19話 ああ無常
永禄元年(1558年)閏6月 石見 邑智郡 川本村 近郊 江の川
ドーン!
お元気ですか?
ここ2年ばかりの記憶が、いまいち思い出せない玉です。いやー、一体全体この2年の間に、なにが起こっていたんでしょうかね?
気がついたら、船の上にいるのですからビックリしました!
世の中には摩訶不思議な出来事って本当にあるんですね! 一つ勉強になりました。
まあ、冗談なんですけどね。いまさっきの大きな音で記憶が戻ったのでした。これもまた冗談です。お告げです! お告げがあったのです。お告げと言っとけば、全てが丸く収まるのであります。
知らない間に年号も弘治から永禄に変わっているし。桶狭間まで、あと2年ということですね! 駿河や尾張には干渉していないので、このまま行くと史実通りの結果になりそうですね。
それで、なんで江の川を行く船の上に私がいるのかといいますと、毛利に攻められて川本温湯城に籠城している小笠原さんを救援しに行く途中なのです。
いくら私の中では江の川以南が捨て地とはいっても、助けを求められたならば、援軍を出さなければ尼子の権威に傷が付くのです。そうなれば、国人領主というものは「尼子は頼りにならん!」と直ぐに手の平を返しますので、助けない訳にはいかないのです。
特に今回救援する小笠原氏は有力国人ですので小笠原氏以下の小領主たちにとっては、もし尼子が援軍を出さなかった場合には、小笠原さえ見捨てられたのだから俺たちの存在なんか、塵芥程度にしか思ってないだろう。
そう思われてしまって、敵方に寝返られる可能性が一気に跳ね上がってしまうのです。ここで重要なのは、救援に赴いたという事実なのです。戦の勝敗は兵家の常、時の運ともいいますし、今回の場合は戦の勝ち負けは、あまり関係ないのです。
もちろん、勝つに越したことはありませんが。尼子は義理堅い、頼りになる。そう思われることが大事なのですから。ですので、援軍を出した場合は滅亡寸前とかでもない限りは多少負けても、国人領主たちの信頼は揺らがないのであります。
頼まれた援軍とか後詰は、とても大事なのです。こういう下の者のオーダーに、きめ細かく対応しなければならない大名とか盟主の地位というモノは、けして楽な地位ではないのだ。その下に付く家臣や国人領主の方が、数倍か数十倍は楽だと思いますね。
といいますか、なんで私がここまで心配しなければならんのだ! こういうのは父上と兄上の仕事のはずなのだが。
「解せん……」
「おひいさま、なにが解せないのですか?」
いかんいかん、声に出ていたのか。まあ、ここまで私が思い悩むのも私が尼子晴久の娘だからなのでしょうね。そう、これから尼子が辿る歴史を知っているから、だから私は足掻いているのだ。
そう考えると、これも神が与えた試練ということなのかも知れません。本当は、こんな試練なんかいらないって、声を大にして叫びたいのが本音ではありますけど。
「いや、今更ながら父上の苦労が少しだけ理解できたような気がしてね」
「理解できたのに解せないなんて、私がおひいさまを解せませんよ」
うぐっ! 春姉のクセに! なんだか最近の春姉って、ツッコミ属性を会得したのだろうか? というくらい、私は春姉に突っ込まれてる気がするのだけれども、気のせいだよね?
「いいの! この話はヤメヤメ!」
「はいはい。それにしても、この大筒というのは凄い代物ですね!」
「ふはははは、そうでしょ! そうでしょ!」
春姉が言った大筒とは、さっき「ドーン!」と大きな音を出して、玉が毛利の陣地に飛び込ん行ったヤツのことです。当然ですけど玉は玉でも、私のことじゃないですよ? 私は人間砲弾ではありませんから。まだ死にたくないですし。
弾ではなくて玉なのは、あれは花火みたいなモノなのです。直系10cmほどの太めな竹を使った竹筒ですね。それで、玉は鉛でも鉄でもなくて、和紙の中に火薬と小石とか鉛玉を入れてグルグルに丸めて、膠や漆で固めたモノなのです。
つまり、花火です。ちょっと散弾っぽい気がしないでもないけれども、あれは、花火なんです。
あの花火で死んでしまった人がいるとしたら、多少は申し訳なく思い心も痛みますけれども、ここは戦場なのです。敵を殺すということは、自分も敵に殺されるということです。
ほら、良く言うじゃありませんか? 相手を殺して良いのは、自分が殺される覚悟を持った者のみだ! とかなんとか。
みんな殺される覚悟は出来ているか!
