ミストラル
羽ありが攻めてきたのは、雪も解け、花のつぼみも綻び始めた春先だった。
僕は友達を誘うと、大人たちの目をかいくぐり、櫓にのぼった。
城壁の向こうには、羽ありたちが大群が見えた。色とりどりの旗がはためき、ところどころから煮炊きの煙が上がっていた。
僕たちは目をこらした。大人たちが言うのには、羽ありは背中に羽の生えた悪魔どもなのだというのだ。だけどこの距離からでは、そんなものを確かめることは出来なかった。
友達と見えるかよ、なんて言い合ってると、後ろから怒鳴り声がした。
振り返ると、槍を持ったオジサンがいて、僕たちはこっぴどく叱られた。
「ま、それはそうと」眉間にしわを寄せたオジサンは、急に表情をほころばせた。「坊主たち、あれを見ても怖くないのか?」
「あんなもん、怖くないやい」
僕は友達の手前、強がってそういったが、内心はバクバクだった。
「そりゃいいや。大きくなったら、立派な兵士になれるな」
帰り道、もう一度羽ありに羽がないか確かめないかと僕はいった。
「どうやってだよ。あそこからじゃ遠くてよく分からないぞ」
「だからさ、壁を抜け出すんだよ」
南門にある倉庫の裏の城壁に、子供なら這い出れるほどの穴が開いていた。
「だけど、そんなことしてもし掴まったら、羽ありに食べられちゃうよ」
「なんだ、怖いのか?」
「怖くなんかないよ。ただ……」
あれこれ話し合い、今日の夜中に決行することになった。日付が変わるころ、南門で落ち合う約束をして僕らは分かれた。
大人たちが寝静まったところで、僕はベッドを抜け出した。南門に向かいながら、これから繰り出す冒険を前に、期待と恐れがグチャグチャになって足が震えた。
南門にはまだ誰も来ていなかった。歩哨に見つからないよう物陰に隠れて友達を待った。温かい夜だった。ウトウトしていた僕の肩を、誰かが叩いた。
僕はビックリして思わず悲鳴をあげそうになった。が、月明りに照らされた友達の姿を見て、すんでのところで飲み込んだ。
「他の奴はどうしたんだよ」
僕は言った。
「みんな怖気づいたみたいだ。来たのは俺とお前だけだ」
「意気地なしだな」
「どうする?」
「どうするって?」
「本当に行くのかってことだよ」
「お前まで怖気づいたのかよ」
「そうじゃないけど」
「なら行こう。俺たちはあいつらとは違うんだ」
僕らは城壁にピタリと寄せられている石を協力して押した。少しずらすと、ぽっかりと開いた穴が顔を出した。
「行くぞ!」
僕はそういうと、頭から潜り込んだ。もそもそと這うと、すぐにそこは城壁の外だった。
服についた埃を払っていると、友達も穴から這い出してきた。
目の前には野営の明かりが見えた。耳を澄ますと、羽ありたちの声が聞こえてきた。最初は何か言い合っているのだと思ったが、よく聞くと笑い声だった。
何だか出鼻をくじかれた気分だった。羽ありというくらいなのだから、もっと恐ろしい集団であってほしかったのだ。
僕は友達と目を合わせると、姿勢を低くして近づいていった。
羽ありたちは焚火を囲んで談笑していた。
「羽、見えるか?」
僕は言った。
「駄目だ、暗くて見えない」
一瞬だった。音もなく忍び寄ってきた羽ありは、僕らを捕まえると、両脇に軽々と抱えた。
僕は暴れてみたが、羽ありの腕はびくともしなかった。友達は早々に諦め、ぐったりとしていた。
僕らはテントに連れていかれた。焚火を中心に、絨毯がひかれた内部はムッとしていた。中には数人の羽ありがいて、その中でも見るからにおっかない羽ありが、酒杯を片手に座っていた。どうらやこいつがボスのようだ。
酒杯は僕らを見ると、分らない言葉で何かを言った。羽ありに担がれたまま、会話をしばらく聞いていると、乱暴に降ろされた。僕は顎を打って、危うく舌を噛みそうになった。
酒杯はしばらく考えていた後、近くにいた竪琴を持った羽ありに何かを言った。
竪琴はため息をつくと、あからさまに面倒臭そうに表情を浮かべた。
「お前たち、何しにここに来たんだ?」
僕は自分の耳を疑った。聞き間違いだと思った。羽ありが僕らの言葉を喋るなんて、聞いたことが無かったからだ。
「聞こえていないわけじゃないんだろ? 何しにここまで来たんだ? 答えないと、首をかっきるぞ」
僕は弾かれたように立ち上がると、興味本位でここまで来たんだと言った。あれこれ出鱈目を並べ立て、何とかこの場をしのごうとした。だけど、本当の事だけは言えなかった。もし羽の有無を聞いて、羽ありたちの癇に障ったら、生きて帰れないだろう。
さっきまで僕らを抱えていた羽ありに、体をまさぐられていた。しかし目的の物はなかったようで、すぐに解放された。
「お前たち、本当になんの用事も無いんだな? 誰かに言いつけられたりして、ここに来たんじゃないんだな?」
僕は頷いた。
酒杯は鼻で笑うと、親指を首にはわせた。言葉は分からないが、その仕草の意味は僕にも分かった。隣の友達は真っ青な顔をしてそのまま倒れてしまった。
その時、ふとっちょの羽ありが立ち上がり、何やら叫び出した。最初は訳が分からなかったが、どうやら僕らを庇ってくれているらしい。
何を言っているのか分からないが、僕はふとっちょを応援した。僕らの命運はこの羽ありにかかっているのだ。
