98話 運河 【地図14】
遅くなりました><
永禄4年(1561年)4月 安芸 高田郡 戸島村
「ふむ、この戸島川と三篠川を運河で繋ぐのですな?」
「はい。幸いにも此処と三篠川では、高低差は殆ど変わりませんので、運河の建設には持って来いの場所だと思います」
お元気ですか?
唐突ではありますが、隆もっちゃんと一緒に運河建設の現場を下見している玉です。この時代には、トラックも鉄道もありませんので、物流の運搬手段は限られているのです。その限られた運搬手段で、一度に大量の物資を運べるのは船であります。
まあ、海か大きな川でしか使えないのがボトルネックなのですが、それを差し引いてもお釣りがくるだけのパフォーマンスを船は持っているのです。
なんで、こんな事をしているのかといいますと……
永禄4年(1561年)4月 安芸 吉田郡山城
「義父上様、運河を造ってみませんか?」
「運河? 清盛公が掘ったと言い伝わる音戸の瀬戸みたいに、人の手によって作られる人工の川の運河かの?」
「はい。その運河です」
まあ、運河を掘削するのは、音戸の瀬戸のような海に面している土地ではありませんが。といいますか、音戸の瀬戸って本当に人工物なんでしょうかね? でも、平清盛が開削したという伝説のほうが、ロマンがあって良い気がしますよね。
「して、姫はどこに運河を作るつもりなのじゃ?」
「この吉田郡山の目と鼻の先にある戸島村と坂村の辺りです」
「向原か。 ……まさか!?」
「はい。江川と三篠川を運河で繋げたら便利になると思いませんか? たろさ、安芸の地図をちょうだい」
さすがはチートジジイですね。向原に運河を造ると言っただけで、直ぐにピンとくるのですから、どの川が何処に流れて行くのか? 何処に繋がっているのか? ちゃんと把握していて、理解できている証左ですよね。
江の川は日本海に注いでいて、三篠川は下流の可部付近で太田川に合流して瀬戸内海に注いでいるのです。その、江の川の支流と三篠川の間にある土地が戸島村や坂村で、通称、向原と言われている場所なのであります。
江の川支流の戸島川と三篠川との間、その距離は僅かに半里。2kmちょっとでしかないのです。ここが、日本海と瀬戸内とを分ける分水嶺なのであります。正確には、分水嶺とはちょっと違いますけれども。
ちなみに、いつもならば私の傍を離れないで一緒に行動している春姉ですけど、今回は出雲でお留守番であります。悪阻が来ちゃったんだよね。時期的にいって、初夜から三日以内でしょうかね?
ピンポイントで種付けするだなんて、慶澄くんもなかなかやりますね!
「玉姫、こっちの地図でよろしかったでしょうか?」
「うん、ありがとう」
「うむむ、相変わらず姫が持っている地図は精巧じゃのぉ。安芸が丸裸ではないか……」
アイヤー、そんな事もアルよ。
「地図なんて、コツさえ覚えれば描くのは割と簡単なんだよ」
「そのコツが難しいのじゃがのぉ。しかし、江川から瀬戸内に舟で直に出られるという事か」
まあ、描き手のセンスが問われるのも事実ではありますがね。私が仕込んだ者も、鉢屋衆の中でも絵心と空間認識力が高い連中を、地図作成班に回しているのです。残念ながら、歩き巫女のお姉さんたちは地図作りには不向きでした。
女性の脳味噌は、地図を見るのも作るのも苦手ということが実証された出来事でした。私は前世が男だったので除外であります。鉢屋衆にコツを教えたのも私だしね。
「馬路の鞆浦や温泉津から博多に船を出すにしても、冬の北の海は荒れますので危険が伴います」
鞆浦とは、お手紙将軍である足利義昭が信長に京を追われて、毛利に亡命した時に在所にした備後の鞆浦ではなくて、石見邇摩郡の馬路村にある佐摩銀山の積出港のことです。
「うむ、貴重な佐摩の銀が海の藻屑と化した事も何度かあったはずじゃ。もっとも、それで損をしたのはワシではなくて神屋じゃがの」
「江川から三篠川、太田川を直接使えるようになれば、佐摩の銀も今よりも安全に運べるようになります」
たとえ、小早程度の小舟しか使えなくても、馬一頭で輸送する量の5倍か6倍の量の荷物を小舟でも運べるのですから、運河建設の費用が莫大であったとしても、長い目でみたら経済効果も費用対効果も抜群のはずであります。
小舟は馬と違って餌代も掛からないですしね。それに、建設費も1万貫もあれば十分に足りる気がしますので、費用もそれほど掛からないと思います。なんだか最近は、金銭感覚が麻痺している気がしないでもないですが。
普通の戦国大名でしたら1万貫は大金の部類だと思いますので、これは私が、佐摩で産出する銀と鷺銅山で造っている私鋳銭という、打ち出の小槌を持っている弊害でしょうかね?
