73話 木綿
永禄3年(1560年)8月 出雲 神門郡 知井宮村
「ふーん、これが木綿ねぇ」
「おひいさま、フワフワしてますね」
「フワフワしてるから、ワタって言うんだよ」
「本当ですかね?」
「多分……」
月山富田城を散歩がてらに抜け出して、神門郡に久し振りに足を運んでいる玉です。それで、ただいま綿花の収穫を見学しているところなのです。
綿というのは数年掛かって木が成長してから綿花を付けると思っていたのですが、なんと聞いてビックリ! 種蒔きから収穫までの期間が、たったの三ヶ月半程度だったのです!
木綿というからには、てっきり桑みたいな木に綿花が出来るのを想像していたのですけど、綿は想像と全然違ってました。木綿の『木』は、木ではなかったのだ。
まあ、私が木綿は木。桑も木。桑は絹だったよなぁと一瞬ですが勘違いをして、綿も桑みたいなモノじゃね? そう短絡的な思考をしたのが間違いだったのですがね。
よくよく考えたら、桑は蚕のエサであって桑から絹が採れるわけじゃないのにね。絹は蚕が吐き出すナニかなのですから。
少し考えたら誰にでも分かる、当たり前のことだったのですけれども、一度自分の思いに捉われてしまえば、中々その術中から逃れるのは容易なことではないのですよ。自縄自縛というヤツでしょうか?
まあ、綿と桑の栽培が出雲では極々少数しか行われていなかったので、私が知らなかったのも仕方がなかったのだと言い訳をしておきましょう。これにて、自己弁護は終了。
どうも私には、ものごとを短絡的に考えてしまうクセがあるみたいですね。一歩引いてモノを見るとか溜めを作るといった、熟慮することが苦手みたいです。だから、考えなしに思ったことを口に出してしまって後悔することも多々ありますし。
直情的なんでしょうね。オマケに、明後日の方向に思考が脱線するのは得意ときてますし…… ダメじゃん!
それはさておき、
水の便が悪く米作りには不向きな土地である知井宮や古志の辺りで、綿の栽培を大々的に行う予定にしたのです。既に、知井宮の外れで僅かながらも綿を栽培していたから、この地を選んだともいいますけど。
そんな折に偶然にも、畿内からの流民の中に都合良く、綿を栽培していた農家の人が二家族いました。飢饉の時に綿では腹は膨れないし、綿農家が流民になっても仕方ないよね。
彼らは自分の僅かな財産でもある綿の種を持ち運んでいました。私も畿内で綿の種を買い付けてはいましたが、少量しか確保できませんでしたので、彼らが飯の種でもある綿の種を携えていたのは僥倖でしたね。駄洒落じゃないよ?
そんな偶然に感謝しつつも、これ幸いとばかりに綿栽培の技術指導員に抜擢したのです。
「利作さん、この綿は一反あたりどれぐらい採れるの?」
「へぇ、一反やったら、120斤から130斤ぐらいでおま、ございます」
「無理に丁寧に喋らなくてもいいわよ」
「へ、へぇ、助かります。姫様おおきに」
利作さんというのは和泉で綿を栽培していたのですが、飢饉で食えずに流民として備前に流れてきたのを、私が強引に備前から出雲に引っ張ってきて、綿の技術指導員にしたオジサンの一人です。
流民に職業の聞き取りをした時に、綿を栽培していたと告げられたのなら、これはもうスカウトするしかないでしょ! ええ、三顧の礼をもって丁重に出雲までお越し頂きましたとも。銭30貫で私が雇うと言ったら、利作さんは驚いてましたけどね。
しかし、一反で120斤か。その収穫量が多いのか少ないのかは、素人の私ではイマイチ分かりませんけど、問題はそれだけじゃないのです。
「それは唐目で120斤? それとも大和目で120斤?」
「大和目でんな」
そう、斤と一口にいっても、160匁で1斤の唐目と、200匁で1斤の大和目があるのです。唐目と大和目では1.25倍の違いがあるから、その差は大きいですよね。1匁が3.75gだから、唐目で1斤は600g。大和目の1斤は750gになります。
つまり、一反で120斤の綿が収穫出来るということは、一反で90kgということになります。
この他にも、あまり使わないですけど、250匁で1斤の山目なんてのもありましたね。ややこしいし面倒ですので、いつかは度量衡は統一したい問題ではあるのですがね。
前世で慣れ親しんだメートル法を採用したいところではありますけど、そもそもメートル法そのものが、まだ西洋にもない時代ですしね。あれは確か、18世紀か19世紀のフランスが発祥のはずでしたし。
3尺3寸3分3厘が限りなく1メートルに近いとは分かってはいても、ほんの僅かに微妙に違いますしね。基本となるメートルの基準値の割り出し方なんて知らないしね。私には土台無理な注文なのです。
仮に私が、3尺3寸3分3厘を1メートルとしますとか言っても、尺貫法に慣れ親しんだ人々の意識を変えるのは、非常に難しい問題だと思いますしね。舶来モノをありがたる日本人の気質を利用して、後の世まで棚上げにしときますか。
っと話が逸れた。
「綿花が摘めるのは二ヶ月ぐらいだよね?」
