4話 褒めて褒めて!
天文23年(1554年)9月 出雲 杵築大社 近郊 菱根村
「おひいさま、凄い収穫量ですね!」
「ふはははは、もっと褒めていいのよ!」
高笑いをする私の目の前には、辺り一面に広がる黄金色をした稲穂の海だ。
誰がこの高笑いを抑えることなどできようか?
否! 断じて否!
私じゃなくても、笑いは止まらないであろう。
まさか、ここまで上手く行くとは私でも思わなかったわ。良くて2割か3割の増量だと思っていたのに、一番収穫量が多い田んぼでは昨年比の倍近く収穫できてしまったのだから。
春に苗代を作ってから、私は田んぼを1反程度づつに小さく区切らせて、色々と苗を植えるパターン試して作付けをしたのです。
また、鴨やアヒルを放し飼いにした水田や、油を薄く張ってみた水田も試してみた成果が、この目の前にある黄金色をした海なのです。
まあ、台風の影響で多少なりとも倒れ掛かっている稲があるのは、ご愛嬌だけどね。私の田んぼ以外では完全にベチャって倒れている稲も多数あるのだから、あまり文句を言うのは贅沢というものです。
苗を植える工夫をするだけで、こうも違いが出るとはね。1反1石が1反2石と言われる日がくるのも、そう遠くないことでしょう。
「はい! さすがは天穂日命様ですね!」
え!? 私のおかげではなくて、天穂日命の功績になっちゃうの?
ぐぬぬぬ…… 解せん!
でも、まあ、私が天穂日命のお告げって言っちゃったから仕方がないのかも。
「台風でも倒れなかった稲が一番収穫量も多いみたいだね」
「台風? ああ、野分の事ですか」
そういえば、この時代にはまだ台風って言葉はなかったのか。
「そそ、野分でも倒れなかった植え方を来年は全部の田んぼに広めるわよ!」
「今年は新しい苗を植えるやり方も、5町しかできなかったですしね」
そうなのだ。本当は、私の田んぼ50町全部でお告げによる植え方に移行させたかったのだけれど、いかんせん、田植えは人手が掛かるうえに中腰でやる重労働だ。
それに、私が「こっちの田んぼは、1尺と1尺の間隔で植えて、こっちは1尺と7寸で、こっちは8寸と5寸で~」とか、色々とバラバラに指図したのも不味かったみたいですね。
いくら「大社様のお告げ」そう言っても、自分たちが食べる米なのだから、新たな方法を試して失敗して収穫が落ちて飢えでもしたら死活問題なのだ。
そんなこんなで、半信半疑なお百姓さんたちは、あまり協力的ではなかったのでありまして、新たな方法で苗を植えれたのは、5町だけだったのです。
まあ、一番の要因は誰もが初めてする方法だったので、やり方が下手くそだったのと、圧倒的に苗代が不足していたのが原因なんですけどね!
まさか、あんなににも数がいるなんて……
一桁計算を間違えてた訳ではないですよ? ないったらない!
「まあ、初めての方法だったし、苗代で余分に場所も取るから仕方ないよ」
「でも、おひいさまの田んぼを見て、来年は真似をする人も大勢いるでしょうね」
「やってみせて、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。だからね」
まあ、この言葉を言った人は、水から石油が出来るなんて与太話を信じちゃうような、お茶目な人でもあるんですがね!
