5話 父と多胡爺の会話
天文23年(1554年)9月 出雲 月山富田城 尼子晴久
「『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かず』か……」
まるで歌のようじゃの。しかし、こんな言葉は儂も聞いたことがない。
だが、この言葉は人の上に立つ者には金言じゃ。蒙が啓かれる思いとはこのことか。
「御意」
「この言葉は唐の国の偉人の言葉なのか?」
「いえ、某は寡聞に聞いたことがありません。あの時の姫様の物言いは自分の言葉として発しているように某には聞こえました」
「のう、辰敬。我が娘とはいえ、齢7つの小娘が吐いた言葉とは思えんのだが、そちが言うのであらば真であろうの」
まさか儂がこの歳になって、たった7つの我が娘に道理を教え諭されるとは……
まだ耄碌するには早いのだがな。いや、金言に老いも若きも関係ないか。
あとは、この言葉を如何に自分の血と肉にするか、それが肝要ということか。
「はっ」
「ふぅ、幼き頃から変わった娘とは思っていたが、まったく桃もとんだ娘を産んでくれたものだな」
玉がお告げと言って、新しい方法の苗の植え方をさせた田の稲穂の実りは、他の田の倍近くの収穫があったと聞く。
わずか5町でしか試さなかったのが、返す返すも悔やまれるが詮無きことか。
しかし、来年には我が領地の全部とは言わんが、大半の田で行えるであろう。噂というのは、良しも悪しきも直ぐに広まるからの。
米の収穫が増えるのだから百姓はこぞって玉のやり方を真似するであろう。
それに、千歯扱ぎなる脱穀に使う道具か。これを使うと脱穀が従来の1/5以下の時間で終わると言っておったな。いやはや、玉も凄い道具を作らせたものだ。
嘘か真か、国造衆の系譜は遡れば大社の神に辿り着くと聞く。玉の神童ぶりも、それが先祖返りならば、それも合点がいくというものか……
「御屋形様、玉姫様は未だに幼子であらせられますぞ」
「そうじゃったの。そちの報告を聞いたり、玉の書状を見ていると玉の歳を忘れてしまいそうになるわ」
「それは某も同じであります。それと孫娘の春からの書状によりますれば、玉姫様は既に漢文もある程度は読めるみたいですぞ」
その話は大社の連中も言っておったな。意味が分からない漢文があると、その都度聞きにくるから、玉のおかげで良い復習になると国造衆も喜んでおったな。
しかし、孫子に呉子に六韜なんぞ、童の読む書物ではないわ……
「さもありなん。この書状の書き方も既に小娘のものではないわい。京の公家や学者でも、このように詳しく書けて且つ読みやすく書ける人物は稀であろうよ」
「然り。姫様がくずし字を蚯蚓がのたくった字と一刀両断にされた時は驚きましたが、考えてみれば個々人で癖が強すぎて難読な字なのだと、姫様に教えられました」
そうなのじゃ、文字と言えずに童の落書きにしか見えん書状が多すぎるのが問題と思ってはいたのだが、それを誰も改めようとはしなかったのに、玉が書き送ってくる手紙は他の誰の書状よりも読みやすくて驚いたものだ。
それに、最初は彩がない簡素な書き方が味気ないと思っておったが、考えてみれば味気ない方が要点が分かりやすくて、スラスラと読めて頭にも入りやすくて実に良い書き方なのだ。
これは家臣達にも広める必要がある課題じゃの。儂も練習して家臣達の手本とならねばの。
儂がやってみせて家臣に言って聞かせて、させてみせ褒めてやらねば、いつまで経っても蚯蚓が這った文字のままだからな。
なるほど、玉の金言そのままではないか!
これは……
「惜しいの、玉が男であれば一角の武将に成れる器は十二分にあるのじゃが」
「御屋形様のお言葉、まさしくその通りにございます。しかしながら、巴御前や瀬戸内の鶴姫の例もありますし、少ないながらも女武将がいない訳ではありません」
「それもそうじゃったの…… うむ、これは丁度良い機会なのかも知れんの」
同日、同時刻 杵築大社
「くしゅん!」
「おひいさま感冒ですか?」
「んー、なんだか悪寒が」
「それはいけません! 床にはいってお休みにならなければ!」
「ん、そうする」
というか、今回の出番これだけですか?