とまった時計
柱時計が静かに時を刻んでいた。
人も寝静まり、明かりの落とされた部屋の中、その時計だけは休むことなく動きつづける。眠ることなく働きつづける。
どれほどか時が経ち、一番鳥は羽ばたきながら朝を告げると壁には窓の形をした影がくっきりと描かれていた。しばらくすると、つられて鳴き出す、他の鳥に急かされるように、一人の老人がその部屋の中に入ってくる。
暖炉に火を入れ、お湯を沸かし、静かにカップにそそぐ。立ち昇る湯気で自慢の眼鏡を白く曇らせながら、部屋の壁という壁に取り付けられている時計を一通り眺めると「うんうん」そう、無意識に独り言をこぼしている。イスに腰かけ、昨夜バラバラにした時計の部品を一つ一つ目で追いながら、カップに口をつける。そして朝のひと時を楽しみ終わる頃には、太陽はすっかりお隣の屋根の上に昇っていた。差し込む光は、床に移動している。
「ふうっ」と大きく深呼吸をして、いざ立ち上がろうと体を捻ったと同時、外から一人の少女が扉を開けて小さな顔を覗き込ませた。
「おじいさん、おはようございます」
まだ眠そうに眼をこする少女。老人はほほ笑むと、ゆっくりとした口調で話しかける。
「おはよう、エマ」
するとエマは、慣れた様子で老人のテーブルの前に歩みよると、手に持っていた懐中時計を置き、そのまま腰をかけた。老人は、新しいカップをとり出す。
「朝早くから、お使いかな? ご苦労だね。まあ、これをお飲みなさい」
ほのかに湯気が立ちのぼるカップを受け取ると、一点に中を見つめながら口に運ぶ。白い湯気の間から、こぼれる笑みが見える。
「おばあさまから、あずかってきたの」
不意に口を開き、持ってきた懐中時計を手にとる。
「動かないの。直してもらいなさいって」
老人は、それを受けとる。きらびやかな、その時計は、もう永く時を刻んでいない様子で古びをおびていた。それでいて、手あか一つ、ホコリ一つ、ついていない手入れの良さが、大切さを物語っていた。
「あなたも、そろそろ大人なのだから、これに似合う、レディーになりなさいって」
エマはため息まじりに、ほおづえをつき、老人に目を向ける。
「昨日の事よ。『あなたは、まだまだ子供。言うことを聞きなさい』っていわれたの」
いつの間にか、もう老人は懐中時計を開いて、直し始めていた。時折、エマの会話に笑みをこぼしながらも、その手は休まず動き続ける。
柱時計は相変わらず、時を刻んでいた。
「エマ。君のお父さんは、いつ頃帰って来るのかな?」
突然の老人のこの質問に、エマは口を開く。
「お父様ったら、『温かくなる頃には戻るよ』と言っていらしたのに、先日届いた手紙だと、どうやら先のことになりそうなの」
窓の外の、人波に目を移しながら、エマは話を続ける。
「手紙を読み終わった後の、おばあさま……」
「ひどく、落ち込んでいたのかい?」
「二、三日は、マトモに食事ものどを通らない様子だったの。まったく、男って勝手よね。たまには気を利かせて、顔を見せてくださればいいのに!」
エマのいきどおりも無理はないのだが、この地方は、非常に貧しく、仕事もろくにないありさまだった。働ける男の大半は、都市部へと出稼ぎに行く。もちろん、この老人の息子たちも街へと出ていた。
まだ憤りの収まりきらないようなエマの顔に対し、老人の方は実に穏やかで、ゆったりとしていた。
「ほほほほっ。エマの気持ち解らんでもないが、男ってものは、そんなもんさ」
ケトルを手に取ると、カップに湯を注ぐ。
そうだ、今日は若い頃のエマのお父さんのお話をしてあげよう。そうだなあれは、エマがまだ一つか二つの頃さ。まだ君のお父さん、そして若い者たちは皆ここで暮らし、代々受け継いできた畑を作って暮らしていたもんさ。決して、楽な暮らしではなかった。ぜいたくが出来る余裕もなかった。それでも皆、楽しく暮らしていた。じゃがのぉ、それがのぉ、ある年、それは大きな大きな台風に見舞われてしもうたんじゃ。村の者は一丸となり、守ろうとした。じゃが、まったくダメじゃった。わしらの力ではどうにもならんかった。台風のやつぁ、全てを持って行ってしもうた。わしらは、またゼロからじゃ、明日から食う飯もないと、なげいておった。そんな時、お前のお父さんは「わしには娘がおる。どんな事してでも、飢えさせる訳にはいかん」と、ここを離れ、街に出る決心をしたんじゃ。そうしてココから、若い男の姿が消えた。皆もココをすてた訳ではない、ココで暮らしたい、でも何かを守りたい。それだけなんじゃ。どうか理解してやっておくれ。
そう老人は話し終わると、カップを口に運び、中身をゆっくりと流し込む。時計の音だけが部屋の中聞こえていた。
エマの頭の中には、今日も元気に働いている父親の姿が映っていた。家では見た事もないような真剣なまなざしで働く父親。額からは大粒の汗が流れていた。
時を刻む時計を見ながら、エマは考えた。
「ごめんね、おじいさん。ちょっとやることを思いついちゃったの。ううん、やってなかったことを思い出しちゃったの、急なんだけど今日は帰るね、また明日また来るね」
立ち上がると老人の家を飛び出した。今のエマの中にはこの言葉しかなかった。たまには自分から手紙を書いてみよう……と。




