7話 郡代 【地図0】
天文24年(1555年)1月 出雲 月山富田城 尼子晴久
「斐伊川の流れを変えるじゃと?」
「はい。その為には神門郡以外に、出東郡と楯縫郡のうち沼田郷の差配を頂けませんと、この仕置きは話になりません」
むむむ、玉を富田に呼び出したのは、神門郡郡代の地位を渡す予定であったのに、蓋を開けてみれば、出東郡と更に平田まで寄越せだと?
どうしてこうなるのだ? どこで育て間違えたのだ? いや、まあ、儂が育てた訳ではないのだがな。
業突く張り、図に乗る出ない。そう言うのは容易いのだが、領地自体を渡す訳ではないのだから一考の余地はあるのかも知れん。あくまでも、玉は儂の代官という名目じゃからの。
どれ、小娘の能書きでも聞いてみるかの。鬼が出るか蛇が出るかは、神のみぞ知るところだが。
「それで、出東郡と平田の差配を寄越せとの理由は、まさか斐伊川を宍道湖に流れ込ませるとでも言うのか?」
「まさかではありません。父上が仰った通りです」
「なに!? それは真か?」
その発想はなかったわい……
「はい。弥都波能売神が、夢に出てきて教えてくれました」
「大社様のお告げか。それならば、さもありなん」
しかし、いくらお告げといっても出来るものなのか?
「父上、数年おきに斐伊川が氾濫するのは、何故だとお思いになられますか?」
「それは大雨が降るからじゃろ。童でも分かるわい」
こやつ、儂を馬鹿にしておるのか。
「確かに大雨が降らなければ洪水は起こりませんけど、原因はそれだけではありません」
「他にもあるというのか?」
「はい、鉄です。正確に言えば、鉄を含んでいた土砂です」
お元気ですか?
杵築大社で巫女をしていたと思ったら、月山富田城に新年の挨拶に来いと父上に呼び出された玉です。
巫女にとって正月は、一年で一番忙しい時期なのにね。父上は、なにを考えてやがりますかね?
それで、呼ばれて飛び出てきたのはジャジャジャッジャーンではなく、「玉、そなたが神門郡の郡代やれ」なんていう、素敵なお言葉をもらいました。
この親父、バカなの? 死ぬの?
おまけに、「多胡辰敬を後見役に付けてやるから、心配はいらん」などと、のたまってくれる始末でして。
とっさに多胡の爺の方を見ると、爺は爺でニコニコしているだけだし…… こいつらグルだわ! 組んでやがったのか。
どうやら、私は二人のオッサンに嵌められたみたいです。
数え8つの小娘が城代とかを、すっ飛ばして、いきなり郡代ですって?
まあ、城代でも大概だとは思いますけども。
そりゃあ、私は尼子晴久の娘で女ということを除けば、父上の直系でもあるから一族の中でも、それなりの地位にはあるけどさ。
いくら新宮党を粛清して、直轄領が増えて人手がいるとはいってもねぇ。ついに父上も耄碌し始めたのか?
でも、これはある意味では、チャンスなんだよね。
こうなったら、毒も食らわば皿までの精神で、いっちょ気合を入れて頑張ってみますか!
郡内の仕置きを私が行うということは、この時代に転生してから、色々とやってみたいと思っていたことが、やれる可能性が広がるのだから。
領内の統治で評判が良いのと言えば、税率を下げる以外では、やっぱり治水でしょ! 領民慰撫に繋がるしね。治水して新田を開発して収穫量も増える。一石で三鳥も四鳥も狙えちゃうお得なパッケージが治水なのです。
え? 税率は下げないのかって?
下げません! 新田開発もするし、そもそも田植えの仕方を工夫したら収穫が上がったじゃないですか。それで、お百姓さんの懐に入るお米も増えますから。
それで、斐伊川ですけど、この時代では斐伊川は日本海に直接注いでいるのです。てっきり宍道湖に注いでいるものとばかり思っていた私はビックリしました。
しかし、考えてみれば関東平野や濃尾平野の河川も、現代の川筋とまったく違う場所を通っていた川が多かったですね。利根川なんて東京湾に注いでいたぐらいですから、斐伊川が日本海に注いでいても別におかしくはないってことだね。
治水の力って偉大なのだと、改めて思い知らされますよね!
「父上、私に郡代をやらせるなら、お願いがあります」
「なんだ? 言ってみろ」
「治水をさせて下さい」
「うむ、治水は大事じゃからの。治水以外でも、玉がやりたい施策は大抵の事案は許可するぞ」
「ありがとうございます。具体的には、斐伊川の流れを変えたいと思います」
そんなこんなで、冒頭に戻るのであります。
「他にもあるというのか?」
「はい、鉄です。正確に言えば、鉄を含んでいた土砂です」
まだ、鉄穴流しの技術は導入されてないけど、アレは江戸時代に始まったはずだしね。もともとがボロボロになりやすい岩石から鉄を取っているのだから、上流の地質の固い川よりもはるかに土砂の流入が斐伊川は多いのです。
「その土砂が川底を浅めて、更に神戸川との合流で行き場を失った水が溢れるのが、斐伊川が氾濫しやすい原因です」
「うーむ、言われてみれば確かにそのとおりじゃ」
「それで、斐伊川と神戸川を分離させて、どうせなら斐伊川の土砂で宍道湖の干拓も自然に推し進めれる。そう弥都波能売神は言ってました」
「なるほど、理に適っているな。それで斐伊川の出口が平田という訳か」
「はい。中野から北へ向けて、武志から北東に美談に向けて平田に抜けさせます」
「川の東と南になるのが出東郡ということか」
「はい。新たに川になる場所の土地を取られる民の年貢免除の問題や、水利権の問題もありますから、出東郡と楯縫郡の沼田郷の差配は必要不可欠なのです」
「水問題が絡むとややこしいからの……」
「小競り合いなんて日常茶飯事ですからね。下手をしたら殺し合いもあるのですから、世も末ですよね」
「うん? その、『さはんじ』とは、なんぞ? 玉が作った玉語か?」
あれ? この時代には、まだ日常茶飯事って言葉なかったの?
「ちゃめしごと、ですよ。日ごろ茶を飲むように、ご飯を食べるように有り触れている出来事ってことです」
「はははっ! 玉は面白い言葉を作るの。しかし、毎日飯を食うように殺し合っていたなら、人がいなくなってしまうではないか」
「父上、言葉の綾ですってば!」
「ははは戯れじゃ、戯れ。そう脹れるでない」
「もー、それよりも、郡代の件です!」
「そうじゃったの。あいわかった。玉に出東郡の郡代と沼田郷の代官も任せる」
「わかりました。謹んでお受けします」
「なに、そう肩肘張らなくてもよい。失敗しても小娘の尻を拭くぐらいの力は儂にはあるからの。失敗を気にせずに仕置きをするがよい」
なんだかんだで、父上はちゃんと父親だったんだね。転生してから初めて、尼子晴久がちゃんとした私の父親なんだと思えて、不覚にも目が潤んでしまったではないか。
桃さん、あなた以外にも今世での私の家族ができました。
現代人だった私には、少しばかり生き辛い時代ですけれども、母上、私をこの世に産んでくれてありがとうございます。
頑張って、尼子を出雲を守ってみせます!
多分ですけれども……