「へぇ、天候の良い年などは上手く行けば二月半ぐらいは摘めますけんど、あっちのオラが蒔いたほうは蒔いた時期もアカンかったで、収穫量を期待したらあきまへん」
「利作さんが蒔いたほうは、まだ綿が吹いてないもんね」
まあ、利作さんを出雲に連れて来た時期が、綿の種蒔きの時期から一月以上遅れてしまったので、利作さんの蒔いたほうの綿花の出来がイマイチなのは仕方がないのですがね。綿摘みの時期は、7月下旬から9月下旬の間でピークは8月なのです。
いま摘んでいるのは、元から知井宮で細々と綿を栽培していた畑のほうの綿花です。
「おひいさま、この綿から着る物を作るには、どれくらいの量がいるのでしょう?」
「うーん、ちょっと計算してみるよ。利作さん、1斤のうち木綿として使えるのはどれぐらいなの?」
「三割か四割でおます」
うーん、間を取って、35%にしておきましょうか。750×0.35=262.5g。服というのは夏服と冬服で重さが倍は違うはずだけど、1反で着物の1着が基本ではあるのだ。この場合の1反は、布の長さのことです。土地の面積じゃないよ。
それで、布の1反は9寸5分の横幅に長さが2丈8尺を1反としているのです。丈は10尺ね。また、ややこしいことに、尺も曲尺の30.3cmではなくて、曲尺の1.25倍にあたる鯨尺を用いているのです。つまり、鯨尺の1尺は38cm弱ですね。
38×0.95=36.1cm。38×28=1064cm。だいたい横36cmで長さが10m60cmが布の1反になるわけです。それで、肝心の重さはといいますと、もう面倒ですので暴論ですが、1着を約1kgと仮定しちゃいます。計算が楽ですしね。服によって違いますしね。
1着作るのに1反といいましたが、当然ですけど一割か二割の切れ端は出るわけなのです。そしたら、先程の262.5gの4倍で少しお釣りがくるのが分かりますよね。つまり、服の1着は1反で綿の使用量は摘んだ時点の4斤に相当するのであった!
木綿の1反は約1kgである。玉ちゃんってば、アッタマイイ!
「姫様が地面に書いているのは南蛮数字やおまへんか」
「お? 利作さん南蛮数字を知っているんだ」
「いや、堺で見たことがあるだけですわ。読み書きはあきまへん」
「慣れれば便利だよ」
うーむ、南蛮数字もといアラビア数字が世界のスタンダードになるのは分かっているのですから、いつかはアラビア数字の普及をしたいですね。小さい頃から慣れ親しませれば、その子供が大人になれば自然と普及していくわけか。
うん、やっぱり教育が大事ってことですよね。それはそうと、春姉に答えなくては。
「春姉が手にしている綿花で、だいたい4斤かな?」
「ふえー、4斤も必要なんですね」
「利作さんが三割か四割しか使えないって言ってたでしょ? 種の部分があるんだからさ」
「そうでしたね。種は糸にはなりませんもんね」
この時代では、まだ流通量の少ない木綿は高級品です。そりゃ絹よりはずっと安いですけど、木綿は青苧よりかは高級品なのであります。木綿1反で400文は下らないのですから。
これを服に仕立て上げて商人から買うと、4倍か5倍には跳ね上がるのです。1600文から2000文の高級服の出来上がりですよね。現代の価値でいうと20万円ですね。やや安めではあるけど、オーダーメイドの背広かよ……
まあ、それでも私や春姉が着ている着物に比べたら、まだまだ安いんですがね! 私は着物ではなくて、緋袴の巫女衣装がデフォルトですけれども、素材は絹ですしね。
でも、この時代の庶民が着たきり雀な事情が良く分かりましたよ。青苧や麻の服でも400文とか500文とかしますもんね。そりゃあ服を何着も買えんわ……
それで、工程を見ますと、綿農家→糸を紡ぐ→反物に織る→仕立てる→商人が売る。こうなります。400文で売る反物は糸を仕入れる時の値は半値として200文。糸を紡ぐ時の綿の仕入れ値は100文。100文が綿を栽培している農家の取り分になります。
綿畑一反で採れる綿花の量が120斤だから、木綿1反が4斤分の綿花ですので120斤は30反分で、100文×30反で3000文也。綿畑一反の収入は銅銭で3貫となります。大雑把ですが、だいたいこれで合ってます。
単位面積あたり米の4、5倍の価値が綿にはあるのか。まあ、綿では腹は膨れませんが。それに、六割は私が分捕って行きますしね!
でも、綿農家は米を作る百姓よりも、かなり裕福になりそうですよね。1町歩で30貫分の収入。私に取られても12貫分の綿は残りますしね。
実際、全部の綿を糸に紡ぐのは無理にしても、糸を紡ぐのも自分たちの家族とか綿農家でやれるわけですし、あと副業で冬は麦か冬野菜でも作っとけば良いわけですから、実際の収入は倍近くにはなるんじゃないかな。
うーん、綿が儲かるからといって、米を作るお百姓さんがこぞって綿栽培に転向するのは困りますね。人間が生きていくのには食べなければいけませんので。
綿栽培に傾倒して、米が足りなくなったとか本末転倒にでもなったのならば、それこそ目も当てられません。
ここは一つ、綿栽培は免許制にでもしましょうかね?




