61話 蕎麦と歴史の授業
永禄2年(1559年)12月 出雲 月山富田城
「おひいさま、それは何をしているのですか?」
「んっとね。そばを捏ねているんだよ」
「それは見れば分かりますよ。そうじゃなくて、なにを作ってるのです?」
むむむ、最近の春姉は口答えが多くなってきていますね。まあ、博愛精神溢れる玉ちゃんは、ちょっとやそっとの言葉には目くじらは立てない寛容さは持っているのです。私の心は空のように広いのですから。春姉限定かも知れませんがね。
「だから、蕎麦だよ」
「それは見れば分かりますよ。そうじゃなくて、なにを作ってるのです?」
なんかループしてね? そうじゃなくて、そういえば、この時代では細長い蕎麦の麺を蕎麦といっても通用しなかったのか。
「そば粉を捏ねて打ってから細長く切ったヤツにするの」
「そば切りとは違うのですか?」
「あれよりも細く長くするつもりだよ」
そう、この時代でも21世紀でいうところの蕎麦の原型はあるにはあるのです。私がいう蕎麦よりも、もっと太くて短いのですが。しかし、どんぶりに温かな汁を入れた掛け蕎麦や、冷やした汁に少しだけ漬けて食べる盛り蕎麦などは存在しません。
少なくとも出雲においては、私の食べたい蕎麦は見たことがありません。もしかしたら他国では、もう少し現代の蕎麦に近い蕎麦があるのかも知れませんけれども。
戦国時代の食生活は現代人であった私には貧しすぎるのです。日本の食文化が花開くのは、平和な時代になった江戸時代を待たなければならないのです。
史実でいったら最低でも、あと半世紀は後の世の話ですよね。その頃には私は死んでいるか生きていてもお婆ちゃんですよ……
そんなにも待ていない、我慢ならんということで、自分で作ってしまえと、そば打ちに挑戦中なのであります。
出汁を取るとか出汁を入れるなんて発想も、まだまだ貧弱な時代ですから、そば汁すら私が指示して作らせねばならなかったのです。出汁に食材を使うぐらいなら、その食材を自分の腹に収めてしまえという考えかたが主流なのですから。
豊かな食生活は人の心も豊かにさせるのです。だから私は一心不乱に、そばを打つのであります。まあ、本音を言えば、自分が食べたいだけともいいますが。でも、副次的には人々も恩恵を受けるわけですから、もーまんたい。
最初は鰹節を作りたかったのですけれども、聞いてビックリ、なんと日本海では鰹はほとんど獲れないのです。
そこで、『鰹が獲れないのなら、鯖で作ってもいいんじゃね?』そう、閃きまして発想の転換をしたのです。まあ、代用品ともいいますけれども。鯖は足が早いので燻製にするのに丁度良い材料ですしね。
あー、そう考えると鰹も足が早いから燻製にしたのかも知れませんね。腐らせずに、どうやったら食べれるか? それを考え研鑽した結果が鰹節の誕生なのでしょう。多分ですが。
世の中に出回っている食べ物であれ道具であれ、必要に駆られて誕生したモノばかりなのかも知れませんね。必要は発明の母っていいますしね。あとは、偶然の結果とかでしょうか?
世の中には、床にこぼした紅茶のシミから発想を得る天才もいるみたいですし。まあ、私は初めから青写真を多数持っていますがね! miscを弄って研究速度は通常の3倍なのであります!
それはそうと、未来でも鰤節は聞いたことがありませんね。日本海では鰹に代わって鰤がメジャーな魚なのにね。なんでだろ? まあ、私も鯖で作っちゃいましたので、あえて鰤で作ろうとは思いませんけれども。
「っと、こんなもんかな?」
しかし、かなり力を使いますね。そば打ちを舐めていました。私が非力ともいうけどね。
「さて、これを細長く切っていくよ」
「大丈夫ですかね?」
「まあ見てなって!」
こうみえても前世では一応料理は得意だったんだから! 油ぎっとんぎっとんな男の料理でしたけど。
トントントン……
「おひいさま、切ってく端から蕎麦がボロボロになってますよ……」
失敗した。
ぐぬぬ…… なにがいけなかったんだろう? ボロボロになるから、出雲では太くて短い蕎麦しか見かけなかったのかも知れませんね。
そば粉100%の十割そばを目指していたのですが、なにかが不味かったみたいですね。"つなぎ"ですかね? でも、つなぎってなにを使えばいいんだろ?
小麦粉と卵かな? それだと、なんかラーメンっぽい感じのモノが出来上がりそうですよね。ラーメンには"かんすい"が必要なんだっけ?
かんすいの素ってなんだっけ? 塩化ナトリウム? 塩化カリウム? 塩化カルシウム? 塩酸化ほにゃらら? 水酸化ナトリウム? 炭酸水素ナトリウム? 重炭酸ナトリウム? 過酸化水素水? 二酸化マンガン?
