55話 山名豊通と森右馬助 【地図4】
永禄2年(1559年)7月 因幡 気多郡 志加奴村 鹿野城
「玉姫様におかれましては、此度の援軍、誠にかたじけなく恐悦至極にござりまする」
史実では、二十年ぐらい後に春姉の従姉弟でもある、亀井茲矩が城主として入ることになる鹿野城に来ている玉です。まあ、この世界では亀井茲矩を名乗るかどうかは微妙ですがね。元服しても十郎くんは、湯○綱とかになりそうですよね。
それで、いま私に挨拶をしている武将は、山名豊通といいまして但馬山名氏の分家筋に当たる因幡山名氏の人間であります。私が生まれて直ぐの正月に、今は亡き父の晴久が支援するとか言っていた山名源七郎が、山名豊通というわけです。
父上も支援すると言ったわりには、あまり因幡には注力しないで備前とか瀬戸内をメインにして戦をしていましたがね。山名久通が討ち死にして以降の因幡で尼子が巻き返すのが難しかったのか、因幡の国に魅力を感じなかったのかは知りませんけれども。
まあ、備前の松田氏の件とか色々と柵もあったのでしょうしね。要するに、因幡は半分以上放置されていたのです。
「出雲がゴタゴタしていたので、豊通殿への援軍が遅れて申し訳なく思います」
「姫様、某に殿は不要にございまする。父の久通に引き続いて、某も尼子の旗を仰がせて頂きまする」
まあ、山名豊通としては本家である但馬山名に対抗する為には、尼子の力に頼らざるを得ないのでしょうね。そんな山名豊通の救援要請を無視する訳にもいかないので、因幡くんだりまでノコノコとやって来たのでありました。
しかし、よくもまあ、気多郡と鹿野城を保持し続けられたよな。とっくの昔に、山名豊定や武田高信に攻め滅ぼされていてもおかしくはなかったはずですしね。
山名豊通からの救援要請の第一報を聞いた時に、『ふへ? 鹿野城ってまだ尼子方だったの?』そう聞き返してしまっっても、私は悪くないはずです。
本当は、2年か3年は戦はしないで、国内の開発に励んで尼子領内を豊かにしたかったのですが、残念ながら予定変更と相成りました。
尼子方の城から助けを求められたのに断っただなんて外聞が悪すぎますし、尼子の威信にも傷が付きますしね。援軍の要請は無碍には出来ないのであります。
しかし、尼子と轡を並べるではなくて、尼子の旗を仰ぐ、と。そうきましたか……
「因幡山名家は、正式に尼子の旗下に入るという解釈でよろしいですね?」
「御意にございまする」
ふむふむ、これは、因幡山名を使って但馬山名を攻めるのも可能ということですね。山名豊通を但馬の旗頭にすれば、山名の名前で但馬の仕置きも少しは楽になりそうですしね。まあ、その前に因幡の完全制圧が先ですがね!
「わかったわ。尼子の因幡における旗頭として、これからも励んでちょうだい」
「ははっ!」
「それと、諱の豊通だけれども、豊は山名祐豊か豊定の豊だよね?」
「宗全公以来の山名の通字でもありまする」
あー、てっきり山名祐豊か豊定から貰ったとばかり思っていたから、改名させようと考えたのだけれど、山名中興の祖でもある宗全入道から続いている通字でもありましたね。そうであるのならば、豊通のままの方が都合が良い感じもしますね。
「そう言えばそうだったわね。ごめん、いま言ったことは忘れてちょうだい」
「ははっ」
「さて、私が来たからには最低でも、但馬山名と武田を千代川の東まで押し戻すわよ!」
「「「「「ははーっ!」」」」」
私の内政モードの邪魔をした但馬山名には、お仕置きをしないとね。
翌日 因幡 高草郡 島村 里仁村 近郊
「ほう? 鉄砲隊を左右に分けるのじゃな。なるほどのぉ」
今回の戦の陣形は変則的な魚鱗の陣です。まあ、魚鱗の左右に鉄砲隊を配しているだけとも言いますけどね。鉄砲隊を左右に配備するのは、接敵して乱戦になるまでは援護射撃が出来るメリットがあるのです。
特に相手が鶴翼の場合ですと、鶴翼の左右の翼に当たる部分に陣取る敵に打撃を与えられるのですから、相手は鶴の翼が閉じれなくなるはずなのであります。まあ、勝負は時の運ともいいますが、これからの時代は火力です。
火力戦を制した者が、戦の勝者と成る可能性が非常に高いのであります。それで、今回の場合ですが、相手の陣形は鶴翼の陣です。しかも、我が方に比べて少数なのに鶴翼の陣を敷いてきました……
これは、合戦のセオリーに反してますよね? 但馬山名には自殺願望でもあるのでしょうか? まるで、三方ヶ原での徳川家康みたいな気がしないでもないですね。これでは、勝負をする前から時の運にも見放されていると思うのですけれども……
まあ、敵には同情なんてしませんがね! 殲滅あるのみであります! 特に但馬の兵は、ここで数を減らしておきたいですしね。因幡の兵は、戦に勝った後に尼子が自軍に吸収するのですから出来るだけ手心は加えたいところです。難しい注文だけどね。
それにしても、さっきから私の隣に安芸訛りの言葉を喋る変なジジイが居るのですよ。ストーカーですかね?
