79話 上洛、昇殿
永禄3年(1560年)11月 山城 洛中 土御門東洞院殿 里内裏
「主上におかれましては、ご機嫌麗しく恐悦至極に存じ奉ります。此度は拝謁を許可して頂きました儀、及び、私めに官位を授けて頂きましたお礼を言上する為に、罷り越しました」
「尼子斎宮勅別当久子殿、出雲より遠路遥々大義であった! そう、主上は申しておじゃります」
「もったいなきお言葉にございます」
お元気ですか?
かなり緊張気味で、ガクブルかカッチンコッチンしてそうな玉です。朝廷から急遽お呼びが掛かったので、慌てて支度を整えて上洛したのです。総勢で、300名近い大所帯での上洛になりましたよ。
でも、私が尼子の当主なのですから、万が一に備えて旅のお供が大所帯になるのは、仕方ないよね! 二年前とは状況が違うのですから。
今回も若狭の小浜まで船を使いました。若狭は半分尼子の経済植民地ですので、基本的には安全に旅ができるのです。銭を落としてくれる尼子を、敵に回そうだなんて考える人間は稀といことでしょうか?
小浜から近江の今津へと出て、そこから琵琶湖を船で大津まで南下して、京へと入ったのであります。琵琶湖の堅田衆も協力的で大変結構でしたね。まあ、堅田衆にとっても尼子はお客さんですしね。
それで、いま私が居る場所は、内裏です。所謂、京都御所ですね。ここが、紫宸殿なのか、清涼殿なのかは知りませんが、ともかく、内裏、宮中であります。
多少は草臥れていてボロいですけど。こうやって見ると、朝廷の内情が、懐具合が垣間見えてしまって、哀愁を誘いますよね。
やはり、朝廷は貧乏だったんですね……
それにしても、私ってば、挨拶の言上を噛まないでよく言えたよなぁ。そう自分を褒めてあげたい気分になりますよね。なんせ、私が挨拶をした相手は、あの天皇陛下ですよ?
前世でもテレビでしか見たことがなかった、日本の国家元首であります。時代は違うけど、前世では一小市民だった私に緊張するなってほうが、土台無理な注文ですよね。
まあ、御簾越しだから、直接はっきりとは見えないのが、救いといえば救いですかね? あー、もしかしたら、私みたいな小心者の緊張を和らげるように、あえて御簾で姿を隠しているのかも知れませんね。多分だけど。
いや? やっぱり、その相手を緊張させない為だなんて御簾の使い方は、御簾の無駄遣いのようで、なんか違う気がしますね。相手に姿を見せないのは、権威付けの為ってのが正しいのかな?
でも、私が無難に儀式を終われるならば、それで良いのだからどっちでもいいか。うん、御簾は些細なことだ。
それで、いまさっき主上の、天皇陛下のお言葉を代理で伝えてくれたのは、典侍さんです。つまり、天皇の秘書役ですね。なんで、主上が私に直接声を掛けないのかイマイチ理解できませんけど、これが様式美ってヤツなんでしょうね。
目下の者が、目上の高貴な人に直接声を掛けるのが憚れるという、逆の場合は一応の理解は出来るのですが。高貴な身分の人は喋るのが億劫なんでしょうか? もったいぶっているだけなのかも知れないけどね。
典侍さんは、この時代では主上のお妾さんですかね? なぜだか知らないけど、主上は正妃を娶らないみたいなのです。だから、内縁の妻ともいいます。次期天皇になる親王の母親になる典侍さんも多いみたいですしね。
典侍。"ないしのすけ"なんて、どう捏ね繰り回しても読めませんってば! 公家言葉、恐るべしといったところですね。"てんじ"とは、すんなりと読めるけどさ。
まあ、内侍司の典だから、"ないしのすけ"なんですがね。端折りすぎだと思った私は、けして悪くはないはずであります。
それはさておき、
私が女性で半分子供だから朝廷も気を遣って、取り次ぎ役を女性にしてくれたのかも知れませんね。周りには、山科卿や知らないオッサンの公卿とかもいるのですけど。
これが、昇殿しているのが私ではなくて、男性であったのならば、主上の言葉を伝えるのは男の人で、なおかつ地位の高い大臣や大納言とかの役目のはずだもんね。それか、武家伝奏の仕事ですかね?
まあ、内裏のしきたりなど、詳しいことは知らないけどさ。昇殿するのも初めてなんだしね。
それで、朝廷から官位を貰うにあたって、私も諱を付ける必要に駆られまして、尼子の通字の"久"を貰って、"久子"と名乗らせてもらいました。公式文書には、"尼子斎宮勅別当久子"とか、書いたり載ったりするのでしょうね。
久子という名前は、前世で死んだお婆ちゃんと同じ名前だったと、付けてから気付きまして、因果といいますか、不思議な感覚に囚われてしまいました。
でも、久子は諱ですので、尼子家中では誰もが憚って久子とは、呼んではくれないのですがね。私も玉姫様や姫様呼ばわりされることに慣れていますので、久子様なんて呼ばれても、一瞬自分が呼ばれたのか分からずに、
戸惑ってしまいそうだから、ちょうど良いのですけど。
いかんいかん、緊張で思考が飛んでしまった。気を引き締めねば。
「新大典侍、御簾を上げよ」
「宜しいのでおじゃりますか?」
「うむ、朝廷に貢献してくれている尼子勅別当に、直接礼を申さねば礼を失するでおじゃる」
「それは、良きことにあらしゃります」
およよ? 御簾が上がっていくみたいですね。これはもしかして、主上のお顔を拝めるのですかね? オラわくわくすっぞ!
