついさっき駆け上った階段を下っていく。こうなるなら、別に急いでくる必要もなかったかもしれない。次の電車を待って、後で職員室へ行くだけ。そっちの方が結果的に悪目立ちすることなくその場を切り抜けられた気がする。
元気のいい男子生徒が龍一を追い越していく。坊主、あれは野球部だろうか。その男子生徒は龍一を見て頭を下げる。一応言っておくが彼は同級生だ、名前は知らないけど。適当な愛想笑いを返すと、彼は脱兎のごとく階段を降りていく。
龍一は冷たい階段をゆっくり下る。そして、最後の一段を降り切った時、突然後ろから声をかけられた。
「――あの! 花田先輩!」
振り返ると、そこには電車であった女子高生が立っており、彼女の後ろに数人の女子高生が顔を覗かせている。おそらく、彼女の友達だろう。
「……あぁ、今朝の」
龍一はぶっきらぼうにそう答える。泣いている顔が連想されて彼女を直視できないというのも一つの理由だが、何よりもこの場で人と話したくなかった。しかし、彼女からすればそんな龍一の心情など知ったものじゃない。ゆっくりと近づいて来ると、下から龍一の顔を覗き込む。
まだ彼女の方が一段上にいるのに、龍一を見上げる構図になるほど龍一と彼女の間には身長差があった。
「あの、その、……大丈夫でした?」
龍一の顔色を伺いながら、彼女はそう尋ねる。純粋な目からは龍一に対する申し訳なさと、心配とが映し出されていた。おそらく、急に電車から飛び出したことに対して何か嫌な事でもしてしまったのかと心配しているのだろう。実際、彼女が原因で電車を飛び出したわけだが、それは龍一の過去に問題があっただけで、彼女自身には何の問題もなかった。
「別に大丈夫だ」
「え、あ」
そう言い残して去る龍一を追うように、彼女も階段を降り切る。龍一の一歩に対して、彼女は2歩要する。故に、龍一が普通に歩いていても、彼女からすれば小走りしないと追いつかないのだ。
しかし、彼女は追ってきた。
「さっきはホントにありがとうございます。その、花田先輩が何もしてなくても、あ、あたしは助かったので!」
「……もういいよ、別に」
龍一はそう呟く。別に助けるつもりはなかった。龍一の恨むこの顔が引き合わせた仲であり、それは龍一にとってはあまり嬉しい物ではなかった。もし、彼女と全く違う出会い方をしていたら、もし自分の顔がこうじゃなかったら……。いつにもまして、自分の容姿が憎らしい。
龍一の声の調子から彼女は表情を曇らせる。
「あの、……あたし、迷惑ですか?」
「……あぁ、そうだな」
龍一はただ一言そう答える。すると、彼女は足を止める。徐々に開いていく距離、それは龍一と彼女の心の距離を指し示す。
「……はぁ。どうせあの子もすぐに聞くよな」
誰にも聞こえないような小さな言葉が漏れる。顔だけじゃない、数々の噂話。それらが彼女の耳に届くのはそう遠くはないだろう。そうなったら、またあの時の様に拒絶されるのだ。
そう。これでよかったんだ。龍一は自分の胸にそう言い聞かせる。
タッタッタッ
誰かの足音。それは徐々に近づいて来る。そして、背中に衝撃が伝わる。突然の突撃に驚きつつ、ぱっと視線を向けると、綺麗な髪は乱れ、頬を赤らめた彼女の姿があった。
「――あの! 私、椎名こころって言います! その、あの……また明日!!」
彼女、椎名はそう言って踵を返して去っていく。その背中は小さい。しかし、何となく優しくて、何となく懐かしい。
「――はっ、恥ずかしいなら大きな声出さなきゃいいのに」
龍一は椎名の顔を思い出してそう呟く。すさんだ、重苦しい気持ちが少し軽くなるのを感じる。
また明日、か。
龍一は彼女の高い声を頭に響かせながらその小さな背中を見つめた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
「呪いのメッキが剝がれたら【連載版】」もありますので、興味を持っていただけたなら作者ページより飛んでいただけると幸いです。
「面白い」と思っていただけたなら、評価・ブクマ・感想を頂けると嬉しいです<(_ _)>