「ふーむ…… 確かに姫が申す通りじゃが、姫の狙いはそれだけでは無いのじゃろ?」
「太田川の河口付近に港と町を造ったら、安芸はもっと豊かになると思いますよ」
「太田川の河口付近とな…… 比治山に新たに城を築く予定はあるのじゃが、姫はそれを知っておったのか?」
おろ? 史実で、たろさと穂井田元清が造った広島城ではなくて、比治山に城を造るプランがジジイの中にあっただなんて初めて知りましたよ。まあ、此処、吉田郡山城では何かと不便ですし、領国が広がった毛利が本拠地の移転を考えていたとしても、
別に不思議な事ではないのかも知れませんね。でも、広島城を築城しなければ、広島という地名が生まれないような気もしますね…… まあ、ここまで歴史を改変してしまったので今更といいますか、地名程度は些細な事なのかも知れませんね。
あと、福岡も生まれない可能性が高いのでしたか。福岡は、黒田家の出身地である備前の福岡から地名を貰ったはずでしたしね。
最悪の場合は、私が巫女の神託と言って嘘八百を並べ立てて、広島の地名をでっち上げて無理矢理にでも命名させてしまえば良いのですし! こういう時にこそインチキが出来る、巫女の肩書きって便利だと思います。
「まさか、私でもさすがにそこまでは知りませんよ。でも、博多と堺の中間にあって、そこに佐摩の銀も運び込まれるのであれば、自然と商人も集まって来て栄えるでしょうね」
「相変わらず姫巫女は、えげつない事を考えるのぉ」
「主導権は為政者が握っていないと意味がありませんので」
「それは確かにそうじゃな」
江戸時代の徳川幕府や諸大名みたいに、商人に頭が上がらないような状況になるのは御免こうむるでござるよ。尻子玉を握るのは私であって、断じて商人連中ではありません。自由主義市場経済? なんですかそれ?
「義父上様が瀬戸内回りで銀を博多と堺に運ぶとしたら、使う水軍は一番信用のおける小早川殿の水軍に運ばせますよね?」
「それは当然じゃな」
「小早川水軍が銀を運ぶ新たな仕事が入って手が足りなくなった所に、浦部衆にも重要度の低い荷を運ばせれば一石二鳥ではないでしょうか」
「なるほど…… 姫巫女はそこまで考えておった訳か」
いやー、それほどでもアルよ!