答えは、ノーに決まってるじゃない! 殺す覚悟も殺される覚悟も私には持ち合わせてなんかいませんってば! なにが悲しくて殺し合いなんかしなくてはならないのですかね? もうね、馬鹿かとアホかと小一時間は懇々と問い詰めたい気分ですよ。
でも、さっきのは花火の誤射ですから。ほら、良く言うじゃないですか? 一発だけなら誤射かも知れない。とかなんとか。ですからセーフですよね?
疑わしきは罰せず。昔の人は良い言葉を残してくれましたね!
まあ、人生を生き抜いて行くには建前って大事ですよね。つまり、そういうことです。
でも、出雲を蹂躙されない為に、私が生き残る為には、誰かの犠牲は付き物なのですから。人はなにかの犠牲の上に成り立ってる。とかなんとか、偉い誰かも言ってましたしね。
ああ、無常。
「姫様、毛利から軍使が来たようですぞ」
「尼子からは誰が出るの?」
ふむふむ、この時代でも白旗ってあったんだね。白旗が万国共通とは知らなかったよ。この場合の白旗は降伏ではなくて、停戦交渉とか和議の為の白旗だけどね。
「亀井殿は富田ですし、川副殿は美作ですから…… 姫様ですかな?」
「ブーーーッ!!」
「おひいさま、汚いですってば!」
なんでそうなるの!
「ななな、なんで、私が軍使をやる訳よ!」
「いや、この戦場に姫様以上の上位者がいませんですからのぉ」
なんで、そんな結論に至るのでしょうかね? そんな適当な指揮命令系統で、いままで尼子は戦を遂行していたのか? これは軍制改革をしないと、いつかは部隊同士で大きな齟齬が生まれて、やらかす破目になりかねない気がするわ。
命令実行者の順位付け等の指揮系統の確立が課題か。あと、報告、連絡、相談も徹底的にしないとね!
あ、ほうれん草が食べたくなってしまった…… アレって、どの国が原産なんだっけ? 博多か平戸で手に入らないかな?
そうじゃなくて、
「多胡爺が行けばいいでしょ! 多胡爺が!」
「もちろん、某も姫様の御供をさせて頂きますぞ」
「私が行くことが前提なのね……」
軍使とか使者っていったら、もっと外交に長けている武将とか坊主がする役目じゃないの? さっき多胡爺も言っていたけど、尼子でなら亀井安綱や川副久盛とかさ。なんで、小娘の私が行く破目になっているのよ!
「何事も勉強ですからの」
確かに、何事も勉強で見聞を広めるのは大事だけどさ、この毛利との交渉を、私の授業代わりにしてはダメな気がするのは、私だけですかね? こんな適当なやり方をしていて、尼子は大丈夫なのか心配になってきますね。
そうだ! 父上に頼めばいいんだよ!
「多胡爺、父上がすぐ近く対岸の川下村で、江川を渡れなくて無聊を託っているじゃないの! 父上に頼もう!」
「御屋形様を出す訳にはいきますまい」
「それもそうだったね……」
鎧袖一触とは、このことか……
「なにを嫌がっているのですかな? 好き嫌いはいけませぬぞ」
「それならば、一応は父上の許可をもらわないと」
ふはははは! この勝負、多胡爺の負けだな。可愛い娘を交渉の場に出すだなんて、あの親バカな父上が認める訳がないのだよ! 多胡爺が一人で行けば良いのだ!
でも、少しは交渉の内容とかにも興味はあるのだけれどさ。多胡爺の侍女の立場で、交渉の覗き見はしてみたい気分ではあるかも。勉強になるしね。
「では、対岸に矢文を届けましょう」
ヒューン!
・
・
・
・
・
ヒューン!
「なになに……」
『全部を玉に任せる。よきにはからえ。辰敬に補佐してもらえば大丈夫じゃ! 父より』
「なんですかこの文は?」
私の目が悪くなったのかな? うん、きっとそうでしょうね。
「そういう訳ですから、姫様往生して行きまするぞ!」
「神は死んだ……」
ああ、無常……
「おひいさま、神様でも死ぬのですか?」
「死ぬらしいよ……」
ああ、諸行無常なり……