「なるほど。さすがは、おひいさまです!」
「ふはははは、もっと褒めていいのよ!」
おまけに、「やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」なんて言って前線視察に行ってしまって、ブーゲンビル上空で逝ってしまうのですから、なんともはや。
「ほう? 姫様、いまの言葉は金言ですな。某、感服いたしましたぞ」
「ん? 多胡の爺か」
多胡辰敬に聞かれていたのか。パクった言葉なのだから、感服なんかされたら恥ずかしいじゃないですかー。
侍女の春が孫娘だからなのか知らないうちに、ちゃっかりと私の守り役みたいなポジションをゲットしていたりする。国造衆への監視も兼ねているのだろうけど。
まあ、会うのは月に一度か二度程度なんだけどね。
「お爺様、いつこちらに?」
「いまさっきじゃ。富田の御屋形様に報告に行く前に、姫様の顔を見てから行こうかと思っての寄り道じゃ。もちろん、春の顔もじゃぞ」
この多胡辰敬は、なにかと小五月蝿い出雲国人衆たちとは違って、父晴久が信頼を寄せている直臣だ。要所である出雲と石見の国境付近の波根にある刺賀岩山城を任されている事が、なによりの信頼の証であろう。
もっとも、刺賀岩山城の城主ではなくて城代であって、多胡辰敬の領地は石見の邑智郡の中野村や矢上村辺りなのだ。
ちなみに、この中野村の領地は尼子から貰ったのではなく、応仁の乱での功績で多胡辰敬のお爺さんが京極家か幕府から貰った土地なので、彼は石見の国人領主とも言えるのだが。
「波根と佐摩の銀山は大丈夫なの?」
「息子に任せてきました。アレも、とうに三十路をまわっておりますので、独り立ちさせにゃならんでしょう」
「そう、重盛殿(春の父親)が残っているのならば大丈夫ね」
「姫様は心配性じゃの。大内、いや陶ですか、陶と毛利は周防と安芸で小競り合いを続けてますので、当分の間は石見にちょっかいを掛ける余裕はないですじゃろ」
「できたらずっと、安芸と周防辺りでじゃれあっていて欲しいわね」
でも、もうすぐ厳島のはずなんだよなぁ。こっから毛利の快進撃が始まるはずだから、思っていたよりも残された時間は少なそうで気が滅入ります。
チートジジイこっちくんな! そう、これが私の本音です。
「ははは、いつかは決着が付くでしょう。我々尼子は、それまでの間に国を豊かにして力を蓄えていれば良いのです」
「そうよね」
「はい。姫様がお告げになった新しい稲の植え方を広めるのを、某もお手伝いさせて頂きますぞ」
「うん、やり方を紙に書くから、それを富田の父上に持って行ってちょうだい」
「それは大任ですな。お任せあれ」
でも、このままでは、あと10年ちょっとで滅亡する予定ということは、私の拙い歴史知識でも知っていたりする訳で……
まあ、天文23年が西暦の何年に当たるのか正確には分からないんだけどね。
けど恐らくは、あと数年で弘治に改元されて、また数年で永禄に改元のはずで、桶狭間が1560年の永禄3年だったはずだから、現在は西暦でいうと1553年から1555年の間で、だいたい合っているはずだ。
たしか、厳島は桶狭間の5年前だったかな?
陶晴賢が謀反する年を覚えていなかったのは痛かったけど、どのみち、あと数年で判明するはずなのだから、それまでの辛抱と思いましょうか。
そうじゃなくて、あと10年くらいで今世での私の一族は滅亡予定だから、こうして必死になって足掻こうとしている訳で。
ましてや相手は、あの西国の梟雄。いや、恐らくは日の本一の梟雄と言っても、けして過言ではないジジイが相手なのですから。
「それはそうとおひいさま、これは千歯扱ぎというのに歯が20本しかありませんから、二十歯扱ぎでは?」
「いいのよ! に、二十歯扱ぎでも50個並べれば千歯扱ぎになるじゃん!」
「姫様、数を盛るにしても、戦でも精々が三倍ですぞ?」
「お爺様、それではこれは六十歯扱ぎですかね」
「そうじゃの」
「千歯扱ぎって、金屋子神が言ってたの!」
「おひいさま、金屋子神様は女人を嫌うそうですけど……」
「そういえば、そうじゃったの」
「じゃ、じゃあ、金山彦神で!」
「金山彦神様は言い伝えでは同一神とも言われてますけど? おひいさま、嘘のお告げは駄目ですよ?」
「そうじゃの」
「いいの! 私が千歯扱ぎと命名したのだから、千歯扱ぎなの!」
「まあ、おひいさまがお告げで作らせたのですから、別に千歯扱ぎでも構いません
けど」
「そうじゃの」
「ぐぬぬぬ…… なんか負けた気分だわ」