登校拒否して義務教育すらまともに受けていないから全然わからん……
うがー!
……新橋!
そうじゃなくて、いまは、蕎麦の"つなぎ"を考えねば。
「失敗したみたいでござるな」
「私は最初からボロボロになると思ってましたよ。だから蕎麦は、そばがきとして食べるのが普通なのですから」
むぅ…… 春姉のクセに。太郎左も失敗とか言わない! あと、ござる調はたろさには似合わないから。今日はお城で暇をしていた私の婿殿になる二宮太郎左衛門就辰も一緒です。
いつもは、多胡爺や亀井さんとか他の重臣たちに可愛がられていますけど、今日はたまたまお休みだったみたいですね。
そば。漢字で書くと、蕎麦。蕎の麦だから"きょうばく"とも言います。
つまり、麦。 ……ムギ!? 小麦、大麦の麦。
ああ、そうか、二八蕎麦は、そば粉二割に小麦粉八割だから二八蕎麦っていうんだったっけ。なにも、そば粉十割で作んなくてもいいんだしね。
でも、つなぎが必要と分かったのだから、今度は上手く行くはずなのだ。
「今度は麦を入れて試してみるよ」
「大丈夫ですかね?」
「つなぎを入れるのだから、きっと上手くいくはずだよ」
そういえば、この麦って小麦なのかな? まあ、ライ麦でも大麦でも食べれるのだから深く考えるのは止めにしましょう。 ……中麦ってあるのかな?
「おひいさま、蕎麦よりも麦の方が多いですよ?」
「うん。三八蕎麦にしてみるんだよ」
二八蕎麦を真似して三八蕎麦にしてみる予定なのです。嘘の三八なんちて。
「三八蕎麦ですか?」
「蕎麦が三割に麦が八割で三八蕎麦だよ」
「なるほど。って、十割を超えているのですけど」
う゛、春姉に指摘されるまで素で気がつかなかったわ…… でも、
「春姉、細かい事を気にしていたら負けだよ」
「ま、まあ、おひいさまが言うのであれば……」
「うん、気にしない気にしない。残りの一割は愛情が溢れちゃったんだよ」
「本当ですかねぇ」
しつこい女は嫌われるよ!
「本当だってば! たろさ、私の代わりに捏ねてみて」
「そ、某がですか?」
「だって~、私、か弱いから疲れちゃったのよ。たろさ、お・ね・が・い」
必殺、両手を祈りのポーズで胸の前で組んで、上目遣いに太郎左を見上げて瞳をウルウルさせます。
「わ、分かり申した!」
ふっ、ちょろいぜ。
でも、たろさも、こんな小娘相手に赤面して狼狽えるのは如何なものかと思いますよ?
西暦20XX年 日本 某所 某中学校
「……であるからして、現在でもみんなが食べている、うどんとそばの原型を作ったのが玉姫なのであります」
「4、5百年も続く日本の伝統料理を作ったのって、なにげに凄くね?」
「うん、そうだよね」
「いえてるー」
「続いてるから伝統料理なんだろ? 言わせんなよ」
「せんせー! なんで玉姫が作ったって分かるんですかー?」
「良い質問ですね。これは、東風日記の中の一つである『玉姫料理虎の巻』これに書かれているのです」
「出たっ! 玉ちゃん観察日記!」
「吹上殿の玉ちゃん愛溢れる日記だよね」
「それで、この玉姫料理虎の巻に書かれているレシピは現代においても十分に通用するレシピなのです。とくに出汁の取り方などはまったくと言って良いほど、現在でも玉姫のレシピ以上のモノは作られていません」
「基本を押さえている出汁ってことだね」
「オードソックスな出汁に勝るモノは無し!」
「おまえ、カッコイイこと言ったつもりだろうけど、オーソドックスだから」
「あははは」
「だっさー」
「おれ、調べたことあるけど、玉姫は出汁の昆布が欲しいが為に、わざわざ蝦夷との交易を開始したはずだよ」
「その当時の北海道って大部分が未開の大地だったよね?」
「恐るべきは、玉姫の食への執念だよな」
「というか、なんで玉姫は昆布が蝦夷にあるって知ってたのかな?」
「だから、玉ちゃんは転生者なんだってば」
「おまえそれ好きだよな」
「蠣崎だか松前だか和人の領主も蝦夷に居たから、商人の話でも聞いたんじゃね?」
「そうだね。当時の尼子は日本海交易の過半を牛耳っていましたので、商人の話も耳に入れやすかったと考えられます」
「なるほど」
キーンコーンカーンコーン
「よーし、今日はここまでー! 今日の給食は、ちょうど良い具合にソフト麺ですので、みんな玉姫に感謝して食べましょう」
「「「「はーい!」」」」
西暦20XX年 日本 某所
「くしゅん! ……風邪かな?」
会話文だけ書くのは楽ですねw