「出雲斎宮勅別当殿、頭を上げられよ」
「では、お言葉に甘えさせて頂きまして」
ごたいめーん! ご対……め……ん?
うん、普通の四十過ぎのオッサンですね……
主上、天皇陛下といえば、なんかもうちょっと神々しさというのか、オーラみたいなのがあると思ってたんだけどなぁ。そう思って勝手に神聖視して、勘違いをしていた私が馬鹿だったみたいですね。
まあ、主上といっても、日の本の頂点に立つ御方というだけで、べつに神様じゃなくて普通の人間ですしね。前世のテレビで見た天皇陛下も好々爺のお爺ちゃんでしたしね。なんか、緊張して損した気分だぜ。
でも、ちゃんと挨拶はしないとね! 出来る女は、挨拶もちゃんと出来るとか、前世のハウツー本にも書いてあった気がしますので。読んだことないけど。
「主上の御尊顔を拝し、恐悦至極に存じ奉ります」
「別嬪さんやね」
「は、はぁ?」
突然、なにを言いだすんだ、このオッサンは?
「あなたっ!」
「ほほほっ、房子も怒るな。ほれ、そなたから見ても久子殿は美人さんやろ?」
「それは、確かに主上が言わはるとおりどす。そやかて、久子殿は尼子家の当主でもあらしゃります」
いや、この時代の美人って、前世的にいえばブサイクの気がするのですけど…… 鏡で見た自分の顔は、うん、まあ、ギリギリ及第点ぐらいでしょうかね? ちょっと可愛いんじゃね? その程度の顔であります。
でも、美的センスって時代とともに変遷して行きますしね。あー、でも、そう考えると、どっちの時代でもソコソコ程度には、見れる顔ってことですよね。なんか、あまり嬉しくないかも知れない……
つまり、主上の別嬪さんって言葉は、社交辞令であって、お世辞ということになります。
「うむ、それは承知しておじゃる。だから、別嬪さんや言うとる」
「それでしたら、此方といたしましても言うことあらしまへん」
んんっ? 日本語でお願いします。
「ほほほっ、久子殿も、そう堅苦しくなることはないでおじゃるよ。直答も許す」
いや、堅苦しく硬直しているのは、いきなしアンタが別嬪さんなんて言うからじゃないですか! といいますか、別嬪さんの語源って、確か江戸時代の鰻の気がしたのですけど、違いましたかね?
なんで、既に別嬪さんって言葉があるのか不思議な気もしますが。まあ、別嬪の"嬪"は、宮中の女官の名前みたいですから、主上が別嬪と言っても、べつに不自然ではないのかも知れませんけれども。
あー、なるほど、新大典侍の房子さんが、怒った理由と納得した理由が分かったような気がしますね。オッサンは、ロリコンではなかったので一安心であります。それに、私にはたろさがいますしね。まだ、相手してあげてないけどさ。
しかし、様式美といいますか、伝統と格式に則った形式って大切なんじゃないの? まあ、私も堅苦しいのは苦手ですから、主上がそう言ってくれるのは助かりますけど。
ここは、主上のお言葉に甘えても良いのですかね? でも、二度断ってから三度目に頂くなんて、様式美もあったような気がしないでもないのですが。でもこれは、儒教思想だったかな? まあ、ちゃんとは思い出せないので考えを放棄しますか。
こんな事態になるのならば、もっとちゃんと、朝廷のしきたりとかを勉強しとけば良かったと後悔しちゃいます。でも、出雲の田舎では朝廷のしきたりを知っている人間なんて、誰もいないんだよぉぉぉ!
であるからして、ここは一つ、無知は怖いもの知らずの精神で吶喊しちゃいますか! 姿形だけを見れば、私はまだまだお子ちゃまの部類に入りますしね!
「では、堅苦しい挨拶は、これで最後にさせて頂きます。 ……私めに従五位下、出雲斎宮勅別当の官位を叙任して頂きましたお礼を、再度、言上奉ります」
「うむうむ、出雲に斎宮などと最初に聞いた時には、たまげたでおじゃるが、出雲であれ斎宮の復活が出来たことは重畳でおじゃる。朕は、その功績に酬いただけでおじゃるよ」
「ありがたきお言葉にございます」
ほへー、朕って本当に言うのですね。初めて朕って聞いたよ。なんだかちょっと新鮮な感じがしますね。というか、斎宮の復活の功績? 順序があべこべじゃないの? 朝廷への献金→お礼に官位→斎宮くれ→斎宮復活。だと思うのですけど?
まあ、大人の事情ってヤツなんでしょうけど。私は官位が貰えるのならば、細かいことはどうでもいいのです。
「それで、内蔵頭から聞いておじゃるが、本日を付け以て、尼子久子を従五位上に昇叙し、出雲斎宮勅別当の官職は元の如しといたす!」
さっそくの昇進キターーーっ!!
「ありがたき幸せに存じ奉ります」
「うむ、久子殿には期待しておるぞ」
「はい。毎年、春には二千貫を献上させて頂きます。それ以外にも、ご要りようでしたら声を掛けて頂きたく存じ上げます」
「うむ、これからも朝廷への貢献を頼むでおじゃる」
「畏まりました」
といいますか、こっちは大金を献上してんだから、ありがとう。そのひと言ぐらい言えんのか。来年から献金止めるぞ! まあ、ありがとうの代わりが、頼むの言葉と官位であって昇叙なんだろうけどさ。
それに、高貴さで言えば、私だって天皇の血は引いてるんだぞ! ガルルル
まあ、精神は前世の影響で、幾分か小市民ですけれども。
主上を茶化してるけど、怒っちゃダメよ? この物語はフィクションです。