竪琴が何かを言うと、テントの中に笑いが広がった。ふとっちゃは顔を真っ赤にして下を向き、僕の顔を見ると微笑んで頭をなでた。
酒杯がまた何かを言った。羽ありがやってきて、僕が首にぶら下げていたペンダントを取られてしまった。母親の作ってくれたペンダントだ、返してほしかったが、酒杯は気に入ったようでそのまま自分の首にかけた。少し短いが、よく似合っているのが悔しかった。
酒杯は懐をまさぐると、何かを投げてよこした。よく見ると、コインだった。羽ありのお金なのかもしれない。
「受け取れ。ペンダント代だ」
竪琴は言った。
僕は礼を言って拾った。
「これからその手の物を持ってこい。そうすれば俺たちが買い取ってやる」
友達がゆりおこされると、僕らは解放された。
一目散に城壁まで走り、穴に飛び込んだ。
石を戻した僕らは、荒い息遣いのまま、互いの顔を見て笑いあった。まるで夢のような出来事だったが、僕の手には羽ありが投げてよこしたコインが握られていた。
昼間は寝て過ごし、夕方からその手の物を周りの家からくすね、夜になると羽ありもとへ向かう。そんな生活が始まった。
僕と友達がいくと羽ありたちは笑顔で迎えてくれた。持ってきた物を珍しがって眺め、気に入るとコインや他の品物と交換してくれた。
中には僕らの顔を見て泣き出すものもいた。
どうしたかと竪琴に聞いた。
「みんな家族を故郷に残してきているんだ。お前たちを見て、我が子を思い出すんだろうよ。あそこにいる将軍は、特に子煩悩だったからな。よく可愛がってくれるだろ」
そういって竪琴はチラッとふとっちょを見た。確かにふとっちょは、僕たちがくると必ずお菓子をくれた。時には隣に座らされ、ずっと頭をなられたりした。
だけど僕には竪琴の言うことがさっぱり分からなかった。
だって、そんなに子供に会いたいのなら帰ればいいのだ。
「そうもいかないのさ。上からの命令があるんだ。俺だって、もう三年は故郷に帰ってない」
三年、と聞いて僕はビックリしてしまった。そんなに家に居なかったら、家族がみんな自分の事を忘れてしまうんじゃないかと心配になった。
「俺の故郷は、ここからずっと南にいった所にあるんだ。海沿いの、綺麗な町さ」
「海って?」
「海を知らんのか。向こう岸が見えないほど、でっかい水溜まりだよ。それに、水がしょっぱいんだ」
そんな事を聞いたって、僕にはすぐに信じることが出来なかった。向こう岸が見えないほど大きくて、それに水がしょっぱいなんて。
竪琴は竪琴を掴むと、弦に指をはわせた。透き通った音がした。
竪琴はそのまま唄を歌いだした。テントの中の誰もが聞き入った。
「それ、何て曲」
一息ついた竪琴に僕はいった。
「ミストラル。俺の故郷の歌さ」
「綺麗な歌」
「ありがとよ」
僕らもせかされて、唄を歌わされた。僕も友達もどちらかといえば音痴なほうだけど、それでもみんな喜んでくれた。僕もまんざらではなかった。
交換した品物は、周りに自慢した。どうやって手に入れたのかと聞かれても、僕も友達も決して口を割らなかった。これはあの夜、勇気を振り絞った物だけが持てる勲章なのだ。
だけど、大人たちには決して見せることはしなかった。そんな事をしたら、大騒ぎになると子供の僕にも分かったのだ。
羽ありはいろんな話をしてくれた。竪琴が訳してくれたのだ。知らない国の話に耳を傾け、想像も出来ない冒険に僕の心はときめいた。
僕も自分の町の話をした。何でもないことだと思っていた事にも、羽ありたちは驚いていた。僕はそれに気をよくして、色々と喋った。中でも酒杯は食い入るように聞いていた。
ある日、僕は思い切って竪琴に聞いてみた。背中に羽は生えているのかと。
竪琴は笑いだした。羽ありの言葉で何かを言うと、周りも笑った。
「そういえば、俺たちの事をそんな風に呼んでるんだったな。どれ、一つ確かめてみるか」
そういうと竪琴は服を脱ぎだして背中を向けた。傷のある、広い背中だった。だけど羽はどこにもなかった。
「どうだ、生えてるか? そんな顔するなよ、噂なんて、しょせん噂だ」
僕はがっかりしていた。隣の友達もがっかりしていた。
気晴らしだといって、その夜は竪琴は唄をたくさん歌ってくれた。羽を見ることが出来なかったのは残念だけど、良い日ではあった。
今日もいつものように、僕らが城壁を抜け出すと、周りの様子が一変していた。どこからも笑い声が聞こえず、誰もが固唾をのんでいた。
僕らがテントに行くと、みんな鎧をつけていた。動くたびに、腰にはいた剣が鳴っていた。
酒杯の横にいた竪琴がやってきて言った。
「お前たち、お別れだ。もうここに来ちゃ駄目だぞ。決して壁から出るな、家の中にじっとしていろ。そうすればきっと助かるからな」
テントから追い出された僕たちは城壁目指して走った。僕らの姿を追う突き刺すような羽ありの視線が怖かった。
家へ帰った僕は、ベッドの中に潜り込んでかけものを頭からかぶった。
夜明け前、鬨の声が上がった。
何かのぶつかる音が部屋の中まで聞こえてきた。
あんなに優しかったオジサンたちが、なぜ……
僕には何も分からなかった。
ただ、混乱した頭を抱えて、時が過ぎるのを待っていた。