「なんで、陸奥殿が此処に居るのかな?」
「いや、儂は陸奥殿などではござらん。安芸の隠居爺で森右馬助広元ですじゃ」
うぜー! 森の家紋は一文字に三つ星じゃなくて、鶴丸だろうが! さらさら隠す気なんて無いのに、森右馬助だなんてジョークでも性質が悪すぎますよね。
これは、あれですかね? 私が刺賀長信の辞世の句を捏造して小早川隆景に伝えた時に、森の右馬と言ったことへの当て擦りですかね? もし、そうだとしたら、毛利ジジイは根に持つタイプなんですね……
うわー、こんなチートジジイに粘着されでもしたら私の精神が持たないですから、これからはジジイ関連の発言に気を付けないといけませんね。
「はいはい。それで森右馬助殿は、なんで安芸から、わざわざ因幡くんだりまでやって来ているのかしら?」
「尼子への援軍ですじゃ」
でも、私は毛利に援軍を頼んだ覚えはないのですよね。まあ、まだ同盟を結んで日が浅いですから、毛利が尼子への誠意を見せる為にも援軍を出すのは不自然な事ではないのだけどさ。尼子も秋には九州の門司に鉄砲隊を200挺ばかり派遣する予定ですしね。
この場合の援軍とは、例え援軍が必要なくても、お互いが少数づつでも援軍を出し合うことに意味があるのです。ようは、尼子と毛利は仲が良いよ! そう、世間様に見せる為の政治的なパフォーマンスの意味合いが強い援軍なのであります。
それで、今回の毛利ジジイはといいますと、フライングして因幡にやって来たというのが正解ですかね? フライングしてまで、尼子の戦を味方側から見たかったらしいです。多胡爺たちは軍の編成もバレるので、あまり良い顔はしませんでしたね。
まあ、毛利との同盟も未来永劫に続くとは限りませんので、一応は多胡爺たちの懸念も理解は出来るのですよ。万が一に毛利が敵に戻った場合には、対抗策を取られてしまいますもんね。
でもまあ、尼子の軍事編成においては、そんな大それた変わったことなどしてませんので、私の見解では毛利ジジイに見られても大して問題にもならないと思うのだけどね。
同盟イコール味方なのですから、これからは共同で敵に当たる場面も増えてくると思いますので、いちいち気にしてたらキリがありませんしね。尼子も門司で毛利の流儀を見させてもらえるのですから、おあいこさまだと思います。
「せっかく来てもらったのですから、同族の誼で因幡毛利にでも一筆書いてもらおうかしら」
「はて? 儂は森じゃから因幡毛利とは同族ではござらんが、一筆書いてそれで無駄な戦が減るのならば、書きましょうかのぉ」
このジジイは、まだ森右馬助ごっこを続けるのかよ…… まあ、因幡毛利は昔から但馬山名とは敵対してますので、尼子に協力はしてくれるはずではあるのですがね。
しかし、そこから、もう一歩踏み込んで尼子傘下の国人衆になってもらわないと困るのですよ。お互いの為にもね。既に尼子の支配地域では中立的な国人領主を置いておける時代は、とうの昔に過ぎ去ってしまったのですから。
国人領主を正式に家臣団に組み込めるか否か。これが、守護大名と戦国大名の違いの一つなのかも知れませんね。
「それじゃあ、お願いするわ」
「お安い御用ですじゃ」
大内を滅ぼして大大名に成りあがった同族の毛利元就の書状があれば、因幡毛利も尼子の傘下に入りやすいだろうから、これは私としても助かりますね。でも、あまりチートジジイには、借りは作りたくはないのですよね。
「それと言ってはなんじゃが」
ほら、早速おいでなすった。