いやまあ、本当は偶然の産物なんですがね! まず最初に運河ありきで、運河造る→銀を運ぶ→小早川水軍使う→船足りない→浦部水軍にも仕事割り振れるんじゃね? だったのですが、それは言わぬが花というものでしょうね。
「それで、仮に戸島川と三篠川を運河で繋ぐとして、」
「費用の問題じゃな」
「はい。私が行った斐伊川の付け替え工事で掛かった費用が2里で4万貫ぐらいでしたので、今回の場合に当て嵌めますと半里と1町か2町ですから、約1万貫で収まる計算になります。多く見積もったとしても、1万5千貫は掛からないでしょうね」
「それは、多いのか少ないのか? まあ、最大でも1万5千貫なら、思ったよりも少なくは感じるのじゃが」
どうやらチートジジイも私と同じで、金銭感覚が麻痺しているみたいですね。
「人夫には一日15文しか払いませんでしたしね」
「15文とは、姫も可愛い顔に似合わず思いのほか吝嗇であったか……」
「ケチで悪うございましたね」
15文でも、物価の安い出雲の農民には十分な日当なんだぞ!
「しかし、賦役ではなく、少なくても日当を払うのじゃな」
「賦役では民の不満が溜まりますので」
少ないって言うな!
「それは姫の申す通りじゃの」
「義父上様も、佐摩の銀が安定して手に入るようになったのですから、これを機に賦役にも銭を払ってみては如何ですか?」
「それは賦役とは言わんのでは?」
斐伊川の工事の時の多胡爺と同じ反応ですね。封建制度では、民というのは領主にとっては己の所有物みたいなモノですので、いくらスーパーチートの毛利元就でも、賦役という発想は捨てきれないのでしょうね。賦役も税の一環ですしね。
でも、賦役ではないのでしたら、なんと呼べは良いのですかね?
「それでしたら、土木工事でしょうか?」
「まあ、名称に賦役や普請とか使わなかったら良いのであろうのぉ」
「言葉遊びの類いの気もしますがね。それで、義父上様が運河を建設するのであれば、尼子からも人を出しましょうか?」
運河建設は土木技術の発展のチャンスですので、私の部下を送り込むのは当然であります。しかも、銭はジジイ持ちなのですから、タダ同然で治水工事の経験が積めるこの場を活かさない手はないでしょう。
毛利に恩も売れて、タダで技術も蓄積されるのですから、まさに一石二鳥のナイスプランですよね!
「斐伊川の付け替えをした職人をか?」
「もちろんですとも」
素人の人夫は毛利領内の農民で事足りますしね。私が欲しいのは職人連中の更なる経験であります。
「それはワシとしても大いに助かるのじゃが、内政は隆元に任せてあるので、詳しい話は隆元にしてくれ」
隆もっちゃんは、筑前の件で家臣を探しに行ったままで、この場には居ません。きっと、どこかで打ち合わせでもしているのでしょうね。
「分かりました。こちらからも奉行を派遣しますので、詰めの話は後日ということで」
「それで、向原の運河建設で積んだ経験で、姫は何をしようとしているのじゃ?」
うわー、やっぱり、それを聞いてきますか。甘くはなかったかぁ。うーん、べつに聞かれても不味いことでもないし、正直に話しても大丈夫でしょう。
「そうですね…… 将来的には、由良川と加古川、若狭と近江の海、近江の海と伊勢湾を繋ぎたいと思ってます」
「なんとまあ、気宇壮大な計画じゃのぉ。ワシには考えも及ばん事じゃわい」
あと、毛利が豊後の日田と筑後川流域を切り取れたら、筑後川から博多まで運河を通すのも良いかも知れませんね。未来の歴史教科書では、私が公共事業の生みの母とか褒めたたえられたりしているかも知れないですね!
うはー、夢が広がりんぐ!
公共事業こそが国の発展を支える根幹であります。ケインズは正しかったのだ!
「玉姫、某からも一つよろしいでしょうか?」
「たろうざ君、なんだね? 言ってみたまえ」
いまの私は機嫌が良いのだから、大抵の事は鷹揚な気分で答えてしんぜよう。
「丹波や播磨、若狭に近江と伊勢も尼子の領地ではありませんよ?」
「太郎左の申す通りじゃな。今のままでは絵に描いた餅に終わるのぉ」
「なぬっ!?」
ゆ、夢を語るだけならば、いいじゃないですかー!
たろさもジジイも乙女心が分かってませんね……




